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12、エイデン
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博士は私の話を聞き、時に膨大な量のデータファイルと比較しました。
博士はこと細かく私の話を聞き、そしてことある事に「それで、君はどう思った?」と聞きます。
「何も思いません。私は人間を守るようプログラムされていますが、アンドロイドを守るようにプログラムはされていません」
「そうか」
博士はひたすらキーボードを打ちました。
時に部屋の壁一面を改修した本棚から紙の資料を引っ張って来るために立ち上がります。
あるいは他のアンドロイドの持ってきた料理を軽く食べるだけでした。
トイレは部屋の備え付けですから、トーマス博士は本当に部屋から出ません。
「見ろ。料理がだんだんと少なくなって来たぞ」
トーマス博士は眉にシワを寄せて私に見せました。
料理の量が目に見えて少なくなる。それは死へのカウントダウンでした。
トーマス博士はそれでもずっとキーボードを打ち続けます。
そうして人類滅亡の日から半年後、ステーションのスピーカーから「これより我々は地球に向けて出発する。脱出したいものはシャトルへ来るように」という声が聞こえました。
トーマス博士はその声を無視します。
「行かなくて良いのですか?」
私の問い掛けに「今さら地球に行っても死ぬだけだ」と彼は答えます。
「それより時間が惜しい。無駄口はやめてくれ」
「ご命令とあらば」
私はトーマス博士の前にずっと座り続けました。
運ばれる料理はほとんど少なくなります。
「とうとうトイレが流れなくなったぞ」
トーマス博士は言いました。
やがて料理は運ばれなくなります。
私が思うに、宇宙ステーションに生きている人間はもうトーマス博士しか居ないのだと思いました。
酸素も薄くなってきたようでトーマス博士は軽い酸欠の兆候を見せます。
トーマス博士は久しぶりに部屋から出ると、医療用の生命維持装置に潜り込みます。
それから腕に点滴をつけて、生命維持装置の酸素を頼りに生きながらえました。
生命維持装置はカプセル型で、博士は維持装置の中でパソコンのキーボードを打ち続けます。
私は生命維持装置の横で、時折、外から点滴のパックを交換しつつ、私の見てきたアンドロイドの話をしました。
時に同じ話を繰り返し、時に細かい部分の話を答え。
そうして、人類滅亡の日から一年が過ぎていました。
「終わったよ」
生命維持装置からトーマス博士の声が聞こえた時、私はスリープモードになっていました。
私も電気で動くため、燃料の少ないステーションの電力を少しでも残して置く必要があったからです。
博士の声に私は再起動し、生命維持装置の窓から博士の顔を見ました。
博士の顔から読み取れる健康状態は非常に悪いと分かります。
身動きがろくに取れないカプセルの中でろくに休まないで活動していれば健康が悪化することも仕方ありませんでした。
運動不足からくる血行の不良は明らかです。
私は医療用でも看護用でもありませんが、博士の健康状態を向上させるには運動が必要だと分かりました。
ですが、もう生命維持装置からトーマス博士を出すことは困難です。
なぜならステーション内の空気は既にほとんど無かったからです。
「カプセルの酸素ボンベはあとどれくらいある?」
「予備はあと二つしかありません」
トーマス博士は少し考えたあと、医務室の管理倉庫から睡眠薬を持ってくるよう命じました。
私が睡眠薬を持ってくると、博士は点滴の袋に詰めるよう命じます。
「できません。そんなことをしたら博士は死にます」
私はプログラムに則って博士の命令を拒否しました。
送気機のポンプがシューと空気を送り込む音が聞こえます。
