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9章・それぞれの戦い。皆の戦い。
微笑
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ラジート昇格のパーティーがガリエンド家の屋敷で開かれた。
ラジート昇格というが、ラジートの成人祝いをしていなかったので、それも併せて行われたのである。
このパーティーが開かれる前、パーティーの話を聞いた王城の貴族がガリエンド家とパイプを作ろうと擦り寄るため、王城の一室を借りて盛大にやろう等と言ったが、カイエンは断った。
親族だけで祝いたかったからである。
大体、素直に息子の昇進を祝いたいのに、貴族の政争に巻き込まれたくないのだ。
なので、親族だけが屋敷に集まってパーティーをする事となった。
サマルダも参加し、ローリエット騎士団へ出ている長男と次男を除き、三男と長女と妻を連れていた。
かつては宰相を前に緊張しきっていた彼らも今では気楽な様子である。
そんなサマルダも三十後半でだいぶ老けた。
彼はカイエンやラジートと酒を酌み交わしながら、息子達がローリエット騎士団を卒業出来るか不安がる。
ラジートが二人ともよく頑張っていた事を伝え、きっとすぐに帰ってくるだろうと言った。
そんなことを言われても、サマルダは二人とも自分に似て不才なのを知っている。
彼は琥珀色の酒をグイッと飲むと「息子達がローリエット騎士団を出たら、退職しようかと思ってます」と話した。
長男に爵位と役職を譲って隠居しても良いし、騎士としてどこかへ派遣される次男に従って各地を転々としても良いかも知れないと思っているのだ。
カイエンはワインを飲みながら、「そうか」と頷く。
サマルダももういい歳なので、それが妥当であろう。
しかし、サマルダまで居なくなると、どんどんカイエンの見知った顔が居なくなって寂しい。
ロイバックは戦死。
サマルダは隠居。
あとはシュエンくらいたなものだ。
以前、カイエンに従っていた兵達も次々と辞めていってしまった。
カイエンが寂しそうにワインを一口飲んでいると、「しかし、憂える必要はありますまい」と言う男がいた。
それはルーガだ。
ビンビンにヒゲを伸ばし、そのヒゲから瞳を爛々と輝かせるルーガ。
彼はガラナイ同様に反乱を赦されてラムラッドの領主となった。
今回はパーティーと聞いて、ラムラッドから来訪していたのである。
「寂しいですが、憂える必要は無いのです」
寂しくは思っても、それを憂える必要は無い。
代わりに若い世代は増えているからだ。
サマルダの息子達はローリエット騎士団で頑張っている。
ラジートやコレンスのような新しい世代もどんどん出て来ていた。
サニヤやラキーニ、ガラナイは既に王国にとって無二の存在である。
そんなルーガは膝の上に孫を乗せて、グリグリと太い指で撫で回していた。
ガラナイに連れてこられた、まだ五歳ほどのこの男児は、髪の毛をめちゃくちゃにされて不愉快そうにしている。
かつては猛将と恐れられたルーガも老いた。
やはり若い血には勝てないのか、すっかり孫煩悩である。
噂によれば、孫の顔が見たいからラムラッドの業務をサボって王都へ行こうとし、配下に「子供じゃないんですから我が儘言わないで下さい」なんて窘(たしな)められたとか何とか。
カイエンももうすぐ、そのような暮らしへなるのだろう。
その時には、宰相の位をラキーニへ渡し、爵位をザインへ渡すことにしようと思う。
若い世代が育ってくれる事ほど……子が自分を超える事ほど嬉しい事は無いのだ。
そんな年寄りの話を聞きながら酒を飲むラジートは、自分達が褒められる事にむず痒く感じて、酔いを醒ましに行くと照れ隠しにダイニングを出て行った。
裏庭へ出て、一息つく。
あまり手放しに褒められるというものも居心地が悪い。
フカフカと手入れされた芝生を踏みしめながら、四、五歩と夜闇へ歩いて行った。
すると、背後の屋敷の扉がキイッと軋んだ。
振り向けば、サニヤが屋敷から出て来ていたのである。
扉の左右にかけられたカンテラが、彼女の真っ黒の髪をツヤツヤと照らした。
その顔は真摯なものであり、間違いなく、真面目な話をしに来たのだと分かる。
真面目な話とは、つまり、ローマットの話だ。
彼女は赤いドレスを揺らしながら、エナメルの真っ赤な靴でラジートの前まで歩いてくると、小さな声で「ローマットの情報を掴んだ」と言った。
ローマットは主に貧民の少女や孤児の少女を買って嫁にしている。
そこまではまだ良いのだが、どうやら彼は、女をいじめて楽しむ性癖のようで、挙げ句に殺してしまうようだ。
ローマットと個人的に仲の良い役人が、彼の殺した少女の死を偽装していたのである。
その偽装書類はサニヤが既に差し押さえ、いつでも証拠として公開する準備は出来ていた。
しかし、それでは意味がない事をラジートもサニヤと分かっていた。
ローマットとヘデン達弱者が秤に掛けられた時、どちらへ分のある事か?
