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3章・和風戦雲編
70話、どこまでも続く青い空
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アキームが皇帝に名乗り出たのは軽い気持ちではなかった。
この戦いを通じて誰かが人々を導かねば争いが終わらないのだと思ったのである。
そのために、皇帝の血を引く正統な人間が必要だった。
幸いアキームを見ればどうだろう。
父ラドウィンから続けて皇族の血を引いている。
母ミルランスは先代皇帝だ。
名も実も両親から受け継いだアキームはこれ以上の適任が居ないほど皇帝の資格を持っていた。
また、武でもって国を治めるのが皇帝であるからして、ハルアーダの直弟子にあり、カセイ王ザルバールを討った武功はまさに非の打ち所がないのだ。
息子が皇帝となることをラドウィンとミルランスは良い顔をしなかった。
だが、アキームが真面目に考えて、そして導き出した結論だから尊重することにしたのである。
だから、アキームは皇帝となった。
宴の場で、ラドウィンの血筋と、そして母の名ミルランスを明かし、ティタラは彼へと皇帝の座を禅譲したのである。
この声明は直ちにアーランドラ帝国を駆けた。
すると、各勢力がたちまちアキームの元へと服従の使者を送ったのである。
かつて、ミルランスとティタラという姉妹を中心に始まった権力争いは、二人の皇帝としての資格がないことを理由に取り返しのつかない事態となった。
だが、皇帝の血を継いだアキームが現れて人々の戦いは終わる。
終わりなき戦いと思われた混沌に疲れた体を、彼へ預けたくなったのだ。
もちろん、資格だけでアキームを皇帝と認めはしない勢力もいたが、アキームの周りにモンタアナのカルチュアとキルム、元皇帝騎士にして東方の雄ハルアーダや伝統ある名家ハントといった面々が重鎮として従っていたために、その武力を前にしては従わざる得なかったのである。
そうして五年後……。
帝都は五年でかつての栄華を取り戻した。
瓦礫を撤去し、ヒビだらけの家々は全て修繕され、人々は上出来の衣服を着て酒を飲み交わす。
吟遊詩人が五年前の大乱を歌にし、アキームがザルバールを討ちティタラを助け出す武勇を褒め讃えた。
太陽が沈み、月が輝いて、再び太陽が顔を上げても喧騒は終わらない。
そんな喧騒が聞こえてくる城の渡り廊下をティタラが歩いていた。
手には幾つもの手紙が握られている。
封蝋が貴族家の家紋を示していた。
ティタラは皇帝の位を禅譲したが、代わりに関王という位についている。
これは皇帝としての業務に不慣れなアキームのため、その職務の多くを補佐する立場の新たな役職であった。
そんな彼女も三十手前。
良い相手を見つけようと見合いをしている。
彼女の手にあるのはそんな手紙であった。
だが、貴族の男というものは媚びへつらってばかりで気に食わない。
良い相手が居ないなら、一生独り身でも良いかもしれないとすら思っていた。
そんなティタラが向かったのは皇帝の執務室だ。
午前中は結婚の手紙をやり取りするのに使い、仕事へ出てくるのは大抵午後からだった。
扉を開けると、大量の書類に囲まれたアキームがいる。
もう二度と文字なんて見たくないし書きたくないと普段からボヤくほど、アキームは書類に毎日追われていた。
この書類は十年以上に及ぶ戦乱のツケだ。
各地の領主同士が戦乱の時に受けたり与えた損害に対する制裁や補填、領主達の間の取り成しをする。
跋扈する盗賊の報告。
戦火で酷く損傷した町を建て直すための支援金を要請するものもある。
そういった書類にアキームはおわれていた。
そんな彼はティタラを見ると救世主が現れた顔をする。
例えるなら、吟遊詩人の歌で英雄が登場した時の子供のような顔だ。
ティタラは書類整理の達人で、書類という山を掘削する名人だった。
「なんでいつも午後に来るのさ?」、アキームは書類相手に悪戦苦闘しながら聞く。
