上 下
18 / 26
錦鯉の気持ち

1

しおりを挟む
 いや、久しぶりに驚きました。まさか私の数少ない友人が三宅さんと知り合いだったとは。世間は狭いとはよく言ったものです。

 女子高生へのプレゼントなんてまるで検討がつきませんでしたが、何はともあれ二人の悩みが解決したようで助かりました。女子高生へのプレゼントは女子高生からアドバイスを貰えばよいというのは我ながらいい思い付きでしたね。三宅さんは元より、良い方を最初の弟子として紹介してもらえて良かった。

 …。

 そう、それだけなら本当に良かったんですが。

 私は三人と別れてから乗った電車の中でぼんやりと考え事をしていました。それは自分の事であり、三宅さんの事でもありました。

 端的に自分の感情に名前をつけるなら私は彼女に恋をしていたのです。更に具体的に言えば一目惚れというものでしょうか。

 あの日、初めて彼女と稽古場で会った時から始まった二週間足らずの恋。これまでも人並みに恋をすることはありましたが、私が好意を抱くのは決まって年上の女性ばかり。過去に一度お付き合いになった方も高校の先輩でしたし。

 それがまさか年下の高校生のお嬢さんに恋心を抱くとは。今日一日、買い物のお供をしただけで何と楽しかったことか。

 …ふむ。

 初めて年下に恋をしたということを加味すれば、これも初恋になるのでしょうか。いや、その人を初めて好きになったという事であれば、恋の全てが初恋になりますね。何はともあれ私にとっては不足の事態過ぎて、この二週間を空想と現実を行き交うためだけに使ってしまいました。

 しかしお付き合いをしたいのかと問われると、それには自分でも首を傾げます。

 家族、友人、知人たちは皆一様に私の事を変わり者と言いますし、きっと三宅さんも似たような評価をしていることでしょう。件の先輩とも、やはり私の性格的な問題の為にお別れすることになってしまったことですし。

 ではどうしたいのか。まあ、それが分かれば苦労はしないということで。

 私は一体どうしたいのか。そして彼女とどうなりたいのか。

 やはり難しい問題です。

 そもそも三宅さんの一体何に惚れ込んだのでしょうか。それを考えてみなくては。

 顔、体つき、所作、着物姿、声、瞳、匂い、笑顔、喋り方。

 …全部ですね。これでは彼女の良いところを羅列しているだけになってしまう。おや、そういえば全部外見の長所ばかりだ。私は彼女の外見に惚れ込んで肉体的な関係を持ちたいだけなのでしょうか?

 いや。どうやらそれも違う。まだ短い付き合いしかないものだから、外見的な特徴しか思い付かないと言った方が正しい。所詮は一目惚れ、まだ二度ほどしか彼女に接したことがないのだから内面的な魅力がないというよりも知らないのです。

 要約するに彼女は私の好みの容姿している女性ということになります。ま、人が恋をするきっかけなどはまずは顔や見た目によるものがほとんどでしょう。私も世間の中では整った顔立ちをしているそうなので、言い寄られたことは少なからずありますし。

 しかし、そうであれば疑問はひとまず解決しました。

 私は彼女とどうなりたいのか。

 答えはずばり、彼女の事をよく知りたいということになります。

 何やら答えというよりも回答の先送りとも取れますが、いずれにしても答えを出す為には彼女の事を知らなすぎる。それと同様に彼女にも私の事を知ってもらいたいという思いも出てきました。

 彼女をよく知り、私の事も知ってもらう。そう結論付けると不思議なことに、その果てには一組の男女として結ばれたいという欲求も出て参りました。

 彼女と会う機会を増やしたい。その為には日本舞踊を好きになってもらうのが一番の近道でしょう。そうすれば自ずと私と接する機会も増えるというもの。 

 …。

 おや。そんな事を考えている内に降りる駅を過ぎてしまいました。

 ◇

 などと思いを馳せながら電車に揺られたのが昨日の事。

 明くる日の夜、私は幸運な事に思い人である三宅さんとそのお父様にお目見えすることが叶いました。他ならぬ深雪さんの仲介で。彼女のアイデアで三宅家のお二人とお食事を共にすることになったのです。