ローマットが裁かれて困る人達が居る以上、ちょっとした罰で終わってしまう。
それでは無意味なのだ。
「ではどうする?」
姉の問いかけにラジートは答える。
「もっと大事(おおごと)にする。姉上も手伝ってくれ」
それから三日後、ラジートとサニヤはローマットの屋敷へ向かった。
ローマットは、カイエンが病気で療養がちになったため、その業務の穴を埋めるために一時的に王都へ赴任してきた男である。
彼が住んでいるのは国から貸与された石造りの立派な屋敷だ。
ラムラッドでルーガが住んでいた屋敷よりも大きい屋敷だろう。
なにせ石造りなのに四階建てで地下室を備えているのだ。
近づくだけで威圧感は生半可では無い。
その屋敷へラジートは歩いていく。
威風堂々、肩で風を切る姿だ。
その後ろにサーニア……そして、サムランガとシュエンが居た。
何とも何とも、奇妙な組み合わせである。
しかし、此度、ラジートがローマットの屋敷を襲撃するに当たって、サムランガとシュエンをスカウトしたのだ。
サムランガは口を隠しているベールの後ろで、不機嫌そうな顔をしていた。
なんで私がこんな事を……と。
ラジートがサニヤの伝手で暗黒の民へ手助けをお願いしたのであるが、配下達はサムランガがサニヤへやった失態の返上をサムランガ自身が行うように言ったのである。
王子なのに配下からなんという事を言われるのか不思議なものだ。
しかし、暗黒の民の風潮としては仕えたい人に仕えたいというものがあった。
なので、失態があれば王子自身が挽回しろという考えであった。
配下の心が離れない為にも、サムランガはサニヤへ誠実な態度を見せる必要があったのである。
そのため、サムランガはラジートと同行した。
一方、シュエンは暴れたいから付いてきた。
単純な男である。
ルーガ並に腕が立ち、しかも一日中暇を持てあましている事で有名な男だったので誘った所、二つ返事で付いて来たのだ。
ラジートはそんな彼らを連れて門を叩いた。
すぐに初老のメイドが顔を出し、何の用でしょうと不機嫌そうに聞く。
ラジートは自分が国王直轄騎士団の第二団隊に所属するものだと身分を伝え、ローマットに要件があるのだと言った。
初老のメイドはツンとした態度で、旦那様に来客が有るなどという約束は聞いていませんと断る。
ラジートも諦めず、平身低頭にお願いするのだが、駄目だと頑固だ。
「突然の来客は困るのですか?」
当たり前である。
相手にももてなす準備というもの位あるのだ。
だが、ローマットの場合、もう少し違う意味で困るようだが。
「例えば、色々と隠さなければならない事情があるのでは?」
一瞬、メイドの眉が動いたが、しかし、すぐに無表情を気取った。
まるで、隠さなければならない事情など無いかのようだ。
だが、ラジートはもうこの面倒くさいやり取りを終わらせて、さっさと屋敷へ入ることにした。
ラジート達は騒ぎを大きくして、ローマットの所業を明るみに出すのが目的であり、お喋りしに来たわけじゃ無い。
「もう良い。通らせて貰う」
ラジートは彼女を押しどかし、玄関へと入った。
すぐにメイドが、侵入者だと叫び声を上げると、屋敷の八方から足音が響く。
