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「優しい」私は「頼まれたら断れない」
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次の日、瑞希と一緒に登校した私は、下駄箱の前で立ち尽くしていた。
上履きがない。
「おはよう、澤野さん。どうしたの?」
吉田さんがにこにこしながら私たちの隣へやってきて声をかけてきた。
後ろに控えた西岡さんと伊東さんは、くすくすとわざとらしく笑い合っている。
「やだ。もしかして誰かに靴隠されちゃったのぉ?」
と、伊東さん。
「あーあ、やっぱりあんな変なスピーチしたせいで嫌われちゃったんだね。かわいそ」
と、西岡さん。
靴を履き替えた吉田さんが、私の横を通り過ぎる。花のような甘い香りとともに、私にだけ聞こえる言葉が落とされた。
「澤野さん、これからはもう少し、人の気持ちとか考えたほうがいいかもね。自分の言葉が誰かをイラつかせてないかって」
去っていく三人の後ろ姿を見ながら、瑞希が地団太を踏んで怒りをあらわにする。
「なによ、絶対あんたらがやったくせに! インケンなやりかたすんな、もう!」
「……とにかく、スリッパ借りてこなきゃ」
「あ、じゃあ、あたし職員室行ってくる。ついでに先生にチクってくるから!」
止める間もなく、瑞希が風のように駆けていく。
仕方なく、靴下のままで立ち尽くしたまま、これは瑛輔くんの予想が的中したんだな、とぼんやり考えていた。
私はただ、チーの初恋を守りたかっただけだけど、それが吉田さんの逆鱗に触れてしまったようだ。それにしても、さまざまに移り変わる時代の中で、嫌がらせの手口は意外とありきたりのままなんだな。
「おはよ。千佳、なにしてんの?」
振り返ると、遥がそこにいた。ふわり。世界が色づく。
「ちょっと、上履きがなくて」
私がそう言うと、遥の顔がわずかに険しくなった。
「……それ、どういうこと?」
「別に大したことじゃない、と思うけど。もしかしたら、誰かが間違っただけかもしれないし」
無茶苦茶な理由をつけてごまかそうとしたのは、遥が一瞬見せた激しい感情に、私が慌ててしまったからだ。世界の色が、すっと灰色に沈む感じ。重くて、息ができなくなる。
「――とりあえず、俺の使って」
遥が私の足下に自分の上履きを置いた。
「い、いいよ。瑞希がスリッパ借りに行ってくれたし」
「どうしても履かないって言うなら、俺、教室まで千佳を抱えていくけど」
「う……」
そんなことになったら吉田さんたちだけじゃなく、全校の女子に殺されてしまう。
観念した私は、しぶしぶ遥の上履きに足を差し入れた。
もちろんサイズなんて合っているわけもなく、ぶかぶかで、足裏にこれは自分のものじゃないっていう違和感。その違和感の正体は、遥の足のかたちのせいなんだと思うと、なぜだか顔が熱くなった。
「あれー、チッカなにそのビッグサイズの靴……」
スリッパ片手に戻ってきた瑞希が、私の足下を見て、それから遥の顔を見て、ははーんとすべてを理解した顔をした。
……その理解力があれば、高校の授業なんか楽勝だろうが。
「やだー、あたし小さいサイズのスリッパ借りてきちゃったのに」
瑞希が借りてきたスリッパを履いた遥は、まるで子どものサンダルを履いたお父さんみたいだった。
「めっちゃ歩きにくい」
「……私も」
小さすぎるスリッパを履いた遥と、大きすぎる上履きを履いた私は、よちよちと不確かな歩きで教室へ向かう。
「あっ」
「千佳!」
足がもつれて転びそうになった私を遥が支えようとした――けど、遥も踏ん張りがきかなくて、結局二人一緒に転んでしまう。
「いってー。千佳、大丈夫か?」
うん、と答えて顔を上げると、すぐ近くに遥の顔があった。私は、私を庇うようにして尻餅をついた遥に包まれていた。藍色のブレザー越しに、遥の体温が伝わってくる、
トクン、と心臓が音を立てた。
なに、これ。
私の奥で鳴り始めた鼓動が存在を主張する。ここにあるんだって。
……違う。違う。これは私のじゃない。
鳴るな、治まれ、それができないなら消えてしまえ。
決して届かない心臓を握りしめるように、ブレザーをぎゅっとつかんだ。
色が消えて、世界がモノクロに落ちていく。白と黒。
――かさかさ、しゃらしゃら、ざあざあ、ごうごう。
いや、やめて。チー。チーはどこ?
はらりとこぼれた前髪を押さえたとき、ぷっと遥が噴き出した。
その瞬間、白黒の世界がたちまち鮮やかに色づく。
「これじゃやっぱり、千佳を抱えていったほうが早いかも」
「……上履きとスリッパ、交換したらいいんだと思う」
「それはダメ」
遥が私の手を引いて立ち上がらせる。そして、自分の腕に絡ませる。
「ちゃんとつかまってて」
歩き出した遥に、思わずしがみつく格好になってしまう。
「うわー、朝からお熱いことで」
冷やかしてくる瑞希をにらみつけると、数メートル先でべーっと舌を出された。くそ、あとで一発殴ってやる!
