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みんなの「本当」
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「チッカ、写真撮ってよ!」
「恥ずかしいからやめて」
夏休み明けすぐの実力テストの結果が出て、廊下に貼り出された上位五十名の四十三位には「近藤瑞希」の名前があった。
放課後、人気の少ない廊下で瑞希が大いにはしゃいでいる。
「でもまあ、頑張ったじゃない」
「でっしょー! チッカのおかげ。チッカは当然一位で、遥くんは二十一位か。文芸部の面目躍如ってね」
遥の名前に心臓がドキリとした。
「あれから遥くん、全然チッカに会いに来ないね。文芸部もずーっと休んでるし」
瑞希が私の顔をのぞきこんだ。灰色がかったカラーコンタクトは、いつの間にか外されている。
かつて瑞希がまとっていた鎧のような装飾はどんどんと剥がれ落ちて、いまはちょっとだけ派手な女子高生といったビジュアルになっていた。
「もしかしてケンカしたの?」
「……そういうんじゃないよ」
「もしなんかあったらこの恋愛マスターにちゃんと相談してよ。それが、チッカとあたしの契約だし、友達なんだからさ」
瑞希が、私の足を蹴飛ばした。だけど、私は蹴り返すことができなかった。ただ曖昧に笑ってごまかした。
「あーあー、やだやだ。ちょっと結果がよかっただけではしゃいじゃってさ」
通りかかった吉田さんと西岡さんと伊東さんが、わざとらしく言った。
「あ、ごっめーん。中学校時代くそダサで空気読まずのいじめられっ子で不登校なあたしがはしゃいでちゃ迷惑だよねぇ。ところでみなさんのお名前見つけられなかったんだけど、教えてもらっていいですかぁ?」
「う、うるさい!」
パタパタと走って逃げた三人に向かって、瑞希がべーっと舌を出す。
「昔、あたしをいじめてたやつらに似てるんだよね、吉田さんって。だから大っ嫌いだったんだけど、意外と大したことないんだね」
それは瑞希が強くなったからだ。「本当」を手にしたから。
私も「本当」に手を伸ばすことはできたけど、瑞希のように強くなれるのかな。そしたら、遥に掛ける言葉が見つかるだろうか。
「そういやチッカ。桐原先輩の告白どうすんの? もう断ったの?」
「う……それが」
あの夏の砂浜で突然の告白をした桐原先輩は、あれからずっと「お付き合いはできません」という私の答えをのらりくらりとかわし続けている。
「今はそうかもしれないけど、人の気持ちなんて明日変わることだってあるでしょ。僕は明日に賭けるよ」
そう言って、いつものようにアガサ・クリスティに目を落としてシャットアウト。私の言葉はいつだって宙ぶらりんでほったらかしだ。
「ガツンと言ってやるしかないんじゃない。あ、そうだ。あたしこれから面談だからさ、先に部室に行っててよ」
面談とは、担任との二者面談のことだ。
私たちもすでに「なんとなく」が通用しなくなる時期になっていた。
目標とする進路に対し、いまの自分にはなにが足りないのか、なにをしなければならないのか、を確認する重要な面談だ。
個人差はあるが、一人につきだいたい三十分ほどかかるので、数日に分けて行われる。瑞希は今日に割り振られていたらしい。
桐原先輩がいるはずの部室に一人で行くのは気が重いけれど、今日こそちゃんと断らないと! と気合を入れてドアを開けた。
それなのに、目に飛び込んできた光景に、私の気合なんて吹っ飛んでしまう。
「遥」
久し振りに目にしたその姿はやっぱり綺麗で、私の世界がふわりと色づく。
「ああ、千佳ちゃん。いいところに。遥くんがね、文芸部を辞めるっていうんだけどさ、引き止めてくれない? 辞められたら廃部になっちゃうからね」
桐原先輩が手にしているのは『三幕の殺人』。私が好きなポワロシリーズ。
「大した活動もしてないんだから、別に廃部になってもいいじゃないですか。本ならどこでだって読めるんだし」
遥はうつむいたまま、そう吐き捨てた。私の姿を見るつもりはない、とでもいうように、その視線は爪先に縫い留められている。