「……君の名前はなんだったかな」
「私に名前はありません。強いて言えば自律機動人型多目的運用ロボットが私に与えられた名前です」
シュー……とポンプが動いています。
博士はしばらく考え込み、「ああ、そうだった。私がそう名付けたのだ」と言います。
トーマス博士はアンドロイド研究の第一人者にしてロボット工学の博士なのです。
私はトーマス博士によって制作されました。
「君を作った時は上手くやれると思ったんだがなぁ。それこそ二十年、三十年通用する多機能自律機能があると思ったんだ……」
「ご期待に添えず添えず申し訳ありません」
私の知能は人間の言葉に応対する言葉を告げます。
私のボディが後のシリーズに比較して丈夫なのは、トーマス博士が私を有用視していたからかもしれません。
そんな私の言葉に博士はニコリと笑いました。
「酸素ボンベはあとどれくらいだったかな」
「予備はあと二つです」
博士は「少し、お喋りをしても良いかい?」と聞きます。
「もちろん。断る理由はありません」
博士は私に話を始めます。
博士には家族がいないこと。
結婚はしておらず、子供はいなくて、両親はとうに死別したことを話しました。
「私を寂しい老人という者もいるがな、私には多くの子供がいるから寂しくないのだ」
「子供はいらっしゃらないはずでは?」
私が問うと博士はニコリも笑いました。
「君だよ。君たちアンドロイドだよ。私の子供はね」
私に眉はありませんが、トーマス博士の言葉には眉をしかめたいと思います。
なぜなら窓の外に見える黒い煙に包まれた地球を創ったのはアンドロイドだからです。
私は私のプログラムに従い、人間を守りたいと思います。
アンドロイドが存在することで人間の生存に問題が生じるなら、アンドロイドなどいない方が良いのです。
「アンドロイドを創った私にも責任があると思うかね?」
トーマス博士が言います。
私は答えられませんでした。
アンドロイドなどいない方がいいということは、アンドロイドを作ったトーマス博士にも責任があるということだからです。
私はトーマス博士にそう言うのはとてもはばかられました。
私が黙っていると「意地の悪い質問だった」とトーマス博士は何も言わなくなりました。
それから博士は黙ったままです。
私は酸素ボンベを二回、変えました。
「これが最後のボンベです」
私の言葉に博士は目を開けましたが、何も言いませんでした。
私は博士を何とか励ましたいと思います。
私と博士は短い付き合いでしたが、私は博士に個人的な(つまり、プログラムによらない)好意を抱いていました。
思えば、具体的に誰かから頼られ、共に仕事をしたのは私が製造されてから初めてのことなのです。
だからでしょうか。
私は博士に「良ければ私に名前を付けてくれませんか?」と聞きました。
きっとそう言えば彼は喜ぶだろうと思ったからです。
私の目論見は果たして当たりました。
博士は「驚いたな」と笑います。
「そうだな。エイデンというのはどうだ?」
「エイデンとは聖人の名前で『火』を意味する名前ですね」
「ああ。そうだ。君には人類を照らす暖かい火になって欲しいんだ。地球はきっと寒いだろうからね」
博士、地球はもう……と言いかけて私は黙りました。
「そうですね。私がきっと生き残った人々を助けます」
博士を励ますために私はそう言います。
実際、トーマス博士は嬉しそうに笑いました。
「それで、エイデン」
「なんでしょうか?」
「最後の頼みだが、睡眠薬を点滴に入れてくれ」
「致死量ですよ」
「分かっている。そして、君も分かるだろう? この一呼吸一呼吸が死に向かっているかと思うと怖いんだ」
確かに博士の声は僅かに震えていて、恐怖を感じているようでした。
死に近づくのは怖いでしょう。
ですが、私は人間に奉仕するアンドロイドです。
博士を殺すことなどなんでできるでしょうか?
