あなたの代わりに恋をする、はず、だった

清谷ロジィ

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「優しい」私は「頼まれたら断れない」

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「いやー、ぴーちゃん。やるねぇ」

 吉田さんとのことを話すと、瑛輔くんはお腹を抱えてひーひーと笑い転げた。下にいるママに聞こえないかヒヤヒヤしてしまう。

「だって言われっぱなしなんて性に合わないし」
「でもさ、そういう裏表のある女子って面倒よ。ぴーちゃんも気を付けないと」

 病院の跡取り息子だけあって、瑛輔くんは人間関係の機微を捉える能力に長けている。

「ぴーちゃん、窮鼠猫を噛むっていうことわざ、知ってるよね」

 私がうなずいたのを確認して、瑛輔くんは「これは親父から聞いた話だけど」と続けた。

「むかしむかし、うちの病院の経理に勤続何十年っていうお局さまがおりました。仕事はまあまあできたらしいんだけど、パワハラ、モラハラ、エトセトラ。ハラスメントのデパートみたいなその人は、それはそれは嫌われていたのです」

 瑛輔くんの頭は、シルバーアッシュから鮮やかなブルーに変わっていた。季節より早いその変化に人間の頭皮はどこまで耐えられるのなのだろうか。

「ある日、その人が長年に渡ってちまちまと経費をちょろまかしていたのがバレてしまいました。当然仕事はクビ。でも、全額弁済するってことで、親父は警察へは訴えないことにしたんだ。最終日、誰もその人に声をかけなかったし、目も合わせない。送別会も見送りもなし。花束も用意されなかった。それどころか、早く出ていけとばかりにデスクは綺麗に片付けられて、ゴミ一つ残さず詰められたダンボール箱が乗っかってるだけ」

 いたずらっぽく笑いながら私のほうへ身を寄せた瑛輔くんは、声を潜めて囁いた。

「それをじぃっと見つめていたお局さまは、なんとそのまま院長室に直行して火を点けたんだ。幸い小火ぼやで済んだけど、結局警察に御用ってわけ。あのまま黙って辞めてれば、どこかで再就職できたはずなのにね」

 勢いよく体を起こした瑛輔くんに、椅子の背もたれがぎしりと軋んだ。

「なにが言いたいかっていうと、追い詰めすぎに要注意ってこと。女王様は我慢と屈辱がお嫌いだからね。――それはさておき、肝心の遥くんとはどうなってんの?」
「うん……」

 私の返事は、少し歯切れが悪い。
 遥との関係は、幼馴染としてこれ以上はないくらいうまくいっているし、遥は私がチーじゃないなんて、ちっとも疑っていない。
 恋の始まりは、瑞希のレクチャーを受けながら時間をかけるしかない。
 チーの身代わりになる、なんて無茶苦茶な計画にしては順調すぎるほどだ。それなのに、

「ときどき変だなって思う。遥が口にするチーは、私が知ってるチーと違うから」
「まあ、人間誰しも別の顔を持ってるもんだしね。それに、チーちゃんは遥くんのこと好きだったんだろ? だったら、ぴーちゃんの前で見せる顔とは違って当然だよ」

 階段を上ってくる足音が聞こえてきて、私たちは慌てて真剣な授業の体制に戻った。
 英語のイディオムを解説する瑛輔くんの声を聞きながら。私はノートに増えていく「遥が知ってるチー」のことを考えていた。
 ひとつ増えるたびに、チーと私が遠くなっていく。
 チーとカー。私たちは二人で一人。一人だと半分。だったのに。
 これじゃあまるで――私たち、別の人間みたいだ。

「先生、千佳ちゃん。お紅茶いれましたから、ちょっと休憩しません?」

 ママの声とともにドアが開いて、華やかなアールグレーの香りと、焼き立てのマフィンの芳醇なバターの香りがした。
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