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序章・帝国崩壊編
16、気になるあの人
働きたくない。
ラドウィンはここ数日、夜を徹して働き詰めた。
ああ、働きたくないなぁ。
目の下にクマを作って、モンタアナの執務机に突っ伏していた。
この時期に記されたラドウィンの日記は非常に少ない。
日記や日誌は勤務記録として重宝するため、激務の者ほど必ず記録して自分の手柄を著そうとするものであるが、彼が記録をつける事無く日夜を復興の支援に宛てた証拠といえる。
元々出世に興味が無いから記録を付けないのは当然とも言えたが、しかしそうなると、なぜ復興にここまで注力するのかという点であろう。
出世に興味は無く、仕事が嫌い。さりとて怠ける事もせずに連日連夜、糧食の量を調整しながら各地へ送り、建設技術者からの復興の報告を受けながら人員の割り当てを考え、
各地に兵を任命して廃虚同然の集落の治安維持に当たらせ、
道路、水路、その他公共設備の修復、
そして各地の財政状態の把握。
それをひたすら書きに書き続け、ペンを持ち続けた指から血が滲んでいた。
なぜ仕事嫌いのラドウィンがこれほどまでに仕事をするのだろうか?
その疑問を持っていたのはラドウィンの身近に一人居た。
それはハルアーダだ。
彼は各地から送られてきた大量の書類を持ってきてラドウィンの執務机に置くと、「怠け者か働き者か分からないな」と聞く。
もちろんラドウィンは仕事なんてしたくないの一点張りだが。
そのようなラドウィンの態度にハルアーダはかなりイラついていた。
なぜだか分からぬが、とにかくハルアーダはラドウィンの言動一つ一つが半端過ぎて腹が立つのだ。
能力があるならひけらかして堂々と働けば良いのだ。
それが嫌なら田舎の屋敷から出ていかずにひっそり生きていけば良いのに。
ハルアーダはそのように思ってラドウィンに腹が立った。
以前からラドウィンに対して腹が立ったが、特に最近は酷くむかっ腹が立つのだ。
原因はあのタンドスが攻めてきた戦争である。
思い返せば、ハルアーダが居なくてもラドウィン一人で対処出来ただろうと思うのだ。
意味も無く客将として引っ張り出され、名実ともにハルアーダはラドウィンの客将の身分となってしまったのである。
少なくとも、近隣の諸侯はそう思っている事であろう。
つまり、ハルアーダは近隣諸侯がラドウィン領となったミョルゼ地方へ攻め込みづらくする防波堤として『利用された』という気持ちがあったので気分が悪いのだ。
「ハルアーダ、何か嫌な事でもあった?」
ハルアーダが屋敷の庭でミルランスやティタラの遊びを見守っている時、そのように聞かれて驚いた。
ハルアーダのイライラをミルランスやティタラも感じていたのだ。
二人を守る為の自分がイライラを面に出してはならないとハルアーダは反省した。
だが、二人にはお見通しだったようで、ラドウィン様の事でしょ? と図星を突かれてしまうのだ。
「分かっておられましたか」
ハルアーダは子供に心底を見抜かれてしまうほど露骨な態度であったろうかと恥じる。
「そりゃ分かるよ。だってハルアーダとラドウィン様っていかにも正反対でしょ?」
ティタラの言葉、全くその通りだ。
そこまで見抜かれてしまうと気まずいものがあって、ハルアーダは苦笑してしまう。
だが、ミルランスの方は「でもラドウィン様と一緒に居る時のハルアーダって一番楽しそう」と言うのだ。
「そうでしょうか?」
「うん。なんか一番自然っていうかな。作ってない態度だもん」
言われてみると、たしかに普段のハルアーダは模範的な騎士らしくあろうと堅物で冷静である。
しかし、ラドウィンの飄々とした態度を前にすると、なぜか冷静さを失ってしまうのだ。