 思えばお嬢さんをお預かりしているのですからこちらからご挨拶をすべきでした。以後、弟子を持つときは気を付けなければ。

 食事会の場所は稽古場にしているデパートから程近いところにあるワインセラー。企画立案はすべて深雪さんが行っていたので、必然的にワイン好きな深雪さんのお気に入りのお店に行くということになりました。元はと言えば深雪さんが再婚をされるという事から始まった話。そう考えると縁は奇なもの味なものという言葉の深みも分かるとう言うもの。

 指定された時間に指定された場所に出向くと、既にお三方はお揃いでした。私は裾をつまみ駆け足で走り出したのです。

「失礼します。お待たせしてしまったようで」
「いいのいいの。私らが早かっただけだから」

 サバサバとそう告げる深雪さんへの挨拶もほどほどに私は三宅さんと、三宅さんの隣にいた男性に挨拶をしました。この方がご尊父様と見て間違いないでしょう。

「お初お目にかかります。廿日紅葉と申します」

 私がそういうとお父様は私の顔を見て固まってしまいました。おかしいですね、何か顔についていたのでしょうか。

 すると三宅さんが肘で軽くお父様の事を突っつきました。

「ちょっと、お父さん?」
「え、あ。失礼しました。三宅静花の父です。お世話になっております」
「こちらこそ、大変お世話になっております」
「何ぽけ~っとしてんの?」
「あ、いや。こんなにかっこいい人が来るとは思わなかったから…」
「それは分かるけど」
「あっはっは。そうなの、紅葉はイケメンだからね。変わり者だけど」

 と結ばれてしまいました。深雪さんが私の事を変わり者と評して話を終えるのはいつものことなので気にはしませんが。

 挨拶も程々に私たちは早速お店の中へと入りました。深雪さんは肉とワインをこよなく愛するワイルドな方なので、コースのメニューもメインを肉料理に据えたものとなっているだろうと思えば案の定。

 いつかのナズさんのアドバイスが思い起こされます。女性というだけで勝手にイメージをもってはいけませんね。

 やがて席につくと、そこからはお酒も入り楽しく時間を過ごすことができました。二十歳を迎えてお酒を嗜むようにもなりましたが、私は世間で言うところのザルらしくお酒を頂いても顔色や気分が変わるということはありません。

 しかし深雪さんはお酒は強いのですが何分ペースが早い。お父様に至っては好きだけれども強くはない体質のようで猫が水を飲むようにしてワインを召し上がっていました。

 三宅さんも深雪さん一押しの料理に舌鼓を打っていましたが、飲めないとなるとここのお料理の魅力は半減かもしれません。是非、彼女が成人を迎えた後に改めて招待差し上げたいところ。

 料理と会話を楽しんでいる時間も束の間。デザートを頂く頃には深雪さんはすっかり出来上がっていらっしゃいました。ここまで外で羽目を外す彼女も珍しい。余程、三宅さんのお父様の事を信頼されているのだろうと感じました。

 深雪さんがこうなってしまってはと言うことで、会食もいよいよお開きになりました。

 しかし。

「ちょっと師匠と話したいことがあるんだけど、時間もらっていいかな」
「え?」

 店を出たタイミングで三宅さんが急に私たちに向かって言ったのです。一体何を話したいのかはわかりかねましたが、私としては断る理由はありません。しかしお父様としては日も落ちた後のこの時間に一人娘を置き去りにするのは憚られたようです。

 それでも三宅さんの目に鬼気迫る何かを感じ取った私はお節介を焼くことにしました。

「私は一向に構いません。お話とやらが終わりましたら責任をもってお送りしますので、どうかお許しを頂けないでしょうか」
「…紅葉先生がそう仰って頂けるなら」
「ごめんね、紅葉。久しぶりに楽しくてさ。静花ちゃんのことよろしく」
「承知しました」