「別に良いでしょ。ほら、口調」
ティタラはアキームがフランクな言葉遣いをすると、皇帝らしい口調へ正した。
「とにかく、余は急いでこの仕事を終わらせたい」
アキームがため息混じりに言葉を堅苦しく正す。
このような言葉遣いは全く好みではなかった。
「今日は随分と急いでいるのね」
ティタラがアキームの執務机から書類の束を幾らか抱える。
「あら?」、ティタラはその束の下に書きかけの手紙を見つけた。
宛先はラドウィンとミルランスだ。
二人はアンターヤへと帰った。
モンタアナではなくアンターヤに帰ったのは、アキームの故郷だからだ。
アキームがいつでも帰って来れる場所としてアンターヤに住むことにしたのである。
だが、時々モンタアナへと旅行することもあった。
二人ともモンタアナへ向かう道中で、世話になったハントやダルバ達に顔を見せているらしい。
帝都にもやって来て、アキームの治世ぶりを覗いていた。
迂闊な政治はできないなぁとアキームはプレッシャーに感じもしていたが、自分を気にかけてくれる両親の幸せを願っていたのである。
だから、定期的に手紙を出していた。
もちろん、皇帝の名は出さない。
手紙には偽名を用いて、郵便屋も貴族御用達の者ではなく、一般的な冒険同職会(ギルド)に属する郵便屋を利用してラドウィン達が皇帝の両親だという事は気付かれないようにしていた。
元気にやっているよ。とか、お父さんとお母さんの近況はどう? といった平凡な内容のものだ。
その手紙に、ティタラの結婚活動が上手くいっていないことが書いてあったから、「ちょっと、こんなことをお姉様に教えないでよ」とティタラは怒るのだった。
だが、ティタラは筆不精なのでアキームが手紙にしたためないと彼女の近況をミルランスが知ることができないのであった。
だからティタラは文句を口にするもののまんざらでも無いのだ。
ティタラもさっさと書類を終わらせて、ラドウィンとミルランスへの手紙を書かせようと思った。
ティタラが書類の手伝いをするとみるみる机の紙の束が消えていく。
夕方になる前には全部の書類が終わりそうだった。
どうせ明日になれば、また書類の山が送られるだろう。
それでも今夜だけはゆっくり過ごせると思えばアキームは嬉しかった。
そんな時、執務室の扉がノックされる。
「陛下。カルチュアです」
カルチュアはアキームの下に仕える重要な臣下の一人となっていた。
古今の礼式に通じ、格式高い家柄の彼女は諸侯との交流を得意とし、皇帝アキームとの重要な橋渡し役である。
もっとも、彼女はお喋りやお茶会やパーティーなんかが大好きなので仕事とすら思っていない様子だった。
そんなカルチュアが扉を叩く時は重要な来客である。
「どうぞ」と彼女を招く。
部屋へ入ってきた彼女は、普段と違って真剣な面持ちだ。
お喋りでよく笑う彼女が真面目なので、きっと何か良くない事に違いないとアキームは思った。
そんなアキームへカルチュアが告げたのは、カセイ国からの使者が来たというものである。
カセイ国はザルバールの死後再び各勢力が分裂して、ゼードル地方全域に小国が乱立していた。
その中でもカセイ国と名乗る国は幾つかあったが、いずれもアキームの再建したアーランドラ帝国に太刀打ちできる戦力はないのだ。
だから、カセイ国が従属したい申し出る使者か何かかとアキームは思いながら玉座の間へ向かった。
玉座の後ろにある扉から入り、そのまま玉座へと座る。
玉座の隣には軍師としてキルムが立っていた。
カルチュアもキルムも、サスパランドとモンタアナ地方をカルチュアの兄デーノへ明け渡したのである。
夫婦揃ってよくアキームを助けてくれていた。
そんなキルムが「予想以上に深刻な事態でございます」とアキームへ伝える。
うむ。と頷いたアキームは天井へ目線を向けた。
天井の闇に紛れて黒装束の人々が数名、構えている。
カーンの率いていた傭兵団一族。
カーンはあの戦いでテュヌーンと相打ちとなった。