いや、冷静さを失うというのはいささか誤謬のある言い回しである。
感情に従ってしまうというべきか。素の感情が出てしまうというべきか。
原因は……ハルアーダ自身それとなく分かっていた。
それはきっと、羨望。憧憬。畏敬……。
自分のやりたいように勝手気ままに生きて、責任も役目も知った事かと笑い飛ばす姿に憧れにも似た羨望を抱いている。
だから、ラドウィンが自由気ままに生きようとせずに仕事の責任に追われていると、自由に生きて欲しくてイラつくのだ。
だが、ハルアーダはそのような自分の気持ちを認めたくない。
あのような軽薄で飄々とした男に憧れを抱きたく無かったのだ。
あるいは、出会いが違えば親友になっていたかも知れない。
かつて剣を交わせて、ハルアーダはラドウィンを知った。
少なくとも、一朝一夕では身につかないラドウィンの武芸は、彼の誠実な努力家な面を見せていた。
しかし、今は親友になどなり得ない。
ミルランスとティタラを帝都に帰したいハルアーダと、自領の事しか考えていないラドウィンとでは馬が合う訳無かった。
いいや、馬が合ってはならないのだ。
二人を無事に帝都へ帰し、皇帝として復権させる為にも私情を挟んでいられなかった。
ハルアーダは、必要とあらばラドウィンに暴行を加えて脅し付ける覚悟すらあったのだ。
とはいえ、ラドウィンほどの武芸者を襲った所で痛手一つ与えられるか分かったものでも無いが。
「でも私、ハルアーダとラドウィン様には仲良くして欲しい」
「なんでですか?」
ハルアーダは庭先に集まっている村の娘っ子達に手を振りながら聞く。
黄色い歓声が上がっていた。
「だってラドウィン様と一緒に暮らして行くんだから二人とも仲良い方が良いでしょ」
「大丈夫ですよ。近いうちに帝都へ戻りますから」
ハルアーダは、きっといつまでも帝都を追い出されたままなのだとミルランスが心配しているのだと思う。
だから、いつまでも帝都から離れるつもりは無く、必ずや家に帰れると安心させたかった。
だが、ミルランスは俯いて顔を暗くする。
「私……あそこに戻りたくない……」
そのように言うのでハルアーダは驚いた。
なぜ?
「ここで皆と遊んで……鶏さんとか豚さんとかの世話をしてたい」
「なりません! そんな下々の仕事はあなたがしてはならない!」
ハルアーダはミルランスの肩を掴む。
「ミルランス様はこの帝国唯一無二の皇帝なのです! 国民一人一人の太陽なのです。太陽が天に輝かねば人々の希望は失われます! 今、国内は酷い有様なのですよ。どこもミョルゼ地方のように戦乱で荒廃している事でしょう! その戦乱を収め、アーランドラに平穏という陽射しを注ぐ事は太陽のミルランス様にしか出来ないのです!」
ミルランスは困った様子で「痛いよ。ハルアーダ」とだけ言う。
いつの間にか指に力を込めすぎていた。
ハルアーダは慌てて肩から手を離すと、謝罪する。
「すいません」
「……お腹空いたから料理作ってくる」
ミルランスは話を中断して屋敷へと逃げるように向かってしまった。
「お姉様の事は放っておけば良いんだよ」
ハルアーダがミルランスを追おうとしたが、ティタラがそのように言うのだ。
「ですが、ミルランス様は皇帝なのにこんな村では――」
「もともとお姉様は帝都が嫌いなの」
ミルランスは城の権力争いが嫌いだ。
特に、権力争いで無実の人に処刑を実施する印を捺すのを嫌っている。
下卑ていやらしい金と利権まみれの笑顔も不愉快極まりない。
相手より上に立つためにちょっと問題を上げへつらって、何時間も叱責し続ける怒号など聞くに耐えなかった。
だからミルランスは帝都に戻りたくない。
誰もミルランスを見ない。帝都の人達は皇帝という肩書きと権力しか見ていない。
だけどこの村は『ミルランス』を見てくれる。
