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7章・子の成長

強襲

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「取り逃したな」

 暗黒の民、王子のサムランガは、香の焚かれた部屋の中で配下達と共に話をしている。

 内容は、サーニアを取り逃した話だ。

 あの時、サーニアの前に立ち塞がっていた男こそ、サムランガである。

 あと少し……あと少しの所でサーニアの首を取れなかった。
 悔しい気持ちがその眼にありありと浮かんでいる。

「あの娘は宰相様の娘。殺せばこの国の支援は得られませんぞ」
 
 配下の一人が言うも、サムランガは首を左右に振って否定した。

「あの女の頭蓋骨には二本の角が生えている。それを持って帰れば、王位継承間違いなしだ。この国の支援などいらん」

 そう。
 普通の魔物は、死ねば土くれに変わり果てる。
 だから頭蓋骨など手に入らないのであるが、サーニアの頭ならば話は違う。
 角の生えた頭蓋骨は魔王の証。

 それを持って帰れば、万の魔物討伐よりも素晴らしい軍功となるのだ。

「しかし、ジャイライル。良い仕事をしたな」

 部屋の隅で、嬉しそうに髪飾りを頭に付けていたジャイライルが、いきなり声を掛けられたのでビクッと驚いた。

「はい。まさか本当に伝承の魔王が存在して、しかも宰相様の娘だとは思いもしませんでした」

 カイエンは、所詮は伝承は伝承だと思っていたから、ジャイライルに角が生えている娘の調査を依頼したのだ。
 しかし、それは目測を誤っていた。

 もしも悪魔を迷信だと思っていた人達が、本物の悪魔を実際に目にしたらどうなるであろうか。
 伝承に当てはめて、悪だと断ずるに充分である。

「うむ。大人しくしているならば我らも見逃そうが、女を襲おうとしたアレこそ魔王の血。殺しても構うまい」

 一度、悪だと判断すれば、人の思考は突っ走るもの。
 他人の事情など考えないのだ。

 つまり、暗黒の民にとって、サーニアは魔王の血に目覚め始めた邪悪な存在なのである。

 そこに疑いの余地は無く、今では彼らの功名心が先行していた。

「次にあの女を見つけたら全力で行く。山猿、大百足(おおむかで)、女狐と俺が出るぞ」

 暗黒の民達はざわつく。
 サムランガが述べた彼らは、恐らく暗黒の民の中でもかなりの強者と窺い知れた。

 そんな強者を王子自ら率いて仕留めにかかる。
 まさに本気であった。

 その頃、サーニアは、そのような話し合いが行われているなどと露とも知らず、王城へ向けて歩いていた。

 ドブ臭い悪臭に、周りの人達は顔をしかめて迷惑そうにサーニアを見ている。
 服装と相まって浮浪者にしか見えないのだろう、周囲から「汚いなぁ」とか「貧民街から出てくるなよ」とか聞こえてくるのだ。

 さすがに服を変えた方が良かったかなと、自分の服の臭いを嗅ぐ。
 もはや嗅覚は麻痺していて、微かな悪臭しか感じ取れなかった。

 しかし、周囲の態度を見れば、何だか恥ずかしい気持ちになってきて失敗したと思う。

「失礼」

 いきなり、三名程の衛兵がサーニアの眼前に立ちはだかった。

 顔をしかめて、睨みつけるように見てくる。
 なので、サーニアは自分が何かしただろうかと思う。

 もっとも、彼らは悪臭に顔をしかめているのであるが。

「宰相様と防府太尉様が呼んでおります」

 カイエンとロイバックが?
 サーニアは首をかしげたが、王城へ向かう所だからちょうど良い。

 彼女が「分かった」と頷いた。
 その一方、衛兵達はヒソヒソと「こんな奴にあの人たちが何の用なんだ」と言ったり「ただの浮浪者にしか見えないんだけどなぁ」と首を傾げる。

