不満足氏名

音喜多子平

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友人との会話

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 有名人が電車に乗ってきた。

 外と車両の寒暖差に盛大なくしゃみで応えた彼を見て、頭の中に字面だけを思い浮かべると何故かツボに嵌ってしまい、咳に似た笑いが出てしまった。

 その有名人というのは僕のクラスメイトなのだが、テレビタレントやモデルをしている訳ではないし、雑誌か何かで大々的に取り上げられた著名人などではない。

 ただ単純に彼の名前だ。

 上村有名人。

 有名人と書いてユメトと読ませる。

 彼とは小学校に入学するよりもさらに前からの友達付き合いで、かつては同じ町内に住んでいた。中学生のとき、僕の家庭の事情で引っ越しをするまではよく登下校を共にしていた。不躾とは言わないが、人目をあまり気にしない性質の男なので、今もこうして周りを憚らないくしゃみを平気でするのは変わらない。小中ときて、高校まで一緒なのだから世間一般では腐れ縁というべき存在だ。 

 ドアが閉まり、電車が動き出すと有名人はスマートフォンに没頭し始めた。僕の座っている席と少し距離があったという理由もあるが、特に声はかけなかった。彼はかなりの気心がしれた数少ない友人なのだけれども、彼に限らず僕という人間は何故か自分から人に声をかけることをしないのだ。

 特に外で他人に声を掛けられることはあっても、自分からコミュニケーションを取ろうとすることはまずない。かと言って口下手や人見知りする人間なのかと思えばそうでもないと自負している。向こうから話しかけられれば勿論応じるし、教室のような特定の場所に入ればいくらかこの傾向は緩和されるのだが、こればかりは自分でも理由が分からない。なので、僕は僕で読みかけの本に目を落とし、次の駅に着くまでの時間を潰した。

 僕の通っている高校の最寄り駅に到着すると車両内の半数近くが下車しだした。この駅の近辺には大学と専門学校も建っており、改札に向かう人間の大方は生徒か学生の装いをしている。

 校則では禁止されているのだが、駅の隣の公園を横切るのが通学の最短コースになる。誰一人として遠慮することなく公園の入口のポールを抜けて行くので自然とその流れに乗っかる。毎度のことながらみんなやっているから大丈夫という、如何にも日本人らしい集団心理だと分析するふりをして校則を破る罪悪感をもみ消した。

 冬休みが明け、最初の登校日ということもあってか周囲からまばらに聞こえてくる会話は、倦怠や久々の対面に嬉々する声が殆どだった。歩いている間は本もスマートフォンも開けず、吐き出す白い息がどのくらいで見えなくなるかという小学生染みたことにしばらく汲々となっている。すると後ろから声を掛けられた。

「ようひとし、久しぶり。あとお早う」

「久しぶり。お早う」

 いつの間にか見失っていた有名人は後ろにいたらしい。同じ電車だったんだな、と言われたので彼はこっちに気が付いていなかったようだ。昔は似た様な背格好だったはずなのに、今では少し見上げるくらいの身長差になっているし、体格も目に見えて違う。運動部と文化部の差はこういうところにも出てくるのかも知れない。

