世にも奇妙な恋物語

桜羽根ねね

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③トラウマ製造株式会社

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 社会人1年目。
 就職難の波に揉まれながらも、無事に正社員への内定を手に入れた影野は、期待半分不安半分のまま、その会社の扉をくぐった。

 トラウマ製造株式会社。

 何とも異質な名前のそこは、読んで字の通りトラウマを作る会社である。説明会でもそういう説明をされたのだが、影野はいまいちトラウマというものを理解していなかった。

 とにかく、出来るだけ早く内定を貰おうと奮起していたため、会社の業務についてはそこまで重視しておらず。トラウマといってもインパクトを重視した商品名か何かだろうと軽い気持ちで考えていた。

「入社おめでとう、影野君。早速だが、クライアントからの依頼を熟してもらう。習うより慣れろがウチの方針なもんでね。いつもは一人先輩社員をつけるんだが、生憎ここ数週間はみんな自分の仕事で手一杯なんだ。何、業務内容は至って簡単だから安心してほしい。指定の相手に、クライアントからの金額に応じたトラウマを植え付けるだけだから。長期戦にはなると思うが頑張ってくれ」

 …………会社の取締役であると男から、そんな突拍子もないことを聞かされるまでは。

 それまで神妙な態度で聞いていた影野だが、予想していなかった内容に大きくうろたえた。入社して早々、いきなり一人で仕事、それもトラウマを植え付けるなどという奇怪な業務。これで混乱するなと言う方がおかしいだろう。

「ま、待ってください!あの、トラウマを与えるって、どういう……」
「ああ、悪いね。ちゃんとトラウマを目視出来る機械は開発している。このリモコンを相手に向かって押すだけで、対象者が抱えているトラウマが数値となって液晶に表示される。最高は100で最低は0。つまり、高ければ高い程良い仕事が出来ているというわけだ。これは社から支給されている物だから、影野君も遠慮なく使ってくれ」
「あ、ありがとうございま…………じゃなくてっ!いきなりトラウマだなんて言われても困ります!そんな、人を貶めるようなこと……!」
「これは『仕事』だよ、影野君」
「……っ」
「君は君の意思でここに来たんだろう。ならば、与えられた仕事は受けるべきだ。それとも入社早々上司の言葉に逆らうつもりかい?」
「それ、は…………」
「……私も君を脅したいわけではないんだ。だが、戦力として育てるためには必要なことなんだよ。どうか分かってほしい」

 初老の上司はそこで言葉を切り、改めて小ぶりなリモコンを差し出してきた。赤いスイッチが一つと液晶がついた簡素な作りのそれを受け取れば、いよいよ影野はこの仕事から逃げられなくなる。

 けれど、逃げたところで地獄の就活に逆戻りだ。折角掴んだ内定を、手放すわけにはいかない。
 影野は暫く逡巡した後、ぐっと覚悟を決めてその機械を受け取った。

「わかり、ました。自分がどこまでやれるかは分かりませんが、頑張ってみます」
「ありがとう、影野君。早速だが、この資料に今回の相手の情報が載っているから目を通してくれ。クライアントからはどれだけ時間がかかっても構わないから、とにかく一生の傷になるようなトラウマを与えてほしいという伝言を承っている。やり方は問わないが、暴力沙汰や違法行為だけは厳禁だ。我々はあくまでクリーンな会社だからな」

 トラウマと言っている時点でクリーンも何もないのでは、と心中で思いながら、影野は渡された資料をぺらりと捲った。
 そして、そこに載っていた名前と、隠し撮りらしき写真を見て、息が止まりそうなくらいの衝撃に襲われた。

「…………くらしな、うつつ……」

 ──年齢を重ねて少し大人びたように見えるその男は、高校時代、影野が密かに恋い焦がれていた人物だった。


*****


 たとえ旧知の友が相手でも、好意を抱いていた相手でも、仕事は遂行しなければならない。
 どんよりと暗く重い気持ちを抱えたまま、影野は倉科が住んでいるアパートの前に立っていた。

 想いを告げることなく卒業してから、時々連絡はしていたものの、直接会うことなくこれまで過ごしてきた。自分の中で気持ちを殺せるまで、会わないと決めていたからだ。
 それなのに、あれから数年も経ったというのに、倉科への想いを燻らせたまま、影野はここにいる。