幸い、息はあったが、高所からの落下で両脚は折れ、息も絶え絶えであったのだ。
カーンは懸命な治療を受けたが容態は快復せず、一族の元へと送られると一ヶ月後に死んだ。
その後は新頭領の方針で傭兵団はアキームに仕えていた。
彼らがいれば、変な気を起こす奴がいても問題ない。
アキームは安心して眼下で膝をつく男を見た。
身なりを整えた男だ。
「面を上げよ」
アキームに促されて顔を上げる。
その男の顔は随分と焦燥しているように見えた。
いつも自信に溢れるカセイ人(ひと)らしくない。
アキームがなんの用件か訊ねると、男は口を開いた。
ゼードル地方にオルブテナ王国が侵攻してきた。と。
オルブテナ王国とはアーランドラ帝国の西に位置する国だ。
帝国を名乗るアーランドラほど広い国土を持たぬが、ゼードル地方の人々のように気性が荒く、攻撃的だ。
西方人の特徴であった。
そしてゼードル地方の国々はオルブテナ王国の侵攻に対して一枚岩ではなかった。
かつてのようにカセイ国を作ろうと誰かが提案しても、「弱虫め。カセイ人の名を捨てよ」となじられる。
「我が国は援軍などいらぬ」と武勇自慢の国はとうにオルブテナ王国に責め滅ぼされた。
なのに、「オルブテナ王国が攻めてきたということは他のゼードル地方の領土を獲るチャンスではないか」などと馬鹿なことを考える勢力までいたのである。
こういった事態を重く見たゼードル地方の一部の諸侯が服従を約束に保護を求めてきたのだ。
アキームはキルムをチラリと見た。
するとキルムが「オルブテナを退けた後、再び裏切るかと」と提言する。
アキームは少し目を閉じ、思案した。
再び目を開けると、使者は不安そうな目でアキームを見ている。
アキームは静かに笑った。
「カセイ国とは不倶戴天の敵と思っていたが、頼られては仕方あるまい。いつまでも戦いの恨み言を口にはできまいて」
そう言ってアキームは立ち上がると、「アーランドラ帝国、臣たるカセイ国の声に答えて兵を出そうぞ」と声を大きく言ったのである。
その言葉に使者はたちまち顔をほころばせ、「ありがたき幸せ!」と深く感謝したのだった。
それから三日後、アーランドラ帝国各地から軍勢が集まる。
十から成る連隊の皇帝軍。
さらに各地からつどう諸侯軍が八を越え、まだ集まってくる。
この巨大に膨れた軍勢の総指揮者アキーム。
現地指揮は大将軍ハルアーダ。
アキームがバルコニーに立ち、帝都の広場に集まる軍勢を紹介している。
軍勢と言っても、その軍の大将とその大将が見繕った精鋭五十人程度のものだ。
他の兵士は帝都の外で野営している。
ハルアーダはアキームの隣に立って軍勢を見下ろしていた。
ハルアーダは結局、ミルランスにもティタラにも、自分が実の父だと打ち明けなかった。
なんと弱い男だろうと思う。
こうして全軍の実執権を手にする資格などあるものか……と思っていた。
そんなハルアーダは一目見ようと集まる衆人観衆の中に、見知った顔を見つけた。
その顔はラドウィンだ。
まさかと思ったが、息子の姿を一目見ようと帝都へ足を運んだのかもしれない。
ラドウィンを見つけたハルアーダはいても立っても居られず、バルコニーから城へと入った。
アキームが驚いて、「どうしたんだ!」と聞く声がしたが、「出陣の日までには必ず戻ります!」と答えた。
そうして、ハルアーダは階段を駆け下りて城を飛び出したが、人の壁にラドウィンを見つけられぬ。
それでもハルアーダはラドウィンを探した。
ハルアーダはラドウィンを探したが、決してうろうろとしなかった。
まるでラドウィンの居場所が分かるような気がしたのだ。
その場所は、城の秘密の脱出路を抜けた先の森であった。
かつて、エルグスティアと共にミルランスとティタラを救い出した森だ。
「物心がついた頃、ここで遊んだ記憶だけが残っている」
木々の葉から射し込む太陽がキラキラと輝く場所、ラドウィンが苔むした大木を撫でている。
「僕にとっては、帝都での唯一の思い出かもしれない」
