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しおりを挟む祐希の瞳からとめどなく零れ落ちる涙は、シーツに丸い染みをつくった。
「………」
面倒だというより、怖かったんだ。
その一途さは、まるで昔の自分を見ているようで。
失う痛みを知っていたから、逃げ道をつくった。
そうすることが互いの為だと自分に言い訳をして、距離を置くことで気持ちを牽制した。
大人になればなるほど、求めることにも求められることにも臆病になって。
向き合うことを避けて、曖昧にすることで自分を守って。
勝手な理屈やタテマエに遮られた視界には、いつの間にか大切なものまで映らなくなっていた。
……これが、その結果
祐希は頼らなかったんじゃない。頼れなかったんだ。
……俺が、そうさせた
「皐月…あの、」
「……うちに、来るか?」
「……え?」
「俺と一緒に住むか?」
そう言うと、祐希は茫然として俺を見た。
「………、そんなの、ムリに決まってんじゃん…」
「学校なら、うちから通えばいい。おまえの親には俺が話すから」
「……っ、でも」
「でも?」
優しく聞き返すと、祐希は口ごもる。
「……皐月に迷惑、かけたくない…」
今更だろ、とちょっと笑って言った。
「……おいで」
「………」
何も答えずに俯く祐希の柔らかい髪を撫でる。
「……祐希、」
「………」
やがて、シーツを握りしめていた手が伸びてきた。
おそるおそる、ゆっくりと。
「……ほんとに、いいの…?」
震える声。
俺はその傷だらけの手を、そっと握った。
「……我慢して欲しいって、言われて」
その晩、部屋に帰ってから話を聞いた。
祐希はずっと、母親の再婚相手に暴力を振るわれていたらしい。
「高校を卒業するまでって。…あとちょっとだし、なんとかなるって思ってたんだけど…」
床に座って淡々と話す祐希を、俺は何も言わずに抱きしめていた。
「……昨日帰ったら、あいつ酒飲んでて。いつもより興奮してたからヤバいって思ったけど、逃げらんなくて…」
そして殴られてる最中に、気を失った。
「……気づいたら朝になってて…居間に倒れてたんだ。身体じゅう痛くて、起きあがるのがやっとで…そしたらあいつが階段を降りてくる音が聞こえて…まじ殺されると思った」
それで靴も履かずに、家から逃げだしたらしい。
「……でも、行くとこなくて…」
誰にも知られたくなかった、と祐希は言った。
自分の息子が殴られているのを知っていた母親。
それでも祐希にとっては、たった一人の肉親だった。
「……母さん、一人で俺を育てるのにずっと苦労してたから…」
理不尽な養父の暴力を、母親の言葉を、祐希はどんな気持ちで受けとめたんだろう。
逃げることも、誰かに助けを求めることもできない絶望的な状況のなかで。
この小さな身体は、心は、どれだけ傷ついてきたんだろう。
「……でも、殺されるっていうのは大げさだよね」
祐希はちょっと笑った。
「……祐希」
「……なに?」
「もう、我慢しなくていい」
ゆっくりと背中を撫でながら、大丈夫だと言った。
「もう、大丈夫だから」
「………」
しばらくして、祐希がぽつりと呟いた。
「……怖かった」
「……うん、」
「……怖くて、痛くて…いつまで続くんだろうって…」
まるで堰を切ったように溢れだした、祐希の心。
「このまま、死んじゃったら…そしたらもう、皐月に会えないって…」
泣きじゃくりながら、祐希は言った。
「……それが一番、怖かった…」
「……ごめんな」
泣き疲れて眠ってしまった祐希の髪を、そっと撫でながら呟いた。
顔を近づけると、つんと消毒液の匂いがする。
「……ごめん」
後悔なんか、いくらしたって足りなかった。
「………」
手のなかにある、小さなシルバーリング。
これをずっと捨てずにいたのは、自分への戒めのつもりだった。
でも本当は違う。
捨てられなかったんだ。
これがあの頃と今を、彼女と俺を繋ぐ、たった一つのものだったから。
自分にはもう、誰かを想う資格なんてない。
そうやって過去に捕らわれ続ける事で、今と向き合う事から逃げていた気がする。
……いい加減どうにかしないといけないのは、俺のほうだな
小さな寝息をたてている祐希を見て思う。
必要なのは、前に進む勇気と。
ほんとうに大切なものを守る覚悟。
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