 なので、こんな奴とか浮浪者呼ばわりされたサーニアはムッとして「早く連れてけ」と言うのであった。

 どんな人であれ、宰相や防府太尉が呼び寄せるような人を怒らせたとあれば一大事。
 衛兵達は肝を冷やして「こちらへ」とサーニアを案内した。

 幾つかの通りを歩いて王城へ向かう。
 当然ながら、人通りの多い通りもあれば、日が高いのに人気がない道も通った。

 すると、その人気が無い通りを歩いていた時、フッと三人の衛兵が倒れる。
 いきなり意識を失ったそれは、明らかな攻撃によるもの。

 サーニアは剣を抜いて警戒した。

 背後より僅かな気配。
 密(かす)かな足音。

 サーニアが跳躍した瞬間、轟音を発てて腕が振るわれた。
 サーニアのすぐ背後に、常人の体躯を三回りは越えそうな巨躯の大男が立っていたのだ。

 この大男。
 以前、街中でリーリルと買い物をしていたサーニアに絡んできたあの大男だ。

 そして、両腕でサーニアを抱き締め殺そうとしたのか、先ほどの轟音はその音のようである。

「あんたと愛し合う趣味は無いんだ。大体、その体でまともな日常生活を送れるのか?」

 そう言いながら衛兵の隣に着地し、衛兵の顔色を窺う。
 死んでは居ない。
 気絶しているだけだ。

 そして、首筋で僅かに光る細い針が見えた。

 毒針だ。
 神経を麻痺させて、昏睡させる毒だろう。

 サーニアがそっと、自分の首筋を触ると、厚手の布の上に毒針が刺さっている。
 厚手の服を重ね着しているおかげで助かったのだ。

「おいデクの坊。この針はお前の物か? 違うよな。お前は頭が悪そうだから」

 大男、総じて知恵回らぬもの。
 わざわざ素手で挑んでくるような豪腕が武器の大男が、毒針のようなチマチマした攻撃をするものか。

 現に、大男はサーニアの言葉に腹を立て、「うおお!」と咆哮一つ、巨腕を振るって攻撃してきた。

 知性の欠片も無い単純な攻撃だ。
 ルーガより速く無い一撃などサーニアが避けるのも容易い。
 
 しかし、こうなれば毒針を刺してきた仲間が居るという事。
 大男ばかりに気を取られていると、その仲間にやられてしまうだろう。

 だから、一刻も早くこの大男を倒そうとサーニアは思った。

 大男の一撃を避け、その左肩へ剣を振り下ろす。
 ザグっと剣が食い込み、鈍い感触とともに剣はすぐに止まった。
 
 これにサーニアは驚き戸惑う。
 肉を斬った感触はあるのに、剣を切り抜けられないのだ。

 その隙をつき、大男が腕を振るう。
 これをサーニアはすんでのところで跳躍して回避した。

 着地し、大男と剣を交互に見たサーニアは、その高い筋肉密度が刃を止めたと気付き、戦慄する。

「化け物めが。本当に人間か?」

 サーニアの問い掛けを無視し、大男は樽を掴んで投げつけてきた。

 サーニアは避けようとするが、その樽は狙いを逸れたかサーニアの手前に落ちる。
 そして、激しく爆裂し、木片と中身の酒をまき散らした。

 木片と飛沫がサーニアの体を打ち、飛沫が幕の如く視界を覆う。
 刹那、飛沫の幕を突き破ってサーニアへと巨大な拳が向かってきた。

 樽は外したのではなく、目潰しに使われたのだ。

 避けることは間に合わず、サーニアは豪拳に殴られて吹き飛び、近くの建物の、レンガの壁を突き破って中へと姿を消した。

 人を木っ端の如く吹き飛ばし、レンガの壁を突き破るなど、まさに怪力。
 人並み外れた豪腕だ。
 このような一撃をまともに喰らったサーニアは死んだと、きっと誰もが思うだろう。

 だが、大男は警戒心を解かずにサーニアの飛んでいった建物へと入っていった。
 あれほどの一撃を見舞ったにも関わらず、まだ勝利を確信出来ないのか、止めを刺すつもりだ。

