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57話 眠る父は知らない
しおりを挟む「セオドリック殿……
こうやって何度も尋ねて
来られても無駄です。」
あてにしていた、絹の取引先との連絡が途絶えてしまった。
それでもセオドリックは、マルセルのもとを訪れ続けていた。
「……そこを、なんとか……
このままでは、
マイリー家の信頼が
失墜してしまいす……」
春の祭典に向け、マイリー家は代々、皇族へ献上衣を贈ることを慣例としていた
皇族が身に着ける衣のデザインや生地――
そのすべてが、その年の流行を左右する。
羊毛で栄えてきたオリバード帝国にも、近年、新しい風が吹き込んでいた。
外国からもたらされた絹。
光沢あるその艶やかさは貴族たちの心を捉え、人々はこぞって、その衣を求めるようになった。
そして、その流行に応えるだけの絹を確保し、衣として仕立て、世に送り出し続けること――それこそが、マイリー家の背負う責務だった。
「こちらの事情を顧みず、
契約関係を打ち切った
のはそちらです。」
マルセルは書類から目を離さぬまま、淡々と言った。
「お引き取りください。」
深く頭を下げるセオドリックを、その言葉ひとつで切り捨てる。
「…………。」
――どこへ行ってしまったんだ……
オリヴィア。
絹の取引は、すべて順調に進むはずだった。
彼女が、上質な絹を卸せる取引先を紹介してくれたからだ。
あれは、運命のような出会いだった――はずなのに。
「……どうか、お願いいたします」
視線を落としたまま、セオドリックは動かなかった。
責任の重みが、胸を押し潰す。
だが、この場で退くわけにはいかなかった。
「……イニーは、どうしていますか?」
マルセルの声から、先ほどまでの剣幕がわずかに消えた。
「……いまだ、眠り続けています……」
「イニーに……
会わせてくれるなら、
話し合いの余地を
与えましょう。」
――ひと目でいい。
ただ、それだけでいい。
イニーに会いたい。
ダニエルは後見人としての権限を持って、イネスを工房の職務から解き、マルセルが彼女に近づくことを禁じていた。
「旦那様より、奥様を
マルセル・モンテリオ様には
近づけぬよう、言付かっております。
これには、交渉の余地も――」
「――なら、話は終わりです。」
マルセルは冷たく言い残し、部屋を去った。
「……しょうがないじゃないか……
こんなのを許したら、
目覚めたダニエル様に殺される……」
肩を落とし、セオドリックはカイロの屋敷へ戻った。
そこで、伯爵夫人が目を覚ましたとの報告を受けた。
「なんと……っ……!
なんと、喜ばしいことだ……!!」
そのままメッカへ向かおうと、再び馬に跨ろうとした、その時。
「あの……よろしいですか?」
呼び止めたのは、イネスの父――
ローラン・バーンズだった。
二人は挨拶もそこそこに、本題へ入った。
「娘が、いつこちらへ戻るのか分かりません。
これを……届けていただけませんか?」
「ええ、もちろんです」
「……とても大事なものです。
必ず、娘に……」
髪や瞳の色は似ていない。
それでも、その眼差しは、確かに似ていた。
イネスの面影を感じながら、
セオドリックはそれを受け取った。
「必ず、お届けします」
――
――メッカの屋敷。
肩の力は抜けないまま、キリアンは厨房へ向かった。
使用人の姿はなく、屋敷の静けさが胸の重さを際立たせる。
――母さんが目を覚ましてくれて、
本当に嬉しかった。
それなのに。
「僕も心配だった。
無事でいてくれて嬉しい」
その言葉が、どうしても言えなかった。
カップを手に取る。
僕と母さんと、同じ目の色をした、黄色い花の柄。
報告書をめくる紙の音が、耳に痛かった。
「お茶を取りに行ってくる」と言って、
僕は逃げるように部屋を出たのだ。
胸はずっと重い。
父さんの苦しむ顔を思い出すたび、ノアを許せない気持ちが湧き上がる。
それでも、庇ってあげたい気持ちもあって――
頭の中は、ぐちゃぐちゃだった。
――答えなんて、出ない。
「お茶の葉は……どこだろう」
ふと、父さんを思う母さんの、怒りと心配が入り混じった表情が頭に浮かぶ。
――母さんは、今……
どんな気持ちなんだろう……。
体は強ばったまま。
キリアンが戸棚の前で立ち尽くしていると、使用人が声をかけてきた。
「キリアン坊ちゃん!?
お茶なら、私がご用意いたします」
……そういえば、僕はお茶なんて一度も淹れたことがなかった。
「……うん。お願い。
部屋にいるから、持ってきて」
戻るのが気まずくて、
渡り廊下を、なるべくゆっくり歩いた。
大きな窓の向こう、山は絵みたいにキレイだ。
よく見れば、羊の群れの動きまで分かる。
「……赤ちゃん、いなかった……」
春になれば、お腹の大きなノアに会えると思っていた。
それも全部、嘘だった……。
去年までは、ノアと笑いながら、
この景色を見ていたのに。
夕日が沈むにつれ、景色は遠くで滲み、揺れ始めた。
気付けば、扉の前。
暗い表情のまま目を拭うと、ドアノブに手をかける。
「……っ……う……」
わずかに開いた隙間から、母の声が漏れた。
母さんが泣いてる……。
……僕はバカだ。
なんで、ノアの気持ちばかり考えていたんだろう。
母さんが、辛くないはずないじゃないか……
ずっと父さんを、ノアに奪われていたんだから――
キリアンは、ためらいながら中の様子を覗いた。
すると――
母さんが、父さんに頬を寄せていた。
目は、確かに泣いているのに、母さんの目は、どこか安心しているようにも見える。
――次の瞬間、
キリアンは目を見開いた。
父さんの額に、母さんの唇が――
息が止まった。
周りの空気も、時間も、ひと呼吸だけ。
……ほんの一瞬だったけど……
これは……
キリアンは手をそっと胸にあてた。
――胸が、痛くならない。
父さんと、母さんが仲良く話をしているだけで、前は嫌だったのに……
さっきまで暗く霞んでいた景色が、今はちゃんと見える。
橙色の光が母さんを包んでいるみたいで――なんだか、心がふと軽くなった。
お茶は、少し後にしてもらうように伝えに行こう。
それに――
これは、内緒にしてあげた方が良さそうだ。
母さんは、きっと父さんには知られたくないだろうから。
僕は、そっと扉を閉めた。
橙色の光だけを、部屋に静かに残して――
「キ、キリアン坊ちゃん!」
それは、束の間だった。
この光さえも、セオドリックの足音で掻き消されてしまった。
そして、セオドリックは当主代理として、マイリー家が直面する危機を、イネスに全て打ち明けた。
「――明日、マルセル兄さんに
会いに行くわ」
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