 家を出る時から一緒だったように肩を並べて歩き始める。始めのうちは冬休みに何をしていただの、来年は受験だな、などと如何にも高校生らしい会話が流れていったが、

「そういえば、次の名前決まった?」

 と、有名人は全く違う話題を切り出した。

「まだだよ。丁度今日が学校面談で、来週に第三者面談」

「アレ? まだだったんだ」

「有名人はもう終わったんだっけ?」

「ああ、だから今月中には出さないとヤバいんだよね。てか、何でまだなの?」

 中学生の頃、数学の授業で因数分解が分からなかった時と同じ顔をしていた。彼のようなのを考えていることが顔に出るというのだろう。

「早生まれ組は冬休み開けだからさ」

「ああ、そうか。仁、二月生まれだもんな」

「だよ」

 と、返事をしたところで嫌な事に気が付き、僕は顔をしかめた。

 僕の誕生日はバレンタインデーと被っており、そのせいで毎年、誰かしらに揶揄われている。

 特に有名人は、時として女子に代筆させたラブレターと一緒にチョコを贈って来るような手の込んだ悪戯をサプライズと称してやってくるから質が悪い。

 案の定、誕生日の話題になると如何にもなニヤケ面を見せてきた。

「じゃあ来月はお祝いしないとな」

「どうせ毎年通りだろ」

「今年は違うって」

 表情も声音も、全く説得力がない。

「期待しないで待ってるよ」

 僕はまるで小さい子供をあしらうかのように適当な返事をした。

 駅の隣の公園を抜けると後は緩やかな上り坂が校門まで延々と続く。今日は寒いことは寒いが、幸いにも積雪や凍結はなかったので歩いて登るのに苦労はなかった。

 校門の前には大きな池があり、かつてはここに張った氷の上でスケートをする輩もいたそうだ。今は温暖化の影響なのか、周囲の遊歩道に霜柱が立つのがせいぜいであり、人が乗れるほどの厚い氷が出来ることはない。

 僕の通っているこの喜多平学園高等学校、通称・喜多高は、他の高校と一線を画す箇所が数多くある。

 まず気になるのは昇降口がないという事だろう。まるで欧米の住宅よろしく、生徒たちは下足のまま校舎を出入りするのだが、上履きがないのかといえばそうではない。教室前に各人に専用ロッカーが宛がわれており、そこで靴を履き替える。上履きのまま外に出たり登下校すると怒られるのだが、体育の時は上履きで外に出ないと罰則がある。一体全体どういう意図をもって何をさせたいのだというのは、ここに入学した生徒が漏れなく感じる理不尽さだと思う。

 他にもこの高校にはプールと校庭がない。代わりにゴムなのか合成樹脂なのかよく分からない様な物質で固められたテニスコート三、四面分の運動場があったり、国内で六番目に古い木造校舎があったりするのだが、その中でも群を抜いて特徴的なのが、入学した一部生徒の名前が変わる制度だろう。

 何年か前に試験的に導入された改名制度がある。近年、個人の名前における人権的トラブルが多発し、問題視される傾向が強まっている。そういった事案の早期的解決策の一つとして、この高校の改名希望コースに入学した生徒は卒業時に公的な改名手続きを行った新名を受け取ることができる――というのがこの喜多高の最大の特色と言える。

 テレビや新聞のニュースでごく稀に名前で起こったトラブルを耳にすることはあったが、正直自分には関わり合いのない世界の事だと思っていた。小学校や中学時代にも、有名人のような奇抜な名前の友人やクラスメイトは数人いたが、個人的に気になったことなどなかった。一番の変わり種の名前であった有名人があっけらかんとしていたからかもしれない。

 僕自身も、別段自分の名前が変わっているから改名したと思って入学した訳ではない。だから改名希望コースに入ってきた他のクラスメイト達の苦労や悩みが聞こえた時は心苦しかった。公然と自分の名前を変えたい理由を話す生徒はいなかったし、誰かに入学した理由を聞かれることもなかったが、恐らく普通の名前に属している僕にとっては十分すぎる気まずさがあった。

 いつの間にか歩くペースが落ちていたようで、教室に着いたのは始業の十分前だった。いつもより大分遅い時間で、遅刻したわけではないのに遅刻したような感覚になってしまう。

「お早う」

「…お早う」

 例によって廊下のロッカーで靴を履き替えていると、若山という女子生徒に声を掛けられた。事務的な要件でしか女子と会話などしないので、自分に向けて挨拶されたのだと理解が一瞬遅れてしまった。

 若山も有名人と同様に同じ中学から喜多高に入学した生徒で多少なり面識がある。なのだが、僕は女子と会話をするのは苦手ではないが得意でもない。いや、若山に限って言えば苦手と断言した方が良いかも知れない。