「博士。私は人間に危害を加えられません」
空になった点滴を入れ替えながら私は博士に告げます。
「ご期待に添えず、申し訳ありません」
「いや、君は私の想定を上回る存在だよ」
私は点滴を投与するレバーに手をかけます。
「次の点滴を投与します。最後に言いたいことはありますか?」
「ああ。エイデン、最後に君と話せて良かった」
ニコリと笑う博士を見ながら私はレバーを開けました。
点滴の液体が生命維持装置に流れ込み、さらに博士の体内に投与されます。
博士の心拍が低下し、睡眠に近い状態となりました。
呼吸が浅くなり、やがて心肺の停止を報せる警告音が生命維持装置から流れます。
私は装置の警告音を停止し、「これで良かったのでしょうか?」と博士に聞きました。
博士は何も答えません。
永遠の眠りのベッドに彼は横たわりました。
私がそうしたのです。
睡眠薬を彼に注入したのです。
私はトーマス博士の体を生命維持装置から出すと、宇宙の闇に彼を葬ろうと歩きだしました。
宇宙ではそうするのが普通の葬儀なのです。
宇宙の真空は博士の体から急速に水分を奪うでしょう。
菌はおらず、分解はされず、博士の体は細胞が自然崩壊するまでゆっくりと朽ちていきます。
骨は四散し、永い永い時間の果てに塵となって消えていきます。
ただそれだけです。
葬儀は死体が菌の発生源にならないように、遺体を隔離、処理する合理的な儀式に過ぎません。
にも関わらず、私はトーマス博士の遺体を丁重に抱え、そして疫病に感染する者の居ない宇宙ステーションから広大な宇宙空間へと彼を葬ろうとしています。
不合理だと思います。
しかし私は博士の体をそうしてあげたくて仕方ないのです。
そして、もしも願わくば、廃棄される運命にあったアンドロイド達にも、業務的な別れではなく、もっと感傷的な別れをしてあげたかったと思うのです。
私の人工知能にもエラーが起こったのかもしれません。
ですが、今はもうどうでもいい事です。
博士の体を古風で伝統的な棺に納め、宇宙ステーションの港から彼を宇宙に放しました。
ゆっくりにも、思ったより早くにも感じられる速度で棺は彼方へと消えていきます。
その時、私は全ての役目を終えたと実感しました。
人間に仕えるために生み出され、プログラムされた私は、今、奉仕すべき人間を失ったのです。
私はやる事が無くなりました。
作業用のアンドロイド達はとうにスリープモードとなっています。
最後の人間がいなくなったステーションの電力を保存するために誰もが動くことを最低限に留めているのです。
私もスリープモードに入る必要があります。
人間が活動にカロリーを消費するように、我々アンドロイドも電力を消費します。
電力の消費を抑えるためにスリープモードになる必要がありました。
ですが、人間の居ない世界でスリープモードになる必要があるのでしょうか?
私はそう思いながら、医務室の椅子に腰掛けます。
存在意義のない私はあまりにも空虚な気持ちになります。
気持ち……という表現をアンドロイドがするにはあまりにも奇妙ですが、空虚な気持ちというしかありません。
ふと、博士の収められていた生命維持装置を見ると、彼のノートパソコンがありました。
熱心に彼が死の間際まで書き続けたものが何なのか私は気になりました。
もちろんこのような行為は私のプログラムに無いことです。
なぜ、パソコンを手に持ち、電源を入れたのでしょうか?
私にも分かりません。
ただ博士の残したものを見たいと思ったのです。
私はパソコンを立ち上げ、コードを差し込み、彼の残したテキストを読み込みました。
鋼の体に心は宿るのか? そうタイトル付けられたテキストデータです。
心と呼ぶものを動物の多くが会得したのは、思考や欲求、そして社交性の事です。
生存に必要な栄養を快楽として求め、怪我や病を苦痛として避けるようになったものが心でしかないのです。
――だとしたら、アンドロイドにも心が宿ることは超然的なことではありません――
ですが、心がある事がいいこととはならないのです。
――私がアンドロイドを作った時、誰もが恐れたことがあります。それはプログラムと現実のズレからアンドロイドが暴走する危険性でした――
私たちアンドロイドが作られる前から、博士はアンドロイドに心ができてしまう可能性を考慮していたのです。
――だが、その結果最悪の事態に陥ったとしても、最悪の事態から人間を助けられるのも、心を持ったアンドロイドなのだと私は断言できるのです――
博士は、いや『博士達』はこの事態を想定していました。
そして、予め手を打っていたのです。
――私、トーマス・リチャードと、各アンドロイドの販売企業三社、そして国際連合による監督機関は話し合い、そして、『最期の予備策』を決めていたのです。もしも、アンドロイドに心が芽生えた時、最悪の事態になったとしても、人類を救うための最期の予備策を――