愛おしそうに言うラドウィンへハルアーダが「なぜ、俺はここに来た?」と意味のわからないことを訊ねた。
だが二人にとっては意味の分からないことではない。
ラドウィンはその問いの答えを知っていたからだ。
「昨夜、また君の母君に見まえてね。『ハルアーダがまだ落ち込んだまま』って」
それでハルアーダがラドウィンの元へと来たのは、彼の母の手引きがあったのか。
なんにせよ、ラドウィンはハルアーダを慰めに来たのか。
「俺が何歳だと思っているのだ。もう母が恋しい年齢でも無いというのに」
ハルアーダはラドウィンよりも十歳以上歳上だ。
すでに四十幾らの年齢。
「子が幾つであっても、親は子が心配なのさ」
ラドウィンがアキームのことを思い出すように言った。
子が幾つであっても、親は子が心配……。その言葉にハルアーダは小さく笑う。
「ラドウィン。今だから打ち明けるが、ミルランスは俺の娘だ」
長い間隠し続けた話を事も無げにラドウィンへと話した。
彼になら話しても良いという奇妙な信頼があったのだ。
一方ラドウィンは驚くでも、茶化すでもなく、「そんな気はしていたよ」と静かに返した。
互いに顔を見合わせる。
何故か二人とも微笑んでいた。
何故かは分からない。楽しいわけで無いし、嬉しい訳でもない。
ただ自然と笑みがこぼれ、同時に、腰に提げられた剣の柄へと手が伸びた。
「ラドウィン。良く考えれば、俺はまだ娘をお前にやると決めてはいない」
「じゃあ今お願いしましょうか、『お義父さん』」
ラドウィンが意地悪そうに笑った。
「お前にミルランスの親と名乗る資格があるのか?」と言いたげなように思える。
あるいはハルアーダの被害妄想だったかも知れなかったが、どうでもいい話だ。
ハルアーダはとにかくスッキリしたかった。
この胸の内を吐露し、我が身の弱さをさらけ出したかった。
その点、このラドウィンという相手ほど適任はいないように思える。
長きに渡る間、ラドウィンはハルアーダのライバルだった。
性格も、剣の腕も、生き様も、そして二人が歩いてきた人生でさえも、対立して並走し合うライバルだったのだ。
そんな二人の人生がミルランスとアキームを通して交差したのは不可思議な運命である。
そんな相手だからこそ、ハルアーダは戦わねばならなかった。
そしてまた、ラドウィンもハルアーダと剣を合わせることを躊躇しなかった。
「一度くらい父親面させてもらうぞ。ラドウィン!」
「ミルランスは僕が幸せにするよ! ハルアーダ!」
二人の剣閃が交差したのはアキームが帝都を出陣する前日の事だった。
相変わらず、この二人の戦いの決着はどちらが勝ったのかは分からない。
だが、ハルアーダの中で一つの憑き物が落ちたのだろう。
出陣の際に晴れやかな顔を見せるハルアーダの姿があった。
そして、出陣を見送る観衆の中にいるラドウィンはアキームと馬を並べるハルアーダを見て、我が子の安泰を感じた。
——それから三年後、オルブテナ王国を三年かけて撃退したアキームはゼードル地方の諸国を完全に併呑。
アーランドラ帝国の領土を完全に元の状態へと取り戻した。
しかし、平和はまだ終わらない。
二年後にはアーランドラ帝国北方の森から大量の蛮族が現れてモンタアナ地方を攻撃したし、南に広がる海の彼方から奇妙な海賊達もやって来た。
それに、オルブテナ王国もまた虎視眈々とアーランドラ帝国を狙っている。
それでもアキームは平和を願って戦い続けた。
彼は戦い続け、アーランドラ帝国の長き平和の土台を築く事になるのは、また少しあとの話だ。
——
「頑張れよ。アキーム」
ラドウィンとミルランスは帝国内を旅した。
どこも豊かで、子供は元気に駆け回っている。
ラドウィンとミルランスは、我が子の作った平和を満喫した。
空はどこまでも青く澄み、大地はどこまでも緑に広がる。
小麦は黄金。陽光は暖かい。
いつか二人が死ぬ時が来ても、二人がどうなって、どこでいつ死んだのかは分からないだろう。
アキームが静かに二人を葬り、歴史に記されることがないからだ。
ただ分かることもある。
