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2話、閉じ込められて、そして出会い

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 飛竜の大きく呻く声が聞こえてくる。
 伝声管から船長の声で目的地へ間もなく到着する旨が告げられた。

「ご乗船ありがとうございました。またのご利用をお待ちしています」

 あの粗暴な船長にしてはやたらと丁寧な言葉遣いだ。
 多分、乗船と降船の挨拶だけは練習していたのだろう。

 だけど船長の声を聞いている暇は私に無かった。

 飛竜船の向かう先にある景色に私は見とれていたからだ。

 白い雲海を眼下に青い空の中を浮いている大地。
 その大地には青々と茂る森と人の住まう都市。
 そして真っ白で大きなお城がそびえていた。

 そんな大地の周りを大きな虫のようなものが飛んでいる。
 と、思ったけど、飛竜船が近付くとそれが何か分かった。

 その大きな虫みたいな物は機械だ。

 金色や銀色の光沢を持った鉄板に覆われ、甲虫に似た印象を与える機械は、高速で動く薄羽を動かして背中の人と共に飛んでいる。

 人間は発明が得意な種族で、魔力を利用した機械を使って魔法のような事が出来るとは聞いていたけど、目の当たりにすると信じられない気持ちになった。

 魔力はあらゆる万物が内部に持つ強力な力。
 だけどその魔力を使用するには知識と才能を使って魔法という超自然的な力に変換しなくちゃいけない。
 だが、人間は機械を使う事で、知識も才能も無しに魔力で魔法じみた力を起こす事が出来た。

