キズアト

笹原うずら

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いざ、いかん。彼女の家へ

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「そっか。それで星見さん来なくなっちゃったのか」

 あの大雨の日に起こったことを話すと、海斗はため息をついた。そして彼は言葉を続ける。

「まさか星見さんが同性愛者だったなんて知らなかったな。まあ、きっと何かしら秘密を抱えてるんだろうなって気はしていたけど」
「うん、僕も知らなかった。まあそりゃ僕ら二人とも振られるよね」
「そうだな。でも、なんで星見さん、学校に来なくなっちゃったんだろ」

 海斗は、天井をぼーっと眺めながら、そう言った。

 僕は、星見さんが来ない間に、自分の頭の中でまとめていた考えを海斗に話す。

「多分、星見さんは、怖かったと思うんだよ。本当の自分を知られること。そしてその本当の自分を他の人に否定されることが。星見さん、結構その『本当の自分』についていろいろ考えていたし。だからきっとさ、彼女も僕らに秘密を打ち明けることができなかったんだよ。『本当の自分』が否定されるのが怖くて。んー、でも、それならどうやったら彼女は学校に来れるようになるんだろう? 彼女に昔何が会ったのわかったら少しはどうにかしようもあるのかもしれないけど」

 病室の窓から見える鱗雲を眺めながら、僕は彼女に思いを馳せる。今彼女は、いったいどんな気持ちでいるのだろうか。自分がきっと受け入れてもらえない、そんな恐怖に震えながら、今も閉じ込められた殻を破れないでいるのだろうか。

 しかし、想像したところで彼女の気持ちを理解することは結局かなわなかった。いや、理解できると思ってはいけないような気さえした。僕が、今まで歩いてきた道のりと、同性愛者である彼女がそれに葛藤しながら歩いてきた道のり。その二つの道を、重ねて考えることはしてはいけないような気がした。

 何か考えが思いつくはずもなく、ただ、風に吹かれて動く雲を眺めていると、海斗が僕に声をかけた。

「でも、星見さんは和也と色々な話をしているんだな」

 言われていることが良く理解できなくて、僕は海斗に、その言葉の意味を問い返す。

「ん? それってどういう意味?」
「どういう意味ってそのままの意味だよ。星見さんはさ、和也に他の人にはしないような話をしている気がする。俺はさ。和也。星見さんと関わっているうちに、星見さんはお前のことが好きなんじゃないかって思うようになっていたんだよ。だからお前から星見さんに振られたって聞いたときは驚いたんだけどさ。だって入学してから誰ともあまり関わってこなかった星見さんが、お前には急にCDを貸し始めたんだぜ。しかも、自分の気に入っているやつ。星見さんがさ、和也が言ったように『本当の自分』を知られることを恐れていたんなら、星見さんにとって人と関わるっていうのは、相当なリスクを背負うことだったはずだろ。でも、和也には、そんなリスクがありながらも積極的に関わろうとした。しかも、恋愛的な感情なんか少しもなかったのに。これって普通に考えて不思議じゃないか?」
「うん、それはそうなんだよね」

 海斗が言ったことは、実際僕自身も不思議に思っていたことではあった。彼女は、初めて僕と公園であったときに、CDを貸す約束をしてくれた。そしてそれからも、どこかであったときは積極的に彼女から声をかけてくれた。彼女にとって人とかかわりを作ることはきっと、勇気のいることだったはずなのに。

 海斗は続ける。

「俺はさ。なんかそこに活路がある気がするんだよ。確かに、和也の言う通り、昔何があったのか知ることも大切なんだろうけどさ。それはもう過去のことだろ。そして星見さんはその過去に向き合ってきた、そしてその向き合い方の一つとして、和也と関わることを選んだはずなんだよ。だから、まずそれを知るためにも、星見さんに会ってみるしかないんじゃないの?」
「でも、どうしたら彼女と会えるんだろ?」

 確かに海斗の言うことはもっともだった。彼女はきっと過去を克服するために、僕と関わることを選んだ。だからこそ、僕らはきっと、彼女がどうしてそうしたのかを知らなければ、彼女を学校に連れ戻すことなどできない。しかし、それをどうやって彼女に聞くことができるのだろうか。彼女はもう、僕らとは関わりを絶ってしまったのに。

