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第三章
―VS.愚者.Ⅲ―
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『吊るされた男』は憑依のアルカナではない、召喚のアルカナである。掲げられた大アルカナからは光が集い、そうして一瞬の怪異が姿を現す。それは一瞬にして閃光へと移り変わり、やがてまた対峙する異形、『愚者』を包み込む。
『愚者』はまたどこか苛立たしげに口元を歪めた。
「今だ!」
「うん!」
燈葵の合図を待たずに菜奈花が駆け出した。剣を携える菜奈花に、もはや迷いも、或いは恐怖もない。いつものトランス状態が降りてきていた。
構える『愚者』は低下した能力で必死の抵抗を見せる。手始めに菜奈花の行く手を空間を歪めて遮る――が、『正義』のひと振りであえなく正される。ならばと再度竜巻――どうやらこれは小アルカナと自身の能力の掛け合わせであったらしい――を起こすが、それすらも『正義』の剣は断ち切る。
と、ここで何を思ったか燈葵もまた駆け出していた。菜奈花の少し後ろ、決して追いつけはしないが、それだって早い。さらに燈葵は鎌をひとふりして、再度影の刃を『愚者』に這わせる。
後五歩、四歩――もう数える暇もない。『愚者』はそれよりも早く襲い来る影を、低下した能力で空間を歪ませてどうにか絡め取った。菜奈花には黒の絵の具が水滴に垂らされ、それが『愚者』を取り囲むという、不思議な光景がありありと視界に映り込んだ。
三歩、二歩、もう剣は届く。菜奈花は最後の一歩より早く振りかぶった。右肩を大きくひねり、最大限の打撃を、斬撃を浴びせる算段らしい。
弘はその光景を後ろから沈黙をもって見守っていた。彼には、燈葵がどうしてこのタイミングで飛び出したのかの、おおよその理由を予測の範疇に捉えていた。その推論の根拠は、これまでに燈葵がいくつも提供してきた。だが弘は動かない。否、もはや介入の余地はない。そも、弘には菜奈花に協力する理由こそあれど、それが燈葵を止める行為にはならない。それは彼の――を阻害する行為にほかならないのである。
一歩、菜奈花の繰り出した剣は最早静止を知らず、ただ勢いだけを纏って文字通りこの歪みに正義を執行する。
『正義』の剣がまず空気を切り裂いた。黒い水泡は弾けて霧散し、絡め取られていた影は宙に投げ出されると、それもまた霧散した。燈葵が軽く舌打ちをしたのが菜奈花には聞こえた。
空気の壁を断たれると、残りは『愚者』のみである。しかし彼は体をひねると、その一撃だけは受けてはならないと言わんばかりに、寸でのところで回避をしてみせた。ステップは左足で菜奈花の左へ、そのまま『愚者』は右足で回し蹴りをしてみせる。襲い来る速擊の踵を、しかし菜奈花もまた繰り出した剣の勢いそのままに回転し、位置を右へと立ち返る。菜奈花の先いた位置の後からは、大鎌を携えた『死神』装束の燈葵が既に間合いにいた。菜奈花には『愚者』もまた、舌打ちをしたように聞こえた。
「喰らえ!」
燈葵が菜奈花の前にでて、大鎌を左から右へ、大ぶりに放った。鎌の使い方など知らない燈葵は、その先を相手に向けるように振る。だが『死神』の放つ大鎌の一撃もまたただの斬撃にあらず、その一撃にすら影は解き放たれる。三叉に分裂した影は、そのまま『愚者』の背後へと回り込もうとする。『愚者』は咄嗟にまた空間を捻ろうとするも、『吊るされた男』のせいで発動までの僅かな誤差が影の通過を許してしまった。それと同時に、鎌の先は『愚者』の横腹へと襲いかかる。『愚者』は今度は後ろへステップを踏むと、それをまた紙一重で交わしてみせた。彼の衣服を鎌が掠めた――が、それで終わらない。背後へ回り込んだ影は、通過した彼の真下から一気に一つの刃として浮き上がる。さながら地面から振り下ろされるギロチンである。『愚者』にはこれを回避する手立てを持たない。畢竟、三叉のギロチンの命中であり、影は容易に彼の体を下から上へと裁断してみせた。
深手では済まされないはずの『死神』の一撃はしかし、彼の両肩と中央に三つの線を描くのみである。描かれた線からは、黒い瘴気が漏れ出ていた。あれが、魔力というものなのであろう、と燈葵はどこか冷静に思った。
二人は一度距離を取ることもなく、駆け出した。ほぼ同時――否、鎌を振るった燈葵の方が距離的には近いが、体制的に遅い。
菜奈花は手を伸ばした。理由は勿論、彼の異形、その封印である。
「汝、我の配下となれ――」
菜奈花はこの刹那、違和感を感じ取った。有り得ない話ではない。だが何者かが、この結界に侵入――否?これは侵入ではないのではないか、と菜奈花は刹那に思う。これだけの強い反応を前にして、霞んでいたのかもしれない。何故屋上の反応は目覚める前でも強かったのか。もし仮に、仮にである。
