あのとき、あなたがいたから

清谷ロジィ

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居場所

家族

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 玄関のドアが開く音がした。反射的に壁の時計を見ると、針は二十二時十八分を指している。

「おかえりなさい」
「ああ、ただいま。莉愛」

 朝の七時に家を出てこんな時間に帰ってきたパパは、ひどく疲れている様子だった。私が座っているソファに倒れ込むようにして腰を下ろすと、ため息を漏らしながら乱暴にネクタイを緩めた。しわのついたスーツからは汗のにおいがした。

「おかえりなさい、あなた。夕飯は?」

 お風呂から出たばかりで、まだタオルを頭に巻き付けた状態のママが聞くと、パパは「少し食べるかな」と間延びした口調で答えた。

「じゃあ私が用意するよ」

 立ち上がろうとした私を、「いいの」とママが制した。

「でも」
「いいのよ。莉愛は学校のことだけ、ちゃんとやってくれれば。それだけでいいから」

 私は部屋着のTシャツの裾をきゅっと握った。

「……そっか」

 声が震えそうになったのを誤魔化すように、私は思いっきり笑顔を作る。

「りょーかい! じゃあちょっと勉強でもしてこよっかなー」
「その調子で頑張れよ」
「そうそう」

 パパもママも笑ってくれたけれど、その笑顔もどこか弱々しい。私たちは、まるで「笑え」と誰かに脅されているみたいだった。
 部屋に戻った私は、机に向かったものの、まったく集中できずにいた。
 握りしめたシャープペンシルの先からドロドロした私の気持ちが漏れ出て、白いノートの上で蠢き始める。そんな妄想が止まらない。
 そして、その蠢きが少しずつ文字へと変わっていく。

『死ね』
『バーカwww』
『学校来んな』
『キモイんですけど笑』

「……やめて!」

 勢いよくノートを閉じた。消しゴムが吹っ飛び、教科書が床に落ちて派手な音がする。
 大丈夫。何も書いてなんかない。あのときとは違うんだから。
 自分にそう言い聞かせながら床に落ちたものを拾おうとしたけれど、手が震えて何度も取り落としてしまう。

「なんで」

 私は膝を抱えてうずくまった。フローリングの木目を見つめながら、深呼吸を繰り返す。
 ちゃんとしなきゃ。笑わなきゃ。嫌われちゃダメ。間違えちゃダメ。居場所を失ってはいけない。もうあのときと同じ思いはしたくない。
 ドアの向こうから階段を駆け上がってくる足音が聞こえて、私はハッとして立ち上がった。

「莉愛、どうかしたの?」

 ノックもせずに部屋に飛び込んできたママは、調理中だったのか菜箸を手にしたままだった。洗い髪が張りついた顔は、わずかに青ざめている。

「ごめん、手が滑って落としちゃった。うるさかったよね」
「そんなことないけど……びっくりしちゃったわ。気をつけてね」

 ママはさり気なく私の部屋を一通り見回して「確認」したあと、ぎこちなく笑った。

「ごめんごめん。ほら、早く用意してあげないと、パパお腹空き過ぎて倒れちゃう。それにママだって明日、仕事でしょ。ちゃんと寝ないと大変だよ」

 そうね、とうなずきながらも、立ち去りがたそうにぐずぐずしているママに、私はにっこり笑ってみせる。そして、ママが言ってほしい言葉を口にする。

「ママ、私は大丈夫だから」

 部屋に一人になると、私はベッドに寝転んで、前の家とは違う天井を見上げた。

 ――今の笑顔のほうがいいと思うよ。

 柴崎くんの声がよぎった。
 あれは、どういう意味だったんだろう。分からないのに、私の心のどこかが変な感じがする。

「大丈夫。間違えてない」

 自分を励ますように、唇を動かし、声にする。
 私はもう、間違えたりしない。
 もう二度と。
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