村の子供達は畑の泥に平気で彼女を突き落とすし、他の子達と悪さをすれば大人はミルランスの頭に平気でゲンコツを落とした。
帝都にいたら、ミルランスが何をしようと誰も何も言わない。
それに下民(げみん)庶民の仕事だと掃除も洗濯も料理も教わりはしなかったろう。
料理を作って食べられたものじゃない物体が出来た時、一口で笑顔になる料理が出来た時……それらの自分の手で何かを生み出すのはミルランスにとって楽しい事だった。
特に、彼女がやった事で誰かが笑顔になるのは最高。
「お姉様はそういう子なの。分かった?」
「確かに……ミルランス様に帝都は苦しいかも知れませんが、ですがあの子は皇帝なのです」
ハルアーダは、人というものはその役割が大事だと思っている。
父には父の役割。母には母の役割。
料理人には料理人の、大工には大工の……そして皇帝には皇帝の役割。
人はその役割を演じて生きていかなくてはいけない。
ハルアーダはそう思うのだ。
「だからさ、もう良いじゃん。お姉様の事は」
「しかし天下には――」
「だからさ! 居るじゃん。お姉様が居なくても『皇帝の予備』は」
皇帝の予備。
それにハルアーダは口をつぐんでしまう。
「お姉様はここに置いていけば良いんだよ。そんな時の予備が私でしょ?」
ハルアーダはティタラが自分の事を予備と言うのに深く悲しんだ。
ティタラはまだ十歳の女の子だ。
そんな子が自分の事を『予備』と言うのである。
なんと残酷な事であろうか。
あるいは、ミルランスのようにティタラも帝都の毒気に冒されてしまっていたのだ。
だけど、誰が予備じゃないと言える?
現に姉ミルランスの予備が妹ティタラなのだ。
ハルアーダがどう思おうとそれが事実。
皇帝の弟妹とはそういう存在なのである。
「本人がどう思おうと役割が大事なんでしょ」
ハルアーダが言ったことをティタラも繰り返すので、ハルアーダは反論出来なかった。
「だから良いじゃん。お姉様が居なかったら予備の私が本物になるんだからさ」
ティタラは拗ねた様子でそのように言うのだ。
その時、ハルアーダはティタラの立場を察した。
彼女はいつだってミルランスの影である。
ティタラはミルランスより賢い子であったが、天才という訳ではなく、自分を見て欲しいから沢山勉強したのだ。
だが、彼女の父からは妹という理由だけで愛されず、城の誰もがミルランスばかりを皇帝として褒め讃えた。
もちろん無視されていた訳では無いが、所詮はミルランスの妹として、皇帝に何かあった時の予備という扱いでしかない。
もしかしたら、ティタラをこうしてしまったのはハルアーダのせいもあるかも知れない。
個を抑えて皇帝の役割に従事させようとするハルアーダの、その影響は少なからずあるのだ。
だが、ハルアーダは十歳の子が自分の事を物のように認識している事が悲しかった。
そして、それゆえにこの娘は姉に劣等感を抱いているのだとも分かったのだ。
「ティタラ様……」
「なに?」
だけど、ハルアーダにはこのティタラにかける気の利いた言葉が思い付かない。
もしもラドウィンならニコリと笑って慰めの言葉をかけるのだろう。
だがハルアーダには何もかける言葉が思いつかなかったのだ。
「何があろうとティタラ様を守ります」
「ありがと」
ティタラは笑った。
本当は、役割なんて関係無い、ティタラはティタラだ。予備じゃないと言って欲しかったのかも知れない。
だけどハルアーダには無理なのだ。
ハルアーダにはそのような言葉をかける事は出来なかった。
彼は皇帝騎士だから、皇帝なんて辞めてしまえなんて言えなかったのである。
だってそうじゃないか! 誰も彼もが権利を主張して戦乱となっている。これを止められるのは皇帝しか居ないじゃないか! なのに一人のワガママで皇帝が居なくなったらそれこそこの国は終わりなのだ!
