あなたの代わりに恋をする、はず、だった

清谷ロジィ

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「私なんて」「本が好き」な「寂しがり屋」

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「でね、さっきの話の続きだけど、文芸部に入らない?」

 高校生活の第一日目を終えたとたん、瑞希が私に詰め寄ってくる。
 そういえば、昼休みにそんな話をしていたような……。

「だから、私は部活には入らないって――」
「お願いっ!」

 瑞希が、昼休みに遥がしたように両手を合わせ、頭を下げる。なんだか今日はよく頭を下げられる日だな。瑞希の後頭部を眺めながら、そんなことを思った。

「チッカ。あたしに勉強教えてくれない?」
「……はぁ?」
「あたし、ここ補欠合格なんだ。このままじゃきっと落ちこぼれちゃう。今日一日で確信した」

 確かに、星山高校の授業のペースは大分早いようだった。入学したはいいものの、ついていけずに辞めてしまう生徒もいるのだと中学の先生からも聞かされていた。

「だからってなんで私が」
「だぁってー、こんなの頼めるのチッカだけなんだもん」

 もしかして昨日、カテゴリー違いの私に声をかけてきたのは、それが目的だったのか。
 ただ変わっているだけだと思っていた瑞希は、案外計算ずくで動いているのかもしれない。
 とはいえ、出会ってまだ二日でそんなに厚かましくなれるのは謎でしかないけれど。

「もちろん、タダとは言いません」
「タダじゃないって?」

 顔を上げた瑞希はにやりと笑うと、私のほうへ身を乗り出した。

「チッカの恋を応援します」

 まったく意味が分からなくて無反応の私に、瑞希は呆れた顔をする。

「だってさー、チッカって恋愛経験ゼロでしょ。色気とか隙とかがまったくないもん。それじゃあ遥くんも幼馴染の枠から出られないよね。その点、あたしは中学時代からそっち方面にはけっこう自信あるっていうか、まぁ、恋愛マスターといっても過言じゃないね。そんなあたしなら、チッカと遥くんを華麗にアシストしてあげられると思うんだけど」
「いったいどんな中学生だったのよ」

 しかし、瑞希が言い当てたように、私には恋愛経験なんかない。
 チーの約束と初恋を叶えるためにここに来たのに、具体的に何をどうすれば恋とやらが始まるのかが分からない。そんな当然のことを、今になってやっと気付くなんて我ながらどうかしている。
 改めて、瑞希の爪先から頭のてっぺんまで舐めるように観察する。スカートは昨日よりもちょっとだけ短くなっている。いろいろありすぎて昨日は気付かなかったけど、右耳に一つ、左耳には二つのピアスをつけ、緩められたリボンの奥には、キラリと細いネックレスが光っている。
 私とは全然違う人種だ、と改めて思い知る。恋愛マスターという胡散臭い称号も、あながち嘘ではないのかも……。

「よお、二人ともなにしてんの? まだ帰らない?」

 タイミングよくというか悪くというか、ちょうど遥が教室に入ってきた。
 瑞希がなにか閃いた、という顔をして、ひそひそと私に耳打ちをしてきた。その内容に私は大きく首を横に振る。

「……無理!」
「騙されたと思って! それに、これって恋愛マスターであるあたしの実力を試すいいチャンスじゃない?」

 ううう、それはそうだけど、そうなんだけど。罰ゲームか、罰ゲームなのか。これは。

「千佳?」

 怪訝そうな顔をする遥と、じりじり距離が詰まっていく(瑞希が背中を押してくるからだ)。ええい、もう仕方ない!
 一歩前に進み出ると、遥のブレザーの袖をくいと引っ張った。ええと……それから上目づかい、だっけ? 
 見上げると、わずかに目を見開いた遥と、ばっちり目が合う。――恥ずかしい。恥ずかしすぎる!
 逃げ出してしまいたい気持ちをぐっとこらえて、瑞希に言われたとおり小首を傾げる。