 海斗は僕に言葉を返した。

「まあ、家に行く方法はあるんじゃないか?きっとしばらく休んでるなら重要な連絡事項の書いてあるプリントとかたまっているはずだろ? それ、渡しに行きますって言えば、家の場所は教えてくれそうじゃん。まあ、こう言っちゃあれだけど、星見さんと仲いいのって俺らだけではあるわけだし」
「……でも、会ってくれるかな?」
「まあ、断定できないよな。でも家に行ってみるだけ行ってみたらいいんじゃないか?どうせ今のところ他に考えも出ないと思うし。それに、まだ俺には何もできないからさ」

 海斗はそういうと、静かに視線を自分の足へと向けた。きっと彼も彼なりに辛い思いを抱えているのだと思う。かつて仲の良かった友人が苦しんでいるのにも関わらず、自分の足ではまだ、その人の支えになることもできないのだ。それで心が痛まないわけがない。

 星見さんのためにも、そしてこの目の前の親友のためにも、自分が立ち止まっているわけにはいかない。僕は意を決して、言った。

「うんわかった。とりあえず、今度、星見さんの家に行ってみる」



 海斗との会話から二日後、僕は、担任から与えられたプリント類を持って、彼女の家に向かった。

 海斗の言った通り、プリントを渡しに行くと言うと、山井先生は、彼女の家の住所を簡単に教えてくれた。とはいえ、先生も、彼女が不登校なことに対して何か手を打たなければとは思っていたのだと思う。

 だからこそ、不登校の生徒の友人が、彼女の家に行くことを奨励したのだろうと思う。彼女を心配しているのは、決して僕だけではないのだ。

 彼女の家は僕の家からそれほど遠くなくて、歩いて十分くらいで、地図に示された場所に着いた。新築なのかまだ目立つ汚れなどなく、清潔なアパート。この中に彼女がいるかもしれない。そう思うと、心の中に不安感のような影が差し込めるのを感じた。

 階段を上って、二〇一号室の前に立つ。わずかに震える手でインターフォンを鳴らす。

『はあい』

 声がしてしばらくすると、ドアが開く。しかし、ドアの向こうにいたのは、星見さんではなく、星見さんをそのまま一回り年を取らせたような黒髪の女性だった。少しパサついた長い髪をかき上げながら、彼女は、きれいな二重の瞳を僕に向けて、言った。

「あら、どうも京子の母の真紀です。あなたが京子のお友達ね。プリント持ってきてくれてありがとう」

 星見さんの家に行く前に、僕はあらかじめ彼女の家に電話をかけていた。目の前の女性の声は、その時電話に出た人の声と同じものだった。きっと家の電話や来訪者の対応は、基本的にこの人がしているのだろう。

 真紀さんは、僕に笑顔を向けたが、その顔にはわずかな疲れが見えた。きっと彼女も、今の娘の状況に、頭を悩ませているのだろう。そんな彼女の心境を慮りながら、僕は真紀さんに言った。

「いえ、大丈夫です。家近かったんで。えっと、あの、星見さんは今いらっしゃいますか?」

 僕の言葉に、星見さんの母は、複雑そうな表情を浮かべる。その顔を見て、僕は、彼女の言葉の前に、僕の質問の答えを察知する。

「ごめんね。ちょうど外に出てしまったの。せっかく来てくれたのに、申し訳ないわ」

 おそらく、星見さんは、僕が家に来るタイミングを見計らって外に出たのだ。きっと彼女は、心の整理がついていないのかもしれない。だからまだ再び人とかかわりを持つ勇気を出すことができないのだろう。

「そうですか。残念です。じゃあこのプリント、星見さんに渡しておいてください」

 星見さんがいないのであればこれ以上ここにいても仕方がない。僕は、ドアの前から真紀さんにプリント類を渡し、自分の家に帰ろうとした。

「あの、少しだけ上がっていかない? せっかく京子のお友達が来てくれたのに何もおもてなしできないのは悪いし」

 すると、彼女は、優しく柔らかな表情を浮かべながら、こう言った。もしかしたら星見さんのことについて何か話したいことがあるのかもしれない。

「あ、ありがとうございます。それじゃ、少しだけおじゃまします」

 僕は、軽くお辞儀をして、靴をそろえ、星見さんの家に上がった。アロマに近い芳香剤の香りがふわりと鼻に届く。綺麗に掃除され光沢がかった廊下を抜けると、僕は、大きな机のある部屋に通された。