こんな時、自分の役割なんて関係無いと自由に生きられるラドウィンが羨ましかった。
ハルアーダは、こんな年端のいかぬ少女に大任を押し付けてばかりの自分が苦しくて苦しくて――
ただティタラを抱き締めると「何があってもお守り致します! 何があっても……!」と言う事しか出来なかった。
「ハルアーダ。痛いよ」
ティタラは呟くように、しかし、この不器用な男の不器用な忠誠心を嬉しそうに言うのであった。
ラドウィンはここ数日、夜を徹して働き詰めた。
ああ、働きたくないなぁ。
目の下にクマを作って、モンタアナの執務机に突っ伏していた。
この時期に記されたラドウィンの日記は非常に少ない。
日記や日誌は勤務記録として重宝するため、激務の者ほど必ず記録して自分の手柄を著そうとするものであるが、彼が記録をつける事無く日夜を復興の支援に宛てた証拠といえる。
元々出世に興味が無いから記録を付けないのは当然とも言えたが、しかしそうなると、なぜ復興にここまで注力するのかという点であろう。
出世に興味は無く、仕事が嫌い。さりとて怠ける事もせずに連日連夜、糧食の量を調整しながら各地へ送り、建設技術者からの復興の報告を受けながら人員の割り当てを考え、
各地に兵を任命して廃虚同然の集落の治安維持に当たらせ、
道路、水路、その他公共設備の修復、
そして各地の財政状態の把握。
それをひたすら書きに書き続け、ペンを持ち続けた指から血が滲んでいた。
なぜ仕事嫌いのラドウィンがこれほどまでに仕事をするのだろうか?
その疑問を持っていたのはラドウィンの身近に一人居た。
それはハルアーダだ。
彼は各地から送られてきた大量の書類を持ってきてラドウィンの執務机に置くと、「怠け者か働き者か分からないな」と聞く。
もちろんラドウィンは仕事なんてしたくないの一点張りだが。
そのようなラドウィンの態度にハルアーダはかなりイラついていた。
なぜだか分からぬが、とにかくハルアーダはラドウィンの言動一つ一つが半端過ぎて腹が立つのだ。
能力があるならひけらかして堂々と働けば良いのだ。
それが嫌なら田舎の屋敷から出ていかずにひっそり生きていけば良いのに。
ハルアーダはそのように思ってラドウィンに腹が立った。
以前からラドウィンに対して腹が立ったが、特に最近は酷くむかっ腹が立つのだ。
原因はあのタンドスが攻めてきた戦争である。
思い返せば、ハルアーダが居なくてもラドウィン一人で対処出来ただろうと思うのだ。
意味も無く客将として引っ張り出され、名実ともにハルアーダはラドウィンの客将の身分となってしまったのである。
少なくとも、近隣の諸侯はそう思っている事であろう。
つまり、ハルアーダは近隣諸侯がラドウィン領となったミョルゼ地方へ攻め込みづらくする防波堤として『利用された』という気持ちがあったので気分が悪いのだ。
「ハルアーダ、何か嫌な事でもあった?」
ハルアーダが屋敷の庭でミルランスやティタラの遊びを見守っている時、そのように聞かれて驚いた。
ハルアーダのイライラをミルランスやティタラも感じていたのだ。
二人を守る為の自分がイライラを面に出してはならないとハルアーダは反省した。
だが、二人にはお見通しだったようで、ラドウィン様の事でしょ? と図星を突かれてしまうのだ。
「分かっておられましたか」
ハルアーダは子供に心底を見抜かれてしまうほど露骨な態度であったろうかと恥じる。
「そりゃ分かるよ。だってハルアーダとラドウィン様っていかにも正反対でしょ?」
ティタラの言葉、全くその通りだ。
そこまで見抜かれてしまうと気まずいものがあって、ハルアーダは苦笑してしまう。
だが、ミルランスの方は「でもラドウィン様と一緒に居る時のハルアーダって一番楽しそう」と言うのだ。
「そうでしょうか?」
「うん。なんか一番自然っていうかな。作ってない態度だもん」
言われてみると、たしかに普段のハルアーダは模範的な騎士らしくあろうと堅物で冷静である。
しかし、ラドウィンの飄々とした態度を前にすると、なぜか冷静さを失ってしまうのだ。
