33 / 38
私の「本当」
5
しおりを挟む
八月の終わり。夏の日射しはだいぶ柔らかくなっていた。
夏休みも残りあと三日。
私は電車を乗り継いで、かつて住んでいた町に、チーと私が出会った町にやってきた。
見覚えのあるものが古くなっていたり、見慣れぬ真新しい建物がそびえ立っていたりと、記憶にある景色とはだいぶ変わっていたけれど、記憶の底がくすぐられて胸がきゅっとなった。
もう覚えていないと思っていたのに、私の足は迷わずに目的地へと向かっていく。
そして、チーとおばさんが住んでいたアパートの前にたどり着いた。もともと古ぼけていたせいか、昔とちっとも変わらないように見える。
行かなくちゃ。行くって、決めたんじゃない。
分かっているのに、足が動いてくれない。
チー。お願い。ちゃんと本当のことを話すから。だから、少しだけ応援して。
風が吹いた。
その風には少し甘いにおいが混じっていた。懐かしいにおい。
お腹が、きゅる、と鳴って、引き寄せられるように私は歩き出していた。
階段を上がる。
昔は一段一段が高くて大変だったのに、いまの私はちっともそんなふうに感じない。
砂埃がひどい廊下に、ぶーんと換気扇が鳴っている。油のにおいがした。
廊下に面した窓の前で立ち止まる。そして、昔の私たちがしていたように、魔法の言葉を唱えた。
「くーださい」
がらりと窓が開いたとき、一瞬あのときに戻ったような気がした。窓の向こうにはおばさんがいて、私の隣にはチーがいる。そんな気がした。
「ほら」
窓から差し出された菜箸に突き刺さっていたのは、もう二度と食べられないと思っていた、あのまん丸のドーナツ。カリカリの長いしっぽがついている。
「そこが好きなんだろ? 知花が教えてくれた。熱いから気を付けな」
目の前にいるおばさんは私が知っている姿より少し老けていたけれど、その目元はチーにそっくりだった。昔はそんなふうに思わなかったのに。
菜箸からドーナツを抜き取ってかじる。じゅわりと染み出た油が、口の中を焼いた。
はふ、と息を漏らした私に、おばさんは、
「言っただろうが」
と、少し笑った。
アパートには何度も来ていたけれど、中に入ったのは数えるほどだった。
きちんと掃除されたリビングは驚くほど物が少なく、チーを感じさせるものはどこにもなかった。
寝室として使っているらしい奥の部屋とは、ふすまで仕切られている。
丸いドーナツを山盛りにした皿と麦茶のコップを二つテーブルに置いたおばさんは、しげしげと私を見つめた。
「大きくなったね。生きてたら知花もこれくらいデカくなってたってことか。きっとこのアパートじゃ狭いって文句言ってただろうな。……まあ、いまも言ってるか」
おばさんは小皿にドーナツを三つ取り分けて立ち上がると、ふすまを開けた。なんとなくその動きを目で追った私は、思わず息をのんだ。
そこにはチーがぎゅうぎゅうに押し込められていた。
壁にはチーの写真がたくさん貼り付けられている。それ以外にも、チーが描いた絵、チラシの裏でひらがなの練習をしたもの、ぐちゃぐちゃになった折り鶴、幼稚園で母の日に作った紙製のカーネーション、運動会のお遊戯で使ったポンポンも。
パイプハンガーには見覚えのあるチーの服が掛かっている。海にさらわれたときに来ていたあの色とりどりの小花が咲いたワンピースもあった。
学習机に置かれた赤いランドセルと小さな仏壇にドーナツを供えると、おばさんは私の前にどかりと座った。手づかみでドーナツを口に放り込みながら、
「で、いまさらなんの用で来たんだ?」
と、聞いた。
だけど、私は開け放されたふすまの向こうから目が離せないでいた。
「捨てられないんだよ」
私の視線に気付いたおばさんが苦笑した。
二つ目のドーナツを口元まで運んで、少し迷ってから皿に戻すと「食べな」と、私のほうに押してよこした。
おばさんは、あの部屋で毎晩眠っているんだろうか。不自然なまでにチーを押し込めたあの空間の中で、どんな夢を見るんだろう。
