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師匠

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 ◇

 そうしてサポートセンターを出た私は紅葉さんの後についていった。

 ところで紅葉さんは稽古の時と同様、着物姿のままだった。てっきり私の後にでも着替えるものだと思ってたが、そそくさと雪駄を履いて出ていってしまったのだ。

 デパートの前はアーケード街になっていて、お昼時だったのでかなりの人通りがあった。そんな人混みの中を大した苦労もなく進んでいく。普段から着物を着なれている人なんだなぁ、ということは素人目にも分かった。

 それにしてもどんなお店に連れていってくれるんだろうか。

 見た目のイメージ的にはお寿司とかお蕎麦とかの和食のお店だけど、紅葉さんは自分の格好とかをあまり気にしなそう。てか、していないと思う。こんなガッツリの和装でも何食わぬ顔でレストランに入ってワインを飲んだりそうだし。もしくはその間をとって中華料理とか? 実をいうと中華は大好物だからそうであってほしかったりする。

 私がそんなことを思いながら後ろを付いて歩いていると、不意に紅葉さんが左に折れて路地の中に入っていった。アーケードは所々にこんな路地裏があり、こじんまりとしたお店がいくつも立ち並んでいる。まあ、大体が飲み屋さんなんだけど。そして路地は人ひとりが通るのがやっとという細い通路で繋がっている。

 なぜ未成年の私が路地裏の飲み屋街に詳しいのかというと、その一角にお気に入りのアンティークショップを兼ねた喫茶店があったからだ。中学生の時に偶然見つけてからというもの友達を誘ったりして月に一回は必ず通っていた。けれど去年から何の前触れもなく休業状態になっていた。扉には「しばらくの間、しばらくの間休業をいたします」とラミネートされた紙だけがペタリと貼られていた。休業ということは潰れてしまったわけではないと思うけど、それ以来の一年間、お店が開いた気配はなかった。

 すると、とあるお店の前で紅葉さんの足が止まった。

「ここです」
「…ここです、か」

 店の看板には見たこともない文字が書かれていた。雰囲気的に店名だろうけど読み方にまるで検討がつかない。紅葉さんはそんな私の心情を汲み取ってくれたのか、お店の名前を教えてくれた。

「『カディーシャ』と読みます。レバノン料理のお店です」
「レバノン料理…?」

 そういって紅葉さんは私に中に入るように促した。

 まさか和洋中のどれにもヒットしないとは思わなかった。てかレバノンってどこ? どんな料理が出てくるのか想像もつかない。私はついてきたことを早くも後悔していた。

 店内には他にお客さんはいなかった。

 四人掛けのテーブルが二つ、二人掛けテーブルが四つとかなり小さいお店だ。まあ、こんな路地裏にあるんだから仕方がないけど。そして私が中に入るとすぐに日に焼けたエライ美人が店の奥から現れた。

「いらっしゃいませ~」
「ど、どうも」
「ナズさん、こんにちは」
「あら。師匠のお連れさんだったの?」
「はい。弟子です、日本舞踊の」
「こんにちは。丸子ナズです」
「どうも。三宅静花です」
「よろしくね。さ、こっちの席にどうぞ」
「ありがとうございます」

 私達は二人だというのに、空いているからという理由で四人掛けのテーブル席に案内された。そして手渡されるままにメニューを開く。外国語で書かれていたらどうしようかと思っていたので、日本語が目に入ってきたときは心底ほっとした。

 だが、それも束の間。

 ファラーフェル、キッベ、ミハシー、イッジ、スフィーハなどなど。今度は聞いたことのない料理の名前に翻弄された。すっかり面食らってしまった私の様子を察したのか。紅葉さんは助け船を出してくれた。

「すみません。初めてではわかりませんよね。何か好きなもの、もしくは嫌いな食べ物はありますか?」
「えっと練り物と…あ、あとパセリとか独特の香りのやつが苦手です」
「…」

 私が素直に答えると、紅葉さんの動きがほんの一瞬だけ止まった気がした。

「え?」
「あ、いえ。では注文は任せてください」

 紅葉さんはナズさんに声をかけると、やはり聞いたこともないような料理を魔法の呪文のように並べて注文した。

 料理が運ばれてくるまでの間、私は初めて日本舞踊をやってみた感想などを細かく聞かれて、あくせくしながら受け答えをしていた。しかしそれも次第に日本舞踊論と自分の哲学の話になっていった。正直、内容のほとんどが分からない。それでも日本舞踊について喋る紅葉さんの顔が千変万化して、時折きらきらとした笑顔を見せるのが何とも面白く、つい見とれてしまっていた。

 すると、出来上がった料理を持ってきたナズさんが紅葉さんをぴしゃりと諌めながらお皿を並べた。

「師匠、また悪い癖が出てるよ」
「え? あ、すみません。つい夢中に」
「静花ちゃんだっけ? 逐一指摘してやんないと止まんないからね。この人、変人だから」
「あはは…」

 そう言って笑うナズさんに親近感を覚えた。

 よかった。変だと思っているのが私だけじゃなくて。紅葉さんはコホンっと咳払いをひとつして話を無理矢理に遮った。

「さ、温かいうちに食べましょう」

 その言葉をきっかけに私は改めてテーブルに並んだ料理の数々を見た。やっぱり見慣れないものばかりではあったけれど、どれもこれもがとても美味しそうだった。そして、もう一つ気になるところに気がついた。
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