いや、冷静さを失うというのはいささか誤謬のある言い回しである。
感情に従ってしまうというべきか。素の感情が出てしまうというべきか。
原因は……ハルアーダ自身それとなく分かっていた。
それはきっと、羨望。憧憬。畏敬……。
自分のやりたいように勝手気ままに生きて、責任も役目も知った事かと笑い飛ばす姿に憧れにも似た羨望を抱いている。
だから、ラドウィンが自由気ままに生きようとせずに仕事の責任に追われていると、自由に生きて欲しくてイラつくのだ。
だが、ハルアーダはそのような自分の気持ちを認めたくない。
あのような軽薄で飄々とした男に憧れを抱きたく無かったのだ。
あるいは、出会いが違えば親友になっていたかも知れない。
かつて剣を交わせて、ハルアーダはラドウィンを知った。
少なくとも、一朝一夕では身につかないラドウィンの武芸は、彼の誠実な努力家な面を見せていた。
しかし、今は親友になどなり得ない。
ミルランスとティタラを帝都に帰したいハルアーダと、自領の事しか考えていないラドウィンとでは馬が合う訳無かった。
いいや、馬が合ってはならないのだ。
二人を無事に帝都へ帰し、皇帝として復権させる為にも私情を挟んでいられなかった。
ハルアーダは、必要とあらばラドウィンに暴行を加えて脅し付ける覚悟すらあったのだ。
とはいえ、ラドウィンほどの武芸者を襲った所で痛手一つ与えられるか分かったものでも無いが。
「でも私、ハルアーダとラドウィン様には仲良くして欲しい」
「なんでですか?」
ハルアーダは庭先に集まっている村の娘っ子達に手を振りながら聞く。
黄色い歓声が上がっていた。
「だってラドウィン様と一緒に暮らして行くんだから二人とも仲良い方が良いでしょ」
「大丈夫ですよ。近いうちに帝都へ戻りますから」
ハルアーダは、きっといつまでも帝都を追い出されたままなのだとミルランスが心配しているのだと思う。
だから、いつまでも帝都から離れるつもりは無く、必ずや家に帰れると安心させたかった。
だが、ミルランスは俯いて顔を暗くする。
「私……あそこに戻りたくない……」
そのように言うのでハルアーダは驚いた。
なぜ?
「ここで皆と遊んで……鶏さんとか豚さんとかの世話をしてたい」
「なりません! そんな下々の仕事はあなたがしてはならない!」
ハルアーダはミルランスの肩を掴む。
「ミルランス様はこの帝国唯一無二の皇帝なのです! 国民一人一人の太陽なのです。太陽が天に輝かねば人々の希望は失われます! 今、国内は酷い有様なのですよ。どこもミョルゼ地方のように戦乱で荒廃している事でしょう! その戦乱を収め、アーランドラに平穏という陽射しを注ぐ事は太陽のミルランス様にしか出来ないのです!」
ミルランスは困った様子で「痛いよ。ハルアーダ」とだけ言う。
いつの間にか指に力を込めすぎていた。
ハルアーダは慌てて肩から手を離すと、謝罪する。
「すいません」
「……お腹空いたから料理作ってくる」
ミルランスは話を中断して屋敷へと逃げるように向かってしまった。
「お姉様の事は放っておけば良いんだよ」
ハルアーダがミルランスを追おうとしたが、ティタラがそのように言うのだ。
「ですが、ミルランス様は皇帝なのにこんな村では――」
「もともとお姉様は帝都が嫌いなの」
ミルランスは城の権力争いが嫌いだ。
特に、権力争いで無実の人に処刑を実施する印を捺すのを嫌っている。
下卑ていやらしい金と利権まみれの笑顔も不愉快極まりない。
相手より上に立つためにちょっと問題を上げへつらって、何時間も叱責し続ける怒号など聞くに耐えなかった。
だからミルランスは帝都に戻りたくない。
誰もミルランスを見ない。帝都の人達は皇帝という肩書きと権力しか見ていない。
だけどこの村は『ミルランス』を見てくれる。
村の子供達は畑の泥に平気で彼女を突き落とすし、他の子達と悪さをすれば大人はミルランスの頭に平気でゲンコツを落とした。
帝都にいたら、ミルランスが何をしようと誰も何も言わない。
それに下民(げみん)庶民の仕事だと掃除も洗濯も料理も教わりはしなかったろう。