 私はそんな景色に目を奪われている。

「どこに居るのかと思ったらここに居たのね」

 イーリアスが甲板に立っている私の横に立った。

「部屋に居なさいと言ったでしょ」

――ごめんなさい。大地が宙に浮いているのを見てみたくて……――

 イーリアスは溜息を吐いて前髪をかきあげ、私の帽子がまた飛ばされないように気を付けるように言うと、飛竜船が港に降りるまで私と一緒に大空の景色を見ていた。

 グングンと大地が近づく。

 大地は宙に浮いている為、その下部は頑強な地殻が剥き出しだ。

 その地殻の横腹に大きな穴が空いている。

 その穴は港だ。
 空の港、さしずめ空港というべきか。

 空港には山のように大きな飛竜から椅子を背負っているだけの小型の飛竜、飛竜以外にも虫みたいな羽のある機械まで沢山置いてある。

 飛竜船が空港に降り立つと私は居ても立ってもいられなかった。

 あの幻想的で信じられないような風景の一つに私も仲間入りしたくて、急いで飛竜船から降りようとする。

 飛竜船に乗っている誰よりも、この宙に浮く大地を踏みしめなくては気が済まなかった。

 だけど、そんな私の気持ちと裏腹に、イーリアスは私の手を掴んで離さない。

「勝手にいかないの。はぐれたら困るじゃない」

 確かに迷子となっては困るだろう。
 私もイーリアスとはぐれた時に魔族と知られたら大変だと思う。

 でも私はこの浮遊する大地に降りたくて仕方ないのだ。

「あなたまさか、街に行くのを楽しみにしてる?」

 私がコクコク頷くとイーリアスは少しだけ笑う。

「無口で無表情だから何を考えているのかと思ったら、意外と子供らしい所はあるじゃない」

 イーリアスは私の手を優しく引いて、飛竜船から降りた。

 私も念願の浮遊大陸に足を踏み入れたのだが、思ったより硬い地面だ。
 てっきりふわふわした感覚でもあるのかと思ったけどガッシリとした感触である。

「何してるの? こっちよ」

 私が左右に体重をかけて地面をふみふみしているとイーリアスが怪訝な顔をしながら私の手を引いた。

 壁に窪みがあって、そこに入れられる。
 白い硬材で出来た窪みで、鉄でも鋼でもコンクリートでも無い不思議な素材だ。

 だけど、どうやら魔力の伝導率が非常に良く、魔法的な力と関係する事は分かる。

 私がぺたぺたと壁を触っていたら、これは転送装置で、魔力によって物体を離れた場所へと移動させるのだとイーリアスに言われた。

「次の瞬間にはあなたの憧れの街よ」

 イーリアスが壁の一部の四角く枠の作られている箇所に手を置く。

 すると、私に不思議な事が起こったのだ。

 腹の底から不可思議な力で持ち上がられる感覚。
 それと周囲の景色が縦に長い線を描き出した。

 床や地面が消えて私の体が浮遊しだすと、辺り一面が光の粒子に変わって細かい線を描きながら下へ下へと落ちていく。

 世界が変わっていく中、唯一、イーリアスだけが私の隣にいた。
 私が不思議そうに周囲を見渡しているのを微笑んで見ている。

 と、次の瞬間、線を描いていた粒子が急速に動きを止めて、風景を作り出した。

 先程まで私が居た空港とは違う場所だ。
 空港が岩壁と岩の天蓋に覆われていたのに対して、ここは青い空と明るい太陽があった。

 空港に飛竜船や飛行機械が置かれていたのに対して、ここは背の高い家が並んでいた。
 バルコニーに鉢植えが掛けられていて赤や青、紫や白の花が咲いている。
 白い壁の家々は太陽を反射して白銀に煌めいていた。

 広いはずの空が背の高い家々に切り取られて随分と狭く見えた。

 その狭い空を小型の飛竜や飛行機械が飛んでいる。

 私の気持ちをどう表現すべきか私には分からなかった。
 だって、飛竜船を降りてから信じられないような出来事ばかりが私に起こっている。

 例えばさっきの転送装置。魔族には無い魔法だ。
 人間は新しい魔法を生み出したのだろうか? と疑問に思ったのも束の間、今度は信じられないような美しい街並みに囲まれている。

 普通ならば喜んだり、感嘆の息を吐く所だろう。
 だけど私はそういう一切の感情を顕にする事ができなかった。

 魔族の住む岩と枯れ草の景色と違い、ここは色と彩りと、奇妙な物に溢れていて、私はそれら全てに心を奪われていたのだ。

「危ない」

 イーリアスが私のローブの襟を掴んで引いた。 

 直後、私の眼前を馬車が激しく車軸を軋ませながら通過する。

「道の中央は馬車道よ。歩くなら道の端を歩きなさい」

 地面を見ると、白や黒や赤茶けた煉瓦の敷き詰められた道で、中央部分が凹んでいた。

 両端の少しだけ高くなった所を人が歩いている。
 私は街並みや空に見とれているうちに気付かず中央の馬車道の方へと進んでいたみたいだ。

「しっかりと周りを見て。私についてきなさい。中には悪い人だって居るのだからね」

 イーリアスに手を引かれて私は歩き出す。

 すると、すぐに人通りのある大通りに出た。
 人の壁とも言うべき人の数。
 一体全体、何の用があって彼らは通りを歩くのかと疑問に思う程に人が歩いていた。

 馬車が行き交い、人が喋り合い、雑踏が煉瓦道を叩く。
 なんともやかましい。

 山高帽に髭を生やした中年の男。日傘をさしてハイヒールを踏み鳴らしていく化粧の濃い女性。
 手を繋いで笑い合う若い男女や、私のように親から手を引かれて歩く少年少女達。

 忙しそうに小走りで行く者もいれば、家の壁に退屈そうにもたれている者も居た。

 私はそんな彼らの服装や装飾品が気になってしまう。
 私はあまりに人間の装飾というものを見た事が無いから、もっとゆっくりと見てたかった。

 だけど、うかうかしたらイーリアスと離れ離れになりそうなので、ここはグッと自制。
 こんなに人が多いと手を繋いでいてもはぐれてしまいそうだ。

 それにしても、イーリアスは人間の間で有名だと聞いていたけど本当にその通りのようで、行き交う人々誰もが彼女に挨拶をしている。

 それもそうか。
 なにせこの街の中央には大きな城があって、その城こそ、イーリアスが校長を務める魔法学校なのだ。

 この街の象徴とも言える魔法学校の校長ともあれば、この街に住まう人なら尊敬していて当然かも知れない。

 そんな風に思っていると、二つの大通りが交じる交差点の、その中央にイーリアスと思わしき大きな銅像があった。

 二階建ての家と同じくらいの高さだ。

 ……尊敬されているからとさすがにやりすぎでは無いか?