その足音を聞きながら、サムランガは「おい。本当に暗黒の民の、立場が悪くなることは無いのだな?」と聞いた。
もちろん、証拠はこちらにあるのだから、立場が悪くなることは無いだろう。
うまく行けば、もっと立場が良くなるとラジートが伝えると、サムランガは溜息をついて上手く行くことを願うのであった。
「じゃあ、始めるか」
吹き抜けになっているエントランスホールに現れたのは十人ほどの武装メイドと、二十人ほどの私兵。
屋敷にこれほどの戦力を用意しておくとは、やはり少々怪しい。
とはいえ、油断しなければこの四人が負ける相手ではあるまい。
シュエンは、さあ祭りだと大笑して、斧を構えた。
ラジート達四人が武器を構えて進むと、私兵達も攻撃を仕掛けてきて、たちまち大混戦となる。
が、やはり凡夫ならざる四人。
みるみる間に兵達を薙ぎ払い、吹き飛ばしていった。
そんな四人を武装メイドが襲い来る。
すると、シュエンは女の相手をしたくないと言いだした。
ラジートも、あまり好かないと言う。
「そんな事を言っている場合か!」
サニヤとサムランガが武装メイドと戦い、その間にラジートとシュエンは二人に武装メイドを任せて二階へと上がった。
二階にも兵士が控えていたが、それらを蹴散らして、さらに上へ上へ。
とうとう四階へ到着した。
敵兵達は階段を追って迫ってくる。
シュエンが壷置きの台を階段へ投げ落とした。
兵達は台に転んで、将棋倒しに階段を転げていく。
「やりますね」
「で、んな事よりどうすんだ?」
「この部屋へ入りましょうか」
ラジートが指さした扉には、執務室と書いてある。
それを見たシュエンは面白い提案だとして顎を撫でた。
なにせ、この部屋の中にローマットが居るのは間違いないのだ。
だから、ラジートは扉を蹴破って中へと入る。
瞬間、鉄槌がラジートの顔面へ向かってきた!
素早く体を後ろに倒して回避すると、鉄槌が扉の木枠と壁を破砕する。
ラジートはそのままバック転で体勢の崩れを誤魔化しながら立ち上がり、鉄槌を持ったフルプレートメイルの大男が二人居るのを見た。
その大男に守られるように、部屋の奥に座っているローマットが「一体私に何の用だか知らないが、この二人に出会った不幸を呪うが良い」と言う。
この自信の程は、あの二人が余程の実力者を示した。
確かに、フルプレートメイルを軽々と着込み、鉄槌を楽々と振り回す姿は、恐ろしい威圧感に充ちている。
しかし、そのような二人を前にして怖じ気づくような生半可な覚悟で、ラジートはこんな所へ来ていない。
威風堂々と面を上げたまま、ヘデンの事を聞いた。
ローマットはヘデンという名に心当たりが無く、しばらく考え、そうして、すぐに自分の結婚する孤児だと思い出したように手を叩いた。
「なんだ。あのような孤児の為にこのような騒ぎを起こしたと?」
ローマットはラジート達の行動の意味が甚だ分からない。
孤児は無価値であり、無意味の存在だ。
彼はそのように思うのである。
「ヘデンをどうするつもりだった? 殺すつもりだったか?」
ローマットはその問いかけに対して、そうか、知っているのかと呟き、うんうんと頷いた。
「殺すつもりは無い。しかし、まあ、結果的に死んでしまっても仕方ないだろう?