 久しぶりすぎる邂逅を前に、心臓は煩いくらい鳴りっぱなしだ。
 重たく感じる鞄を抱え直し、緩んでもいないネクタイを更に締め、影野は死地に赴くような気持ちで目の前のインターホンを押した。

 倉科が何の仕事をしているかまでは書かれていなかったが、資料には毎週第3金曜日が休日だと記してあった。その記述通り、程なくして床を踏む音が聞こえてきた。まだ姿は見えないのに、どきりと鼓動が跳ねる。

 薄いドア一枚を挟んだ向こう側に、倉科がいる。押し殺せなかった感情が次第に膨らんでいくのが嫌でも分かった。
 ここは一つ深呼吸でもして落ち着かないと。

 ……そう、影野が思った時だった。

「どちらさまですか」
「え」
「……は?」

 ガチャ、と唐突に開かれた扉。
 どちらさま、なんて言いながら開けても意味がないんじゃ、とツッコむ暇すらない。
 時間にして数秒、影野と倉科は呆けた表情で見つめ合った。

 スーツを着込んだ影野と違って、倉科は部屋着らしきストライプ模様の服を身につけている。高校時代もよく着ていた服だ。まだ使っているんだな、とどこか冷静な部分で把握しながらも、影野の脳内は目まぐるしく回っていた。

 とにかく、先手を打たないと。
 どうにかそれだけ決意した影野は、考えが纏まらないまま口を開いた。

「う、現くん、久しぶり!突然で悪いんだけど、セールスをしてもいい?」
「……久しぶり、あるり。つーかマジで突然だな。聞いてなかったけど営業の仕事にでも就いたのか?」
「う、うん。そんなとこ」
「ふーん……。ま、さっさとあがれよ」
「え、あ、うん!お邪魔します!」

 あっさり、と。

 至極あっさり、影野は倉科の部屋へと招き入れられた。
 てっきり門前払いをくらうか、犬も食わない口喧嘩が始まるとばかり思っていたから、こんな展開は予想していなかった。肩透かしをくらった気分である。

 現くんも大人になったということだよね、と無難な結論に至った影野は、促されるがままに靴を脱いで奥へと進んでいく。

 広くはないが極端に狭くもないその部屋は、物が少ないせいもあって綺麗に片付いていた。部屋の隅に設置されたベッド周辺は妙に散らかっているが、それも雑誌やDVDといった類だ。

「……現くんのことだからもっと散らかしていると思ったよ。服が散乱したままだったり、シンクに洗い物が溜まってたり、ごみ袋で部屋が埋まってたり……」
「勝手にごみ屋敷にすんな、ばか。誰かさんが、部屋は美しい状態で保て、ってうるさかったから嫌でも片付けの習慣ついたんだよ」
「あ、え、そ、そうなんだ。……そっ、それは殊勝な心がけだね!」
「どこから目線だよ」

 じとり、とした目を向けられ、影野は思わず言葉に詰まった。
 全寮制だった高校時代、よく遊びに行っていた倉科の部屋で口を酸っぱくして言っていた台詞だ。確かに何度も告げていたけど、今もまだ覚えていて、それを守ってくれていると考えただけで、彼に恋する心臓は大きく跳ね上がる。

 落ち着け、平常心だ、と言い聞かせながら、用意された座布団の上に腰を下ろした。低いテーブルを挟んで、向かい側に倉科も座る。

「それで?何であるりはこれまで避けていた奴の所にセールスに来たわけ?」
「……避けてはないよ。メールだってしてるし」
「今時メールだけ、な。しかもすげぇ事務的な内容。堂島や須山と集まる時だって決まってお前いなかったし。かと思えば俺が行けない日はちゃっかり参加してたみたいだしな?」
「偶然だよ。……僕だって、君に会いたかったんだよ?」

 本音に嘘を少しだけ混ぜながら、影野の中でとある考えが纏まりつつあった。セールスなんて嘘っぱちのものではない、本来の目的。

「……決心がつくまで、だいぶ時間がかかったんだけど。聞いてほしいんだ、現くん」
「は?そりゃ聞いてやるけど……、買うかどうかは別だからな」

 相手に、一生の傷になるようなトラウマを。

「…………僕は、君のことが好きだ。高校の時からずっと……好きだった。友情の延長線上にあるものじゃなくて、せっ……性的な意味で。気持ち悪いと思ってくれて構わないけど、僕はこの気持ちを消すことが出来そうにない。だから現くんが嫌がっても、僕は君を好きでいることをやめないから」

