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58話 二ヴァレスの血脈
しおりを挟む諜報員の報告書を読み終え、イネスはセオドリックからこれまでの出来事の全容を聞いた。
ノアは逃走中で、現在も捜索が続いている。
ある港で女性の変死体が発見された。
所持品から判断すると――
ネックレスを奪った犯人、ジャネットであることが判明した。
さらに、マイリー家では絹の入荷が間に合わない可能性が高く、春の祭典で献上する衣の素材を、絹から山羊毛に変更する案が浮上していた。
献上衣はすでに完成しており、今から一から作り直す時間は残されていない。
「……絹から山羊!
ダメよ、絶対に!」
絹は、譲れない――
回帰前、加速する絹の流れに対し、皇帝陛下は自国で賄えぬ絹の流通に歯止めをかけようとした。
しかし皇后様は、「美しい光沢こそが、貴族の嗜みである」と、その決定に反対なさった。
絹を巡る流れはすでに見えている。
染め絹、絹織――
止めようもなく、これから先さらに加速していく。
だから、わたしもその流れに乗ろうと――
「マルセル様は、
取引を一方的に打ち切った
こちらの責任とし、
絹の取引は行わないと……」
「――当然よ。
先に、失礼なことを
したのはこちらだもの……」
「ですが、奥様にお会いになれば、
きっと……」
「………」
目まぐるしい状況に、イネスの頭は重かった。
「あっ……それと、これは、
奥様のお父様からです。」
渡された袋を開くと、中には一冊の手記が入っていた。
「父に会ったのね」
表紙には、夢でも気になっていた――ニヴァレスの文字。
「とても大事なものだと、
おっしゃっていました」
「………すぐに読みたいわ。
セオドリック、
ダニエルのことを
お願いしていいかしら。
お医者様もいてくださるけれど、
やっぱり心配なの……」
「ええ。かしこまりました」
イネスは、鍛錬場が見渡せる自室へ向かった。
扉を開けると、部屋は荒れ果てていた――ノアの仕業だ。
邪術を跳ね返す媒体を探し回った跡である。
扉は叩き壊され、棚はひっくり返り、床にはものが散乱していた。
「ここもすごい有様ね……」
ため息をつき、倒れた椅子を戻して腰を下ろした。
手記を開くと、そこには祖母からのメッセージがあった。
『愛する孫娘イネスへ――
あなたがこれを手に取った
ということは、
エンリケの力によって
あなたが、時を遡った
ということ……
辛かったわね……」
――おばあ様は、わたしが回帰することを知っていたのね……
息を呑み、イネスは次のページをめくる。
指先はせわしなく、息もつかず文字を追った。
エンリケの石にまつわる伝承。
そして亡国ニヴァレスの記録。
「……これって、寒木だわ……」
イネスは挿絵をそっと撫でる。
ニヴァレスから伝わった苗木、それは彼女がよく薬に使うあの寒木だった。
「液状化……抽出……?」
その文には、まるで重要だと記すように、赤い線が引かれていた。
「寒木は、薬になるだけ
じゃなかったのね……」
祖母の手記には、母がイネスに遺してくれたもの以上に詳細が記されていた。
そこには、薬学に精通した民族の知識がぎっしりと詰まっている。
これまでイネスは先祖のことをあまり知らなかったが、想像以上に壮大な先祖の歴史と知恵が広がったていた。
「きっと……これは運命……
いや、違う……
おばあ様は、
どこまで予測していたのかしら……」
読み終えた後、手に残る紙の感触と文字の重みが、
静かに、しかし確実にイネスの心を揺さぶった。
胸の奥で何かが目を覚ますようだった。
――
――翌朝。
晴天の空を、イネスは仰ぐ。
胸には、覚悟と決意。
――これから忙しくなる。
カイロへ向かうため、イネスは馬に鞍を付け荷を積んだ。
医者にダニエルのことは任せた。
セオドリックを待ち、これからマルセルのもとへ向かう。
「セオドリックなら、
もう少しかかるみたいだよ……」
キリアンはポケットに手を入れたり仕舞ったり、落ち着かない様子。
「……キリアン、どうしたの?
お父さんのことが心配?
きっと大丈夫よ。
ちゃんとお薬飲んでいればね!」
イネスはキリアンの頬を優しくグリグリとした。
「……あの……ごめんなさい」
涙をこらえているからなのか、キリアンの鼻が赤くなっていく。
「全部……全部ごめんなさい……」
「何を謝っているの?
キリアンが謝ることなんて、
なにもないわ!」
「ちが……違うんだ……」
声が喉に詰まり、言葉が出ない。
イネスは膝を地面につけた。
目線をキリアンの高さに合わせる。
「キリアン、落ち着いて。
大丈夫よ。」
キリアンは優しい母の声や眼差しに、こらえることができず涙をこぼした。
「……イネスさんが、
嫌じゃなかったら
なんだけど……あの……」
「うん。」
涙が――キリアンの想いが迫り上がる。
「ぼ、僕も……
母さんて……っ……
呼んでもいいかな……?」
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