「ち、違うわよ。この街の人達が勝手に建てただけよ」

 私が何も言ってないのにイーリアスは恥ずかしそうに帽子を目深に被りながらそのように言うのだ。

 確かにイーリアスはあまり自慢するようなタイプじゃなさそうだから、彼女の知らぬ間に勝手に建てられたのかも知れない。
 むしろ、あんな銅像を建てられている事が嫌なのかも知れない。
 もしも私がイーリアスなら、でかでかと銅像を置かれるなんて死んでも嫌なものだ。

 私に彼女自身の銅像を見られるのが嫌なようで、イーリアスは私の手を引いて足早に交差点を行こうとする。

「さっさと学校に行くわ。人混みに居てもいい事は無いのだから」

 イーリアスは少し機嫌が良い。
 物静かで引っ込み思案に見えて、意外と生来は活発で明るい性格なのかもしれない。
 自己主張の激しい銅像が嫌いなのは間違いないが、その銅像を建ててくれた気持ちが嬉しいに違いなかった。

 私達が早足で交差点を抜けようとしたその時、広場の沿いの道路に馬車が停まった。

 四頭の馬が牽引する大きな馬車で、後に知ったのだが乗り合い馬車という馬車らしい。
 その乗り合い馬車から五十名は下らない人々が降りてくるのだ。

 そうしたら、その人達は目ざとくイーリアスを見つけて、「イーリアス様だ!」と黄色い悲鳴を上げた。

 するともう人津波の如くイーリアスを一目見ようと人々は押し寄せたのだ。

 そこで私は、人津波に押されてイーリアスとはぐれてしまった。

 小さな私の体はいとも容易く人に押されて、あれよあれよと街の道路を進んでいく。

 人混みから追い出された時にはすっかり私自身の居場所が分からないし、イーリアスは見えなかった。

 ひとまず、目の前の人混みに舞い戻ってみる。
 この人たちはイーリアスに会おうとしているのだから、その人混みに乗っていけばきっとイーリアスの元へと帰れるに違いないと思ったのだ。

 ……ところが、気付くと私はイーリアスを取り巻いていた群衆から街の中を歩く雑踏の一人になっていた。

 今私が居るのは街の中心地、往来の激しい通りのようだ。

 困った。
 完全にどこだか分からない場所に来てしまった。

 この街は広そうだからイーリアスを見つける事は大海に浮かぶ流木を見つけるような困難だ。

「もし、そこのお嬢ちゃん」

 キョロキョロ辺りを見渡している私を男の人が呼んだ。

 道の隅に座ってボロ布を頭から被っている初老の男。

 誰だろうか?
 会った事は無いと思うけど、何の用だろう?

