a life of mine ~この道を歩む~

野々乃ぞみ

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【第二部】二章 そうそう平穏ではいられない

二十一、招かれざる客②

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 目を見開き過ぎて乾いていく。生理現象として一度、その後何度瞬きをしてもその男はそこにいた。トーカシア国、最高研究機関の塀の上に。
 パク、と口が閉じて、また開く。喉から必死な呼吸音だけがした。

「よぉ、エドマンド。元気そうだな」

 アーチーはそう言うとにこやかに手を上げる。ハッとして口を開いた。

「来、……っ!」
「おっと、モクトスタの起動は止めたほうがいいぜ?」

 音も立てずに目の前に飛び降りた男がピタ、と右の首筋にヒヤリと冷たい物を当ててきた。見るまでもない。彼の得物の一つだろう。

「起動したらその場でこれで喉を掻っ切る。賢いお前はどうすればいいのか分かるよな」
「っ、なん、でこんなところに……」
「あぁ? 分かってんじゃないか?」

 高い位置から切れ長の目が覗き込んでくる。前世でもそう見ることはなかったんじゃないかと思えるほど真っ黒な瞳は、この世界では実はかなり珍しい。焦げ茶色や藍色はいても、漆黒のような深い黒は一生のうちに一度会うかどうかの少数だ。確か、場所によっては迫害されることすらある、と習ったことがある。

「……目、逸らさねぇのか」
「逸らして、どうなる」
「へぇ? 相変わらず煽ってくるな?」

 首筋を撫でるように刃が遠のいていく。ジリ、と半歩下がって限界まで上を向いていた顎を下げる。喉に手を当てても、ヌル付いた感触はなかった。痛みがなかったのだから当然だ。

「は、はぁ、はぁ、はぁ……」

 途端に荒くなる呼吸に、情けなくなる。何も、できなかった。それどころか、前に殺されかけたことを思い出して、命乞いすらしてしまっていたかもしれない。
 アーチーはナイフを逆手に持つと、いつでも動けるように顎下にそっと構えてまた笑う。この男は、いつだって笑うのだ。

「まさかこんな所で会うとは思わなかったな。さて、どうしようか?」
「……どうやってここに、と聞いても無駄か?」
「そりゃな、こっちにも色々事情ってもんがある。なぁ、エドマンド・オルティアガ」

 奥歯を噛みしめた。ギリギリと嫌な音が立つ。精一杯の虚勢すら意味がなく、しかも僕がオルティアガ家に養子に入ったことを当然のように言われるのが、何故か癪に障った。

「……お前に、その名前で呼ばれるいわれはない」
「ああ、どうせすぐに名前が変わるもんな? 未来の第二王子の旦那様?」
「お前っ!」
「おいおい、冷静さがお前の売りだろ? いいのか? そんなにキレて?」

 改めて腰を落として睨みつける。モクトスタなしで万に一つも勝ち目はないけれど、このまま言われっぱなしは我慢ならなかった。僕は右手で腰の辺りに忍ばせていた短剣を取り出す。

「ハハハ! 学園にいてもそんなんが必要かよ! 敵だらけじゃねぇか!」
「うるさい! っ、ふぅぅ。――随分余裕があるようだな。いいのか? いつまでもこんな所にいて」

 冷静に、冷静に。自分に言い聞かせて短剣を構える。

「まさか。もう用は終わったんでね。さっさとずらかるわ。……でも、正直お前には興味がある。そうだ、エドマンド・オルティアガ。セイダルへ来ないか? 俺に大した権限はねぇけど、俺の上は力を持ってる。悪いようにはしねぇよ?」

 自分の眉間の皺が増えたのが分かった。この男の言う『上』なんて、間違いなくフィリップ・ベン・ジラール……セレブリの将軍のことだろう。「ハッ!」と僕は吐き捨て、口角を上げた。