「ごめんなさい」
擦り切れた畳に手をついて頭を下げる。ここにも油のにおいが染み付いていた。
「チーが死んだのは私のせいなんです」
換気扇がぶーんと回り続けていた。少し間があって、おばさんがぽつりと言った。
「あんたは殴られに来たのか? それとも許してもらいに来たのか?」
「分からないけど、でも、こうしなきゃいけないって思った」
歪なのは私やパパやママだけじゃない。おばさんもだった。
忘れたくない、忘れたい、忘れちゃいけない、会いたい、会えない。チーはこの世界のどこにも、もういない。
この部屋と私がマットレスの下に隠したノートは同じだ。チーを狭いところに詰め込んで隠し、それとともに眠る。そんなのおかしい。
チーは、もっと広いところにいるべきだ。
「そうか」
おばさんが私の肩をつかんで起き上がらせる。食い込んだ指が痛い。
十センチも離れていないところに、おばさんの目が――チーによく似たその目が私を見つめている。
「ごめんなさい」
十年前に私がしなきゃいけなかったことは、チーに、おばさんにちゃんと謝ること。
みんなに怒られ、憎まれること。チーのために泣くこと。
そうすれば、みんなはチーを正しく思い出にできたのかもしれない。
私の嘘はチーを死なせてしまっただけじゃない。みんなの中にいるチーを閉じ込めて、歪めて、触れてはいけないものにしてしまった。
「嘘をついて、本当にごめんなさい」
おばさんの手がふっと緩んだ。そして、私を強く抱きしめた。
油のにおいの奥に、記憶の中に残っていたチーと同じにおいがした。
誰かに触れられるのは嫌い。大嫌い。
それなのに、温もりが私の心をほぐしていく。
うぅっ、と声が漏れた。
「ご、めんなさい」
涙が一つ落ちると、あとはもう止まらなかった。私は、五歳の私に戻ったように泣いた。
おばさんはそんな私の背中をさすり続けてくれた。
どれくらいの時間泣き続けたのか、部屋に差し込む光はすっかり弱くなっていた。
コップの麦茶を立て続けに二杯飲み干したおばさんは、隣の部屋に私を促した。
日当たりが悪く、少し湿った感じがする部屋で、無数のチーが私を見つめている。
仏壇に手を合わせたあと、チーが背負えなかった赤いランドセルに触れた。
チー、私もね、約束どおり、ちゃんと赤いランドセルにしたんだよ。それからね――遥に会ったよ。チーが大好きだった人。
やっぱり、チーに会いたいな。
私と同じ高校生になったチーと話してみたかった。
星山高校のこと、制服のこと、新入生代表になったこと、私が読んだ本のこと、瑞希のこと、桐原先輩のこと、吉田さんたちのこと――そして、遥のこと。
でも、会いたいと願うのは、会えないからなんだ。
チーとカー。私たちは二人で一人。一人だと生きられない。あのとき、間違いなくそれが私たちの「本当」だった。
「――本当は知ってたんだ。この子があんたを探して外に出たってこと」
おばさんの言葉に、私は驚いて顔を上げた。
「あんたの親父さんがここに来て、話してくれた。さっきのあんたみたいに土下座して『娘の責任は自分が取る。憎むなら私を憎んでほしい』ってさ」
パパが? 私に嘘をつくように言ったパパが、私を責め続けたパパが、どうして。
「腹が立ってね。つい言っちまったんだ。じゃあ、あんたも娘を失ってみなよってさ」
あの日から仕事が忙しくなったパパ。出張だなんだと家にあまり帰ってこなくなったパパ。私をその目に映さなくなったパパ。私に背中を向け続けたパパ。
「親父さんに、もういいって伝えてくれる? あんたがちゃんと謝ってくれたんだから、あたしもちゃんと謝らないとな。辛い思いをさせただろ? ごめんな」
頭を下げたおばさんに、私は慌てて首を横に振る。
「親父さんは十年間ずっと、月命日にはあの子の墓に花を供えに来てくれたんだ。ちょっとウザいくらいだったけど――あたし以外にあの子を覚えてる人がいる。それが救いだった」
アパートを出る私に、おばさんはチーに供えたドーナツをティッシュに包んで持たせた。