「おっ早よー、愛沙玲愛あざれあちゃん」

 すぐ後ろから有名人が砕けた声を挟んでくる。

 若山は肩に掛けていた通学用のカバンを振り、有名人にぶつけた。

「痛いなぁ」

「私、もう愛沙玲愛じゃないから。若山夏奈恵になってるし」

「三年になるまでは、一応旧名のままじゃん」

 外腿を撫でながら愚痴を言う有名人を他所に、若山はつんと言い返す。

「やっと名前が変えられたんだから、そっちで呼んで欲しいの」

「夏奈恵」

 言うや否や通学カバンが再び有名人を襲った。一発目よりも鈍い音が耳に届いて、すこし可哀相になった。

「馴れ馴れしく名前で呼ばないで」

「ひどくね」

 こうやって女子とも態度を改めないで接することが出来る友人を見ると、羨ましさなのか、図々しさに嫌気がさしているのか、上手く形容できない感覚になる。

 人に敬遠されたり距離を置かれたりされるかもしれない発言は、僕には逆立ちしてもできそうにない。若山に限らず、今のように馴れ馴れしくするなと言われると思うと、得も言われぬ怖さがあり、僕はどうしても線を一つ引いた付き合い方しかできなくなってしまう。

「それで、乙川君と上村君はもう新しい名前決めたの?」

 席がL字に隣接している三人なので、そのまま話をしながら教室に入る。入学当初は違和感を覚えたような会話だが、今ではすっかり慣れてしまった。このコースに入学して来るのは、名前に何かしらの悩みを抱えている人間が大半であるから、名前に関する話題は尽きない。いよいよ新名を授かる時期ともなればなおさらだった。

「迷ってんだよね。正直、有名人も気に入ってるっちゃあ、気に入ってるし。変えずに済むんなら、このままでも良いんだけど」

「何のためにこの学校に入ったのよ。名前が変わるのが校風なんだから、嫌ならそもそも入学しなきゃいいじゃない、普通科だってあるんだし」

「そうなんだけどさ」

 もごもごとお茶を濁す有名人が黙ってしまったので、若山の視線がこちらにきた。

「僕はまだだよ。面談も今日だし」

「あれ? まだなの? 早生まれだっけ?」

「ああ…うん。まあね」

 うっかりまた地雷を踏んでしまった。知られたからと言って揶揄われたりするほど親身な間柄ではないが、どうにも他人に誕生日を教えるのにはトラウマに似た何かが芽生えてしまう。

 そして案の定、若山さんは誕生日を聞いてくる。

「いつなの?」

「来月」

「の?」

「…十四日」

「え、うそ。バレンタイン?」

「まあね」

「へえ」

 そういうしかない相槌が返って来た。そもそもクラスメイト以上友人未満の微妙な立ち位置の人間の誕生日がバレンタインデーだったからといって、何かが盛り上がる訳がない。ふとした瞬間に「ああ、そう言えば」と、名前も顔も思い出せないあいつの誕生日がそうだったな、と思い出されるのが精々だ。