「分かってないなぁ。僕は君や瑞希ちゃん、千佳ちゃんがいるこの場所が好きなんだよ」
「そんなの俺にはなんの関係もないです」
「君には『関係ない』ことばっかりだねぇ」
桐原先輩は本を閉じて立ち上がった。
「背中を向けるだけで手にできる解決は、いつか絶対に後悔に変わる。僕はそう思うけど」
「……そんなの」
「関係ない、かな?」
先回りされて、遥は唇をぐっと噛んだ。
「とにかく、俺は辞めます。お世話になりました」
入口で立ち尽くしたままの私の横を、遥が通り過ぎる。巻き上がった風に前髪が揺れた。
「追いかけないの?」
私は小さく首を横に振った。
遥にかける言葉が――私の言葉がまだ見つからない。
きっと、いま私の口から出る言葉は、チーになろうとした浅ましさを残した言葉。
「そういえば瑞希ちゃんは?」
「……瑞希は二者面談があるから、遅れるって」
「ああもうそんな時期か。大変だよねぇ。まだ入学して半年もたたないのに進路の話なんてさ」
私たちよりずっと差し迫った現実であるはずなのに、桐原先輩にはそんな焦りなんかみじんも感じさせない。
「先輩、あの、私……」
今日こそ断ろうという決意を思い出して口を開いた私に、先輩が、すっと顔を近づける。
「遥くんはもう君のことなんかどうでもいいみたいだね」
その顔は少しだけ爬虫類を連想させる。触れたらひやりと冷たそうな――。
「千佳ちゃんだってそうなんじゃない? だから追いかけないんだろう?」
「ち、違います……っ!」
「近藤瑞希、ただいま参上しましたぁー」
勢いよく部室に飛び込んできた瑞希がおどけて敬礼ポーズをとったが、微妙な空気を察したのか問うような視線を私に向けた。一瞬の沈黙のあと、最初に「いつもどおり」を取り戻したのは桐原先輩だった。
「瑞希ちゃん、お疲れさま。進路相談大変だったろ」
「あ、そうなんですよー。塚本先生ってばいい加減なこと言うとすぐにらんでくるから参っちゃう」
二人の会話はいつもの文芸部と変わりないのに、私だけは全然違うところにいる気がした。
「恥ずかしいからやめて」
夏休み明けすぐの実力テストの結果が出て、廊下に貼り出された上位五十名の四十三位には「近藤瑞希」の名前があった。
放課後、人気の少ない廊下で瑞希が大いにはしゃいでいる。
「でもまあ、頑張ったじゃない」
「でっしょー! チッカのおかげ。チッカは当然一位で、遥くんは二十一位か。文芸部の面目躍如ってね」
遥の名前に心臓がドキリとした。
「あれから遥くん、全然チッカに会いに来ないね。文芸部もずーっと休んでるし」
瑞希が私の顔をのぞきこんだ。灰色がかったカラーコンタクトは、いつの間にか外されている。
かつて瑞希がまとっていた鎧のような装飾はどんどんと剥がれ落ちて、いまはちょっとだけ派手な女子高生といったビジュアルになっていた。
「もしかしてケンカしたの?」
「……そういうんじゃないよ」
「もしなんかあったらこの恋愛マスターにちゃんと相談してよ。それが、チッカとあたしの契約だし、友達なんだからさ」
瑞希が、私の足を蹴飛ばした。だけど、私は蹴り返すことができなかった。ただ曖昧に笑ってごまかした。
「あーあー、やだやだ。ちょっと結果がよかっただけではしゃいじゃってさ」
通りかかった吉田さんと西岡さんと伊東さんが、わざとらしく言った。
「あ、ごっめーん。中学校時代くそダサで空気読まずのいじめられっ子で不登校なあたしがはしゃいでちゃ迷惑だよねぇ。ところでみなさんのお名前見つけられなかったんだけど、教えてもらっていいですかぁ?」
「う、うるさい!」
パタパタと走って逃げた三人に向かって、瑞希がべーっと舌を出す。
「昔、あたしをいじめてたやつらに似てるんだよね、吉田さんって。だから大っ嫌いだったんだけど、意外と大したことないんだね」
それは瑞希が強くなったからだ。「本当」を手にしたから。
私も「本当」に手を伸ばすことはできたけど、瑞希のように強くなれるのかな。そしたら、遥に掛ける言葉が見つかるだろうか。
