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2 呼び出しと旅立ち②

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このお屋敷では、当主の言うことがすべて。
一代にしてここまでの富と権力を築き上げた猛者であるアレクサンダー・ベルガルド。
即断即決、飽き性、女好き。それが当主の特徴であり長所であり、短所でもあった。

そのやり方は強引で、傲慢で、しかしてあまりに魅力的で奇跡的。
ただの無鉄砲が豪胆と称えられ、偶然の産物が神の祝福と祭り上げられた結果の一つがこの部屋だ。おかげでリリアたち家族は生活に困らないわけだが、その強欲さのおかげでいろいろと辛い面もある。最たるものがリリアはじめ子ども達の存在だった。

(遠征のたびにあちこちの土地で女を物色するんだもの。まあ、それだけ孕む確率も上がるわよね)

おかげで、父アレクサンダーは現在3人の妻と暮らしている。そしてリリアには兄と弟がいるが、3人とも母親が違うのだ。
兄の母は第一王妃エルメダ。西の侯爵家の出身で、当主とともに時には戦場を駆け、時には社交会で愛想を振りまく、まさに右腕と呼べる女傑。

リリアの母リリィはもともと田舎の町娘。しかしその美しさと、誰にでも気配りのできる優しさが父の情欲と独占欲を刺激したようで、あの手この手で口説いては半ば誘拐のように屋敷に連れ帰り、そのまま軟禁に近い状態で生活させたのだった。

(で、あたしがこの世にデビューってわけ)

母リリィは世間知らずの面もあるがいつも優しく温かい。エルメダ妃は頼りになるし、兄は気さくでとっつきやすかった。

リリアにとっての問題は弟とその母親マリアンヌだ。

マリアンヌは行商人の娘として生まれ、幼い頃から国のあちこちを移動し生活してきたらしい。おかげで多くの場所に顔がきく。常に相手を持ち上げるような言動で立ち回り、その言葉にすっかり気を良くするオッサン商人どもの何と多いこと。
残念ながらアレクサンダーもその一人で、当時の売れ筋商品を買い上げ、貿易ルートの礎として、マリアンヌとともに一気に商売を広げたそうだ。おかげでこの街は大いに発展、晴れて観光地化した。

(ま、結婚する頃にはうちの学院の先生やってたわけだけど。商人から教育者ってどういう展開? 街の発展に貢献した偉大な人だとは思うけど、甘い汁の上澄みだけをすすっていく女狐よ。とっとと退治しないと)

リリアはチラリとマリアンヌの顔を見た。相変わらず人を見下すような笑顔が気に入らない。
視線を戻し、父の前に跪く。

「リリア」
「はい、父様」
「お前はもう要らぬ。好きな場所へ行け。二度とこの屋敷に戻ってくることは許さぬ」

途端に、ざわざわ、ざわざわと。あまりに唐突な発言に、執事や召使いは驚きを隠すことができない。
しかしそこには幾ばくかのため息も混ざっている。
そうだ、こんな事態も想像はできていたことなのだ。

「わかりました父様。ですが、せめて行き先くらいは自分で決めさせてくださいませ」
「いいだろう。3日猶予をやる。選べ」
「いえ、時間は必要ございません。荷物をまとめる時間を1日いただければ」
「それは準備の良いことだ。いつから考えていた?」
「兄様がこの屋敷を追い出された時からです」

リリアのその言葉に、ざわつきを見せていた謁見の間にいる者たちは皆、時間が一瞬止まったような錯覚を覚えた。
場が凍りつくとはまさにこのこと。それだけ触れてはいけない一件とでも言うのか。

そんな中、アレクサンダーの表情は変わらない。反応したのはマリアンヌだ。貼り付けたはずの笑顔がうっすらと歪んだ。
その些細な変化に気づかないふりをしつつリリアは続ける。

「兄様がああして家を出られた以上、次は私の番。こんなこともあろうかと自立の準備を進めておりました。私リリアは、バージンレイクに向かわせていただきます」
「あんな何もない湖のほとりを目指すか」
「はい」
「理由を述べよ」
「理由だなんて…とても素敵な湖だからって、むかし母様と私を連れて行ってくれたのは父様ですよ?」
「ふむ」
「せっかく自立するなら思い出深い場所で暮らしたいと、以前から思いを馳せておりました」
「そうか。良かろう、お前も我がベルガルドの血を引くものとして、恥じぬよう生きろ」
「はい、父様。お世話になりました」

小さく頭を下げ、リリアはさっさと踵を返した。涙を堪えきれず口元を押さえる母リリィの姿はなるべく見ないようにしたかったのだ。

とは言え、結局この日の晩にリリィは娘の部屋に押しかけ、あれが心配だこれは大丈夫かと、何かと世話を焼いたのだった。
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