 ツンと鼻を突き刺す埃の臭いを感じながら、大男は建物の中を見る。
 大工の倉庫なのだろうか、ノコギリや金槌等の大工道具が壁や棚に所狭しと置かれている部屋だ。

 棚は幾つも置かれており、見晴らしは悪い。
 そして、サーニアの姿は見えない。

 サーニアはまだ生きている。
 恐らくは棚の影に隠れて、体力の回復を図っているのだろう。怯えた兎のように。

 大男はニンマリとした邪悪な笑みを浮かべた。
 サーニアが兎のように、棚の後ろで怯えて震える姿を想像して、嗜虐心がそそられたのである。

 だから、棚の影を一つ一つ、ゆっくりと見て回った。
 サーニアの恐怖に歪む顔を想像しながら。

「悪趣味だな」

 ポツリと、血が大男の頭に垂れた。
 直後、サーニアが天井より大男の脳天を斬る。

 サーニアは天井の梁に捕まって、虎視眈々と攻撃の機会を狙っていたのだ。
 もちろん、大男の一撃に無事で済んでいない。

 全身から血が流れて、防御に使ったのであろう左腕は折れている。
 しかし、彼女は怯える兎にあらず、さながら猛虎である。

 そのようなサーニアの猛虎の一撃は、暗黒の民特有の頭巾に当たった瞬間、弾かれた。

 頭巾の下に鉄板でも仕込んでいるのだろう。

「やはりな」

 サーニアはどうやら、その程度の事を読んでいたようだ。

「樽を目潰しに使う当たり、ただの馬鹿ではないみたいだ」

 だから、防御の備えくらいあるのだろうとサーニアは踏んでいた。
 なので、サーニアはシュルっとロープを取り出す。

 建材を吊り下げる為の頑丈なロープだ。この倉庫の壁に掛かっていたものである。
 それを大男の首に巻くと、ロープの片方を口で咥えてグイッと引っ張った。

 ――化け物染みた筋肉密度だけど、気道は鍛えられないでしょ!――

 恐るべき筋肉の鎧も、さすがに喉の気道部分は覆っていない。
 ロープで気道が絞められれば、気絶は確実。

 大男もそれを理解しており、気絶する前に、背後のサーニアを振り落とそうと暴れ回った。

 サーニアも落ちまいと必死に右手と歯でロープを保持する。
 歯が軋み、口から血が出ても、その力を緩めることはしなかった。

 大男が雄叫びを上げ、一際大きく大きく体を振る。
 その瞬間、サーニアはロープを放してしまった。

 フワッとした浮遊感の直後、遠心力で全身が背後へと引っ張られる感覚。そのまま壁へと叩きつけられてしまう。
 何とか受け身を取ったものの、ダメージは大きく、サーニアは埃だらけの床に倒れ込んでしまった。

 大男はそんなサーニアへと一歩、一歩、怒りの眼を滾(たぎ)らせて近付いてくる。
 いよいよ本当に、止めを刺そうというつもりだ。

 だが、サーニアはそんな窮地にも関わらず、ニヤッと笑って大男を見上げる。
 彼女の中で一つの確信があったからだ。

「私の勝ちだな」

 サーニアのその一言に、「何?」と大男が驚いた直後、その大男の眼はグリンと白眼を剥き、その大きな体が倒れてホコリを舞い上げた。

「敵はお前だけじゃ無い。
 毒針を使う仲間が居た。
 そして、お前がピンチになったら、きっと毒針を使うだろうと読んでいたんだ。そして、その通りになった」

 大男の首の後ろに、微かに光る細い針。

 そう、サーニアはロープを放してしまったのではなく、わざと手放したのだ。

 大男の仲間が彼を助けようと毒針を放ったタイミングでサーニアが避けたために、大男へその毒針が当たったのである。

 そして、サーニアが壁の穴を見れば、人影が慌てて穴の上へ隠れた。

 奴が大男の仲間だ。

「逃がすか!」

 サーニアが倉庫の壁の穴から外へ出る。
 すると、頭上よりその人影が襲ってきた。

「誰が逃げるか! 山猿を倒したくらいでこの大百足(おおむかで)を舐めるな!」

 湾曲した二刀のサーベルを振るい、空中ブランコの曲芸師が如く、頭を下に振り子の要領で攻撃してくる。

 サーニアは横跳びでその攻撃を躱(かわ)すと、剣を構えて大百足の姿を見る。

 その大百足の姿を見たサーニアはギョッとした。

 大百足は異様に長い胴体をしていたのである。
 手足は普通の長さ、顔も暗黒の民特有の群青色のベールに覆われているだけで普通。

 しかし、胴体だけは常人の二倍以上の長さなのだ。

「さっきの大男といい、暗黒の民は仰天(びっくり)人間の集まりか?」

 サーニアは、この異様な風貌の男を内心で恐怖した。
 しかし、気後れを敵に見せる愚を犯すこと無く、皮肉を言う。
 戦いとは口調態度から始まっているのだ。

「戦いの前に口を動かすな!」

 大百足はそう言いながら、湾曲した刀を構えてサーニアへ突進してくる。

 サーニアの左腕は、先ほどの山猿との戦いで折れて動かず、右手のみで戦わねばならない。
 それにも関わらず、サーニアはニヤリと笑った。

 サーニアは既に勝機を掴んだのだ。
 
 彼女の眼は大百足の長い胴体に注がれている。
 異様な風体の根幹であり、人を恐怖させる部分。
 しかし、そこがまさにアキレス腱なのだとサーニアは気付いた。

 まず、サーニアは大百足が振るう右手のサーベルを屈んで回避。
 次いで左手のサーベルを剣で受けると、そのまま真っ直ぐ踏み込む。
 そして、大百足の長い胴体へと刃を食い込ませた。
 
 大百足は長い胴体をしているが、手足は常人と変わりない。 
 それが仇となり、胴体の防御が難しいのだ。

 こうして大百足の上半身と下半身が分かれて、上半身が宙を舞う。

 サーニアの勝ちだ。
 呆気ない幕切れ。
 所詮は見た目だけの敵だったのであろうか?

 だが、サーニアは不可思議そうに剣を見ていた。
 勝った割には釈然としない顔。

 なぜならば、剣に血のりが付いていないからだ。
 それに、大百足を斬ったときの感触。
 まるで空を斬ったかのように手応えが無かった。

「……あいつ、まだ生きている!」

 サーニアが大百足の方へ顔を向けた瞬間、切断された筈の大百足の上半身がサーベルを振るってきた!
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