「久々に一緒に食べてやって。それと……よかったらまた来てよ。あの子の――知花のことを話したいし、今のあんたのことも教えてほしい」
「はい――必ず」
もらったドーナツを落とさないよう、しっかりと胸に抱いて私は走った。汗をかいて、心臓を鳴らして、たどり着いた公園のベンチでドーナツをかじる。
口中の水分が吸い取られ、うまく飲み込めない。カリカリだったしっぽも時間がたってすっかりふにゃふにゃ。
「やっぱり揚げたてが一番だね、チー」
ドーナツを食べながらくすくす笑う私を、犬を連れたおばさんが怪訝そうな顔で見ていた。
家に帰ると、パパとママが私を待っていた。
二人の間でどんな話し合いがあったのか、ママの目は真っ赤で、パパの着ているシャツのボタンが二つ飛んでいた。
いつも綺麗なリビングは荒れて、雑然としていて、でもなんだか生々しさがあっていいなって思った。
「ちゃんと謝ってきたよ。パパのことも聞いた。いままでずっとありがとう」
「――私に黙って一人で全部背負うなんて。話してくれればよかったのに。そんなに私は頼りないのかしら」
「すまん」
乱れた頭を掻きながら、パパは申し訳なさそうな顔をした。ケンカの原因はそれか。
「すまん、で済むなんてずいぶん簡単ね」
ここ数日の出来事がショック療法になったのか、あの日からずっとふわふわしていたママが急にしゃんとした気がする。
「ねえ、今度チーのお墓参りするときはみんなで行こうよ」
「――そうね。あの子は千佳ちゃんと同じでマドレーヌが好きだったから、たくさん焼かないと」
「いいでしょ。パパ」
私はパパの手を取った。
いままで本当にありがとう。
ずっと一人で私の嘘を背負い続けてくれて。
でも、私はもう五歳の子どもじゃないから。これからは私が私の嘘と向き合うよ。
「――ああ、そうだな」
パパが笑った。それは、十年ぶりに見る笑顔だった。
夏休みも残りあと三日。
私は電車を乗り継いで、かつて住んでいた町に、チーと私が出会った町にやってきた。
見覚えのあるものが古くなっていたり、見慣れぬ真新しい建物がそびえ立っていたりと、記憶にある景色とはだいぶ変わっていたけれど、記憶の底がくすぐられて胸がきゅっとなった。
もう覚えていないと思っていたのに、私の足は迷わずに目的地へと向かっていく。
そして、チーとおばさんが住んでいたアパートの前にたどり着いた。もともと古ぼけていたせいか、昔とちっとも変わらないように見える。
行かなくちゃ。行くって、決めたんじゃない。
分かっているのに、足が動いてくれない。
チー。お願い。ちゃんと本当のことを話すから。だから、少しだけ応援して。
風が吹いた。
その風には少し甘いにおいが混じっていた。懐かしいにおい。
お腹が、きゅる、と鳴って、引き寄せられるように私は歩き出していた。
階段を上がる。
昔は一段一段が高くて大変だったのに、いまの私はちっともそんなふうに感じない。
砂埃がひどい廊下に、ぶーんと換気扇が鳴っている。油のにおいがした。
廊下に面した窓の前で立ち止まる。そして、昔の私たちがしていたように、魔法の言葉を唱えた。
「くーださい」
がらりと窓が開いたとき、一瞬あのときに戻ったような気がした。窓の向こうにはおばさんがいて、私の隣にはチーがいる。そんな気がした。
「ほら」
窓から差し出された菜箸に突き刺さっていたのは、もう二度と食べられないと思っていた、あのまん丸のドーナツ。カリカリの長いしっぽがついている。
「そこが好きなんだろ? 知花が教えてくれた。熱いから気を付けな」
目の前にいるおばさんは私が知っている姿より少し老けていたけれど、その目元はチーにそっくりだった。昔はそんなふうに思わなかったのに。
菜箸からドーナツを抜き取ってかじる。じゅわりと染み出た油が、口の中を焼いた。
はふ、と息を漏らした私に、おばさんは、
「言っただろうが」
と、少し笑った。
アパートには何度も来ていたけれど、中に入ったのは数えるほどだった。
