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4章
吾妹子
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「連いて来ないでくれ」
それでも彼女はその足を休めない。
「麻友は……麻友だけは失いたくはないんだ」
兄はただひたすらにそう叫んだ。
「私はでも必要なんでしょう?」
何故なら彼女の体は完璧だから。その幼さを残したあどけない表情も美しい曲線美を写したフラスコに過ぎないのだから。
「あのお姉ちゃんは死んだの?」
「やめろ。やめろ……」
少女の無邪気さがただただ重く残酷に圧し掛かる。
ドッペルゲンガーは夢を見るのか?
彼女のその美しい顔が無邪気に染まるのはしかし、悪魔の様に美しかった。
巡り巡る長い廊下の中で、堂々巡りの中で深雪六花はそう思わず固唾を飲んだ。
「?!」
ホムンクルスは夢を見るんだろうな。少なくとも彼女は、彼女達は愛情を持っていたのだから。
『I love you.』家族愛もすべからくして愛なのだ。
そんな事を思いながら、彼は足を止めた。
後ろから可愛い追撃者が追い上げてくるのがその足音でわかるが六花にはそれはもうどうでも良い事であった。
否、決して彼にとって彼女は蔑ろにする様な対象ではなく、むしろそうあってはならないのだ。
しかし、しかしだ。結果的に深雪麻友は彼女の兄にとってはその瞬間だけは忘却されていた。
彼を愛した彼女はもう、忘却の彼方にあった。
「芽、生……?」
信じられない、信じたくない。
しかし、六花にはこの鉄の匂いに覚えがあった。
『心にも 袖にもとまる 残り香を
枕にのみや 契りおくべき』
人間の五感の中で最も記憶に残留するのは嗅覚と聴くけれども。この痛みは、彼女に手を伸ばし過ぎたこの不愉快な痛覚だけは消える事は無いだろう。
そして彼の彼女への思いもまた、然りだろう。
夢ならばどれほど良いだろうか、でも現実は夢の様には上手くはいかない。この痛みが六花に、彼に彼がきちんと現実にいると警鐘を鳴らしてくれる。
「あら?貴方お客?珍しいわね」
血が地面を朱色に染める。
「でも曰く付きみたい……『嫉妬』が暴れているわ」
「貴方が深雪六花ね」そうまるで大蛇の様に躰をしならせて女はそう言った。
六花は咄嗟に彼の妹をその背中に隠す様に半ば強制的に移動させる。
六花には袖など無い。ない袖は振れないのだ。
けれども彼には武器があった。彼女が最後に完成させた武器が、六花が憎む利器が、彼の手には震える様にしてしっかりと握られていた。
「あら、意外に可愛い所があるじゃないの」
大蛇が這う様に女はそう言って近ずいて来る。
尤も、彼女の躰に鱗が生えている訳でもなく、ただ彼女の服が伸びているだけなのだけれども。
水分を含んで重たくなったソレを女は気だるそうに脚で引きずる様に蹴る。
「私としては貴方に協力したいのだけれど……」
ソレは血に真っ赤に染められていた。
純白の、綺麗な彼女の姿に良く似合うドレスは真っ赤に染められていた。
きっと花嫁衣装か何かなのだろう。
「……まあもう随分とお腹も膨れたしねェ」
未練がましく女はそんな事を言う。
「貴方が私の仇を取ってくれるのは構わないのだけれど……」
ブツブツと、小言でそう言う。
「こっちに来て」
圧倒的な存在感____それは六花に如実に伝わっていた。
勿論、この胸を膨らませる度に鼻をつく匂いも、女の紅白に着飾った出で立ちもそうだが、六花には本能的に感じられていた。
この女は違う、と。
「安心しなさい。貴方の愛しいお姫様の人格は未だ残してあるから」
震えながら近ずく。
「最後に結婚式が挙げたかったな」
彼女はそのまま獲物を捕らえる蜘蛛の様に近ずく。
ケーキ入刀の様に女の躰を見事に刀が貫通する。
口付け。濃厚な、肉と肉とを絡ませる愛の契約。
「これで店仕舞い」
肉が____大量の肉の塊が絡み付く、流れ込んで来る。
肉で窒息しそうだ。唾液の洪水ではなく、肉の氾濫が起こる。
深雪六花の肉体という堤防は崩壊寸前だった。
「お兄、ちゃん?」
安否を確認するその声の主の瞳には。
烱々と、それ自体が光る目を持つ嫌に無機質な天使の輪の様なものを戴冠した青年の姿であった。
それでも彼女はその足を休めない。
「麻友は……麻友だけは失いたくはないんだ」
兄はただひたすらにそう叫んだ。
「私はでも必要なんでしょう?」
何故なら彼女の体は完璧だから。その幼さを残したあどけない表情も美しい曲線美を写したフラスコに過ぎないのだから。
「あのお姉ちゃんは死んだの?」
「やめろ。やめろ……」
少女の無邪気さがただただ重く残酷に圧し掛かる。
ドッペルゲンガーは夢を見るのか?