 そうして一先ずご両親の許可を得て、お話をする時間を作ることが叶ったのです。私としては願ってもいない時間となりましたが、三宅さんの悩ましいお顔を見ると手放しでは喜べません。

 しかし、何をどう考えたところでお話を聞かねば。

「すみません。急にこんなお願いをしてしまって」
「構いませんよ」
「ありがとうございます…」
「さて、どうしましょうか? お話ということでしたら静かな場所がよろしいでしょうか?」
「そうですね。けど夜のお店とは知らないですし、後はカラオケとかファミレスとか?」
「保護者の同伴していない未成年を連れて行ける場所となると、確かにその辺りでしょうか。ただ夜といってもまだ時間はあるので大丈夫だとは思います。特に希望がなければ私の知り合いの店などでもいいでしょうか?」
「あ、はい。私はどこでも」
「分かりました。では参りましょうか」
 
 私はそこから十五分ほど歩いた場所にある知り合いの店へ向かいました。そのお店は「五鉄」と言って、ご主人が時代小説の大ファンなのです。時代劇や書籍から知識を得て、江戸時代風の内装や料理を出す面白いお店。私も大学で史学科を専攻するほどには日本史が好きだったので、高校生の頃からご主人にお世話になっていました。お酒が飲めるようになってからは更に歴史話に花を咲かせに通っているのです。五鉄なら個室も用意して貰えるので都合が良い。

 と、そんなような事を三宅さんに説明しながら繁華街を横切って行きます。

「ここが五鉄です」
「…へえ。ホントに時代劇みたいですね。周りに比べると浮いてますけど」
「中はもっと変わっていますよ」

 そう言って私達は中へと入りました。五鉄は潜り戸と言って頭を下げないと入れない特殊な入り口になっています。三宅さんもその新鮮さに少し楽しみを見出したのか、少しだけ笑ってくれました。

 私は出迎えてくれた女将に事情を話し、個室を用意してもらうように頼みました。平日なのが幸いして難なくそれが叶ったのは幸運でした。

 二人揃って夕飯は済ませているといっても何も注文しないわけにはいきません。ひとまず湯豆腐二人前の他、燗酒とソフトドリンクを頼んでお茶を濁すことにします。

 少し込み入った話をするために来たというのは女将も何となく察してくれたようです。料理を置くと挨拶も程々に退室してくれました。流石の一言です。

 ぐつぐつと土鍋の煮える音だけが部屋に響いていました。こちらから聞き始めた方がいいのか、それとも三宅さんのタイミングを待つべきかが難しいところ。

 ですが、その心配は杞憂だったようです。

「えっと…とりあえずありがとうございます」
「いえいえ。とても嬉しく思っています」
「え?」
「相談を持ちかけられる程度には信用して頂けているということですから」

 それは本心です。思い人から悩みを打ち明けられるまでの関係を築けているというのは喜ばしい事に違いありません。

「それでどういったことなのでしょうか?」
「何といいますか…友達の話でして」
「ご友人の?」
「はい。その人には昔からお世話になっている二人の先輩? に当たる人がいたんです。本当に子供の頃からの付き合いがある人達で」
「ふむ」
「で、先日一緒に出掛ける機会があったんですが、その折に告白をされたそうでして」
「なんと。二人同時にですか?」
「まあ、その。タイミングは違いましたが、その日のうちに」

 私はつい感嘆の息を漏らしました。三宅さんは魅力的なお方です。

 しかし、ご友人も負けず劣らずの魅力を持った方のようです。

「で、返事をどうすればいいのか悩んでいる…と相談をされまして、友達から!」
「なるほど。三宅さんはそのご友人に告白をした二人の男性をご存知なのですか?」
「え? あ、いや…知らなくはない、といった感じですかね。あはは…」