――もし仮に、その反応が同じ場所に二つあったとしたら、どうであろうか。
『愚者』はまたどこか苛立たしげに口元を歪めた。
「今だ!」
「うん!」
燈葵の合図を待たずに菜奈花が駆け出した。剣を携える菜奈花に、もはや迷いも、或いは恐怖もない。いつものトランス状態が降りてきていた。
構える『愚者』は低下した能力で必死の抵抗を見せる。手始めに菜奈花の行く手を空間を歪めて遮る――が、『正義』のひと振りであえなく正される。ならばと再度竜巻――どうやらこれは小アルカナと自身の能力の掛け合わせであったらしい――を起こすが、それすらも『正義』の剣は断ち切る。
と、ここで何を思ったか燈葵もまた駆け出していた。菜奈花の少し後ろ、決して追いつけはしないが、それだって早い。さらに燈葵は鎌をひとふりして、再度影の刃を『愚者』に這わせる。
後五歩、四歩――もう数える暇もない。『愚者』はそれよりも早く襲い来る影を、低下した能力で空間を歪ませてどうにか絡め取った。菜奈花には黒の絵の具が水滴に垂らされ、それが『愚者』を取り囲むという、不思議な光景がありありと視界に映り込んだ。
三歩、二歩、もう剣は届く。菜奈花は最後の一歩より早く振りかぶった。右肩を大きくひねり、最大限の打撃を、斬撃を浴びせる算段らしい。
弘はその光景を後ろから沈黙をもって見守っていた。彼には、燈葵がどうしてこのタイミングで飛び出したのかの、おおよその理由を予測の範疇に捉えていた。その推論の根拠は、これまでに燈葵がいくつも提供してきた。だが弘は動かない。否、もはや介入の余地はない。そも、弘には菜奈花に協力する理由こそあれど、それが燈葵を止める行為にはならない。それは彼の――を阻害する行為にほかならないのである。
一歩、菜奈花の繰り出した剣は最早静止を知らず、ただ勢いだけを纏って文字通りこの歪みに正義を執行する。
『正義』の剣がまず空気を切り裂いた。黒い水泡は弾けて霧散し、絡め取られていた影は宙に投げ出されると、それもまた霧散した。燈葵が軽く舌打ちをしたのが菜奈花には聞こえた。
空気の壁を断たれると、残りは『愚者』のみである。しかし彼は体をひねると、その一撃だけは受けてはならないと言わんばかりに、寸でのところで回避をしてみせた。ステップは左足で菜奈花の左へ、そのまま『愚者』は右足で回し蹴りをしてみせる。襲い来る速擊の踵を、しかし菜奈花もまた繰り出した剣の勢いそのままに回転し、位置を右へと立ち返る。菜奈花の先いた位置の後からは、大鎌を携えた『死神』装束の燈葵が既に間合いにいた。菜奈花には『愚者』もまた、舌打ちをしたように聞こえた。
「喰らえ!」
燈葵が菜奈花の前にでて、大鎌を左から右へ、大ぶりに放った。鎌の使い方など知らない燈葵は、その先を相手に向けるように振る。だが『死神』の放つ大鎌の一撃もまたただの斬撃にあらず、その一撃にすら影は解き放たれる。三叉に分裂した影は、そのまま『愚者』の背後へと回り込もうとする。『愚者』は咄嗟にまた空間を捻ろうとするも、『吊るされた男』のせいで発動までの僅かな誤差が影の通過を許してしまった。それと同時に、鎌の先は『愚者』の横腹へと襲いかかる。『愚者』は今度は後ろへステップを踏むと、それをまた紙一重で交わしてみせた。彼の衣服を鎌が掠めた――が、それで終わらない。背後へ回り込んだ影は、通過した彼の真下から一気に一つの刃として浮き上がる。さながら地面から振り下ろされるギロチンである。『愚者』にはこれを回避する手立てを持たない。畢竟、三叉のギロチンの命中であり、影は容易に彼の体を下から上へと裁断してみせた。
深手では済まされないはずの『死神』の一撃はしかし、彼の両肩と中央に三つの線を描くのみである。描かれた線からは、黒い瘴気が漏れ出ていた。あれが、魔力というものなのであろう、と燈葵はどこか冷静に思った。
二人は一度距離を取ることもなく、駆け出した。ほぼ同時――否、鎌を振るった燈葵の方が距離的には近いが、体制的に遅い。
菜奈花は手を伸ばした。理由は勿論、彼の異形、その封印である。
「汝、我の配下となれ――」
菜奈花はこの刹那、違和感を感じ取った。有り得ない話ではない。だが何者かが、この結界に侵入――否?これは侵入ではないのではないか、と菜奈花は刹那に思う。これだけの強い反応を前にして、霞んでいたのかもしれない。何故屋上の反応は目覚める前でも強かったのか。もし仮に、仮にである。
――もし仮に、その反応が同じ場所に二つあったとしたら、どうであろうか。
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