超がつくほどのスローペースで歩く私たちを、教室へと急ぐ生徒たちが不思議に追い越していく。
階段という難所を乗り越えて、ようやく一学年の教室がある二階にたどりついた。
すでに私たちの行進は噂になっていたようで、あちこちのクラスから生徒たちが顔をのぞかせていた。
「ほら、チッカ見て見て」
瑞希の指さす先にいたのは吉田さんたちだった。
吉田さんはいつもの可愛らしい笑顔もなく、完全な無表情でこちらを見ていた。西岡さんと伊東さんは、その後ろでひそひそと言葉を交わし合っている。
「千佳の靴って、あいつらがやったの?」
「分かんないけど……たぶん」
「絶対そう!」
瑞希の力強い断言に、ふぅん、と言うと、遥は私の頭をぎゅっと抱き寄せた。
きゃあっ! と女子の悲鳴にも似た声が聞こえてくる。
え、ちょっと、なにこれ!
さっきからフルスロットルの心臓が、もう一段階ギアを上げた。もう無視できないくらいの鼓動が私の体さえ突き破ってしまいそうだった。
「上履き、今日一日お守り代わりに貸しておく」
耳元でささやくと、遥は私の頭をくしゃりと撫でた。
「じゃあまた後で」
そう言って教室に消えていく遥の背中をぼんやりと見つめていたが、瑞希が肘で小突く感触で意識を取り戻す。
「言ったでしょ、遥くんは強敵だって」
「う、うるさい」
だけど、私は気付いていた。私の心臓に負けないくらい、遥の心臓の音が早く、大きかったこと。私たちに背を向けた遥の耳元が、うっすらと赤く染まっていたこと。
あの鼓動と熱は、私のものじゃない。チーのものだ。
私は必死に前髪を撫でつける。
分かってる。ちゃんと分かってるからね、チー。
教室に入るとき、無表情の吉田さんとすれちがった。花のような甘い香りにまじって舌打ちが聞こえた。
自分の席に戻る吉田さんを「絵里奈ちゃん待ってよ」と、追いかける西岡さんと伊東さんが、私を突き飛ばすようにして押しのけていく。
「なにあいつら。ホント、くっだらない」
瑞希の意見には完全同意。……だけれど、やっぱり、その目に浮かぶ明確な拒絶には「どうして」と首を傾げてしまう。
塚本先生が教室に入ってきたので、私は急いで自分の席に向かった。
ぺたん、ぺたん。大きすぎる遥の上履きが立てる足音に、少し笑ってしまった。
上履きがない。
「おはよう、澤野さん。どうしたの?」
吉田さんがにこにこしながら私たちの隣へやってきて声をかけてきた。
後ろに控えた西岡さんと伊東さんは、くすくすとわざとらしく笑い合っている。
「やだ。もしかして誰かに靴隠されちゃったのぉ?」
と、伊東さん。
「あーあ、やっぱりあんな変なスピーチしたせいで嫌われちゃったんだね。かわいそ」
と、西岡さん。
靴を履き替えた吉田さんが、私の横を通り過ぎる。花のような甘い香りとともに、私にだけ聞こえる言葉が落とされた。
「澤野さん、これからはもう少し、人の気持ちとか考えたほうがいいかもね。自分の言葉が誰かをイラつかせてないかって」
去っていく三人の後ろ姿を見ながら、瑞希が地団太を踏んで怒りをあらわにする。
「なによ、絶対あんたらがやったくせに! インケンなやりかたすんな、もう!」
「……とにかく、スリッパ借りてこなきゃ」
「あ、じゃあ、あたし職員室行ってくる。ついでに先生にチクってくるから!」
止める間もなく、瑞希が風のように駆けていく。
仕方なく、靴下のままで立ち尽くしたまま、これは瑛輔くんの予想が的中したんだな、とぼんやり考えていた。
私はただ、チーの初恋を守りたかっただけだけど、それが吉田さんの逆鱗に触れてしまったようだ。それにしても、さまざまに移り変わる時代の中で、嫌がらせの手口は意外とありきたりのままなんだな。
「おはよ。千佳、なにしてんの?」
振り返ると、遥がそこにいた。ふわり。世界が色づく。
「ちょっと、上履きがなくて」
私がそう言うと、遥の顔がわずかに険しくなった。
「……それ、どういうこと?」
「別に大したことじゃない、と思うけど。もしかしたら、誰かが間違っただけかもしれないし」
無茶苦茶な理由をつけてごまかそうとしたのは、遥が一瞬見せた激しい感情に、私が慌ててしまったからだ。世界の色が、すっと灰色に沈む感じ。重くて、息ができなくなる。
「――とりあえず、俺の使って」
遥が私の足下に自分の上履きを置いた。
「い、いいよ。瑞希がスリッパ借りに行ってくれたし」
「どうしても履かないって言うなら、俺、教室まで千佳を抱えていくけど」
「う……」
そんなことになったら吉田さんたちだけじゃなく、全校の女子に殺されてしまう。
