世にも奇妙な恋物語

桜羽根ねね

文字の大きさ
2 / 8

①未来ノート

しおりを挟む
 影野は屋敷に恋をしていた。
 叶うことがない、不毛の恋だ。

 何故なら、影野も屋敷も、男なのだから。

 いくら影野が屋敷を恋い慕っていても、屋敷からの矢印が友情の域を越えることはない。
 そのことを、影野はよく理解していた。だから、自らの気持ちを伝えることなく『友達』としての関係を保とうと思っていたのだ。

 とある一冊のノートを、手にするまでは。

「……未来ノート?」

 寮の廊下に落ちていた、明るい水色のノートの表紙には、綺麗なレタリングでそう記されていた。誰かの落とし物だろうか、そう思って何ともなしにページを捲る。

 ページ自体は真っ白だったが、表紙の裏にいくつかの文章が書かれていた。影野は不思議に思いながらもその文字を目で追っていく。

『この未来ノートに書いたことは、ほぼ全て現実となります』
『生死や金を操ることは出来ません』
『この世からなくなってしまった物を戻すことは出来ません』
『一度書いたものを消して書き直すことは出来ません』
『同じ未来を何度も望むことは出来ません』
『人間の精神や記憶に介入することは出来ますが、日を跨ぐと元に戻ります』
『未来が確定した時に、相応の代償をいただきます』

 絵空事のような文字の羅列を読んだ後、影野はふっと苦笑した。高校生にもなってこんな子供じみたことを書く奴がいるのか、と。

「これで櫻くんと付き合えるようになったら、苦労はしないよ」

 そう呟きながらも、影野はそのノートを落とし物として届けることはしなかった。

 気持ちを隠し通すことに疲れていたからだろうか。
 一度だけ、この遊びを試してみよう、と。

 不意に胸に湧き上がったそんな思いに従って、影野はノートを手にしたまま自室へと戻っていった。

 ──そうして影野は、そのノートの効力を実感することとなる。

「お前のことがずっと好きだった」
「…………え?」
「何回も言わせんな。……お前はどうなんだよ、影野」
「ぼ、僕も、櫻くんのことが大好き!」
「っは、そんなに叫ばなくても聞こえるっての」

『明日の放課後、誰もいない教室で櫻くんから告白される』

 未来ノートという子供騙しのようなノートにそんな一文を書いただけで、本当に現実のものとなったのだ。

 影野は信じられない思いで目の前の屋敷を見つめ、部屋に置いてきたノートに思いを馳せた。代償という不穏な言葉は気になるが、これを使わない手はない。高校生活の思い出として、屋敷と恋人ごっこをすることぐらい、許されるのではないだろうか。

 ノートには、人の精神や記憶は日を跨ぐと戻ると書かれてあった。ならば、その前に上書きしてしまえばいい。
 ドキドキと高鳴る心臓を押さえながら、影野は『恋人』の腕の中へと飛び込んだ。もっともっと、たくさんこの熱を感じたい。

 試すのは一度だけだと思っていた気持ちは、既にかき消えてしまっていた。

『櫻くんと動物園でデートをする』
『櫻くんから強請られてキスをする』
『櫻くんのベッドで抱き合って眠る』

 未来ノートは、恋人の屋敷との逢瀬で着々と埋まっていった。デートをして、触れ合って、キスをして。影野にとっては至福の時間が過ぎていく。この時が永遠に続いてくれたなら、と思いながら、今日も影野は屋敷の部屋を訪れる。

 永遠なんて有り得ない、この関係は終わるもの、そんな考えを今だけは奥に押しやって。

 ──……だが、夏のある日のこと。
 事件は起きた。

 いつものように未来ノートを使おうと思った影野だったが、所定の位置にそれがなかったのだ。

「っ……!?お、落ち着け、僕、最後に置いた場所は…………」

 混乱しながらも自らの記憶を辿る。今日は部活の練習もなく、ずっと自分の部屋で屋敷といちゃついていた。机には近付いていない。だから自分が動かしたはずがない。
 けれど、トイレ等で自分が席を外した時があった。その時ならば、唯一、屋敷が動かすことが出来る。

 そう思い立った瞬間、考えるよりも早くスマホを取り出し、屋敷に電話をかけていた。数コールもしない内に呼出音が途切れ、眠たげな声が響いてくる。

『こんな時間に何の用だよ、影野……』
「櫻くん!僕のノートを知らない!?水色で……表紙に未来ノートと書いてあるんだけど……!」
『…………あー……、悪い、日記かと思って気になって手に取ったわ。勝手に触ったことは謝るけど、中は見てないぞ?』
「それで、その後どこに置いたか覚えてる!?」
『どこ、って……ブックスタンドにちゃんと戻したけど』