「何を探しているんだい?」

 男が聞くので、私は――イーリアス――と答えた。

「ほほう! イーリアス様を! 彼女のファンなのかい?」

 別に私はイーリアスのファンでは無いから、首を左右に振って否定する。

――イーリアスに連れられて学校に向かってたけどはぐれた――

 男は笑い、「なるほどそれでか!」と独りごちる。

「あっちにな、イーリアス様が君を探していてな。オレぁ君を連れて来るように言われていたんだよ」

 男が指さしたのは、彼の座っている場所のすぐ隣の路地だ。
 その路地を抜けた先にイーリアスが居たらしい。

「どれ、オレが連れて行ってやろう。お嬢ちゃんには土地勘が無いのだろう」

 男は私の小さな手を掴むと路地へと引いた。

 イーリアスの所に連れて行ってくれるなら願ったりだから、私は男の後をついて行く事にする。

「素直についてくるだなんて、いい子だね君は」

 イーリアスの所に連れて行ってくれるのに素直についてくるも何も無いだろう。

 私は不思議に思ったけど、とにかくイーリアスの所に連れて行ってくれるなら文句は無かった。

 男に連れられて路地を歩くのだが、裏路地は上下の移動が多い。
 メインストリートと違って階段を上がったり下がったりする必要があった。

 男は進む先は、そんな幾つもある階段の陰になっている目立たない場所だ。
 傍目には見つかりづらい地下への階段があって、その先へと私を案内する。

 ジメジメとして陰気。
 入口に掛けられていたランタンの魔光石を男が掲げて、ようやく一段一段確認しながら降りる事が出来る。

 本当に、こんな所にイーリアスが居るのだろうか。
 疑問に思う。

「さ、ここだ」

 階下のドアを男は指を指す。

 こんな所にイーリアスが居るのか分からないが、扉を開ければ分かる事だ。

 扉は鉄製の頑丈で重々しいものである。
 私はノブを回しながら、全身をもたれかからせて開けなくてはいけなかった。

 鉄の蝶番が軋んで耳を裂く嫌な音がする。
 重苦しく、そして、ゆっくりと扉が開いた。

 そこは倉庫のようだ。

 茶色い包み紙に巻かれた大きな何らかの物資が沢山積まれている。

 それから、部屋に丸テーブルが置かれていて、天井の魔光石を頼りに三人の男がカードでゲームに興じていたが、私に気付いて席から立ち上がる。

 パッと見た限りイーリアスは居そうに無い。

 その時、私の後ろに立っていたあの初老の男が私の体をいきなりロープで縛った。

 そして、男の一人が私の口に汚い布を詰め込んで、その上からさらに猿轡を噛ませて声を出せないようにしたのだ。

 口の布が喉にまで届いて吐きそうになる。
 別に騒ぐ気は無いのだからこんな事をしないで欲しい。

 そんな要求、口が塞がれていて出来る訳もなかったけど。

 パサりと私の帽子が床に落ちる。
 これだけ暴れたら帽子も落ちるものだ。

 男達はそんな私の頭を見てビックリすると、すぐに下卑た笑いを浮かべた。

「魔族か。知ってるかい? 人間界ではどんな人間でも法律で護られているけどな、魔族だけは別なんだ。君みたいな小さな女の子は変態のオヤジどもにとって有難い存在なんだよ」

 若い男が私の小さな体をひょいと持ち上げて、倉庫の奥の部屋へと連れて行く。

「大人しくて助かるぜ」

 若い男がそのように笑う。
 感謝の言葉を言うくらいならこの口に押し込まれた布を抜いて欲しい。

 私の願いは虚しく、そのまま乱暴に奥の部屋の床に投げるように捨てられてしまった。

 そのまま男は扉を閉めて鍵をかけてしまう。
 喉にまで届いてる布のせいで吐きそうだから、せめて取って行って欲しかった……。

 もしも口を塞がれたまま吐いたらどうなるのだろう?
 どうなるか分からないけど、想像するだけでも恐ろしい結末しか思い付かなかった。

 とにかく私は今の自分が置かれた状況を確認しようと思う。
 体や足はロープで巻かれているから起き上がれないので頭だけをもたげながら、もぞもぞと体を動かして部屋を見渡して見る。

 地下の部屋には光源が一切無いので真っ暗闇だが、私は光を放つ魔力の球を空中に発生させた。

 淡い光が部屋を照らす。
 そう大きくない小部屋。

 何一つ置かれていない簡素な部屋だ。

 部屋にあるのは固くて冷たい床に寝転ぶ私だけ……ではなく、もう一人、私と同じくらいの年の女の子が縛られて倒れていた。

 女の子はいきなり明るくなって眩しそうにしている。

 裾や袖に白いレースの付いた高級そうな服を着ていた。
 髪の毛も前髪が切りそろえられていて、長さも肩ほどの長さで清潔感がある。

 華美過ぎず、しかしオシャレな風体。
 よほどいい所の女の子のように思えた。

 メガネを掛けているのだけど、私みたいに乱暴に床へ投げられたせいかツルが曲がっている。

 その子以外、この部屋には何も無い。
 あの男達の仲間が居ない事を確認すると、ビュッと風が吹いて私の口の布や手足のロープが切れる。

 おえっとえづくと、唾液とは違うドロドロした喉の粘液まみれの布が床に落ちた。

 ふうスッキリ。

 女の子はそんな私の様子を見て、うんうんと喉から声を必死に出しながら身をよじる。
 どうやら助けて欲しいみたい。

 仕方ないから女の子の猿轡と手足のロープを切ってあげた。
 すると、ガバと跳ね起きて私に抱きついてくるとわんわん泣き出した。

 一人で拘束されていて心細かったんだろう。
 だけど、そんなわんわん泣いたら――

「おい、てめえら、なんでロープが切れてんだ」

 ……いつの間にか男が扉を開けて私たちを見ていた。

 だから言わんこっちゃない。

「きゃああ!」

 女の子が男を見て悲鳴を上げてる。
 悲鳴は別に良いんだけど私に抱きつくのはやめて欲しい。動きづらくて仕方ない。

 そんな逃げる事も出来ない私の頭を、男が乱暴に掴んでくるのだった。
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