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みんなの「本当」
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「ふーん、とうとう遥くんとは関係断絶ってわけか」
瑛輔くんが大きく息をついた。
夏合宿から戻るとすぐに、瑛輔くんの髪は赤く染められ、ファッションも、私にとっての「いつもどおり」に戻った。
今日は、中指を立てた女の人がプリントされたTシャツと、ぎちぎち音を立てる黒い皮のパンツだ。海辺の別荘がよく似合う爽やか好青年の面影なんてどこにもない。
「まあ、でもこれをきっかけに最初からやり直してみたらいいんじゃない? ぴーちゃん本人として、ちゃんと遥くんに向き合ったらきっと応えてくれるよ」
「そんな簡単に言わないでよ」
「でも、好きなんだろ?」
「無理だよ。遥にとっての『ちか』はチーだけだもの」
私はチーを死なせたニセモノ。
しかも、遥に嘘をついてチーになろうとした。そんな私を、遥が許してくれるわけがない。
引き出しを開けて、ぼろぼろになったノートを取り出す。もうマットレスの下に隠すのはやめていた。少しだけチーも息ができるようになったかな。
『ふじわらはるかと、せいざんこうこうで、あう、やくそくをした』
私がチーになろうなんて思ったから。そんな浅ましい嘘で、自分の罪を償おうとしたから。自分のことばかりで、遥のことなんか考えてなかった。
私がついた嘘は、遥とチーの約束を奪い取って、めちゃくちゃにした。
それは、チーに二度目の死を与えたのと同じ。ひどい行為だったっていまなら分かる。
「ごめんね」
二人の大切な約束をそっと指でなぞる。
ねえ、チー。もう遥には、謝ることさえできないみたい。
「ぴーちゃん、自分の気持ちをごまかしてたら後悔するだけだぞ」
「いいの」
「ぴーちゃん。少し落ち着いて考えろって」
「……うるさい! えらそうにアドバイスなんてしないでよ!」
Tシャツの女の人が、ずっと私に向かって中指を立てている。なによ、なによ、なんなのよ! 私は瑛輔くんに向かってノートを投げつけた。
「瑛輔くんだって沙耶さんになにも言えないくせに。自分の気持ちごまかしてるのはそっちじゃない! 本当は瑛輔くんが傷付きたくないだけなんでしょ? だから私だってそうする。もうほっといてよ!」
しん、と沈黙が落ちる。瑛輔くんはじっと私を見つめたあと、
「言えてる」
ぽつりとそう呟いた。
階段を上がってくる足音。物音に気付いたママのものだ。
立ち上がってノートを拾い上げた瑛輔くんは、パラパラとめくって中を見ると、小さく笑った。
「悪かったな」
ノートを机の上に置いて部屋を出ていく瑛輔くんに、私はなにも言えなかった。
五歳のときに戻ったような気がした。一人、二人と私の大切な人たちが私の周りから消えていく。それを止める術が私にはない。
「先生、どうかされたんですか。なんだかすごい音がしたんですけど」
「すみません。俺、ちょっと辞書を落としちゃって。それより、千佳さん少し疲れているみたいだから、今日はここまでにしようと思います。ああそういえば、今日はブラウニーを焼いたって言ってましたね。食べられないの、残念だな」
「あら、せっかくですから召し上がっていってくださいな。じゃあ千佳ちゃんも一緒に――」
「千佳さんは少し寝るって言ってましたから、そっとしておきましょう。おじさんは今日も仕事ですか。大変ですね」
「ええ、でも最近は早く帰ってくることが多くなったんですよ」
二人の声が遠ざかっていく。
嘘つき。
瑛輔くんは他人が作った食べ物は苦手なくせに。やっぱりみんな嘘つきだ。世界は嘘であふれている。
それなのに、いま瑛輔くんがついた嘘はすごく優しい。
どうして私は、誰かを傷付ける嘘しかつけないんだろう。
どうして。
そんな純粋な問いだけがずっと胸の中で渦巻いている。
ノートをめくり、私はシャープペンシルで最後の書き込みをする。
『チーは、遥がすき』
これは、どんなことがあっても絶対に揺るがない「本当」だ。
瑛輔くんが大きく息をついた。
夏合宿から戻るとすぐに、瑛輔くんの髪は赤く染められ、ファッションも、私にとっての「いつもどおり」に戻った。
今日は、中指を立てた女の人がプリントされたTシャツと、ぎちぎち音を立てる黒い皮のパンツだ。海辺の別荘がよく似合う爽やか好青年の面影なんてどこにもない。
「まあ、でもこれをきっかけに最初からやり直してみたらいいんじゃない? ぴーちゃん本人として、ちゃんと遥くんに向き合ったらきっと応えてくれるよ」
「そんな簡単に言わないでよ」
「でも、好きなんだろ?」
「無理だよ。遥にとっての『ちか』はチーだけだもの」
私はチーを死なせたニセモノ。
しかも、遥に嘘をついてチーになろうとした。そんな私を、遥が許してくれるわけがない。
引き出しを開けて、ぼろぼろになったノートを取り出す。もうマットレスの下に隠すのはやめていた。少しだけチーも息ができるようになったかな。
『ふじわらはるかと、せいざんこうこうで、あう、やくそくをした』
私がチーになろうなんて思ったから。そんな浅ましい嘘で、自分の罪を償おうとしたから。自分のことばかりで、遥のことなんか考えてなかった。
私がついた嘘は、遥とチーの約束を奪い取って、めちゃくちゃにした。
それは、チーに二度目の死を与えたのと同じ。ひどい行為だったっていまなら分かる。
「ごめんね」
二人の大切な約束をそっと指でなぞる。
ねえ、チー。もう遥には、謝ることさえできないみたい。
「ぴーちゃん、自分の気持ちをごまかしてたら後悔するだけだぞ」
「いいの」
「ぴーちゃん。少し落ち着いて考えろって」
「……うるさい! えらそうにアドバイスなんてしないでよ!」
Tシャツの女の人が、ずっと私に向かって中指を立てている。なによ、なによ、なんなのよ! 私は瑛輔くんに向かってノートを投げつけた。
「瑛輔くんだって沙耶さんになにも言えないくせに。自分の気持ちごまかしてるのはそっちじゃない! 本当は瑛輔くんが傷付きたくないだけなんでしょ? だから私だってそうする。もうほっといてよ!」
しん、と沈黙が落ちる。瑛輔くんはじっと私を見つめたあと、
「言えてる」
ぽつりとそう呟いた。
階段を上がってくる足音。物音に気付いたママのものだ。
立ち上がってノートを拾い上げた瑛輔くんは、パラパラとめくって中を見ると、小さく笑った。
「悪かったな」
ノートを机の上に置いて部屋を出ていく瑛輔くんに、私はなにも言えなかった。
五歳のときに戻ったような気がした。一人、二人と私の大切な人たちが私の周りから消えていく。それを止める術が私にはない。
「先生、どうかされたんですか。なんだかすごい音がしたんですけど」
「すみません。俺、ちょっと辞書を落としちゃって。それより、千佳さん少し疲れているみたいだから、今日はここまでにしようと思います。ああそういえば、今日はブラウニーを焼いたって言ってましたね。食べられないの、残念だな」
「あら、せっかくですから召し上がっていってくださいな。じゃあ千佳ちゃんも一緒に――」
「千佳さんは少し寝るって言ってましたから、そっとしておきましょう。おじさんは今日も仕事ですか。大変ですね」
「ええ、でも最近は早く帰ってくることが多くなったんですよ」
二人の声が遠ざかっていく。
嘘つき。
瑛輔くんは他人が作った食べ物は苦手なくせに。やっぱりみんな嘘つきだ。世界は嘘であふれている。
それなのに、いま瑛輔くんがついた嘘はすごく優しい。
どうして私は、誰かを傷付ける嘘しかつけないんだろう。
どうして。
そんな純粋な問いだけがずっと胸の中で渦巻いている。
ノートをめくり、私はシャープペンシルで最後の書き込みをする。
『チーは、遥がすき』
これは、どんなことがあっても絶対に揺るがない「本当」だ。
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