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第二十一話
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夕方、海晴が帰ったその後で、尚夏は鳴海のもとに行く。鳴海は黙ってパソコンに向かっている。仕事に集中しているようだ。
一方で尚夏は昼間海晴に言われた言葉が引っ掛かっていた。自分は結局いつまでたっても鳴海にとっては生徒なのだろうか。彼の面倒を見るどころか今でも彼に面倒を見させているだけの存在なのだろうか。
「尚夏くん、お風呂にでも入って来て良いよ。僕はもうちょっと仕事するから」
「あのさ、先生」
「何?」
「俺が一人暮らししたいって言ったらどうする?」
鳴海はパソコンのキーボードをたたく手を止めた。少し戸惑った表情で尚夏を見つめる。尚夏は、その後の言葉が続かなかった。鳴海は少し悲しげな表情をして、それでもいつもの優しい笑顔になって尚夏の言葉に答える。大人の顔だ、昔からずっと変わらない、かつての鳴海先生の顔をして。
「……尚夏くんの、好きにしていいよ。君はまだ若いし、いろんな経験をしたほうがいい。もう就職してお金にも困ってないんだから一人暮らしをして自由を手に入れる権利はある」
「……っ、権利とかさあ、そう言うことにこだわって結局先生は俺のこと対等には見てくれないの? ただ一緒にいたいって気持ちはないわけ? 俺はまだ、先生にとって教え子の一人でしかないのかよ」
「しょ、尚夏くん……?」
「俺のこと、好きって言ってくれたじゃん……」
驚いている鳴海から目をそらし、尚夏はうつむいた。このままでは鳴海に酷いことを言ってしまう。勝手に自分が誰よりも一番そばにいるなんて決めつけた、そんなおごりもあったのかもしれない。
「ごめん先生、頭冷やす。お風呂入って来る」
***
翌朝、シフトが早番だった尚夏は早朝五時に目を覚ました。まだこんな早い時間だと言うのに鳴海はもう起きているのか布団は畳まれている。尚夏が台所に行くとすでに朝食が作られていた。おにぎり二個と少量のおかず、一体鳴海は何時から起きているのか。尚夏が複雑な感情を抱きながら台所で朝食を食べ終わると静かに鳴海がやって来た。
「朝ごはん食べた? 尚夏くん」
「先生……」
「朝早い仕事も大変だよね。ちょっと最近疲れてたのかな、これからはもうちょっと僕も家のことやるからさ。尚夏くんは、無理しないで」
「無理なんて……俺が家のことやらなかったら一緒に暮らしてる意味ないじゃん。もうボランティアで教え子預かるの、先生も疲れたでしょ」
「尚夏くん、僕は……」
「ごめん、急いでるから」
そう言って尚夏は鳴海の脇をすり抜ける。鳴海はまだ言いたいことがありそうな顔をしていたが、遠慮したのかそのまま黙ってしまった。その沈黙に、また尚夏は傷ついた。
***
仕事は忙しかった。利用者の通院に職員が一人ついて行ってしまったため、残された職員たちで仕事をしたのだが一人突然騒ぎ出す利用者がいて、さらにそれに反応して不穏になる利用者もいて。彼らをなだめるのに先輩職員がかかりきりになってしまったため、簡単な仕事は残った尚夏が一人でやった。雑用とも言えるようなことばかりだったがそれでも一日中走り回っていたのでさすがに疲れる。
仕事を終えて私服に着替えて、ようやく長い一日を終えた。とは言っても朝が早いシフトだったからまだ日も暮れていない。途中のスーパーで夕飯の買い物をして、帰り道、不動産屋の前で広告を見る。
「ワンルーム、五万円」
尚夏の給料でも贅沢をしなければ支払える金額だった。職場までもすぐの物件で、ここなら今よりも通勤時間は短くなる。しかし、そこに鳴海はいない。
「せめて恋人だって言って欲しかったな……」
このまま鳴海と距離を置いたほうがいいのだろうか。たかが海晴の言葉に惑わされて、でもその言葉には思い当たることもあったわけで。恋人だって思ってくれていたのなら、鳴海も尚夏を手放すような発言をしなかっただろう。つまり、その程度だったと言うことか。愛してるの言葉ももらったけれど……教え子相手に生涯をささげる、鳴海はもう大人だしそんなことはしないのかもしれない。
「ただいま」
鳴海の屋敷に帰宅して、玄関を見れば見覚えのないスニーカーがある。海晴がまだいるのか。尚夏は少しどんよりした気分になって廊下の奥を見れば、そこにその海晴が立ち尽くしている。何をしているんだ、帰るならさっさと帰ればいいのに。
「おい、お前……」
「……」
「……え?」
海晴の見つめている部屋の中で、鳴海が倒れていた。無防備に手のひらを放り出して、ぴくりとも動く様子がない。
「先生! おいお前、何があったんだよ!」
「さっき、急に倒れて……」
「お前、それでただぼうっと見ていただけか? ふざけんなよ! ねえ先生、大丈夫?」
慌てて尚夏が鳴海を抱き上げるが、ぐったりとした鳴海は反応がない。触れた肌がじわりと熱い、熱を出している。いつから具合が悪かったのだろう、とりあえず尚夏は急いで布団を整え、鳴海を運びそっと横たえる。いつもよりもひどく苦しげな呼吸をして熱も高いようだ。尚夏が熱を下げるためのタオルを用意したりしているうちに、いつの間にか海晴はいなくなっていた。