 そういうことですか。

 私が宮津くんや松島くんから相談をされたように、三宅さんも友人の力になりたいと悩んでいるわけですね。気持ちはよく分かります。

 私は湯豆腐を適当に取皿へ掬い、三宅さんへ渡しました。合いの手を挟めれば会話もし易いでしょうから。

「どうぞ」
「あ、すみません」

 ふうふうと熱い湯豆腐を冷ましながら、私は話題の切り口を探していました。

「その男性二人を知っているとのことでしたが、どのような方々なのですか?」
「う」

 三宅さんは小さな唸り声を上げて深く考えこんでしまいました。それほど形容し難い人達ということでしょうか?

 やがて乾いた雑巾を絞ったように言の葉を紡いだ彼女はおもむろに私に訪ねてきたのです。

「師匠は犬系男子と猫系男子って言われてピンときます?」
「ああ、確か性格的な特徴を犬っぽい、猫っぽいと分けてカテゴライズするものですね」
「なんかまとめられると違うような気もするけど、とりあえずはそれで」
「はい」
「で、その二人は丁度犬系、猫系がそれぞれ当てはまる二人ですね」

 そうですか、と返事をして私は空想に耽ってみました。犬系猫系の男子とは、確か犬猫に当てはめて考えれば良いはずです。

 犬と言えば忠実、快活、穏和。
 猫と言えば気高い、気まぐれ、臆病。

 こんなところでしょうか? これを人に当てはめて考えれば、顔はなくとも何となくの人物像は想像はつきました。

「ところでご友人は何について悩んでいるんですか?」
「え? 何にって?」
「告白をされてどちらと付き合うべきか、もしくは両方とも振るべきか。もしくはどうすれば二股をかけられるか」
「ふ、二股なんてするわけないじゃないですか!」
「す、すみません。複数の方に告白された際の悩みを可能性として羅列したまでで。ご友人を陥れるつもりはありません」
「ああ、いえ。そうですよね。すみません」
「ご友人はどちらかと付き合う気はあるんですか?」
「うーん。ど、どうでしょう…」

 流石にそこまでは相談していないのか、それともご友人も突然の事で混乱して頭の整理ができていないのか。いずれにしても断ることも視野に入れていると判断してよいでしょうか。

 そう思ったとき、妙案といいますか昔の事を思い出しました。

 高校生の時、クラスメイトの女子に頼まれて恋人のフリをしたことがあったのです。なんでもしつこく迫られていて困っていたらしく、人助けと思って承諾をしました。曰く「太刀打ちができないと思わせるほどのイケメンがいい」とのことでしたが、今回も似たような事で乗り切れたりできませんでしょうか。

 私は思ったことを取り立てて精査することもなく、口にしておりました。

「仮にもし、断るという事でしたら私に考えがあります」
「ど、どのような?」
「ご友人と私が恋人のフリをします。すでに交際相手がいるというのは誰しもが納得し、諦められる理由になるかと思いますが」
「そ、それはダメです。師匠にだってご迷惑が」
「構いませんよ。変わり者と言われていますが、私も恋する人のご友人の力にはなりたいという一般的な思考は持っています」
「それでも師匠に迷惑は……は? 今なんて? 恋する人のって…え?」
「…あ」

 これは参りました。酔いも手伝ったのかつい熱くなって本音を出してしまったようです。こうなっては誤魔化すのもおかしいですし、そもそも誤魔化しきれるものではないでしょう。酔いを言い訳に使いたくはありませんが、この際は致し方なし。

 私はそう割り切って目の前の女の子へ思いの丈を告白しました。

「ええ。実は私、静花さんに一目惚れをしているようです。仮とは言え弟子にこのような感情を持つのは些か誠実さにかけると思いますが、私も人間。好意に嘘はつけません。相談を持ちかけられておいてなんですが、もしよろしければ一組の男女としてのお付き合いをする事を考えては頂けませんか?」
しおりを挟む

処理中です...