二人は死ぬ時までずっと穏やかで、幸せだということだけだ。
この青く澄んだ空と、どこまでも広がる大地で。
この戦いを通じて誰かが人々を導かねば争いが終わらないのだと思ったのである。
そのために、皇帝の血を引く正統な人間が必要だった。
幸いアキームを見ればどうだろう。
父ラドウィンから続けて皇族の血を引いている。
母ミルランスは先代皇帝だ。
名も実も両親から受け継いだアキームはこれ以上の適任が居ないほど皇帝の資格を持っていた。
また、武でもって国を治めるのが皇帝であるからして、ハルアーダの直弟子にあり、カセイ王ザルバールを討った武功はまさに非の打ち所がないのだ。
息子が皇帝となることをラドウィンとミルランスは良い顔をしなかった。
だが、アキームが真面目に考えて、そして導き出した結論だから尊重することにしたのである。
だから、アキームは皇帝となった。
宴の場で、ラドウィンの血筋と、そして母の名ミルランスを明かし、ティタラは彼へと皇帝の座を禅譲したのである。
この声明は直ちにアーランドラ帝国を駆けた。
すると、各勢力がたちまちアキームの元へと服従の使者を送ったのである。
かつて、ミルランスとティタラという姉妹を中心に始まった権力争いは、二人の皇帝としての資格がないことを理由に取り返しのつかない事態となった。
だが、皇帝の血を継いだアキームが現れて人々の戦いは終わる。
終わりなき戦いと思われた混沌に疲れた体を、彼へ預けたくなったのだ。
もちろん、資格だけでアキームを皇帝と認めはしない勢力もいたが、アキームの周りにモンタアナのカルチュアとキルム、元皇帝騎士にして東方の雄ハルアーダや伝統ある名家ハントといった面々が重鎮として従っていたために、その武力を前にしては従わざる得なかったのである。
そうして五年後……。
帝都は五年でかつての栄華を取り戻した。
瓦礫を撤去し、ヒビだらけの家々は全て修繕され、人々は上出来の衣服を着て酒を飲み交わす。
吟遊詩人が五年前の大乱を歌にし、アキームがザルバールを討ちティタラを助け出す武勇を褒め讃えた。
太陽が沈み、月が輝いて、再び太陽が顔を上げても喧騒は終わらない。
そんな喧騒が聞こえてくる城の渡り廊下をティタラが歩いていた。
手には幾つもの手紙が握られている。
封蝋が貴族家の家紋を示していた。
ティタラは皇帝の位を禅譲したが、代わりに関王という位についている。
これは皇帝としての業務に不慣れなアキームのため、その職務の多くを補佐する立場の新たな役職であった。
そんな彼女も三十手前。
良い相手を見つけようと見合いをしている。
彼女の手にあるのはそんな手紙であった。
だが、貴族の男というものは媚びへつらってばかりで気に食わない。
良い相手が居ないなら、一生独り身でも良いかもしれないとすら思っていた。
そんなティタラが向かったのは皇帝の執務室だ。
午前中は結婚の手紙をやり取りするのに使い、仕事へ出てくるのは大抵午後からだった。
扉を開けると、大量の書類に囲まれたアキームがいる。
もう二度と文字なんて見たくないし書きたくないと普段からボヤくほど、アキームは書類に毎日追われていた。
この書類は十年以上に及ぶ戦乱のツケだ。
各地の領主同士が戦乱の時に受けたり与えた損害に対する制裁や補填、領主達の間の取り成しをする。
跋扈する盗賊の報告。
戦火で酷く損傷した町を建て直すための支援金を要請するものもある。
そういった書類にアキームはおわれていた。
そんな彼はティタラを見ると救世主が現れた顔をする。
例えるなら、吟遊詩人の歌で英雄が登場した時の子供のような顔だ。
ティタラは書類整理の達人で、書類という山を掘削する名人だった。
「なんでいつも午後に来るのさ?」、アキームは書類相手に悪戦苦闘しながら聞く。
「別に良いでしょ。ほら、口調」
ティタラはアキームがフランクな言葉遣いをすると、皇帝らしい口調へ正した。
「とにかく、余は急いでこの仕事を終わらせたい」
アキームがため息混じりに言葉を堅苦しく正す。
