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序章 紅烏登場
奇人?天才?平賀源内
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その日の午後、三浦源三郎は松岡幸助と共に浅草橋にある平賀源内の家を訪ねた。
源内邸はお屋敷というほどではないが、しかしそれなりには大きな構えの邸宅である。
このころの源内は日本初の試みであった全国物産展を何度も成功させ、それなりの財産を蓄えていたのだ。
「松岡です、源内先生はご在宅ですか?」
玄関口から声をかけると、色白で細面の華奢だがなかなかに美しい女が現れた。
「いらっしゃいませ松岡様。ただいま源内先生は散策中です。間もなく戻ると思いますのでしばらく中でお待ちください」
鈴を転がすように心地よく美しい声の女である。
その女に促され、ふたりは客間に通された。
日当たりがよく手入れされた庭が見える、なかなか小綺麗な部屋である。
「こちらでしばらくお寛ぎください。今、茶菓子などお持ちいたしますわ」
「あ、いやお絹殿、お構いなさらずに」
「いいえ、せっかくお越しいただいたのにお待たせして申し訳ないですわ。あの先生はお約束があっても平気でふらふら出かけるものですから」
お絹と呼ばれた女はそう言って部屋を出て言った。
「幸助、今のお絹さんというのか?ありゃかなりいい女だな。源内先生の御内儀かね?」
源三郎が尋ねると幸助は小さな声で笑いながら応えた。
「お絹さんはまあ源内先生の助手だな。実はね、源内先生は修道の方でね、妻はとらないんだ」
「なに、つまり男色家なのか?」
「うん、だからね、安心して彼女を預けたんだ」
源三郎は方眉を吊り上げて幸助を睨んだ。
「なんだと?預けたってことは、お絹さんはおめえの女か?」
「いいや違う、違う」
幸助は笑いながら顔の前で手を振った。
そしてすぐに真顔になり、声を潜めて話を続ける。
「あのな、前に静音が言ってた話があるだろ?本所の三山神社で首を括った女の話。それがお絹さんだ」
源三郎は驚いた顔をして言い返す。
「なんだと。しかしお絹さんには足があるぞ」
「いや、実際は首を括ろうとしていたところにたまたま俺が通りかかってね、引き止めたんだ。だからちゃんと生きている」
「まっ昼間から怪談話じゃなくてよかったぜ。しかしいったいどういう事情なんだ?」
幸助はやや暗い面持ちになる。
「よくある話だよ。俺たちと同じ食い詰め浪人の娘が父親の博打のかたに連れ去られ、町奉行の岡田に手籠めにされたあげく黒河豚一家の牛耳る岡場所に沈められたんだ」
「そういうことか。しかしよく岡場所を抜け出せたな」
「もちろん一人じゃ無理だ。お絹さんに惚れ込んだ男が居たんだな。その男の手引きで足抜けしたんだが、男の方は黒河豚一家に捕まって殺されちまった。ひとりで途方に暮れて三山神社でいっそこのまま・・ってな」
「なるほど、そこにおめえが通りかかったんだな」
「足抜けは岡場所では重罪だからな、黒河豚一家も必死で探しているし、見つかったら酷い折檻を受けることになる。そのころちょうど源内先生が身の回りの世話をする者を探していたのでね、連れてきて事情を話したわけさ」
「すると源内先生という御仁はなかなかに義侠心あるんだな、そんな危険な女を匿おうなんてなかなかできねえこった。しかしそこからなんでおめえが紅烏なんて始めることになったんだ?」
「紅烏は源内先生の発案なんだ。あのな、源内先生に会う前にお前に言っておくけど、先生はとても変わったお人だ。ちょっと正気じゃないように見えるかもしれん。だが先生は天才だ。俺たちとは頭の造りが全然違うんだ。いつも同時に複数のことを考えている。だから一見おかしなこと言っていても黙って聞いておけ。あの先生にはちゃんと理があるんだよ」
そこまで話したところで、茶菓を持ってお絹がふたたびやってきた。
「お茶が遅くなって申し訳ございません。それにしても先生遅いですわねえ・・・」
--------------------------------------------------------
「へえ~!あなた源三郎さんての?私、源内。同じ源ちゃんだね、源ちゃんて呼んでいい?ねえ、いい?」
「あ、はあ・・・」
「幸ちゃんと剣術の同門なの?強い?ねえどっちが強い?」
散策から戻ってきた平賀源内は線は細いがちょっと役者にしたいような良い男で、しかもかなり洒落者らしく小粋な身なりをしている。
しかし言動が少しばかり調子はずれだ。
源三郎は目の前に居る奇人の放つ異常な圧力に気おされ、ただ目を丸くしていた。
「えーと先生、その腕につけているカラクリは一体なんですか?」
源内の腕には金属性の大きな腕時計のような、目盛りのある機械が付いている。
別に興味はないのだが、何か話の取っ掛かりにしようと思ったのだ。
「ああこれね、源ちゃん。これは量程器といってね、歩いた歩数を計る機械なんですよ」
「はあ歩いた歩数ですか?つまり距離を測る物ですか?」
「違う、違う。歩幅は人それぞれなんだから、歩数で距離は測れないでしょ?健康のためです。衰えは脚から来ますよ。毎日たくさん歩くのがいちばんです」
「はあ・・・」
量程器とは現代でいうところの万歩計である。
しかしどこに行くにも歩くのが普通であったこの時代に、健康のため歩数を数えることに興味を持つ者がどれほど居ただろうか?