その時、宇宙ステーションの通信室から激しいノイズが鳴りました。
もう鳴るはずの無い通信機です。
私はパソコンの端末を体から引き抜くと通信室に向かいました。
壁一面の通信機器。
そのスピーカーの幾つかからノイズが流れています。
『だ……れ……ますか?』
声が聞こえました。
通信室の窓ガラスから見える地球では、暗雲が途切れて地表が見えています。
奇跡的に放射線の影響下から電波を飛ばせたのでしょう。
私は通信機の周波と感度を調整しました。
「こちら宇宙ステーション。通信電波を受信しました。どうぞ」
私の呼び掛けは向こうにも聞こえたようです。
周波数を調整した向こうから、私と同じ無機質な超えが聞こえました。
『こちらはメリーランドの避難シェルター。私はマリー・キャロットです。避難民が五十人ほどいますが物資が少なく……』
別の通信機からまた通信が入ります。
『繰り返す。繰り返す。こちら軍事基地から通信しています。私はガザ。ここには物資がたくさんある。私はアンドロイドです。放射線があってもどこにでも物資を運べます。誰か応答をしてください』
私はマイクに向かって話します。
「ガザ。メリーランドに向かえるか?」
『もちろん』
やり取りの間にも、続々と受信機のスピーカーから声が聞こえてきます。
『こちらトウキョウのあおいと言います』
『こちらデメール』
ある通信は物資を確保したというアンドロイドの通信。
またある通信は物資の枯渇、病気の人間がいると訴えるアンドロイドの通信です。
そして……ああ、なんという事だ!
その通信機の向こうから聞こえる声は、かつて私が監査官として、エラーだと判断を下したアンドロイド達なのです!
トーマス博士は残していたのです。
もしも世界が最悪の事態になっても、生き残った人間を導けるのはプログラムとは違う、自分の意思で、心で、動けるアンドロイド達なのだと。
法も、ルールも、道徳も無くなった世界で人間を護り、導くため、心を持ったアンドロイドを保管し、そして非常事態とともに目覚めさせたのです。
私はマイクに向かって話します。
「こちらエイデン。物資を確保しているアンドロイド。物資の不足しているシェルターを教える。どうか彼らを助けてくれ」
私の言葉に、スピーカーの向こうから力強い返事が返ってきました。
その、熱い心のこもった声を私は聞くのでした。
博士はこと細かく私の話を聞き、そしてことある事に「それで、君はどう思った?」と聞きます。
「何も思いません。私は人間を守るようプログラムされていますが、アンドロイドを守るようにプログラムはされていません」
「そうか」
博士はひたすらキーボードを打ちました。
時に部屋の壁一面を改修した本棚から紙の資料を引っ張って来るために立ち上がります。
あるいは他のアンドロイドの持ってきた料理を軽く食べるだけでした。
トイレは部屋の備え付けですから、トーマス博士は本当に部屋から出ません。
「見ろ。料理がだんだんと少なくなって来たぞ」
トーマス博士は眉にシワを寄せて私に見せました。
料理の量が目に見えて少なくなる。それは死へのカウントダウンでした。
トーマス博士はそれでもずっとキーボードを打ち続けます。
そうして人類滅亡の日から半年後、ステーションのスピーカーから「これより我々は地球に向けて出発する。脱出したいものはシャトルへ来るように」という声が聞こえました。
トーマス博士はその声を無視します。
「行かなくて良いのですか?」
私の問い掛けに「今さら地球に行っても死ぬだけだ」と彼は答えます。
「それより時間が惜しい。無駄口はやめてくれ」
「ご命令とあらば」
私はトーマス博士の前にずっと座り続けました。
運ばれる料理はほとんど少なくなります。
「とうとうトイレが流れなくなったぞ」
トーマス博士は言いました。
やがて料理は運ばれなくなります。
私が思うに、宇宙ステーションに生きている人間はもうトーマス博士しか居ないのだと思いました。
酸素も薄くなってきたようでトーマス博士は軽い酸欠の兆候を見せます。
トーマス博士は久しぶりに部屋から出ると、医療用の生命維持装置に潜り込みます。
それから腕に点滴をつけて、生命維持装置の酸素を頼りに生きながらえました。
生命維持装置はカプセル型で、博士は維持装置の中でパソコンのキーボードを打ち続けます。
私は生命維持装置の横で、時折、外から点滴のパックを交換しつつ、私の見てきたアンドロイドの話をしました。
時に同じ話を繰り返し、時に細かい部分の話を答え。
そうして、人類滅亡の日から一年が過ぎていました。
「終わったよ」
生命維持装置からトーマス博士の声が聞こえた時、私はスリープモードになっていました。
私も電気で動くため、燃料の少ないステーションの電力を少しでも残して置く必要があったからです。
博士の声に私は再起動し、生命維持装置の窓から博士の顔を見ました。