このような言葉遣いは全く好みではなかった。
「今日は随分と急いでいるのね」
ティタラがアキームの執務机から書類の束を幾らか抱える。
「あら?」、ティタラはその束の下に書きかけの手紙を見つけた。
宛先はラドウィンとミルランスだ。
二人はアンターヤへと帰った。
モンタアナではなくアンターヤに帰ったのは、アキームの故郷だからだ。
アキームがいつでも帰って来れる場所としてアンターヤに住むことにしたのである。
だが、時々モンタアナへと旅行することもあった。
二人ともモンタアナへ向かう道中で、世話になったハントやダルバ達に顔を見せているらしい。
帝都にもやって来て、アキームの治世ぶりを覗いていた。
迂闊な政治はできないなぁとアキームはプレッシャーに感じもしていたが、自分を気にかけてくれる両親の幸せを願っていたのである。
だから、定期的に手紙を出していた。
もちろん、皇帝の名は出さない。
手紙には偽名を用いて、郵便屋も貴族御用達の者ではなく、一般的な冒険同職会(ギルド)に属する郵便屋を利用してラドウィン達が皇帝の両親だという事は気付かれないようにしていた。
元気にやっているよ。とか、お父さんとお母さんの近況はどう? といった平凡な内容のものだ。
その手紙に、ティタラの結婚活動が上手くいっていないことが書いてあったから、「ちょっと、こんなことをお姉様に教えないでよ」とティタラは怒るのだった。
だが、ティタラは筆不精なのでアキームが手紙にしたためないと彼女の近況をミルランスが知ることができないのであった。
だからティタラは文句を口にするもののまんざらでも無いのだ。
ティタラもさっさと書類を終わらせて、ラドウィンとミルランスへの手紙を書かせようと思った。
ティタラが書類の手伝いをするとみるみる机の紙の束が消えていく。
夕方になる前には全部の書類が終わりそうだった。
どうせ明日になれば、また書類の山が送られるだろう。
それでも今夜だけはゆっくり過ごせると思えばアキームは嬉しかった。
そんな時、執務室の扉がノックされる。
「陛下。カルチュアです」
カルチュアはアキームの下に仕える重要な臣下の一人となっていた。
古今の礼式に通じ、格式高い家柄の彼女は諸侯との交流を得意とし、皇帝アキームとの重要な橋渡し役である。
もっとも、彼女はお喋りやお茶会やパーティーなんかが大好きなので仕事とすら思っていない様子だった。
そんなカルチュアが扉を叩く時は重要な来客である。
「どうぞ」と彼女を招く。
部屋へ入ってきた彼女は、普段と違って真剣な面持ちだ。
お喋りでよく笑う彼女が真面目なので、きっと何か良くない事に違いないとアキームは思った。
そんなアキームへカルチュアが告げたのは、カセイ国からの使者が来たというものである。
カセイ国はザルバールの死後再び各勢力が分裂して、ゼードル地方全域に小国が乱立していた。
その中でもカセイ国と名乗る国は幾つかあったが、いずれもアキームの再建したアーランドラ帝国に太刀打ちできる戦力はないのだ。
だから、カセイ国が従属したい申し出る使者か何かかとアキームは思いながら玉座の間へ向かった。
玉座の後ろにある扉から入り、そのまま玉座へと座る。
玉座の隣には軍師としてキルムが立っていた。
カルチュアもキルムも、サスパランドとモンタアナ地方をカルチュアの兄デーノへ明け渡したのである。
夫婦揃ってよくアキームを助けてくれていた。
そんなキルムが「予想以上に深刻な事態でございます」とアキームへ伝える。
うむ。と頷いたアキームは天井へ目線を向けた。
天井の闇に紛れて黒装束の人々が数名、構えている。
カーンの率いていた傭兵団一族。
カーンはあの戦いでテュヌーンと相打ちとなった。
幸い、息はあったが、高所からの落下で両脚は折れ、息も絶え絶えであったのだ。
カーンは懸命な治療を受けたが容態は快復せず、一族の元へと送られると一ヶ月後に死んだ。
その後は新頭領の方針で傭兵団はアキームに仕えていた。