 一息で言い切ったその台詞に、これまでの全ての感情を込めた。

 影野が植え付けようと思ったトラウマは、『男に好かれている』というモノだ。
そういった嗜好がある者ならまだしも、倉科がノンケだということはよく知っている。須山や寮の友人とグラビアを囲んでは、やれ胸がやれ顔がと騒いでいたからだ。
 だからこそ、望みがないと分かっているからこそ、影野はトラウマという形で自らの想いを昇華させようと決めた。

 さあ、どんな罵詈雑言が飛び出すか。

 そう思って身構える影野の前で、倉科の顔が徐々に赤く染まっていく。影野はその変化を怒りからくるものだと認識したが、それが大きく間違っていたと、すぐに知らしめられることになる。

「…………マジ、かよ……」
「うん。大マジ。……セールスって言ったのは実は嘘で、現くんに告白しようと思って来たんだ」
「……嘘ついてるようには、見えねぇな」
「当たり前だよ。本心だから」
「……………………俺も」
「え?」
「だから……っ、……俺も、好きだっつってんだよ」
「…………へ?」

 ぱちくり、とまばたきを一つ。

 耳まで真っ赤に染まった倉科は、怒っているというより照れているように見える。そして、そんな表情のまま吐き出された言葉は。

 聞き間違いでなければ、肯定の意で。

 ぶわっ、と、脳内が一瞬で沸騰した。

「え、う、嘘!だ、だって、僕は男だよ!?気持ち悪くないの!?」
「うっせぇ!俺だって高校の時からお前のこと好きなんだよ!」
「はああぁ!?現くん、少しもそんな態度見せなかったじゃんか!」
「信じらんねぇなら機械使えばか!トラウマになんてなってねぇから!」
「ああ、その方が手っ取り早…………」

 言われるがままに鞄に入れているリモコンを取り出そうとして、ふと違和感に気付く。

 自分は一言もトラウマの仕事のことを言っていないし、リモコンのことを伝えた覚えもない。
 どういうこと、と視線を向けると、倉科はあからさまに「しまった」という表情を浮かべていた。それを見て、疑惑だったものが確信に変わる。

「……現くん、どうして僕の本当の目的を知ってるの?」
「あー…………失敗した。お前が予想外なこと言ってくるからトチったんだよ。真正面からマジの告白されて、平常心でいられる訳ねぇだろ」
「失敗……って、どういうこと?」

 逃がさないとでも言うように倉科をじっと見つめると、程なくしてのろのろと彼の口が開いた。

「いくらなんでも、新人をいきなり仕事にほっぽることはしねぇよ。まずはどれだけ適応力があるか、先輩がモニターになってテストするわけ。言ってなかったけど、俺はお前より先にあの会社で働いてんだ。だから今日は上司に無理言って、お前の教育係みてぇな役にあてて貰ったんだよ」
「う、現くんが先輩……?というかこの仕事自体が、嘘……!?」
「そ。……仕事としては零点だけど、俺的には満点あげてぇ気分だわ」

 混乱する影野を余所に、落ち着きを取り戻した倉科がぐいっと身を乗り出してくる。
 そのまま手を伸ばして影野の襟元を掴み、半ば無理矢理引き寄せて。

「トラウマじゃねぇけど、ある意味一生の傷にはなったからな。こんな流されるように告白するつもりはなかったっての」

 そうぼやいた後、慌てたように身を捩る影野の唇を、自らのそれで塞いだ。
 びくん、と肩を上下させた影野だったが、逃げることなく柔らかい熱を受け止める。軽い口付けは次第に深くなっていき、気がついた時には求め合うように抱きしめあっていた。

 数年ぶりの邂逅、片想いだと諦めていた恋が実ったということもあり、二人はお互いが満足するまでたっぷり愛し合った。



 ──トラウマを与えにいったはずの新人が、教育係の先輩社員と幸せオーラを醸し出しながら帰還したのを見て、上司が「幸福製造課」という新たな部所を思いつくのは、また別の話だ。
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