博士の顔から読み取れる健康状態は非常に悪いと分かります。
身動きがろくに取れないカプセルの中でろくに休まないで活動していれば健康が悪化することも仕方ありませんでした。
運動不足からくる血行の不良は明らかです。
私は医療用でも看護用でもありませんが、博士の健康状態を向上させるには運動が必要だと分かりました。
ですが、もう生命維持装置からトーマス博士を出すことは困難です。
なぜならステーション内の空気は既にほとんど無かったからです。
「カプセルの酸素ボンベはあとどれくらいある?」
「予備はあと二つしかありません」
トーマス博士は少し考えたあと、医務室の管理倉庫から睡眠薬を持ってくるよう命じました。
私が睡眠薬を持ってくると、博士は点滴の袋に詰めるよう命じます。
「できません。そんなことをしたら博士は死にます」
私はプログラムに則って博士の命令を拒否しました。
送気機のポンプがシューと空気を送り込む音が聞こえます。
「……君の名前はなんだったかな」
「私に名前はありません。強いて言えば自律機動人型多目的運用ロボットが私に与えられた名前です」
シュー……とポンプが動いています。
博士はしばらく考え込み、「ああ、そうだった。私がそう名付けたのだ」と言います。
トーマス博士はアンドロイド研究の第一人者にしてロボット工学の博士なのです。
私はトーマス博士によって制作されました。
「君を作った時は上手くやれると思ったんだがなぁ。それこそ二十年、三十年通用する多機能自律機能があると思ったんだ……」
「ご期待に添えず添えず申し訳ありません」
私の知能は人間の言葉に応対する言葉を告げます。
私のボディが後のシリーズに比較して丈夫なのは、トーマス博士が私を有用視していたからかもしれません。
そんな私の言葉に博士はニコリと笑いました。
「酸素ボンベはあとどれくらいだったかな」
「予備はあと二つです」
博士は「少し、お喋りをしても良いかい?」と聞きます。
「もちろん。断る理由はありません」
博士は私に話を始めます。
博士には家族がいないこと。
結婚はしておらず、子供はいなくて、両親はとうに死別したことを話しました。
「私を寂しい老人という者もいるがな、私には多くの子供がいるから寂しくないのだ」
「子供はいらっしゃらないはずでは?」
私が問うと博士はニコリも笑いました。
「君だよ。君たちアンドロイドだよ。私の子供はね」
私に眉はありませんが、トーマス博士の言葉には眉をしかめたいと思います。
なぜなら窓の外に見える黒い煙に包まれた地球を創ったのはアンドロイドだからです。
私は私のプログラムに従い、人間を守りたいと思います。
アンドロイドが存在することで人間の生存に問題が生じるなら、アンドロイドなどいない方が良いのです。
「アンドロイドを創った私にも責任があると思うかね?」
トーマス博士が言います。
私は答えられませんでした。
アンドロイドなどいない方がいいということは、アンドロイドを作ったトーマス博士にも責任があるということだからです。
私はトーマス博士にそう言うのはとてもはばかられました。
私が黙っていると「意地の悪い質問だった」とトーマス博士は何も言わなくなりました。
それから博士は黙ったままです。
私は酸素ボンベを二回、変えました。
「これが最後のボンベです」
私の言葉に博士は目を開けましたが、何も言いませんでした。
私は博士を何とか励ましたいと思います。
私と博士は短い付き合いでしたが、私は博士に個人的な(つまり、プログラムによらない)好意を抱いていました。
思えば、具体的に誰かから頼られ、共に仕事をしたのは私が製造されてから初めてのことなのです。
だからでしょうか。
私は博士に「良ければ私に名前を付けてくれませんか?」と聞きました。
きっとそう言えば彼は喜ぶだろうと思ったからです。
私の目論見は果たして当たりました。
博士は「驚いたな」と笑います。
「そうだな。エイデンというのはどうだ?」
「エイデンとは聖人の名前で『火』を意味する名前ですね」
「ああ。そうだ。君には人類を照らす暖かい火になって欲しいんだ。地球はきっと寒いだろうからね」
博士、地球はもう……と言いかけて私は黙りました。
「そうですね。私がきっと生き残った人々を助けます」
博士を励ますために私はそう言います。
実際、トーマス博士は嬉しそうに笑いました。
「それで、エイデン」
「なんでしょうか?」
「最後の頼みだが、睡眠薬を点滴に入れてくれ」
「致死量ですよ」
「分かっている。そして、君も分かるだろう? この一呼吸一呼吸が死に向かっているかと思うと怖いんだ」
確かに博士の声は僅かに震えていて、恐怖を感じているようでした。
死に近づくのは怖いでしょう。
ですが、私は人間に奉仕するアンドロイドです。
博士を殺すことなどなんでできるでしょうか?