彼らがいれば、変な気を起こす奴がいても問題ない。
アキームは安心して眼下で膝をつく男を見た。
身なりを整えた男だ。
「面を上げよ」
アキームに促されて顔を上げる。
その男の顔は随分と焦燥しているように見えた。
いつも自信に溢れるカセイ人(ひと)らしくない。
アキームがなんの用件か訊ねると、男は口を開いた。
ゼードル地方にオルブテナ王国が侵攻してきた。と。
オルブテナ王国とはアーランドラ帝国の西に位置する国だ。
帝国を名乗るアーランドラほど広い国土を持たぬが、ゼードル地方の人々のように気性が荒く、攻撃的だ。
西方人の特徴であった。
そしてゼードル地方の国々はオルブテナ王国の侵攻に対して一枚岩ではなかった。
かつてのようにカセイ国を作ろうと誰かが提案しても、「弱虫め。カセイ人の名を捨てよ」となじられる。
「我が国は援軍などいらぬ」と武勇自慢の国はとうにオルブテナ王国に責め滅ぼされた。
なのに、「オルブテナ王国が攻めてきたということは他のゼードル地方の領土を獲るチャンスではないか」などと馬鹿なことを考える勢力までいたのである。
こういった事態を重く見たゼードル地方の一部の諸侯が服従を約束に保護を求めてきたのだ。
アキームはキルムをチラリと見た。
するとキルムが「オルブテナを退けた後、再び裏切るかと」と提言する。
アキームは少し目を閉じ、思案した。
再び目を開けると、使者は不安そうな目でアキームを見ている。
アキームは静かに笑った。
「カセイ国とは不倶戴天の敵と思っていたが、頼られては仕方あるまい。いつまでも戦いの恨み言を口にはできまいて」
そう言ってアキームは立ち上がると、「アーランドラ帝国、臣たるカセイ国の声に答えて兵を出そうぞ」と声を大きく言ったのである。
その言葉に使者はたちまち顔をほころばせ、「ありがたき幸せ!」と深く感謝したのだった。
それから三日後、アーランドラ帝国各地から軍勢が集まる。
十から成る連隊の皇帝軍。
さらに各地からつどう諸侯軍が八を越え、まだ集まってくる。
この巨大に膨れた軍勢の総指揮者アキーム。
現地指揮は大将軍ハルアーダ。
アキームがバルコニーに立ち、帝都の広場に集まる軍勢を紹介している。
軍勢と言っても、その軍の大将とその大将が見繕った精鋭五十人程度のものだ。
他の兵士は帝都の外で野営している。
ハルアーダはアキームの隣に立って軍勢を見下ろしていた。
ハルアーダは結局、ミルランスにもティタラにも、自分が実の父だと打ち明けなかった。
なんと弱い男だろうと思う。
こうして全軍の実執権を手にする資格などあるものか……と思っていた。
そんなハルアーダは一目見ようと集まる衆人観衆の中に、見知った顔を見つけた。
その顔はラドウィンだ。
まさかと思ったが、息子の姿を一目見ようと帝都へ足を運んだのかもしれない。
ラドウィンを見つけたハルアーダはいても立っても居られず、バルコニーから城へと入った。
アキームが驚いて、「どうしたんだ!」と聞く声がしたが、「出陣の日までには必ず戻ります!」と答えた。
そうして、ハルアーダは階段を駆け下りて城を飛び出したが、人の壁にラドウィンを見つけられぬ。
それでもハルアーダはラドウィンを探した。
ハルアーダはラドウィンを探したが、決してうろうろとしなかった。
まるでラドウィンの居場所が分かるような気がしたのだ。
その場所は、城の秘密の脱出路を抜けた先の森であった。
かつて、エルグスティアと共にミルランスとティタラを救い出した森だ。
「物心がついた頃、ここで遊んだ記憶だけが残っている」
木々の葉から射し込む太陽がキラキラと輝く場所、ラドウィンが苔むした大木を撫でている。
「僕にとっては、帝都での唯一の思い出かもしれない」
愛おしそうに言うラドウィンへハルアーダが「なぜ、俺はここに来た?」と意味のわからないことを訊ねた。
だが二人にとっては意味の分からないことではない。
ラドウィンはその問いの答えを知っていたからだ。
「昨夜、また君の母君に見まえてね。『ハルアーダがまだ落ち込んだまま』って」