きちんと掃除されたリビングは驚くほど物が少なく、チーを感じさせるものはどこにもなかった。
寝室として使っているらしい奥の部屋とは、ふすまで仕切られている。
丸いドーナツを山盛りにした皿と麦茶のコップを二つテーブルに置いたおばさんは、しげしげと私を見つめた。
「大きくなったね。生きてたら知花もこれくらいデカくなってたってことか。きっとこのアパートじゃ狭いって文句言ってただろうな。……まあ、いまも言ってるか」
おばさんは小皿にドーナツを三つ取り分けて立ち上がると、ふすまを開けた。なんとなくその動きを目で追った私は、思わず息をのんだ。
そこにはチーがぎゅうぎゅうに押し込められていた。
壁にはチーの写真がたくさん貼り付けられている。それ以外にも、チーが描いた絵、チラシの裏でひらがなの練習をしたもの、ぐちゃぐちゃになった折り鶴、幼稚園で母の日に作った紙製のカーネーション、運動会のお遊戯で使ったポンポンも。
パイプハンガーには見覚えのあるチーの服が掛かっている。海にさらわれたときに来ていたあの色とりどりの小花が咲いたワンピースもあった。
学習机に置かれた赤いランドセルと小さな仏壇にドーナツを供えると、おばさんは私の前にどかりと座った。手づかみでドーナツを口に放り込みながら、
「で、いまさらなんの用で来たんだ?」
と、聞いた。
だけど、私は開け放されたふすまの向こうから目が離せないでいた。
「捨てられないんだよ」
私の視線に気付いたおばさんが苦笑した。
二つ目のドーナツを口元まで運んで、少し迷ってから皿に戻すと「食べな」と、私のほうに押してよこした。
おばさんは、あの部屋で毎晩眠っているんだろうか。不自然なまでにチーを押し込めたあの空間の中で、どんな夢を見るんだろう。
「ごめんなさい」
擦り切れた畳に手をついて頭を下げる。ここにも油のにおいが染み付いていた。
「チーが死んだのは私のせいなんです」
換気扇がぶーんと回り続けていた。少し間があって、おばさんがぽつりと言った。
「あんたは殴られに来たのか? それとも許してもらいに来たのか?」
「分からないけど、でも、こうしなきゃいけないって思った」
歪なのは私やパパやママだけじゃない。おばさんもだった。
忘れたくない、忘れたい、忘れちゃいけない、会いたい、会えない。チーはこの世界のどこにも、もういない。
この部屋と私がマットレスの下に隠したノートは同じだ。チーを狭いところに詰め込んで隠し、それとともに眠る。そんなのおかしい。
チーは、もっと広いところにいるべきだ。
「そうか」
おばさんが私の肩をつかんで起き上がらせる。食い込んだ指が痛い。
十センチも離れていないところに、おばさんの目が――チーによく似たその目が私を見つめている。
「ごめんなさい」
十年前に私がしなきゃいけなかったことは、チーに、おばさんにちゃんと謝ること。
みんなに怒られ、憎まれること。チーのために泣くこと。
そうすれば、みんなはチーを正しく思い出にできたのかもしれない。
私の嘘はチーを死なせてしまっただけじゃない。みんなの中にいるチーを閉じ込めて、歪めて、触れてはいけないものにしてしまった。
「嘘をついて、本当にごめんなさい」
おばさんの手がふっと緩んだ。そして、私を強く抱きしめた。
油のにおいの奥に、記憶の中に残っていたチーと同じにおいがした。
誰かに触れられるのは嫌い。大嫌い。
それなのに、温もりが私の心をほぐしていく。
うぅっ、と声が漏れた。
「ご、めんなさい」
涙が一つ落ちると、あとはもう止まらなかった。私は、五歳の私に戻ったように泣いた。
おばさんはそんな私の背中をさすり続けてくれた。
どれくらいの時間泣き続けたのか、部屋に差し込む光はすっかり弱くなっていた。
コップの麦茶を立て続けに二杯飲み干したおばさんは、隣の部屋に私を促した。
日当たりが悪く、少し湿った感じがする部屋で、無数のチーが私を見つめている。