一方で尚夏は昼間海晴に言われた言葉が引っ掛かっていた。自分は結局いつまでたっても鳴海にとっては生徒なのだろうか。彼の面倒を見るどころか今でも彼に面倒を見させているだけの存在なのだろうか。
「尚夏くん、お風呂にでも入って来て良いよ。僕はもうちょっと仕事するから」
「あのさ、先生」
「何?」
「俺が一人暮らししたいって言ったらどうする?」
鳴海はパソコンのキーボードをたたく手を止めた。少し戸惑った表情で尚夏を見つめる。尚夏は、その後の言葉が続かなかった。鳴海は少し悲しげな表情をして、それでもいつもの優しい笑顔になって尚夏の言葉に答える。大人の顔だ、昔からずっと変わらない、かつての鳴海先生の顔をして。
「……尚夏くんの、好きにしていいよ。君はまだ若いし、いろんな経験をしたほうがいい。もう就職してお金にも困ってないんだから一人暮らしをして自由を手に入れる権利はある」
「……っ、権利とかさあ、そう言うことにこだわって結局先生は俺のこと対等には見てくれないの? ただ一緒にいたいって気持ちはないわけ? 俺はまだ、先生にとって教え子の一人でしかないのかよ」
「しょ、尚夏くん……?」
「俺のこと、好きって言ってくれたじゃん……」
驚いている鳴海から目をそらし、尚夏はうつむいた。このままでは鳴海に酷いことを言ってしまう。勝手に自分が誰よりも一番そばにいるなんて決めつけた、そんなおごりもあったのかもしれない。
「ごめん先生、頭冷やす。お風呂入って来る」
***
翌朝、シフトが早番だった尚夏は早朝五時に目を覚ました。まだこんな早い時間だと言うのに鳴海はもう起きているのか布団は畳まれている。尚夏が台所に行くとすでに朝食が作られていた。おにぎり二個と少量のおかず、一体鳴海は何時から起きているのか。尚夏が複雑な感情を抱きながら台所で朝食を食べ終わると静かに鳴海がやって来た。
「朝ごはん食べた? 尚夏くん」
「先生……」
「朝早い仕事も大変だよね。ちょっと最近疲れてたのかな、これからはもうちょっと僕も家のことやるからさ。尚夏くんは、無理しないで」
「無理なんて……俺が家のことやらなかったら一緒に暮らしてる意味ないじゃん。もうボランティアで教え子預かるの、先生も疲れたでしょ」
「尚夏くん、僕は……」
「ごめん、急いでるから」
そう言って尚夏は鳴海の脇をすり抜ける。鳴海はまだ言いたいことがありそうな顔をしていたが、遠慮したのかそのまま黙ってしまった。その沈黙に、また尚夏は傷ついた。
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仕事は忙しかった。利用者の通院に職員が一人ついて行ってしまったため、残された職員たちで仕事をしたのだが一人突然騒ぎ出す利用者がいて、さらにそれに反応して不穏になる利用者もいて。彼らをなだめるのに先輩職員がかかりきりになってしまったため、簡単な仕事は残った尚夏が一人でやった。雑用とも言えるようなことばかりだったがそれでも一日中走り回っていたのでさすがに疲れる。
仕事を終えて私服に着替えて、ようやく長い一日を終えた。とは言っても朝が早いシフトだったからまだ日も暮れていない。途中のスーパーで夕飯の買い物をして、帰り道、不動産屋の前で広告を見る。
「ワンルーム、五万円」
尚夏の給料でも贅沢をしなければ支払える金額だった。職場までもすぐの物件で、ここなら今よりも通勤時間は短くなる。しかし、そこに鳴海はいない。
「せめて恋人だって言って欲しかったな……」
このまま鳴海と距離を置いたほうがいいのだろうか。たかが海晴の言葉に惑わされて、でもその言葉には思い当たることもあったわけで。恋人だって思ってくれていたのなら、鳴海も尚夏を手放すような発言をしなかっただろう。つまり、その程度だったと言うことか。愛してるの言葉ももらったけれど……教え子相手に生涯をささげる、鳴海はもう大人だしそんなことはしないのかもしれない。
「ただいま」
鳴海の屋敷に帰宅して、玄関を見れば見覚えのないスニーカーがある。海晴がまだいるのか。尚夏は少しどんよりした気分になって廊下の奥を見れば、そこにその海晴が立ち尽くしている。何をしているんだ、帰るならさっさと帰ればいいのに。
「おい、お前……」
「……」
「……え?」
海晴の見つめている部屋の中で、鳴海が倒れていた。無防備に手のひらを放り出して、ぴくりとも動く様子がない。
「先生! おいお前、何があったんだよ!」
「さっき、急に倒れて……」
「お前、それでただぼうっと見ていただけか? ふざけんなよ! ねえ先生、大丈夫?」
慌てて尚夏が鳴海を抱き上げるが、ぐったりとした鳴海は反応がない。触れた肌がじわりと熱い、熱を出している。いつから具合が悪かったのだろう、とりあえず尚夏は急いで布団を整え、鳴海を運びそっと横たえる。いつもよりもひどく苦しげな呼吸をして熱も高いようだ。尚夏が熱を下げるためのタオルを用意したりしているうちに、いつの間にか海晴はいなくなっていた。
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