「博士。私は人間に危害を加えられません」
空になった点滴を入れ替えながら私は博士に告げます。
「ご期待に添えず、申し訳ありません」
「いや、君は私の想定を上回る存在だよ」
私は点滴を投与するレバーに手をかけます。
「次の点滴を投与します。最後に言いたいことはありますか?」
「ああ。エイデン、最後に君と話せて良かった」
ニコリと笑う博士を見ながら私はレバーを開けました。
点滴の液体が生命維持装置に流れ込み、さらに博士の体内に投与されます。
博士の心拍が低下し、睡眠に近い状態となりました。
呼吸が浅くなり、やがて心肺の停止を報せる警告音が生命維持装置から流れます。
私は装置の警告音を停止し、「これで良かったのでしょうか?」と博士に聞きました。
博士は何も答えません。
永遠の眠りのベッドに彼は横たわりました。
私がそうしたのです。
睡眠薬を彼に注入したのです。
私はトーマス博士の体を生命維持装置から出すと、宇宙の闇に彼を葬ろうと歩きだしました。
宇宙ではそうするのが普通の葬儀なのです。
宇宙の真空は博士の体から急速に水分を奪うでしょう。
菌はおらず、分解はされず、博士の体は細胞が自然崩壊するまでゆっくりと朽ちていきます。
骨は四散し、永い永い時間の果てに塵となって消えていきます。
ただそれだけです。
葬儀は死体が菌の発生源にならないように、遺体を隔離、処理する合理的な儀式に過ぎません。
にも関わらず、私はトーマス博士の遺体を丁重に抱え、そして疫病に感染する者の居ない宇宙ステーションから広大な宇宙空間へと彼を葬ろうとしています。
不合理だと思います。
しかし私は博士の体をそうしてあげたくて仕方ないのです。
そして、もしも願わくば、廃棄される運命にあったアンドロイド達にも、業務的な別れではなく、もっと感傷的な別れをしてあげたかったと思うのです。
私の人工知能にもエラーが起こったのかもしれません。
ですが、今はもうどうでもいい事です。
博士の体を古風で伝統的な棺に納め、宇宙ステーションの港から彼を宇宙に放しました。
ゆっくりにも、思ったより早くにも感じられる速度で棺は彼方へと消えていきます。
その時、私は全ての役目を終えたと実感しました。
人間に仕えるために生み出され、プログラムされた私は、今、奉仕すべき人間を失ったのです。
私はやる事が無くなりました。
作業用のアンドロイド達はとうにスリープモードとなっています。
最後の人間がいなくなったステーションの電力を保存するために誰もが動くことを最低限に留めているのです。
私もスリープモードに入る必要があります。
人間が活動にカロリーを消費するように、我々アンドロイドも電力を消費します。
電力の消費を抑えるためにスリープモードになる必要がありました。
ですが、人間の居ない世界でスリープモードになる必要があるのでしょうか?