それでハルアーダがラドウィンの元へと来たのは、彼の母の手引きがあったのか。
なんにせよ、ラドウィンはハルアーダを慰めに来たのか。
「俺が何歳だと思っているのだ。もう母が恋しい年齢でも無いというのに」
ハルアーダはラドウィンよりも十歳以上歳上だ。
すでに四十幾らの年齢。
「子が幾つであっても、親は子が心配なのさ」
ラドウィンがアキームのことを思い出すように言った。
子が幾つであっても、親は子が心配……。その言葉にハルアーダは小さく笑う。
「ラドウィン。今だから打ち明けるが、ミルランスは俺の娘だ」
長い間隠し続けた話を事も無げにラドウィンへと話した。
彼になら話しても良いという奇妙な信頼があったのだ。
一方ラドウィンは驚くでも、茶化すでもなく、「そんな気はしていたよ」と静かに返した。
互いに顔を見合わせる。
何故か二人とも微笑んでいた。
何故かは分からない。楽しいわけで無いし、嬉しい訳でもない。
ただ自然と笑みがこぼれ、同時に、腰に提げられた剣の柄へと手が伸びた。
「ラドウィン。良く考えれば、俺はまだ娘をお前にやると決めてはいない」
「じゃあ今お願いしましょうか、『お義父さん』」
ラドウィンが意地悪そうに笑った。
「お前にミルランスの親と名乗る資格があるのか?」と言いたげなように思える。
あるいはハルアーダの被害妄想だったかも知れなかったが、どうでもいい話だ。
ハルアーダはとにかくスッキリしたかった。
この胸の内を吐露し、我が身の弱さをさらけ出したかった。
その点、このラドウィンという相手ほど適任はいないように思える。
長きに渡る間、ラドウィンはハルアーダのライバルだった。
性格も、剣の腕も、生き様も、そして二人が歩いてきた人生でさえも、対立して並走し合うライバルだったのだ。
そんな二人の人生がミルランスとアキームを通して交差したのは不可思議な運命である。
そんな相手だからこそ、ハルアーダは戦わねばならなかった。
そしてまた、ラドウィンもハルアーダと剣を合わせることを躊躇しなかった。
「一度くらい父親面させてもらうぞ。ラドウィン!」
「ミルランスは僕が幸せにするよ! ハルアーダ!」
二人の剣閃が交差したのはアキームが帝都を出陣する前日の事だった。
相変わらず、この二人の戦いの決着はどちらが勝ったのかは分からない。
だが、ハルアーダの中で一つの憑き物が落ちたのだろう。
出陣の際に晴れやかな顔を見せるハルアーダの姿があった。
そして、出陣を見送る観衆の中にいるラドウィンはアキームと馬を並べるハルアーダを見て、我が子の安泰を感じた。
——それから三年後、オルブテナ王国を三年かけて撃退したアキームはゼードル地方の諸国を完全に併呑。
アーランドラ帝国の領土を完全に元の状態へと取り戻した。
しかし、平和はまだ終わらない。
二年後にはアーランドラ帝国北方の森から大量の蛮族が現れてモンタアナ地方を攻撃したし、南に広がる海の彼方から奇妙な海賊達もやって来た。
それに、オルブテナ王国もまた虎視眈々とアーランドラ帝国を狙っている。
それでもアキームは平和を願って戦い続けた。
彼は戦い続け、アーランドラ帝国の長き平和の土台を築く事になるのは、また少しあとの話だ。
——
「頑張れよ。アキーム」
ラドウィンとミルランスは帝国内を旅した。
どこも豊かで、子供は元気に駆け回っている。
ラドウィンとミルランスは、我が子の作った平和を満喫した。
空はどこまでも青く澄み、大地はどこまでも緑に広がる。
小麦は黄金。陽光は暖かい。
いつか二人が死ぬ時が来ても、二人がどうなって、どこでいつ死んだのかは分からないだろう。
アキームが静かに二人を葬り、歴史に記されることがないからだ。
ただ分かることもある。
二人は死ぬ時までずっと穏やかで、幸せだということだけだ。
この青く澄んだ空と、どこまでも広がる大地で。
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