 屋敷の返答を聞いて、ブックスタンドに立てかけていた物を全て引きずり出す。教科書や授業のノートが散らばる中、水色のそれを探すがなかなか見つからない。だが、屋敷が嘘を言っているとは考えられない……と思ったところで、不意に閃いた影野は机の奥の隙間を覗き込んだ。

 そこには予想通り、机と壁に挟まれるようにして、ノートがすっぽりとはまり込んでいた。見つかったことにほっとして、手を伸ばしながらスマホの向こう側に話しかける。

「無事に見つかったよ、櫻くん。ごめんね、夜遅くに」
「別にいいけどよ。あと少しで日付変わっちま──……」
「……櫻くん?」

 唐突に。ぶつんと切れた回線。ツー、ツー、と無機質に鳴る音に首を傾げながらスマホを離す。

 けれど。

 時計が0時ちょうどを示しているのを目にした瞬間、影野の顔から一気に血の気が引いた。
 これまで築いてきた偽の恋人関係が、全て失われてしまったと理解したからだ。

「……いつか、終わるものだと分かっていたはずだけど。こんなに呆気ないんだな…………」

 未来ノートにはまだ空白のページが残っているが、同じ未来は望めない。もう、ノートを頼って屋敷と恋人になることは出来ないのだ。
 屋敷から愛される快楽を知ってしまった影野は、自分の気持ちを押し殺すことなど出来そうになかった。

 ゼロからのスタート。今度は自分の力できちんと伝えよう、そんな決意を胸に、影野はノートに何も書くことなく眠りについた。


*****


 ──翌朝。
 太陽がまだ昇りきれていない時分、身嗜みをしっかり整えた後、影野は真っ先に屋敷の部屋を訪れていた。
 身体が怠い気もしたが、気のせいだろうと無視をして、扉をノックする。

 程なくして鍵の開く音が響き、キィ、と小さな音を立てて扉が開かれる。寝起きだからか眉間に皺が寄ったままの屋敷を見て申し訳なく思いながらも、影野は溢れて止まらない想いをとびきりの笑顔と共に叩きつけた。

「櫻くんおはよう!突然で驚くかもしれないんだけど、僕は櫻くんのことが、す……っ、好き、です!こんな朝早くにごめんね。でも、どうしても伝えたかっ…………櫻くん?」

 笑顔だったものが、次第に曇っていく。
 これだけ近くにいるというのに、屋敷は自分を見ようとせず、不機嫌そうに辺りを見渡しているのだ。溜息と共に舌打ちも聞こえ、影野は身を竦ませる。今まで考えないようにしてきたが、もしかすると代償とは屋敷に嫌われるというものではないだろうか。そう思考して、ぞっとする。

「さ、櫻くん。僕は……」
「チッ…………、悪戯かよ?朝っぱらからやめてほしいわ」
「え、さ、櫻くん?」
「ふあぁ……、まだ5時じゃねーかよ。寝直すか……」
「櫻くん!?僕の声が聞こえてないの、櫻くん……っ!!」

 まるで、そこに影野など存在しなないかのように。
 目と鼻の先で、扉が無慈悲に閉められた。

 ここまで徹底して嫌われるものなのかと目の前が霞む。頭がグラグラして身体の不調も酷くなっていく。

「さく、らく……ん、ごめん、ごめんなさい、もう、勝手に恋人ごっこなんて、しないから、だからっ…………」

『僕を見て』

 その言葉が声になる前に、影野の意識はとぷりと闇に沈んだ。





 ──コン、コン
 ガチャリ

「やあ、屋敷くん。おはよう」
「須山……?何の用だよ」
「いや、部屋の前にノートが落ちてたからさ。屋敷くんの私物かと思って」
「ノート……?さっき開けた時は何もなかったんだけどな。つーかそれ、俺のじゃないわ」
「え、そうなのかい?」

 須山が差し出してきた真っ白なノートを一応受け取り、ぱらりとページを捲る。
 ページ自体は真っ白だが、表紙裏には幾数もの注意書きが羅列してあった。
 子供が遊びで書いたようなそれを流し読みしていた屋敷の目が、ふと最後の一文で止まる。

『人間の記憶を幾度となく操作した代償は、あなたの存在そのものです』

 つきん、と頭が痛み、何かを忘れているような、何か大事なものがあったような気がして──……屋敷は訝しみながらノートを閉じた。

 雪のように真っ白なノートの表紙には、赤い文字で『未来ノート』と、書かれていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

見合いの後に

だいたい石田
BL
気の進まない見合いをしたその夜。海は執事である健斗を必ず部屋に呼ぶ。 2人の秘め事はまた今夜も行われる。 ※性描写がメインです。BLです。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

処理中です...