観念した私は、しぶしぶ遥の上履きに足を差し入れた。
もちろんサイズなんて合っているわけもなく、ぶかぶかで、足裏にこれは自分のものじゃないっていう違和感。その違和感の正体は、遥の足のかたちのせいなんだと思うと、なぜだか顔が熱くなった。
「あれー、チッカなにそのビッグサイズの靴……」
スリッパ片手に戻ってきた瑞希が、私の足下を見て、それから遥の顔を見て、ははーんとすべてを理解した顔をした。
……その理解力があれば、高校の授業なんか楽勝だろうが。
「やだー、あたし小さいサイズのスリッパ借りてきちゃったのに」
瑞希が借りてきたスリッパを履いた遥は、まるで子どものサンダルを履いたお父さんみたいだった。
「めっちゃ歩きにくい」
「……私も」
小さすぎるスリッパを履いた遥と、大きすぎる上履きを履いた私は、よちよちと不確かな歩きで教室へ向かう。
「あっ」
「千佳!」
足がもつれて転びそうになった私を遥が支えようとした――けど、遥も踏ん張りがきかなくて、結局二人一緒に転んでしまう。
「いってー。千佳、大丈夫か?」
うん、と答えて顔を上げると、すぐ近くに遥の顔があった。私は、私を庇うようにして尻餅をついた遥に包まれていた。藍色のブレザー越しに、遥の体温が伝わってくる、
トクン、と心臓が音を立てた。
なに、これ。
私の奥で鳴り始めた鼓動が存在を主張する。ここにあるんだって。
……違う。違う。これは私のじゃない。
鳴るな、治まれ、それができないなら消えてしまえ。
決して届かない心臓を握りしめるように、ブレザーをぎゅっとつかんだ。
色が消えて、世界がモノクロに落ちていく。白と黒。
――かさかさ、しゃらしゃら、ざあざあ、ごうごう。
いや、やめて。チー。チーはどこ?
はらりとこぼれた前髪を押さえたとき、ぷっと遥が噴き出した。
その瞬間、白黒の世界がたちまち鮮やかに色づく。
「これじゃやっぱり、千佳を抱えていったほうが早いかも」
「……上履きとスリッパ、交換したらいいんだと思う」
「それはダメ」
遥が私の手を引いて立ち上がらせる。そして、自分の腕に絡ませる。
「ちゃんとつかまってて」
歩き出した遥に、思わずしがみつく格好になってしまう。
「うわー、朝からお熱いことで」
冷やかしてくる瑞希をにらみつけると、数メートル先でべーっと舌を出された。くそ、あとで一発殴ってやる!
超がつくほどのスローペースで歩く私たちを、教室へと急ぐ生徒たちが不思議に追い越していく。
階段という難所を乗り越えて、ようやく一学年の教室がある二階にたどりついた。
すでに私たちの行進は噂になっていたようで、あちこちのクラスから生徒たちが顔をのぞかせていた。
「ほら、チッカ見て見て」
瑞希の指さす先にいたのは吉田さんたちだった。
吉田さんはいつもの可愛らしい笑顔もなく、完全な無表情でこちらを見ていた。西岡さんと伊東さんは、その後ろでひそひそと言葉を交わし合っている。
「千佳の靴って、あいつらがやったの?」
「分かんないけど……たぶん」
「絶対そう!」
瑞希の力強い断言に、ふぅん、と言うと、遥は私の頭をぎゅっと抱き寄せた。
きゃあっ! と女子の悲鳴にも似た声が聞こえてくる。
え、ちょっと、なにこれ!
さっきからフルスロットルの心臓が、もう一段階ギアを上げた。もう無視できないくらいの鼓動が私の体さえ突き破ってしまいそうだった。
「上履き、今日一日お守り代わりに貸しておく」
耳元でささやくと、遥は私の頭をくしゃりと撫でた。
「じゃあまた後で」
そう言って教室に消えていく遥の背中をぼんやりと見つめていたが、瑞希が肘で小突く感触で意識を取り戻す。
「言ったでしょ、遥くんは強敵だって」
「う、うるさい」
だけど、私は気付いていた。私の心臓に負けないくらい、遥の心臓の音が早く、大きかったこと。私たちに背を向けた遥の耳元が、うっすらと赤く染まっていたこと。
あの鼓動と熱は、私のものじゃない。チーのものだ。
私は必死に前髪を撫でつける。
分かってる。ちゃんと分かってるからね、チー。
教室に入るとき、無表情の吉田さんとすれちがった。花のような甘い香りにまじって舌打ちが聞こえた。
自分の席に戻る吉田さんを「絵里奈ちゃん待ってよ」と、追いかける西岡さんと伊東さんが、私を突き飛ばすようにして押しのけていく。
「なにあいつら。ホント、くっだらない」
瑞希の意見には完全同意。……だけれど、やっぱり、その目に浮かぶ明確な拒絶には「どうして」と首を傾げてしまう。
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