「い、一緒に帰ろ?」

 それから最後はにっこり。なんか、顔の筋肉がだいぶ引きつっているような気がするけれど。

「――おう」

 遥がくるりと背を向けた。
 え、ちょっと。全然ダメじゃない! これじゃ、私がただ恥をかいただけじゃないか。
 抗議の視線を送ると、瑞希は「見ろ」と言うように遥を指さしている。
 私に背を向けた遥の表情は分からないけれど、よく見れば、耳元がほんのりと赤く染まっていた。
 これは……まさか、あんなわざとらしい仕草がきいている……だと!
 好奇心に駆られて、そろりと遥の正面に回り込む。

「……んだよ」

 遥は、口元を手で覆って表情を隠そうとする。でも、私ははっきりと見てしまった。赤くなって動揺したような、その顔を。
 遥もあんな顔するんだ。女の子の相手なんか慣れてると思っていたのに。そして、そんな顔をさせたのが自分だと思うと、なんだか言いようもない感情が込み上げてきた。いわゆる、あざとい女子とはこうやってできていくのかもしれない。
 少し乱れた前髪を、そっと撫でつける。

「どう? なかなかやるでしょ?」

 私の背後に近付いてきた瑞希が、こそりとささやいた。

「……水曜日は家庭教師が来るから、それ以外ならいいよ。契約成立」
「りょーかい! 遥くん、ありがとね」
「は? なに?」
「なんでもない!」

 さっぱり状況をつかめないままの遥に、慌ててごまかす。

「じゃあそんなワケで文芸部に入りましょー」
「なにがそんなワケなのよ。勉強教えるのはいいけど、部活は――」

 言い争っていると、瑞希に意外な援軍が現れた。

「いいんじゃない。千佳だって卒業生代表狙ってるんだろ? 部活動もやっておいたほうがその確率上がると思うけど」

 遥がそう言うと、瑞希も「でしょでしょ」と大きくうなずいた。

「それに、千佳は本を読むのが好きだからぴったりだよ」
「……え?」

 私は、覚えたての言葉をすぐ使いたがる子どもだった。
 いつものようにチーと遊んでいるとき、本で読んだ「絶交」という言葉をどうしても使いたくて、ちょっとしたことでわざと怒ってみせて「チーとはもうぜっこうする!」と口にしたことがある。
 チーは目をぱちくりさせて、

 ――カーはむずかしい言葉を知ってるんだねぇ。たくさん本を読んでるからかな。

 と、笑った。そして、こう続けた。

 ――わたしはダメ。本を読むとすぐ眠くなっちゃうもん。

 私が知っているチーは本を読むのが苦手だったのに。遥と一緒にいたときは、本を読んでいたのかな……。

「文芸部って言っても別に小説書いたりしてるわけじゃなくて『自由な活動』ができるって噂を聞いたんだよねー。顧問もテキトーだから部室を自由に使えるらしくて、勉強部屋にするにはもってこいじゃない? カフェとかファミレスだとお金もかかるし」
「でも、そんな都合のいい部だったら、入部希望者が殺到してるんじゃないの?」
「うーん、そうでもないみたいよ。ほら、うちの高校って絶対部活入らなくちゃいけないわけじゃないからさ。みんな塾とかで忙しいんじゃない?」

 せっかくだからこのまま見学がてら入部届けをもらいにいこうと瑞希に言われて、私は文芸部の部室に向かうことになった。なぜか遥も一緒についてくる。

「遥は先に帰ってもいいよ」
「一緒に帰ろうって言ったの、千佳じゃん」

 さっきの行動を思い出して、顔から火が出そうになる。あんなことをしなければ恋は始まらないのか……。チーの代わりになるために、どんなことでもする覚悟だったけれど、まだまだ全然足りなかったみたいだ。
 文芸部の部室は、図書室の隣にある一体なんの目的で作られたのか分からない小さな部屋だった。ドアを開けると、そこは普通の教室の三分の二ほどの広さで、長机とパイプ椅子が無造作に並べられている。

「図書室なら隣だよ」

 部屋の隅から声がして、私たちは飛び上がった。
 その声の先に目をやると、一人の男子生徒が読んでいた本から顔を上げたところだった。ネクタイに入った緑色のラインは二年生の証。
 一見すると冷たく見えるほど整った顔立ちをしているのに、浮かべた笑みは柔らかく、どこかふわふわっとした雰囲気の人だ。
 手にしている本のタイトルは『葬儀を終えて』。
 アガサ・クリスティだ、と思い当たる。