料理を作って食べられたものじゃない物体が出来た時、一口で笑顔になる料理が出来た時……それらの自分の手で何かを生み出すのはミルランスにとって楽しい事だった。
特に、彼女がやった事で誰かが笑顔になるのは最高。
「お姉様はそういう子なの。分かった?」
「確かに……ミルランス様に帝都は苦しいかも知れませんが、ですがあの子は皇帝なのです」
ハルアーダは、人というものはその役割が大事だと思っている。
父には父の役割。母には母の役割。
料理人には料理人の、大工には大工の……そして皇帝には皇帝の役割。
人はその役割を演じて生きていかなくてはいけない。
ハルアーダはそう思うのだ。
「だからさ、もう良いじゃん。お姉様の事は」
「しかし天下には――」
「だからさ! 居るじゃん。お姉様が居なくても『皇帝の予備』は」
皇帝の予備。
それにハルアーダは口をつぐんでしまう。
「お姉様はここに置いていけば良いんだよ。そんな時の予備が私でしょ?」
ハルアーダはティタラが自分の事を予備と言うのに深く悲しんだ。
ティタラはまだ十歳の女の子だ。
そんな子が自分の事を『予備』と言うのである。
なんと残酷な事であろうか。
あるいは、ミルランスのようにティタラも帝都の毒気に冒されてしまっていたのだ。
だけど、誰が予備じゃないと言える?
現に姉ミルランスの予備が妹ティタラなのだ。
ハルアーダがどう思おうとそれが事実。
皇帝の弟妹とはそういう存在なのである。
「本人がどう思おうと役割が大事なんでしょ」
ハルアーダが言ったことをティタラも繰り返すので、ハルアーダは反論出来なかった。
「だから良いじゃん。お姉様が居なかったら予備の私が本物になるんだからさ」
ティタラは拗ねた様子でそのように言うのだ。
その時、ハルアーダはティタラの立場を察した。
彼女はいつだってミルランスの影である。
ティタラはミルランスより賢い子であったが、天才という訳ではなく、自分を見て欲しいから沢山勉強したのだ。
だが、彼女の父からは妹という理由だけで愛されず、城の誰もがミルランスばかりを皇帝として褒め讃えた。
もちろん無視されていた訳では無いが、所詮はミルランスの妹として、皇帝に何かあった時の予備という扱いでしかない。
もしかしたら、ティタラをこうしてしまったのはハルアーダのせいもあるかも知れない。
個を抑えて皇帝の役割に従事させようとするハルアーダの、その影響は少なからずあるのだ。
だが、ハルアーダは十歳の子が自分の事を物のように認識している事が悲しかった。
そして、それゆえにこの娘は姉に劣等感を抱いているのだとも分かったのだ。
「ティタラ様……」
「なに?」
だけど、ハルアーダにはこのティタラにかける気の利いた言葉が思い付かない。
もしもラドウィンならニコリと笑って慰めの言葉をかけるのだろう。
だがハルアーダには何もかける言葉が思いつかなかったのだ。
「何があろうとティタラ様を守ります」
「ありがと」
ティタラは笑った。
本当は、役割なんて関係無い、ティタラはティタラだ。予備じゃないと言って欲しかったのかも知れない。
だけどハルアーダには無理なのだ。
ハルアーダにはそのような言葉をかける事は出来なかった。
彼は皇帝騎士だから、皇帝なんて辞めてしまえなんて言えなかったのである。
だってそうじゃないか! 誰も彼もが権利を主張して戦乱となっている。これを止められるのは皇帝しか居ないじゃないか! なのに一人のワガママで皇帝が居なくなったらそれこそこの国は終わりなのだ!
こんな時、自分の役割なんて関係無いと自由に生きられるラドウィンが羨ましかった。
ハルアーダは、こんな年端のいかぬ少女に大任を押し付けてばかりの自分が苦しくて苦しくて――
ただティタラを抱き締めると「何があってもお守り致します! 何があっても……!」と言う事しか出来なかった。
「ハルアーダ。痛いよ」
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