くのこは奇妙現象集

芋多可 石行

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おかえし

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 ニックネーム、冷やしガムさんの投稿。




 私の勤めている会社は、街の中心部から離れた寂しい住宅街の更に外れにあります。
 会社が入居している建物は、かつて仮で借りていた建物でしたが、新社屋の計画が延期に次ぐ延期となり、長らく其処に根を下ろしている次第です。

 その日の午前中は、無駄に広い駐車場の一角を利用して週1で行われる技能講習の予定が入っていた為、私も朝からバタバタしていました。
 通勤車を職員用駐車場に停め、小走りにエントランスへ向かう所で胸の中がヒュッと縮み、呼吸が乱れ、意識が朦朧とし始めたのです。
 それはすぐに収まりましたが、確かに日頃の運動不足は気にしていた時分、40代を前にしてもう心臓にキたのか?と思い、もう歳だな?と朝から気分は沈みがちでした。
 それからというもの、出勤時にちょっと駐車場から走るだけで息切れが起こり、いよいよ本格的な健康診断をするかどうか迷っていたのですが、私はある法則に気が付きました。
 新入社員が増え、同時に通勤車も増えた結果、出勤のタイミングによっては講習エリアにある来客用スペースに通勤車を停めるよう指示される事が増えたのですが、私が来客用スペースに停車して来客用エントランスから社屋に入った時には、たとえ走ったとしても、まるで息切れ等の症状が無い事に気が付いたのです。
 そこで私は、何か他の外的要因があるのではないか?と疑い、会社周辺の様子に変わった事が無いか、目を凝らすようにしました。

 最初に疑ったのが、会社の敷地の一部から有毒ガスが出ている可能性でした。何か簡単に計測出来る方法は無いかと思案する日々の中、ふと立ち寄ったコンビニで、かつての旧友と久しぶりに再会しました。

 とりとめの無い会話を交わし、今は金属製のインテリア商品を開発する仕事をしていると言った彼は、金属製の薄い名刺を一枚私に差し出しました。
 名刺の裏面は極限まで磨き上げられ、表面に張られた保護用ビニルシートを剥がせば手鏡としても使用出来るという逸品です。
 私は彼が携わる会社の仕事振りに感心し、彼と彼の所属する会社を同僚達にも紹介しようと迷わずに思いました。
 

 次の日、友人と交換した金属製の名刺をポケットに忍ばせ、今日は曰く付きのルートを余裕を持って出社に臨みました。
 そして例の如く、気道がヒュッと冷えた瞬間の事です。
 
 私の視線は勝手にある一点を向き、その方向にあるものを睨んでいました。

 視線の先、約100メートルの向こうには民家が一軒。
 会社に向かう道路沿いにある、築30年程に見える2階建ての家屋。
 私の視線はその2階にあるカーテンの閉まった部屋の窓に釘付けになり、全く目が動きません。
 それどころか瞳孔が瞼の中に隠れそうなくらい上目遣いで睨んでいるのに、私の視界の中にはまるでズームアップしたかのようにその窓が写ったままです。

 すると一瞬、カーテンがフワッと揺れました。
 遠目でよく分かりませんでしたが、5~10センチ程開いていたカーテン中央の隙間が内側から閉じられたようでした。

 その途端、釘付けになっていた私の視線も外れたのです。

 不可思議な視線の固定があった事よりも、なにか覗きのような事をしてしまった【ばつ】の悪さに苛まれた私は、そそくさと社屋に駆け込む事にしました。その間、体の不調は全くありませんでした。
 

 始業前の軽い準備をしていると、外から救急車のサイレンの音が微かに聞こえてきました。
 どのお宅かはその時点では判然としませんでしたが、どうやら近隣の民家に救急車が到着した模様です。

 そんな事があり、朝礼が終わるタイミングと共に、その日遅刻していた同僚の一人が青い顔でオフィスに入って来ました。
 彼はどちらかというとお調子者で、いつもならヘラヘラと余裕で上司に謝罪するタイプなのですが、その日はしおらしく肩を落とし、テンションが低いまま上司に小声で謝罪していました。
 謝罪を聞いていた上司が注意よりも先に彼の健康状態を疑った所を見ると、彼が猛省する程あらかじめ釘を刺してしたおいたようには思えません。

 私は休憩時間に、偶然テラスで一緒になったその彼に話し掛け、雑談ついでに遅刻の理由を聞いてみました。
 すると彼は少し躊躇いながら理由を話してくれました。

 彼は今朝、始業時間ギリギリに滑り込めるだろうと思われるタイミングで出勤したそうなのですが、その時彼が目にしたのは、私が今朝違和感を感じた例の民家。その前に救急車が停まっていたという事を教えてくれました。

 彼が通勤車で例の民家の前を通ると、丁度ストレッチャーで誰かが運ばれている所だったそうです。
 その運ばれている人物は突然暴れるように跳ね起き、体を包む毛布のような布がバサバサと振り乱れ、彼は運ばれている人物の姿を見て驚いたそうです。

 焼けしなびたピーマンのような全身緑色の肌、頭部には大きな口のような穴だけがあり、そこから漏れ出た苦悶の声が、彼の車内にも聞こえたそうです。
 体には多数の茎のような突起があり、まるで呼吸に合わせるかのようにランダムに伸縮を繰り返していたといいます。ガリガリに痩せた体はそれらの様子からとてもコスプレとは思えず、その茎の先端はナメクジの眼のようになっていて、彼がその視線を意識した瞬間、彼の本能はもうその人物を認識する事を拒絶し、気が付くと彼は会社の駐車場に車を停め、出勤時間が過ぎているにも関わらず車内で呆然としてしまっていたという事でした。

 今朝私に起きた体験との関連が疑われ、私は言葉を失ってしまいました。
 変な言い訳を言ってしまったと悔やむ彼への返答を私が探っていると、ポケットの中に忍ばせておいた金属製の名刺の事を思い出しました。
 名刺を話題を変えるタイミングで見せようと思い立った私は、ポケットの中に手を入れ、そして驚きました。

 金属製の名刺は焦げたように真っ黒に錆びていて、持っただけで割れた破片が私の手の中で更に朽ち果てて砕けてしまいました。
 あんなにしっかりとした製品が、ごく僅かの時間でこんなに劣化する理由が私には理解出来ません。
 名刺に刻まれた旧友の連絡先も、油断してバックアップを失念していた今となっては、確認のしようもありません。

 結局その日以来、体の不調は一切治まりましたが、一連の出来事がどう関連していたのか?

 例の民家も売りに出され、未だ新たな入居者は無く、そして朧気な記憶を元に少し調べてみたのですが、旧友が勤める会社というのは、まるで存在していないという事が判明しています。









 
 


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