 それ以上若山さんとの会話が続かなかったが、上手い具合に有名人が入ってくれたので助かった。

「そう言えば、愛沙玲愛ちゃんの第三者面談ってどんな人だったの? 俺は結構、歳食ったおっさんでさ。神山なんとかさんって言ったけど、忘れちゃった」

 馴れ馴れしく本名を呼ぶ有名人を若山は、ジロリと見たが何を言っても暖簾に腕押しと思ったのか、何事もなく返事をした。

「私は女の人。すっごい面白いな人だったけどね」

 若山は悪戯に随分と含みのある様なことを言った。有名人のように興味にかられ机から身を乗り出すまではしなかったが、聞き耳はたった。

「面白いってどんな感じ?」

「うまく説明できないなぁ」

 記憶を反芻しているのか、言葉を選んでいるのかは分からないが小難しい顔をして頭を捻っている。けれども結局考えはまとまらなかったようで「うん」と、一つ頷いてから、

「うん。説明できないくらい、面白い人だった」

 と結んだ。

 若山さんは良くても、こちらとしては不完全燃焼でどうにももやもやする。

「なんだよそれ」

 案の定、有名人はぶつくさと言い出したが、興味が少しずれたところに落ち着いた。

「そう言えば、仁も女の人だっただろ。面談相手」

「そうだね」

「なら愛沙玲愛ちゃんと一緒じゃん。命名士って三人いて、女は一人だろ?」

「そうなるわね」

「なんて人?」

「ええと」

 カバンの中に入れていたクリアファイルから、事前に配られたプリントを取り出す。そこには事務的な説明文と日付が記載されており、末文に担当者の名前が書いてあった。面談なんか担当者が変わったところで大差ないと思っていたのでまじまじと担当者について考えるのは初めての事だった。

 取り出した用紙を二人に見せると有名人は小首を傾げた。

「カキ…何て読むんだ? 下の名前」

「それは言えないなあ」

 疑問の答えを聞こうと顔を見た僕らに対して、若山は如何にも面白そうに含み笑いで応えた。

「何で?」

「垣さんとの約束なんだもん」

「約束?」

 僕と有名人は顔を見合わせた。が、お互いに分かっていないという事しか分からなかった。その様子が彼女の期待通りであったのか、更に悪戯心に満ちた笑顔になっていく。

「そ。『まだ私との面談が残っている生徒がいるから、もし友達にいても名前は教えないでね』って」

「どういうこと?」

「最初、垣さんが自分の名前の話しをするんだけど、それが結構重要なのよね。乙川君が垣さんと面談なら残念だけど教えられない」

「メッチャ気になんだけど」

「ま、私たち全員の新名が決まったらね」

 有名人がわざとらしく不貞腐れたり、懇願してみても若山はそれを意に介さずにあしらうだけであった。

 どれだけ言ったところで無駄だとようやく悟った有名人は、不意に話題を変えた。

「ってことはひょっとして、『夏奈恵』って新名はその人の命名?」

「そうだけど」

「やっぱり」

「何で分かったの?」

 今度は若山が腑に落ちない様子だった。そして僕は若山の含みある話も、何故有名人が命名者を言いたてかも分からずもどかしかった。けれども、有名人が誰の名付けか分かった件に関しては、本人がすぐに明かしてくれた。

「結構な噂になってるよ。今年の新名希望、女命名士が考えたやつが採用率百パーなんだってさ。今のところね」

「へえ」

 と、思わず声が出た。

 姓名判断と言えば、字数やら字画やらを気にするばかりで、こちらの意向などはまるで無視されるのだろうと勝手にイメージをしていた。けれども、そこまで多く選ばれているのなら、ある程度こちらの意向も汲んでくれるのかもしれないと、少しだけ希望と期待感が生まれた。

「とりあえず楽しみにしてて」

 話がキリよく途切れたところに、丁度よく先生が教室に入ってきた。

 それまでざっくばらんに散らかっていた教室が、誰言うでもなく整理されていく。

「美人だったらさ、写真撮って来いよ」

 調子よくいう有名人の小声に、適当な相槌を打つとホームルームが始まった。

 それからはあっという間に時間が過ぎていった。二つとして同じ日はないと分かってはいるが、教科書を目で追い、黒板に板書された文字を淡々とノートに書き加えて行く日々は冬休みが明けようと変わることもなく、余程大げさな事が起こった日以外の記憶は似通っている。

 その内に昼休みを告げる鐘がなった。

 授業中に少しだけぼんやりとしてしまって、僕の目だけは黒板とノートを往復していた。若山は早々に女子のグループの輪に入り、教室を出て行った。気が付けばクラスの大半が学食か購買部に行くためにいなくなっていた。

 ノートの書き写しが終わると律儀に待っていてくれた有名人が声を掛けてきた。

「今日の昼メシは?」

「僕は持ってきたよ」

「俺は学食だからさ、付き合えよ」

「わかった」

 特に断る理由もなかったので、素直に誘いに乗る。有名人は週に2,3回の頻度で部活の昼ミーティングに顔を出さなければならないが、それ以外の時は大抵、僕と昼食を一緒に取ることが多い。

