覚さんは今日も料理をしています

朝雨

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第1話 今日は餃子をいただきます 後編

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「それじゃあ、由良さんの分を焼きましょう」

覚さんは小ぶりなフライパンを取り出して、手際よく油をしき、餃子を並べていく。続いてお湯をフライパンに注ぎ、蓋をしてからコンロの火をつけた。

「中火にして…と」

カウンターに座った私は、少々身を乗り出してその様子を覗き込む。ほどなくして、フライパンからシュワアアアという音が上がり、徐々に蒸気が立ち上り始めた。

「しばらくは蒸し焼きですね。由良さん、お漬物は食べられますか?」
「はい、大丈夫です」
「昨日漬けたばかりのキュウリですけど、よかったらどうぞ。浅漬けということで」
「わ、ありがとうございます」

小鉢に出してもらったキュウリを口に運ぶと、キュウリの香りと塩気、酸味がふわりと広がった。噛んでみると柔らかく、でも多少の歯ごたえはあるという独特の触感が楽しい。

「おいしいです! ごはんが欲しくなっちゃいました」
「ありがとうございます。ごはん先にお出ししましょうか?」
「いえ、定食を楽しみしているので! お茶をいただきます」

ごはんでなくとも、熱い緑茶が漬物の塩気によく合う。ああ、おいしい。

そうして餃子が焼き上がるのを待っていると、ガラガラガラと入口の引き戸が音を立て、赤い暖簾をくぐってお客さんが来店した。

「いらっしゃいませ」
「どうもー。覚ちゃんお元気? あら、ユララもいるじゃなぁい」
「マーサさん! こんばんわ」

深い紫色のタイトなドレスにコート、ハイヒール姿でツカツカと音を立てながらやってきたのは、ご近所のスナックに勤めるマーサさんだ。スラリとした細身の長身(覚さんも背が高いがマーサさんはさらに大きい)、ブロンドヘアで誰もが一度は振り返るこの商店街のマドンナ…とは本人の弁。このお店の常連の一人だ。ちなみに本名は中島正孝(なかじままさたか)さん。

「ユララ、配達だったの?」
「うん。マーサさんはこれからお仕事?」
「そうよー。また寄ってちょうだい、ママがアンタのこと気に入ってたわ。もちろん覚ちゃんもね。お隣失礼していいかしら?」
「もちろん!」

マーサさんが隣に座ると、ふわりと香水の甘い香りがした。

「今日は何作ってるの?」
「餃子を焼いているところです。すいません、今お茶とおしぼりお出ししますね」
「あら、いいじゃない。でも残念、ニンニクのにおいは避けないと」
「それなら大丈夫、今日のはニンニク入ってないよ。あっさり餃子なんですよね覚さん」
「ええ、キャベツとネギだけです」
「へえーおいしそう! じゃあアタシにも餃子をお願いするわ」
「はい、少々お待ちください。と、由良さんの方はもう焼き上がりますね」

覚さんがフライパンから蓋を外すと、皮が焼ける香ばしいにおいが厨房に広がった。続いてごま油を少しかけてから火を強める。ジュウウウという音とともに、餃子の羽根ができ上がった。

「お待たせしました。今夜の定食は餃子です」
「ありがとうございます、いただきます」
「どうぞ召し上がれ。マーサさんも定食にされますか?」
「アタシは餃子だけちょうだい」
「わかりました」

出されたお盆にはごはんにお味噌汁、しっかり焼き目がついた餃子が並ぶ。
手を合わせてから、早速餃子を一口。うん、やっぱりおいしい!!

「おいし…! 覚さん、おいしいです! 焼き目がついた側はサクッという音がするくらいしっかり焼かれていて、でも反対側はモチモチとした弾力のある触感が楽しい。中の具もすごくジューシーに仕上がってて、ニンニクとかが入ってないからなのかな、お肉とか野菜の甘みみたいのを感じます!」
「はは、喜んでもらえて何よりです」
「ユララってばタレント目指してるの? そんなに詳しい食レポしちゃって」
「おいしいんですって! この感動を伝えたくて興奮しちゃった」
「お元気な娘さんねぇ」

マーサさんが呆れたように笑うが、気にせず私は夢中になって定食をたいらげてしまった。
はあ、幸せ。


その後、結局我慢できなくなった私とマーサさんはビールを注文してしまった。だっておいしいもの。予想通りビールにもピッタリ。

「そういえば、ショッピングモールの出店の話は聞いた? この辺のお店から期間限定で引き抜きできないかって組合の人と企業が話進めてるらしいわよ」
「出店、ですか? 私は聞いてないですけど」
「え、ショッピングモールって、いま工事してるところの?」
「そうそう。元々は工場跡地だけって話だったのが、ほら、裏山の一部も削っちゃったでしょ。それだけ大きい建物でテナントたくさん入れるけど、地元の色もつけたいみたいね」
「へえ。じゃあ青田屋さんとかもショッピングモールに出すってこと?」
「ああ、あの八百屋さん? そうね、声がかかってるんじゃないかしら」
「そうなんだ…。ちょっと嫌だな、ただでさえ商店街が寂れそうなのに」
「お店がなくなっちゃったら困るわよね。このあたりおじいちゃんおばあちゃんが多いから、ショッピングモールなんて行くだけで疲れちゃいそう。…と、そろそろお店行かなくちゃ。覚ちゃん、お会計お願い」
「あ、じゃあ私もお願いします。ごちそうさまでした」

マーサさんが立ち上がり支度を始めたので、私も一緒に出ることにする。

「どうもありがとうございます」
「お会計まとめてちょうだい」
「え、マーサさんいいの?」
「久しぶりに会えたしね。ちょっと遅いけど今年もよろしくってことで、ね」
「ありがとうマーサさん、ごちそうさまです!」

男気溢れる、と言ったら怒るだろうか。ウインクするマーサさんに私は笑顔で頭を下げた。

「覚さん、またビールケース取りに来ますから裏に出しておいてくださいね」
「ありがとうございます、由良さんもお気をつけて。…あ、いらっしゃいませ」

私たちがお店を出るのと入れ替わるようにして、今度はからお客さんが入ってきたのがちらりと見えた。今夜もいろいろな人が来店することになるのだろう。

マーサさんと別れ、お店兼自宅に向かって歩く私は、覚さんとお店のことを考えていた。

あの食堂には入り口が2つある。

1つは赤い暖簾のかかった入り口。もう一つは藍色の暖簾がかかった入り口。
赤い暖簾をくぐってくる人は、私と同じ普通の人間だ。もちろんマーサさんも。
そして、藍色の入り口から入ってくるのは、人ではなく、あやかしと呼ばれる存在。妖怪か、それとも妖怪に縁のある半妖か。あのお店はどちらのお客さんにもおいしい料理と暖かい時間を提供しているのだ。
そんな覚さんに、いつか聞こうと思っていることがある。
お店の隅のテーブルに飾られた写真の1枚に写っているのは、若かりし日の先代と私の祖父、そして今とまったく姿の変わらない覚さん。

「あなたは、何者ですか?」

私の小さなつぶやきは、冬の冷たい空気の中に溶けていく。
おいしい餃子とお味噌汁、ついでにビールの余韻を思い出しながら、私は家に戻ったのだった。
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