「もっとも今日は開いてないけどね。君たちは新入生かな?」
「あの、あたしたち文芸部に入部したいと思って」

 瑞希がおそるおそる申し出ると、その人は弾かれたように立ち上がった。両手を開いて私たちにつかつかと歩み寄ってくる。
 え、なに、怖いんですけど! 思わず全員が一歩後ずさった。

「いやー助かったよ! いま部員は僕しかいなくてね、このままじゃ廃部になるところだったんだ。部として認められるには部員が三人必要だからね」

 桐原きりはら斗真とうまと名乗った彼は、嬉々として入部届けの用紙を私たちに手渡した。二年生で文芸部の部長だという(一人しかいないのだから当然だけど)。

「近藤瑞希ちゃんと――澤野、千佳ちゃん」

 記入した入部届用紙を確認すると、桐原先輩はじっと私を見つめた。意味を含んだようなその視線は、あまり心地のよいものではない。

「それじゃあもしかして、君は藤原遥くん?」

 入り口の辺りで所在なさげにしていた遥が、驚いたように顔を上げる。

「なんで、俺のこと知ってるんですか」
「そりゃあ、入学式の日にドラマを演じた王子様がいるって、僕の学年でも噂になってるからね。で、そのお相手が全校生徒にケンカを売った新入生代表、澤野千佳」

 へぇ、とか、ふぅん、とか言いながら、桐原先輩は私たちを眺めた。その目にはありありと好奇心が浮かんでいる。

「よかったら藤原くんも文芸部入ってみない?」
「俺が? いや、俺はただ二人についてきただけで。それに、千佳はよく本とか読んでたけど、俺はからっきしだし」

 チーはいったい何を読んでいたんだろう。
 ここ数年私が読むのは、だいたい人が死んで探偵が出てくる物語ばっかりだ。たとえば、桐原先輩が手にしているアガサ・クリスティとか。

「ふぅん。そっかー、君が入ってくれると僕も助かるんだけどな。ほら夏休みの合宿なんか、男が僕一人だと肩身が狭いからさ」

 私と瑞希は顔を見合わせた。そんな話聞いていない、とにらみつけた私に、瑞希は知らないと言うように首を横に振った。

「合宿って、泊まりがけでやるんですか」
「まあそうだね。二泊三日。仲睦まじく過ごすことになるかな」
「――入部届け、俺にもください」

 差し出された入部希望用紙をひったくるようにして取ると、遥は猛然と記入し始めた。

「まいどあり」

 にやりと先輩が笑みを浮かべた。なんとなく悪い笑いかただ。

「あの先輩、なかなか曲者だね」

 瑞希が私に顔を寄せてささやく。

「え、どういうこと?」
「もう、チッカは鈍いなぁ。桐原先輩、チッカに興味ある雰囲気出してるし、合宿なんかで二人っきりになったらヤバいって遥くんも思ったんだよ。チッカ愛されてるぅー」

 瑞希の声を聞きつけたのか、先輩がこちらを見て唇の前に人差し指を立て、片目をつぶってウインクした。

「先輩のほうが一枚上手だね。遥くん、うまく操られちゃってるじゃん。これは文芸部に嵐の予感!」

 楽しむんじゃない。そう言ってやりたかったが、ぐっとこらえて、机の下で足を蹴飛ばすだけにしておいた。
 家に帰って、なんとかママに部活に入ったことを納得させた私は、ぐったりとベッドの上に転がっていた。
 勉強は疎かにしない。瑛輔くんが来る日はちゃんと帰ってくる。もし遅くなる日が続くようなら辞める。増えた条件をすべて飲み込んでも、ママの不安は消えなかった。
 ママはいつだって不安な顔をしている。パパは仕事が忙しい。出張だなんだと言って、私と顔を合わせようとしない。
 チーが消えてしまったあの日から、私の家族はこの子ども部屋と同じように歪だ。
 ノートを引っ張り出して、新しいページに書き込みをする。

『チーは怒ったとき、私なんか、と言う』
『チーは本を読むのが好き』

 私はチーのすべてを知っていると思っていたのに、遥が知っているチーのことを私は知らない。私の半分だと思っていたチーが、どこか遠くなったような気がした。
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