誰だって、道端の虫を踏み潰しても気が付かないようなものだ」
ローマットは言葉の最後に、やれ。と言う。
そして、大男の一人が鉄槌を振り上げた。
だが、ラジートは、なんとその大男の顔面を素手で殴り抜けたのである。
面甲を貫き、顔面に直接拳が叩き込まれた。
なんという豪腕であろうか。
これにはシュエンも驚きを隠せず、眼をぱちくりとさせながら、感嘆の意を込めて口笛を吹いた程だ。
そして、ラジートの拳を叩き込まれた大男は何とも言えない悲鳴を挙げて力無く膝を付く。
ラジートはそんな彼の肩を足で押して拳を引き抜いた。
拳が割れたか、血がポタポタと滴り落ちている。
面甲を貫く程の一撃に、ラジートの拳の骨も砕けたかも知れなかったが、しかし、ラジートは痛みをものともせずにローマットを睨んでいた。
「俺はな。良いか。俺はな、最初っから怒っていたんだ。
良いか。ローマット。俺は最初から、お前を殺すつもりで、ここへ来たのだ」
ラジートは剣を両手で持ち、一歩、一歩とローマットへ近づいていく。
その鬼気迫る姿に、誰も動けない。
「だがな、お前はそれなりにこの国にとって役割のある人間だ。だから、お前の態度次第では許してやるつもりだった。
今までの諸行を認めて、ヘデンから手を退き、悪事を恥ず心があるなら、お前を見逃してやっても良かったのだ。
しかし、お前は俺の心を逆撫でした。もはや生かしておけん!」
このラジートの迫力にローマットは転げ落ちそうになりながら椅子から立ちあがると、絶叫にも近い口調で「さっさと殺せ!」と大男へ指示する。
しかし、その指示が言い終わる前に、大男の頭はシュエンによって兜ごとカチ割られてしまった。
それを見たローマットは腰の剣を抜く。
彼は最後の悪あがきでもするつもりだろうか?
いや、ローマットは剣を床に投げてしまった。
そして、マントを床に敷くと、その上に両膝をついて謝る。
頼みます。命だけは助けてください。
なんと情けなくて、哀れな男であろうか。
必死に頭を下げる彼の姿は、まるで可哀想な子犬のようにも見えてこないだろうか?
ラジートが彼の肩に優しく手を置いたので、ローマットは顔を上げる。
涙に顔をくしゃくしゃにしているローマットにラジートは優しく微笑んで言った。
ダメだね。
ラジート昇格というが、ラジートの成人祝いをしていなかったので、それも併せて行われたのである。
このパーティーが開かれる前、パーティーの話を聞いた王城の貴族がガリエンド家とパイプを作ろうと擦り寄るため、王城の一室を借りて盛大にやろう等と言ったが、カイエンは断った。
親族だけで祝いたかったからである。
大体、素直に息子の昇進を祝いたいのに、貴族の政争に巻き込まれたくないのだ。
なので、親族だけが屋敷に集まってパーティーをする事となった。
サマルダも参加し、ローリエット騎士団へ出ている長男と次男を除き、三男と長女と妻を連れていた。
かつては宰相を前に緊張しきっていた彼らも今では気楽な様子である。
そんなサマルダも三十後半でだいぶ老けた。
彼はカイエンやラジートと酒を酌み交わしながら、息子達がローリエット騎士団を卒業出来るか不安がる。
ラジートが二人ともよく頑張っていた事を伝え、きっとすぐに帰ってくるだろうと言った。
そんなことを言われても、サマルダは二人とも自分に似て不才なのを知っている。
彼は琥珀色の酒をグイッと飲むと「息子達がローリエット騎士団を出たら、退職しようかと思ってます」と話した。
長男に爵位と役職を譲って隠居しても良いし、騎士としてどこかへ派遣される次男に従って各地を転々としても良いかも知れないと思っているのだ。
カイエンはワインを飲みながら、「そうか」と頷く。
サマルダももういい歳なので、それが妥当であろう。
しかし、サマルダまで居なくなると、どんどんカイエンの見知った顔が居なくなって寂しい。
ロイバックは戦死。
サマルダは隠居。
あとはシュエンくらいたなものだ。
以前、カイエンに従っていた兵達も次々と辞めていってしまった。