「行くと思うのか?」
「今はトーカシアの人間なんだろ? ニュドニアに義理立てする必要ねぇだろーが」
「それがどうした。トーカシア国だってセイダルに敵対している」
「今は、な」
「……どういう意味だ」
「人間なんてすぐに新しい欲に溺れるもんだからな」
「物騒なことを言うじゃないか」
「戦力は多いに越したことないんでなー」

 アーチーが余裕の笑みで僕を見下ろす。人気のない場所、明らかな実力差、何らかの逃走ルート。刃先はとうに僕から外れているのに、目を逸らした瞬間に意識を刈り取られてしまいそうで、必死に黒い目を睨みつける。冗談抜きに、逃げ出す隙すら見当たらない。この男が本気を出せば、きっと僕なんて簡単に殺すことも、連れ去ることもできるのだろう。

 呼吸が荒くなって、肩が上下し始める。ゴクリと喉が鳴る。唾液すら飲み込むのを忘れていた。じゃり、と右足が微かに砂の上を滑った、その時だった。

 ヴァァァァァァ! ヴァァァァァァ!

 けたたましく警報が学園中に鳴り響いた。途端に目の前のクォータナリの研究棟からもバタバタと人が出てくる。僕は後ろに数歩飛び退った。

「……あぁ?」
「かなりタイムラグがあるな……。これは要検討だ」
「お前か」

 少しだけ悔しさを滲ませてアーチーが笑う。眉毛がアーチ型に跳ね上がった。段々と人が増えてきて退路が絶たれ始めているのに、全く余裕な様子だ。

「僕が、何も持たずに慣れない国で一人きりになると思うか?」

 右手を持ち上げて見せたのは、短剣に仕込んでいた警報装置だ。命の危機に備えて遠隔操作ができるようにしている。大がかりな仕掛けなので、余程のことが無い限り使うことはないと思っていたけれど、まさかこの前の今日でこんなとこになるとは。

 僕はアーチーの間合いから外れるように後退した。

「――来いっ! リバティ!」
「――吠えろ! ナウト!」

 そして同時に叫んだ。お互いの意思を反映したかのように、ゴゥ、と竜巻が巻き上がるかのように二本の青白い粒子が立ち昇った。遠くから、近くから「おぉ!」と歓声が上がる。クオータナリの研究員たちのものだろう。

「さて、これで少なくとも簡単には逃げられない」
「そうか? サシで俺の足止めができると思うなんて、随分な自信じゃねぇか」

 言い終わるかどうかのタイミングでアーチーが踏み出す。僕も前へ走り出した。相手の武器は大型の鎌のまま変わっていない。一度使い始めた武器を変更することは少ない。モクトスタは自分に馴染ませれば馴染ませるほど自由自在に扱えるようになるからだ。

 大きなモーションで振りかぶった刃先が頭上から真っすぐに降ってくる。フェイントだ! 左右どちらに避けても、途中で鎌を消して突進してくるのが読めて、敢えて後ろへ下がった。鎌が完全に振り下ろされたのを確認して再度踏み出す。

 ドォォォン……!!

「なっ……!」
「まだまだ甘いなぁ? エドマンド! また来る! 精々楽しみにしてろ!」

 でも、アーチーは鎌をそのまま地面に突き下ろしたのだ。当然、衝撃で地面が抉れて土煙が立つ。一瞬だ。でも、あの男にとっては十分だったのだろう。一瞬だけ僕が怯んだ、その見事なタイミングでその場から思い切り飛び上がって屋根伝いに逃走した。

「待てっ……!」

 そう言って待つ人間はいないだろう。分かっていても言ってしまうのも、人間の性だと思う。
 目立つはずのモカトの粒子はあっという間に見えなくなって、アーチー・カメルの姿はどこにも見当たらなくなってしまった。恐らく、逃走ルートに入った時点でモクトスタも解除している。これ以上は僕がどうこうできる範囲じゃない。

 仮面の男といい、アーチー・カメルといい、人を煽るだけ煽って逃げていく。僕は大きなため息を付いた。にわかに騒がしくなってきた周りを掻き分けるように警備や教師がやってきた。この後の処理の事を考えると頭が痛くなりそうだった。
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