彼女のその美しい顔が無邪気に染まるのはしかし、悪魔の様に美しかった。
巡り巡る長い廊下の中で、堂々巡りの中で深雪六花はそう思わず固唾を飲んだ。
「?!」
ホムンクルスは夢を見るんだろうな。少なくとも彼女は、彼女達は愛情を持っていたのだから。
『I love you.』家族愛もすべからくして愛なのだ。
そんな事を思いながら、彼は足を止めた。
後ろから可愛い追撃者が追い上げてくるのがその足音でわかるが六花にはそれはもうどうでも良い事であった。
否、決して彼にとって彼女は蔑ろにする様な対象ではなく、むしろそうあってはならないのだ。
しかし、しかしだ。結果的に深雪麻友は彼女の兄にとってはその瞬間だけは忘却されていた。
彼を愛した彼女はもう、忘却の彼方にあった。
「芽、生……?」
信じられない、信じたくない。
しかし、六花にはこの鉄の匂いに覚えがあった。
『心にも 袖にもとまる 残り香を
枕にのみや 契りおくべき』
人間の五感の中で最も記憶に残留するのは嗅覚と聴くけれども。この痛みは、彼女に手を伸ばし過ぎたこの不愉快な痛覚だけは消える事は無いだろう。
そして彼の彼女への思いもまた、然りだろう。
夢ならばどれほど良いだろうか、でも現実は夢の様には上手くはいかない。この痛みが六花に、彼に彼がきちんと現実にいると警鐘を鳴らしてくれる。
「あら?貴方お客?珍しいわね」
血が地面を朱色に染める。
「でも曰く付きみたい……『嫉妬』が暴れているわ」
「貴方が深雪六花ね」そうまるで大蛇の様に躰をしならせて女はそう言った。
六花は咄嗟に彼の妹をその背中に隠す様に半ば強制的に移動させる。
六花には袖など無い。ない袖は振れないのだ。
けれども彼には武器があった。彼女が最後に完成させた武器が、六花が憎む利器が、彼の手には震える様にしてしっかりと握られていた。
「あら、意外に可愛い所があるじゃないの」
大蛇が這う様に女はそう言って近ずいて来る。
尤も、彼女の躰に鱗が生えている訳でもなく、ただ彼女の服が伸びているだけなのだけれども。
水分を含んで重たくなったソレを女は気だるそうに脚で引きずる様に蹴る。
「私としては貴方に協力したいのだけれど……」
ソレは血に真っ赤に染められていた。
純白の、綺麗な彼女の姿に良く似合うドレスは真っ赤に染められていた。
きっと花嫁衣装か何かなのだろう。
「……まあもう随分とお腹も膨れたしねェ」
未練がましく女はそんな事を言う。
「貴方が私の仇を取ってくれるのは構わないのだけれど……」
ブツブツと、小言でそう言う。
「こっちに来て」
圧倒的な存在感____それは六花に如実に伝わっていた。
勿論、この胸を膨らませる度に鼻をつく匂いも、女の紅白に着飾った出で立ちもそうだが、六花には本能的に感じられていた。
この女は違う、と。
「安心しなさい。貴方の愛しいお姫様の人格は未だ残してあるから」
震えながら近ずく。
「最後に結婚式が挙げたかったな」
彼女はそのまま獲物を捕らえる蜘蛛の様に近ずく。
ケーキ入刀の様に女の躰を見事に刀が貫通する。
口付け。濃厚な、肉と肉とを絡ませる愛の契約。
「これで店仕舞い」
肉が____大量の肉の塊が絡み付く、流れ込んで来る。
肉で窒息しそうだ。唾液の洪水ではなく、肉の氾濫が起こる。
深雪六花の肉体という堤防は崩壊寸前だった。
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