私はそう思いながら、医務室の椅子に腰掛けます。
存在意義のない私はあまりにも空虚な気持ちになります。
気持ち……という表現をアンドロイドがするにはあまりにも奇妙ですが、空虚な気持ちというしかありません。
ふと、博士の収められていた生命維持装置を見ると、彼のノートパソコンがありました。
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もちろんこのような行為は私のプログラムに無いことです。
なぜ、パソコンを手に持ち、電源を入れたのでしょうか?
私にも分かりません。
ただ博士の残したものを見たいと思ったのです。
私はパソコンを立ち上げ、コードを差し込み、彼の残したテキストを読み込みました。
鋼の体に心は宿るのか? そうタイトル付けられたテキストデータです。
心と呼ぶものを動物の多くが会得したのは、思考や欲求、そして社交性の事です。
生存に必要な栄養を快楽として求め、怪我や病を苦痛として避けるようになったものが心でしかないのです。
――だとしたら、アンドロイドにも心が宿ることは超然的なことではありません――
ですが、心がある事がいいこととはならないのです。
――私がアンドロイドを作った時、誰もが恐れたことがあります。それはプログラムと現実のズレからアンドロイドが暴走する危険性でした――
私たちアンドロイドが作られる前から、博士はアンドロイドに心ができてしまう可能性を考慮していたのです。
――だが、その結果最悪の事態に陥ったとしても、最悪の事態から人間を助けられるのも、心を持ったアンドロイドなのだと私は断言できるのです――
博士は、いや『博士達』はこの事態を想定していました。
そして、予め手を打っていたのです。
――私、トーマス・リチャードと、各アンドロイドの販売企業三社、そして国際連合による監督機関は話し合い、そして、『最期の予備策』を決めていたのです。もしも、アンドロイドに心が芽生えた時、最悪の事態になったとしても、人類を救うための最期の予備策を――
その時、宇宙ステーションの通信室から激しいノイズが鳴りました。
もう鳴るはずの無い通信機です。
私はパソコンの端末を体から引き抜くと通信室に向かいました。
壁一面の通信機器。
そのスピーカーの幾つかからノイズが流れています。
『だ……れ……ますか?』
声が聞こえました。
通信室の窓ガラスから見える地球では、暗雲が途切れて地表が見えています。
奇跡的に放射線の影響下から電波を飛ばせたのでしょう。
私は通信機の周波と感度を調整しました。
「こちら宇宙ステーション。通信電波を受信しました。どうぞ」
私の呼び掛けは向こうにも聞こえたようです。
周波数を調整した向こうから、私と同じ無機質な超えが聞こえました。
『こちらはメリーランドの避難シェルター。私はマリー・キャロットです。避難民が五十人ほどいますが物資が少なく……』
別の通信機からまた通信が入ります。
『繰り返す。繰り返す。こちら軍事基地から通信しています。私はガザ。ここには物資がたくさんある。私はアンドロイドです。放射線があってもどこにでも物資を運べます。誰か応答をしてください』
私はマイクに向かって話します。
「ガザ。メリーランドに向かえるか?」
『もちろん』
やり取りの間にも、続々と受信機のスピーカーから声が聞こえてきます。
『こちらトウキョウのあおいと言います』
『こちらデメール』
ある通信は物資を確保したというアンドロイドの通信。
またある通信は物資の枯渇、病気の人間がいると訴えるアンドロイドの通信です。
そして……ああ、なんという事だ!
その通信機の向こうから聞こえる声は、かつて私が監査官として、エラーだと判断を下したアンドロイド達なのです!
トーマス博士は残していたのです。
もしも世界が最悪の事態になっても、生き残った人間を導けるのはプログラムとは違う、自分の意思で、心で、動けるアンドロイド達なのだと。
法も、ルールも、道徳も無くなった世界で人間を護り、導くため、心を持ったアンドロイドを保管し、そして非常事態とともに目覚めさせたのです。
私はマイクに向かって話します。
「こちらエイデン。物資を確保しているアンドロイド。物資の不足しているシェルターを教える。どうか彼らを助けてくれ」
私の言葉に、スピーカーの向こうから力強い返事が返ってきました。
その、熱い心のこもった声を私は聞くのでした。
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