カイエンが寂しそうにワインを一口飲んでいると、「しかし、憂える必要はありますまい」と言う男がいた。
それはルーガだ。
ビンビンにヒゲを伸ばし、そのヒゲから瞳を爛々と輝かせるルーガ。
彼はガラナイ同様に反乱を赦されてラムラッドの領主となった。
今回はパーティーと聞いて、ラムラッドから来訪していたのである。
「寂しいですが、憂える必要は無いのです」
寂しくは思っても、それを憂える必要は無い。
代わりに若い世代は増えているからだ。
サマルダの息子達はローリエット騎士団で頑張っている。
ラジートやコレンスのような新しい世代もどんどん出て来ていた。
サニヤやラキーニ、ガラナイは既に王国にとって無二の存在である。
そんなルーガは膝の上に孫を乗せて、グリグリと太い指で撫で回していた。
ガラナイに連れてこられた、まだ五歳ほどのこの男児は、髪の毛をめちゃくちゃにされて不愉快そうにしている。
かつては猛将と恐れられたルーガも老いた。
やはり若い血には勝てないのか、すっかり孫煩悩である。
噂によれば、孫の顔が見たいからラムラッドの業務をサボって王都へ行こうとし、配下に「子供じゃないんですから我が儘言わないで下さい」なんて窘(たしな)められたとか何とか。
カイエンももうすぐ、そのような暮らしへなるのだろう。
その時には、宰相の位をラキーニへ渡し、爵位をザインへ渡すことにしようと思う。
若い世代が育ってくれる事ほど……子が自分を超える事ほど嬉しい事は無いのだ。
そんな年寄りの話を聞きながら酒を飲むラジートは、自分達が褒められる事にむず痒く感じて、酔いを醒ましに行くと照れ隠しにダイニングを出て行った。
裏庭へ出て、一息つく。
あまり手放しに褒められるというものも居心地が悪い。
フカフカと手入れされた芝生を踏みしめながら、四、五歩と夜闇へ歩いて行った。
すると、背後の屋敷の扉がキイッと軋んだ。
振り向けば、サニヤが屋敷から出て来ていたのである。
扉の左右にかけられたカンテラが、彼女の真っ黒の髪をツヤツヤと照らした。
その顔は真摯なものであり、間違いなく、真面目な話をしに来たのだと分かる。
真面目な話とは、つまり、ローマットの話だ。
彼女は赤いドレスを揺らしながら、エナメルの真っ赤な靴でラジートの前まで歩いてくると、小さな声で「ローマットの情報を掴んだ」と言った。
ローマットは主に貧民の少女や孤児の少女を買って嫁にしている。
そこまではまだ良いのだが、どうやら彼は、女をいじめて楽しむ性癖のようで、挙げ句に殺してしまうようだ。
ローマットと個人的に仲の良い役人が、彼の殺した少女の死を偽装していたのである。
その偽装書類はサニヤが既に差し押さえ、いつでも証拠として公開する準備は出来ていた。
しかし、それでは意味がない事をラジートもサニヤと分かっていた。
ローマットとヘデン達弱者が秤に掛けられた時、どちらへ分のある事か?
ローマットが裁かれて困る人達が居る以上、ちょっとした罰で終わってしまう。
それでは無意味なのだ。
「ではどうする?」
姉の問いかけにラジートは答える。
「もっと大事(おおごと)にする。姉上も手伝ってくれ」
それから三日後、ラジートとサニヤはローマットの屋敷へ向かった。
ローマットは、カイエンが病気で療養がちになったため、その業務の穴を埋めるために一時的に王都へ赴任してきた男である。
彼が住んでいるのは国から貸与された石造りの立派な屋敷だ。
ラムラッドでルーガが住んでいた屋敷よりも大きい屋敷だろう。
なにせ石造りなのに四階建てで地下室を備えているのだ。
近づくだけで威圧感は生半可では無い。
その屋敷へラジートは歩いていく。
威風堂々、肩で風を切る姿だ。
その後ろにサーニア……そして、サムランガとシュエンが居た。
何とも何とも、奇妙な組み合わせである。
しかし、此度、ラジートがローマットの屋敷を襲撃するに当たって、サムランガとシュエンをスカウトしたのだ。