「そこに座って待っていて。今紅茶を入れてくるから」

 彼女は、そう言い残すと、僕を部屋において、一人キッチンに向かった。

 人の家をじろじろと見渡すことは、行儀のいいこととは言えない。それはよくわかっているが、やはり人様の家で手持ち無沙汰になると、周りを見渡すくらいしかやることはないものだ。色々な調理家電がそろっている広々としたキッチン。部屋の中をきらびやかに照らすシャンデリア。この部屋にあるすべてのものが、この家庭の豊かな暮らしを物語っていた。これは個人的な偏見も含まれているのかもしれないが、星見さんのような学校の規律を乱すような子がこの家で育つとは思えなかった。

「はい、どうぞ。あ、あなたは紅茶に砂糖は入れる人?」
「あ、大丈夫です。そのままいただきます」

 とりあえず一口と思って口に紅茶を流し込むと、鼻の奥から香りがふわっと広がった。それほど舌の肥えていない僕のような人間でも、この茶葉が通常より高いものであることはそれとなく予想がついた。

「君が平谷君って子なの?」

 彼女は僕に微笑みながらそう言った。

「あ、僕の名前ご存じなんですか?」
「前までは、娘がよく話してたからね。後、海斗君っていう子もいるんでしょ。機会があれば会ってみたかったわ」

 『前までは』彼女は、その言葉を発する際に、わずかに悲哀に満ちた雰囲気をまとっていた。今ではきっと、そのような学校生活の話を娘の口からきくことはないのだろう。

「……そうですか」

 彼女の心持ちを察して、僕は声の調子を落としながら、相槌を打った。気を遣わせたとでも思ったのか、少し声の調子を上げて、彼女は次の言葉を発した。

「あ、でも、本当に君と海斗君と会ってから、あの子は明るくなったのよ。休日に友達と遊びに行ってその思い出話を楽しそうにする京子の姿なんて私、久しぶりに見たの。二人と一緒に過ごせた時間は、本当に京子にとって幸せな時間だと思うわ。だから、母親としてお礼を言わせて。本当にありがとうね。今日はそれを伝えたかったの。もうすぐ私たちここから引っ越しちゃうと思うから」
「え、ひっこし?」

 娘の様子を笑顔で話す母親の話の中で、『ひっこし』というその言葉だけが、巨大な存在感を持って僕の前に現れた。ヒッコシ、ヒッコシ? 聞きなれたはずのその言葉の意味をどうにか理解しようとしていると、彼女が一つため息をついた。

「やっぱり言ってなかったのね。あれほど、友達にだけは言っておくように言ったのに」
「いや、ヒッコシってどういうことですか。転校ってことですよね? なんで転校しちゃうんですか。クラスメイトとの関係がうまくいっていないからですか」

 礼儀作法など一切忘れて、僕は友人の母親にただただ質問を繰り返す。それら全てを受け止めると、彼女は落ち着いて語りだした。

「うん。そうね。それが主な原因かしら。やっぱりこのまま学校に行かないってわけにもいかないしね」
「月下さんがクラスに来なかったら、こんなことにはなっていなかったんですか?」

 湧き上がる感情を抑えることができず、僕はついに彼女のことについて触れた。一瞬、何か冷たいものに触れたかのように、彼女の体は一瞬だけ固まった。やっぱり、月下さんと星見さんは、昔何かがあったのだ。僕は、彼女のことを尋ねるのは、このタイミングを置いて他にないと思った。ゆっくりと深呼吸して一度高ぶる感情を抑えながら、僕は彼女に向かって言った。

「教えてください。彼女に何が会ったのか。そうじゃないと、急に引っ越しなんて言われても、納得できないです」

 僕は、まっすぐに真紀さんを見つめた。彼女はしばらくの間、押し黙ってうつむき、自分の家の机の光沢にずっと目を向けている。わずかな時間、僕たちの間に、少しの沈黙が流れた。僕はその沈黙を決して自分から破ることなく、ただ黙って、真紀さんの次の言葉を待った。すると彼女は、こういった。

「そうね。納得できるわけないものね。私の知っている限りだけど、あの子に昔何があったのか話すわ。平谷君には、それで京子がどんな子だったのかちゃんと知ってほしい。京子は、君にとってある意味では、特別な存在だったみたいだから」

 彼女は、ゆっくりと紅茶を口に運んだ。そしてひと呼吸おいた後、真剣なまなざしで、彼女の過去を語りだした。

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