 食堂へ入ろうとすると、有名人の足がすぐ脇の購買部へ傾いた。

「天婦羅パン一つ」

「太るよ」

「俺は部活で動くからいいんだよ」

 と、有名人は購買のおばさんに百円玉を差し出しながら言った。

 天婦羅パンとは、恐らくはこの高校の購買部でしか買えないであろう名物であり、その名の通りパンを天婦羅の要領で揚げた物で、パンが衣を着たカロリーの塊だ。餡子とクリームの二種類があって、ここの生徒の大半は興味本位で一度は食べるのだが、胸やけと胃もたれがひどいという理由で二度と食べないとなる奴と、それが癖になると言って好んで食べる奴の二つに分かれる。そして僕は前者だが、時々後者になっては後悔する。

 食堂はガヤガヤと賑やかだった。少々出遅れてしまったので、席に空きがなかった。

 注文の列に並んでいる間、有名人は小腹を満たすかのように天婦羅パンを頬張ると、かつ丼とラーメンのセットを注文していた。食堂は何か注文した生徒しか利用できないので、僕はみそ汁を単品で注文した。

 それぞれトレーを受け取ると、運よく先にテーブルを使っていた生徒と入れ替わる形で席に付けた。

 待ってましたと言わんばかりに二人で食事を始めた。僕自身も早食いな方だと思っているが、それに輪を掛けて有名人は食べるのが早い。

 有名人は、早くも半分を平らげた頃合いで喋り出した。

「あ。あとさ、相談したい事あるんだよ」

 がつがつと丼から飯を掻き込みながらも有名人は器用に喋る。そして一旦箸を置き、ポケットから四つ折りのルーズリーフを一枚差し出してきた。

 開けというので、言う通りにすると三通りの人の名前が書いてあった。

「なにこれ?」

「俺の新名」

「そうだとは思ったけど…ていうか、他人に見せちゃダメだろ」

「まあ、気にすんなって」

「それで?」

「だから、どうするか迷ってるんだって」

 だからの使い方がおかしい、とは言わなかった。

「そう言われても」

「どうしようかな~」

 箸を止めて悩んでいる僕を尻目に、有名人はあっという間に食事を済ませてしまった。

「俺、有名人って名前変えたいとはそれほど思ってないしなぁ」

「じゃあ、何でこの高校にしたのさ」

「家から一番近いからだよ。知ってるだろ」

 そういうヤツだとは知ってはいたが、面と向かって堂々と言われると何となくため息が出てしまった。

「家が近いのは知ってるけど、そんな理由で選んだのは知らなかったよ」

「でも仁もだろ?」

「違うよ」

「そうなの? てっきり俺と同じだと思ってた」

「流石にそんな理由を決め手に高校は選ばないよ。只でさえ普通の高校じゃないんだから。というかそもそも引っ越したんだから近い高校じゃないだろ」

 今更気付いたような顔をしたが、本心なのか冗談なのかの判断が付かなかった。

「なら名前変えたかったのか? 別に仁って普通だし、おかしいとは思わねぇけど」

「僕が変えたいんじゃなくて、親が変えたいんだってさ」

 あまり名前を変えたい理由を人に話したくはなかったが、つい口が滑った。尤も有名人が相手ならどうと言う事はないのだが。

 見れば、やはり僕の言う事が分かってないようだった。

「よく分かんねえな。元はと言えばその親に付けられた名前だろ」

「僕もよく分からないさ」

 それは嘘だった。

 親が僕の名前を変えたい理由は大方の検討が付いてはいるが、流石にこれまでは言いたくはない。先生にも、これから相談するであろう命名士とやらにも言うつもりはこれっぽっちもなかった。