「そういやチッカ。桐原先輩の告白どうすんの? もう断ったの?」
「う……それが」
あの夏の砂浜で突然の告白をした桐原先輩は、あれからずっと「お付き合いはできません」という私の答えをのらりくらりとかわし続けている。
「今はそうかもしれないけど、人の気持ちなんて明日変わることだってあるでしょ。僕は明日に賭けるよ」
そう言って、いつものようにアガサ・クリスティに目を落としてシャットアウト。私の言葉はいつだって宙ぶらりんでほったらかしだ。
「ガツンと言ってやるしかないんじゃない。あ、そうだ。あたしこれから面談だからさ、先に部室に行っててよ」
面談とは、担任との二者面談のことだ。
私たちもすでに「なんとなく」が通用しなくなる時期になっていた。
目標とする進路に対し、いまの自分にはなにが足りないのか、なにをしなければならないのか、を確認する重要な面談だ。
個人差はあるが、一人につきだいたい三十分ほどかかるので、数日に分けて行われる。瑞希は今日に割り振られていたらしい。
桐原先輩がいるはずの部室に一人で行くのは気が重いけれど、今日こそちゃんと断らないと! と気合を入れてドアを開けた。
それなのに、目に飛び込んできた光景に、私の気合なんて吹っ飛んでしまう。
「遥」
久し振りに目にしたその姿はやっぱり綺麗で、私の世界がふわりと色づく。
「ああ、千佳ちゃん。いいところに。遥くんがね、文芸部を辞めるっていうんだけどさ、引き止めてくれない? 辞められたら廃部になっちゃうからね」
桐原先輩が手にしているのは『三幕の殺人』。私が好きなポワロシリーズ。
「大した活動もしてないんだから、別に廃部になってもいいじゃないですか。本ならどこでだって読めるんだし」
遥はうつむいたまま、そう吐き捨てた。私の姿を見るつもりはない、とでもいうように、その視線は爪先に縫い留められている。
「分かってないなぁ。僕は君や瑞希ちゃん、千佳ちゃんがいるこの場所が好きなんだよ」
「そんなの俺にはなんの関係もないです」
「君には『関係ない』ことばっかりだねぇ」
桐原先輩は本を閉じて立ち上がった。
「背中を向けるだけで手にできる解決は、いつか絶対に後悔に変わる。僕はそう思うけど」
「……そんなの」
「関係ない、かな?」
先回りされて、遥は唇をぐっと噛んだ。
「とにかく、俺は辞めます。お世話になりました」
入口で立ち尽くしたままの私の横を、遥が通り過ぎる。巻き上がった風に前髪が揺れた。
「追いかけないの?」
私は小さく首を横に振った。
遥にかける言葉が――私の言葉がまだ見つからない。
きっと、いま私の口から出る言葉は、チーになろうとした浅ましさを残した言葉。
「そういえば瑞希ちゃんは?」
「……瑞希は二者面談があるから、遅れるって」
「ああもうそんな時期か。大変だよねぇ。まだ入学して半年もたたないのに進路の話なんてさ」
私たちよりずっと差し迫った現実であるはずなのに、桐原先輩にはそんな焦りなんかみじんも感じさせない。
「先輩、あの、私……」
今日こそ断ろうという決意を思い出して口を開いた私に、先輩が、すっと顔を近づける。
「遥くんはもう君のことなんかどうでもいいみたいだね」
その顔は少しだけ爬虫類を連想させる。触れたらひやりと冷たそうな――。
「千佳ちゃんだってそうなんじゃない? だから追いかけないんだろう?」
「ち、違います……っ!」
「近藤瑞希、ただいま参上しましたぁー」
勢いよく部室に飛び込んできた瑞希がおどけて敬礼ポーズをとったが、微妙な空気を察したのか問うような視線を私に向けた。一瞬の沈黙のあと、最初に「いつもどおり」を取り戻したのは桐原先輩だった。
「瑞希ちゃん、お疲れさま。進路相談大変だったろ」
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二人の会話はいつもの文芸部と変わりないのに、私だけは全然違うところにいる気がした。
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