仏壇に手を合わせたあと、チーが背負えなかった赤いランドセルに触れた。
チー、私もね、約束どおり、ちゃんと赤いランドセルにしたんだよ。それからね――遥に会ったよ。チーが大好きだった人。
やっぱり、チーに会いたいな。
私と同じ高校生になったチーと話してみたかった。
星山高校のこと、制服のこと、新入生代表になったこと、私が読んだ本のこと、瑞希のこと、桐原先輩のこと、吉田さんたちのこと――そして、遥のこと。
でも、会いたいと願うのは、会えないからなんだ。
チーとカー。私たちは二人で一人。一人だと生きられない。あのとき、間違いなくそれが私たちの「本当」だった。
「――本当は知ってたんだ。この子があんたを探して外に出たってこと」
おばさんの言葉に、私は驚いて顔を上げた。
「あんたの親父さんがここに来て、話してくれた。さっきのあんたみたいに土下座して『娘の責任は自分が取る。憎むなら私を憎んでほしい』ってさ」
パパが? 私に嘘をつくように言ったパパが、私を責め続けたパパが、どうして。
「腹が立ってね。つい言っちまったんだ。じゃあ、あんたも娘を失ってみなよってさ」
あの日から仕事が忙しくなったパパ。出張だなんだと家にあまり帰ってこなくなったパパ。私をその目に映さなくなったパパ。私に背中を向け続けたパパ。
「親父さんに、もういいって伝えてくれる? あんたがちゃんと謝ってくれたんだから、あたしもちゃんと謝らないとな。辛い思いをさせただろ? ごめんな」
頭を下げたおばさんに、私は慌てて首を横に振る。
「親父さんは十年間ずっと、月命日にはあの子の墓に花を供えに来てくれたんだ。ちょっとウザいくらいだったけど――あたし以外にあの子を覚えてる人がいる。それが救いだった」
アパートを出る私に、おばさんはチーに供えたドーナツをティッシュに包んで持たせた。
「久々に一緒に食べてやって。それと……よかったらまた来てよ。あの子の――知花のことを話したいし、今のあんたのことも教えてほしい」
「はい――必ず」
もらったドーナツを落とさないよう、しっかりと胸に抱いて私は走った。汗をかいて、心臓を鳴らして、たどり着いた公園のベンチでドーナツをかじる。
口中の水分が吸い取られ、うまく飲み込めない。カリカリだったしっぽも時間がたってすっかりふにゃふにゃ。
「やっぱり揚げたてが一番だね、チー」
ドーナツを食べながらくすくす笑う私を、犬を連れたおばさんが怪訝そうな顔で見ていた。
家に帰ると、パパとママが私を待っていた。
二人の間でどんな話し合いがあったのか、ママの目は真っ赤で、パパの着ているシャツのボタンが二つ飛んでいた。
いつも綺麗なリビングは荒れて、雑然としていて、でもなんだか生々しさがあっていいなって思った。
「ちゃんと謝ってきたよ。パパのことも聞いた。いままでずっとありがとう」
「――私に黙って一人で全部背負うなんて。話してくれればよかったのに。そんなに私は頼りないのかしら」
「すまん」
乱れた頭を掻きながら、パパは申し訳なさそうな顔をした。ケンカの原因はそれか。
「すまん、で済むなんてずいぶん簡単ね」
ここ数日の出来事がショック療法になったのか、あの日からずっとふわふわしていたママが急にしゃんとした気がする。
「ねえ、今度チーのお墓参りするときはみんなで行こうよ」
「――そうね。あの子は千佳ちゃんと同じでマドレーヌが好きだったから、たくさん焼かないと」
「いいでしょ。パパ」
私はパパの手を取った。
いままで本当にありがとう。
ずっと一人で私の嘘を背負い続けてくれて。
でも、私はもう五歳の子どもじゃないから。これからは私が私の嘘と向き合うよ。
「――ああ、そうだな」
パパが笑った。それは、十年ぶりに見る笑顔だった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました
専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる