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 一転して結論から言うと。

 彩斗の直感と、それによって作られた不思議な魔法陣はどちらも当たっていた。

 演習場に出向いて用意された剣を握った途端、彩斗は見たこともない動きでそれを扱い始めたのだ。まるでテレビに出てくる達人か何かの様だった。木と藁で作った簡単な人形が相手だったけれど、それらを鮮やかな手さばきでなぎ倒してしまった。

 エオイルの人たちは総じて感嘆の声を上げている。

 ただ、それよりも驚いたのはアタシの方だった。こんなことができる人じゃないというのは、この場にいる誰よりも知っているのだから。

「すごいな、コレ!」

 彩斗は侍ごっこをして走り回る近所の小学生のようにはしゃいでいる。怒涛の勢いで押し寄せる常識外の出来事の数々に一歩引いて冷静でいられるのは、彩斗の笑顔があるからだ。心底そう思っていた。

 そして、彼に思い浮かんでいたもう一つの文字…つまりは炎という文字についても答えはすぐに出た。

「感覚的にはこんな感じかな?」

 彩斗は切り倒した木偶人形に向けて掌を突き出す。するとそこから火炎が現れて、あっという間に人形の残骸を炭に変えてしまった。これには流石にアタシも言葉を失ってしまう。そしてその光景は、心のどこかで期待していたちょっとした夢を見ているんじゃないかという幻想まで焼き払ってしまう。

 もう、今までいた世界とは根本的に違うのだと無理から納得させられてしまったのだ。

「やっぱりか。剣と炎って文字の意味はこういうことだったんだ!」

 そして彩斗は嬉々として言う。

「スミちゃんも試してみなよ」
「試すって、何を?」
「スミちゃんの頭の中に浮かんだ文字に関する何かさ。丁度よく炭ができたんだし」

 そう言って焼け残った消し炭を指さして言う。

「ち、違うよ。アタシが言ったのはそっちの炭じゃなくて、墨汁とか書道で使う墨の事で…」
「ああ、そっちか。とにかくやってみてよ」
「けど墨なんてここにないし」
「インクで代用できないかな? どなたかインクとペンを持っていませんか?」
「万年筆でよければ携帯しておりますが…」
「結構です。貸してください」

 アタシは言われるがままにエオリルの兵士の一人から万年筆を借りた。

 その瞬間。全身に妙な感覚が走ったのだ。

 奇妙な感覚に身を委ねて指先に力を込める。するとその瞬間、ペン先からインクが飛び出して蛇のように空中を蛇行し始めた。

「わっ! わわっ!?」

 アタシは目に見えて驚き、戸惑った。インクは縦横無尽に駆け回り、彩斗と兵士たちは咄嗟に身を屈めて落ち着くように声を掛けてくる。そんな事言われても…。

 勢いは収まったもののインクは重力に逆らって空をフワフワと漂っている。そして落ち着いてみるとインク全体に自分の神経が通っているかのように、思うまま操れるという事に気が付いた。

 試しに演習場の脇にあった木に巻き付くように念じてみる。するとインクはアタシの命令通りに木をグルグル巻きにしてしまった。

「今のはスミちゃんがやったの?」
「うん。そうみたい」
「墨を操る魔法なのかな? 書道好きな澄ちゃんらしいな」

 彩斗は楽しそうに笑う。徐々にこの非現実を受け入れ始めたアタシも、その時に初めて「ふふっ」と顔を綻ばせていた。

「という事は、あの紙で沸いたイメージ通りの魔法や技能が使えるとみてよさそうだね」
「ならもう一つは、癒しって文字だったけど」
「うん。字面通り受け取っていいんだと思う…ちょっと待ってて」

 そう言った彩斗は剣で自分の腕にほんの小さな傷をつけた。大した出血ではなかったが、急に自分の体を傷つけるものだからアタシは驚いてしまった。

「あ、彩斗!? 何してるの!?」
「癒しって事はやっぱり治療ができる魔法か何かのはずなんだ。試してみて。俺の傷が治るように」
「えッと…こうかな?」

 アタシは彩斗の腕の傷に手を置き、目を閉じた。そしてあの紙に手を置いて文字が見えてきた時のイメージを思い出す。

 青葉の草原とそこを吹き抜ける風。その草原の中に彩斗の姿を思い浮かべ、風を使って彼の腕の痛みを包み込んでは吹き飛ばす感じで。

 アタシの掌に集まっていた淡い緑色の光が晴れると、彩斗のかすり傷はすっかりと綺麗に癒されていた。

「おおっ!? まさか、まことに治癒の術が!!?」

 彩斗の傷か癒されたのを見て、元々控えていたエオイルの兵士学者たち、遠巻きに様子を見に来ていた摂政の役どころのようなお偉いさん方から今日一番の歓声が上がった。そのテンションの上がりっぷりは彩斗の魔法陣の作成や剣の腕前を見せた時以上のモノだった。流石の彩斗も何が何だかわからない様子だ。

 すると学者風の男がアタシ達に事の次第の種明かしをしてきた。

「ち、治癒の術は希少という言葉では言い表せない程に稀な能力なのです」
「そう、なんですか?」
「ええ。治療の法術は勿論ございますが、それは飽くまでも本人の回復力を高める程度のもの。今、架純様が行ったように魔法で傷病そのモノを直してしまうのは、それこそ神業としかいいようがございません!」
「それに彩斗様の剣の技術も恐れ入りました。初めて剣を握った者の業前とは思えません。感服いたしました」
「まだ自分の力だという実感が沸いてきませんがね」
「滅相もない。十分に我々の希望です!」

 あまりにも興奮している群衆だったが、更にもう一つ声が上がった。今度の声は喜びや驚きではなく、畏れと敬いから出た言葉だった。

「姫様!」
「メイリオ様!」
「姫殿下がこちらに!?」

 と、兵士たちは目に見えて慌てふためき出した。全員が一、二歩退いて道を開けると跪いて頭を垂れた。

 その向こうには確かにお姫様と形容するしかないほど綺麗な人がいた。

 元々の気品と美貌の上に、それを強調するような上等なドレスとアクセサリーを纏っている。複数連れたお供の人たちもとても美人だったのに引き立て役にすらなっていない。アタシも思わず目を奪われてしまった。

「召喚の儀が成功したと伺いました」
「は。メイリオ様。仰る通りでございます。こちらが彩斗様と香澄様です。ただいま授かった魔法の適性を慎重に判断しておりました」
「左様ですか」

 メイリオと呼ばれたお姫様は簡単に会釈をしたのち、こちらに正式に挨拶をしてくる。

「お初お目にかかります。エオリル国第一王女のメイリオ・マーシカタと申します。お見知りおきくださいませ」
「ご丁寧にありがとうございます。門倉彩斗と申します」
「す、住吉架純です」
「つい先ほど召喚の儀式とやらでこちらに訪れました。ですので、この国の流儀や礼節など弁えていない部分も多いかと思いますが、どうかご容赦ください」
「まあ。聡明で謙虚な方でいらっしゃいますね。我が国の一方的な都合でお呼びしたと言いますのに…」
「ああ、そう言えばそうですね…」

 そう言って二人は朗らかに笑った。アタシは一瞬だけ凄い疎外感を感じた。嫌な予感と言った方が分かりやすいかもしれない。

「本日は公儀がありましてお時間を取れずに申し訳ありません。いずれ正式にご挨拶と会食の機会でも設けるよう、父上にお願いしてみます」
「それはそれは…お心遣い痛み入ります」
「いいえ。こちらとしてはあなた方に尽くさぬ方が無礼というモノ。いずれにしてもとても良い方が召喚に応じてくださって神に感謝いたします」

 やがてメイリオはアタシを見ると、ニコリと笑っただけでその場を後にした。

 えぇ…。

 彩斗には一言あって、アタシには何もなしですか?

 まあ緊張してガチガチだったから返って良かったのかも知れないけれど。

 そんな訳でアタシのメイリオ姫に対する第一印象はあまり良いものではなかった。けれども、この時を境にそんな事はどうでもいいと思えるほど怒涛の日々をアタシ達は過ごすことになる。
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