サムランガは口を隠しているベールの後ろで、不機嫌そうな顔をしていた。
なんで私がこんな事を……と。
ラジートがサニヤの伝手で暗黒の民へ手助けをお願いしたのであるが、配下達はサムランガがサニヤへやった失態の返上をサムランガ自身が行うように言ったのである。
王子なのに配下からなんという事を言われるのか不思議なものだ。
しかし、暗黒の民の風潮としては仕えたい人に仕えたいというものがあった。
なので、失態があれば王子自身が挽回しろという考えであった。
配下の心が離れない為にも、サムランガはサニヤへ誠実な態度を見せる必要があったのである。
そのため、サムランガはラジートと同行した。
一方、シュエンは暴れたいから付いてきた。
単純な男である。
ルーガ並に腕が立ち、しかも一日中暇を持てあましている事で有名な男だったので誘った所、二つ返事で付いて来たのだ。
ラジートはそんな彼らを連れて門を叩いた。
すぐに初老のメイドが顔を出し、何の用でしょうと不機嫌そうに聞く。
ラジートは自分が国王直轄騎士団の第二団隊に所属するものだと身分を伝え、ローマットに要件があるのだと言った。
初老のメイドはツンとした態度で、旦那様に来客が有るなどという約束は聞いていませんと断る。
ラジートも諦めず、平身低頭にお願いするのだが、駄目だと頑固だ。
「突然の来客は困るのですか?」
当たり前である。
相手にももてなす準備というもの位あるのだ。
だが、ローマットの場合、もう少し違う意味で困るようだが。
「例えば、色々と隠さなければならない事情があるのでは?」
一瞬、メイドの眉が動いたが、しかし、すぐに無表情を気取った。
まるで、隠さなければならない事情など無いかのようだ。
だが、ラジートはもうこの面倒くさいやり取りを終わらせて、さっさと屋敷へ入ることにした。
ラジート達は騒ぎを大きくして、ローマットの所業を明るみに出すのが目的であり、お喋りしに来たわけじゃ無い。
「もう良い。通らせて貰う」
ラジートは彼女を押しどかし、玄関へと入った。
すぐにメイドが、侵入者だと叫び声を上げると、屋敷の八方から足音が響く。
その足音を聞きながら、サムランガは「おい。本当に暗黒の民の、立場が悪くなることは無いのだな?」と聞いた。
もちろん、証拠はこちらにあるのだから、立場が悪くなることは無いだろう。
うまく行けば、もっと立場が良くなるとラジートが伝えると、サムランガは溜息をついて上手く行くことを願うのであった。
「じゃあ、始めるか」
吹き抜けになっているエントランスホールに現れたのは十人ほどの武装メイドと、二十人ほどの私兵。
屋敷にこれほどの戦力を用意しておくとは、やはり少々怪しい。
とはいえ、油断しなければこの四人が負ける相手ではあるまい。
シュエンは、さあ祭りだと大笑して、斧を構えた。
ラジート達四人が武器を構えて進むと、私兵達も攻撃を仕掛けてきて、たちまち大混戦となる。
が、やはり凡夫ならざる四人。
みるみる間に兵達を薙ぎ払い、吹き飛ばしていった。
そんな四人を武装メイドが襲い来る。
すると、シュエンは女の相手をしたくないと言いだした。
ラジートも、あまり好かないと言う。
「そんな事を言っている場合か!」
サニヤとサムランガが武装メイドと戦い、その間にラジートとシュエンは二人に武装メイドを任せて二階へと上がった。
二階にも兵士が控えていたが、それらを蹴散らして、さらに上へ上へ。
とうとう四階へ到着した。
敵兵達は階段を追って迫ってくる。
シュエンが壷置きの台を階段へ投げ落とした。
兵達は台に転んで、将棋倒しに階段を転げていく。
「やりますね」
「で、んな事よりどうすんだ?」
「この部屋へ入りましょうか」
ラジートが指さした扉には、執務室と書いてある。
それを見たシュエンは面白い提案だとして顎を撫でた。
なにせ、この部屋の中にローマットが居るのは間違いないのだ。
だから、ラジートは扉を蹴破って中へと入る。
瞬間、鉄槌がラジートの顔面へ向かってきた!