「ま、それはそうと、どれがいいと思う? 俺の新しい名前」

 良くも悪くもこういうサッパリとしているところが彼の魅了だろうと思う。こうでなければここまで親しい友人にはなっていなかったと切に感じる。

「それは自分で決めようよ」

「飽くまで意見を聞きたいんだよ。お前、俺よりも頭良いしさ、提出まで時間もないし」

「頭が良いとか悪いは関係ないと思うけど。というか、折角冬休みがあったんだから、そこでじっくり考えれば良かったじゃないか」

「折角の冬休みにそんな事考えていられるかよ。そうでなくても部活の前に部活して、部活の後にも部活で埋まってたのに」

 そんな訳の分からない台詞を、有名人はやれやれ分かってないな、と言わんばかりの身振りで言うと、ずいずいとルーズリーフをこちらへ押し出してきた。

「それはそうとして、どうよ?」

「誰がどの名前を考えたの?」

「それは内緒」

「なんで?」

「その方が名前だけで選べるだろ。俺に合ったヤツをインスピレーションで決めてくれよ」

「そう言われてもね」

 じっと真斗、有一、陽輔とルーズリーフに書き並べられた三つの名前を見比べた。

 そして、

「これかな」

 と言って真斗という名を指差した。

「そいつか」

「これが一番しっくりくるかな」

「これが? 何で?」

「字数が同じだからかな。呼んでみて語感がいいよ」

「ああ、そっか」

「それに、これが親が決めたやつなんじゃない?」

「何で分かったんだよ」

 一応の根拠はあって選んでみたのだが正解したようだ。

「やっぱりそうなんだ」

「そうだけどさ…」

「じゃあ有一が先生が考えたヤツで、陽輔ってのが命名士のヤツかな」

 それぞれを指差して尋ねた。元々半分の確立で当たりはするのだが、こちらも考え通りだったようで、有名人はいよいよ目を丸くした。この反応をみて、むかし聞きかじりの手品を披露して見せた時の事を思い出した。

「いや、マジで分かんねえ。何で分かったんだ?」

 僕は昔と同じように、今回も素直にネタ晴らしをする。

「全く新しい名前を考えるんじゃなくて改名なんだから、やっぱり今まで使っていたのと呼んでみた時の語感の違いは気になるでしょ? 三文字なのこれだけだし、最後が「と」で終わるのも一緒だし」

 ふむふむと、頷きながら聞いている。

「でもこっちの二つは?」

「いくら元担任でも他人の名前をガラリと変えるのは忍びないだろうから、前の名前から一文字残したんじゃない? 実際、羽生先生はそういう理由で新名考えるって聞いたし。親と公認命名士なら全然違う名前にするのは大義名分もあるだろうからガラリと変えるかなって思って。で、真斗が親が考えた名前ってわかったから陽輔ってのは消去法」

「なるほどね」

「けど」

「けど?」

 一瞬、言ってしまっていいものかと、葛藤が頭の中を駆け巡った。しかし、今更何でもないと誤魔化しても仕方ないので、勢いに任せて言ってしまうことにした。

「こう言っちゃなんだけど、有名人って書いてユメトって読ませる名前を変えるにしては大分普通に寄せてきたよね、有名人の両親」

「ああ、それな。昔から親戚とかに色々と言われてきて少し後悔してたんだってさ」

「へえ」

「俺は単純に家から近くて名前が変わるって面白いなって思ったからこの高校にしたのに、父ちゃんたち勝手に勘違いしてさ、中学ん時、ここに進学するって言ったのすごいショックだったって打ち明けられたよ」

 有名人はケタケタと笑った。

 途端に、僕は彼の事がひどく羨ましくなってしまった。

 思えば有名人の家は、驚くほど家族の仲が良い。有名人の両親も妹も弟も良く知っているから、はっきりと言える。

「どした?」

「何でもないよ」

 少々呆けながらも今度こそ、そう言って誤魔化した。感情が自分でもよく分かっていない感覚に陥っていた。

 そして、まるで救われるようなタイミングでチャイムが鳴った。

「さ、予鈴もなったし、教室戻ろう」

 そそくさと弁当を片付け、トレーを返却すると僕たちは速足で教室へ戻っていった。
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