素早く体を後ろに倒して回避すると、鉄槌が扉の木枠と壁を破砕する。
ラジートはそのままバック転で体勢の崩れを誤魔化しながら立ち上がり、鉄槌を持ったフルプレートメイルの大男が二人居るのを見た。
その大男に守られるように、部屋の奥に座っているローマットが「一体私に何の用だか知らないが、この二人に出会った不幸を呪うが良い」と言う。
この自信の程は、あの二人が余程の実力者を示した。
確かに、フルプレートメイルを軽々と着込み、鉄槌を楽々と振り回す姿は、恐ろしい威圧感に充ちている。
しかし、そのような二人を前にして怖じ気づくような生半可な覚悟で、ラジートはこんな所へ来ていない。
威風堂々と面を上げたまま、ヘデンの事を聞いた。
ローマットはヘデンという名に心当たりが無く、しばらく考え、そうして、すぐに自分の結婚する孤児だと思い出したように手を叩いた。
「なんだ。あのような孤児の為にこのような騒ぎを起こしたと?」
ローマットはラジート達の行動の意味が甚だ分からない。
孤児は無価値であり、無意味の存在だ。
彼はそのように思うのである。
「ヘデンをどうするつもりだった? 殺すつもりだったか?」
ローマットはその問いかけに対して、そうか、知っているのかと呟き、うんうんと頷いた。
「殺すつもりは無い。しかし、まあ、結果的に死んでしまっても仕方ないだろう?
誰だって、道端の虫を踏み潰しても気が付かないようなものだ」
ローマットは言葉の最後に、やれ。と言う。
そして、大男の一人が鉄槌を振り上げた。
だが、ラジートは、なんとその大男の顔面を素手で殴り抜けたのである。
面甲を貫き、顔面に直接拳が叩き込まれた。
なんという豪腕であろうか。
これにはシュエンも驚きを隠せず、眼をぱちくりとさせながら、感嘆の意を込めて口笛を吹いた程だ。
そして、ラジートの拳を叩き込まれた大男は何とも言えない悲鳴を挙げて力無く膝を付く。
ラジートはそんな彼の肩を足で押して拳を引き抜いた。
拳が割れたか、血がポタポタと滴り落ちている。
面甲を貫く程の一撃に、ラジートの拳の骨も砕けたかも知れなかったが、しかし、ラジートは痛みをものともせずにローマットを睨んでいた。
「俺はな。良いか。俺はな、最初っから怒っていたんだ。
良いか。ローマット。俺は最初から、お前を殺すつもりで、ここへ来たのだ」
ラジートは剣を両手で持ち、一歩、一歩とローマットへ近づいていく。
その鬼気迫る姿に、誰も動けない。
「だがな、お前はそれなりにこの国にとって役割のある人間だ。だから、お前の態度次第では許してやるつもりだった。
今までの諸行を認めて、ヘデンから手を退き、悪事を恥ず心があるなら、お前を見逃してやっても良かったのだ。
しかし、お前は俺の心を逆撫でした。もはや生かしておけん!」
このラジートの迫力にローマットは転げ落ちそうになりながら椅子から立ちあがると、絶叫にも近い口調で「さっさと殺せ!」と大男へ指示する。
しかし、その指示が言い終わる前に、大男の頭はシュエンによって兜ごとカチ割られてしまった。
それを見たローマットは腰の剣を抜く。
彼は最後の悪あがきでもするつもりだろうか?
いや、ローマットは剣を床に投げてしまった。
そして、マントを床に敷くと、その上に両膝をついて謝る。
頼みます。命だけは助けてください。
なんと情けなくて、哀れな男であろうか。
必死に頭を下げる彼の姿は、まるで可哀想な子犬のようにも見えてこないだろうか?
ラジートが彼の肩に優しく手を置いたので、ローマットは顔を上げる。
涙に顔をくしゃくしゃにしているローマットにラジートは優しく微笑んで言った。
ダメだね。
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仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
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異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。
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トゥイリアース王国の筆頭公爵家、ヴァーミリオン。その現当主アルベルト・ヴァーミリオンは、王宮のみならず王都ミリールにおいても名の通った人物であった。
まずその美貌。女性のみならず男性であっても、一目見ただけで誰もが目を奪われる。あと、公爵家だけあってお金持ちだ。王家始まって以来の最高の魔法使いなんて呼び名もある。実際、王国中の魔導士を集めても彼に敵う者は存在しなかった。
ただし、彼は持った全ての力を愛娘リリアンの為にしか使わない。
財力も、魔力も、顔の良さも、権力も。
なぜなら彼は、娘命の、究極の娘馬鹿だからだ。
※このお話は、日常系のギャグです。
※小説家になろう様にも掲載しています。
※2024年5月 タイトルとあらすじを変更しました。
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
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私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
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魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
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私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
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