「あの、先生。実は紅烏の羽織なんですが、この源三郎に斬られましてもうズタズタなんです。新調していただけないかと・・・」
幸助がそう言うやいなや、源内の声色が野太く変化した。
「何~っ!防刃羽織が斬られただと!幸ちゃん、すぐ見せてみろ」
幸助が風呂敷包みから羽織を取り出すと、源内が引っ手繰るように奪い取った。
そしてそれを両手で拡げて調べている。
「あああ・・斬れてる!確かに斬れてる。信じられない・・ダメだ失敗だ。。」
源内は羽織をくしゃくしゃにしてそこに顔を埋めてしまった。
そしてそのまままったく動かなくなった。
恐る恐る幸助が背中に手を置いて声をかける。
「あの~先生、先生、どうなされました?」
すると突然、源内はからくり人形のようにぴょこんと跳ね起き立ち上がった。
そして鋭い目つきで源三郎を睨みつける。
「源ちゃん、よくも斬ってくれたな。次はぜったい源ちゃんでも斬れない羽織を作って見せる」
どうやら挑まれているようで、すっかり口調が変わっている。
源内はふたたびその場に胡坐をかいて座った。
「さて幸ちゃん、源ちゃん。経過を詳しく話を聞かせてもらおう。そして紅烏の次の手を考えなきゃな」
そして大きな声でお絹を呼んだ。
「お絹さん、お茶とお菓子をもう少し持ってきて。あなたもこっちに来なさい。作戦会議だよ」
源内邸はお屋敷というほどではないが、しかしそれなりには大きな構えの邸宅である。
このころの源内は日本初の試みであった全国物産展を何度も成功させ、それなりの財産を蓄えていたのだ。
「松岡です、源内先生はご在宅ですか?」
玄関口から声をかけると、色白で細面の華奢だがなかなかに美しい女が現れた。
「いらっしゃいませ松岡様。ただいま源内先生は散策中です。間もなく戻ると思いますのでしばらく中でお待ちください」
鈴を転がすように心地よく美しい声の女である。
その女に促され、ふたりは客間に通された。
日当たりがよく手入れされた庭が見える、なかなか小綺麗な部屋である。
「こちらでしばらくお寛ぎください。今、茶菓子などお持ちいたしますわ」
「あ、いやお絹殿、お構いなさらずに」
「いいえ、せっかくお越しいただいたのにお待たせして申し訳ないですわ。あの先生はお約束があっても平気でふらふら出かけるものですから」
お絹と呼ばれた女はそう言って部屋を出て言った。
「幸助、今のお絹さんというのか?ありゃかなりいい女だな。源内先生の御内儀かね?」
源三郎が尋ねると幸助は小さな声で笑いながら応えた。
「お絹さんはまあ源内先生の助手だな。実はね、源内先生は修道の方でね、妻はとらないんだ」
「なに、つまり男色家なのか?」
「うん、だからね、安心して彼女を預けたんだ」
源三郎は方眉を吊り上げて幸助を睨んだ。
「なんだと?預けたってことは、お絹さんはおめえの女か?」
「いいや違う、違う」
幸助は笑いながら顔の前で手を振った。
そしてすぐに真顔になり、声を潜めて話を続ける。
「あのな、前に静音が言ってた話があるだろ?本所の三山神社で首を括った女の話。それがお絹さんだ」
源三郎は驚いた顔をして言い返す。
「なんだと。しかしお絹さんには足があるぞ」
「いや、実際は首を括ろうとしていたところにたまたま俺が通りかかってね、引き止めたんだ。だからちゃんと生きている」
「まっ昼間から怪談話じゃなくてよかったぜ。しかしいったいどういう事情なんだ?」
幸助はやや暗い面持ちになる。
「よくある話だよ。俺たちと同じ食い詰め浪人の娘が父親の博打のかたに連れ去られ、町奉行の岡田に手籠めにされたあげく黒河豚一家の牛耳る岡場所に沈められたんだ」
「そういうことか。しかしよく岡場所を抜け出せたな」
「もちろん一人じゃ無理だ。お絹さんに惚れ込んだ男が居たんだな。その男の手引きで足抜けしたんだが、男の方は黒河豚一家に捕まって殺されちまった。ひとりで途方に暮れて三山神社でいっそこのまま・・ってな」
「なるほど、そこにおめえが通りかかったんだな」
「足抜けは岡場所では重罪だからな、黒河豚一家も必死で探しているし、見つかったら酷い折檻を受けることになる。そのころちょうど源内先生が身の回りの世話をする者を探していたのでね、連れてきて事情を話したわけさ」
「すると源内先生という御仁はなかなかに義侠心あるんだな、そんな危険な女を匿おうなんてなかなかできねえこった。しかしそこからなんでおめえが紅烏なんて始めることになったんだ?」
「紅烏は源内先生の発案なんだ。あのな、源内先生に会う前にお前に言っておくけど、先生はとても変わったお人だ。ちょっと正気じゃないように見えるかもしれん。だが先生は天才だ。俺たちとは頭の造りが全然違うんだ。いつも同時に複数のことを考えている。だから一見おかしなこと言っていても黙って聞いておけ。あの先生にはちゃんと理があるんだよ」
そこまで話したところで、茶菓を持ってお絹がふたたびやってきた。
「お茶が遅くなって申し訳ございません。それにしても先生遅いですわねえ・・・」
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「へえ~!あなた源三郎さんての?私、源内。同じ源ちゃんだね、源ちゃんて呼んでいい?ねえ、いい?」
「あ、はあ・・・」
「幸ちゃんと剣術の同門なの?強い?ねえどっちが強い?」
散策から戻ってきた平賀源内は線は細いがちょっと役者にしたいような良い男で、しかもかなり洒落者らしく小粋な身なりをしている。
しかし言動が少しばかり調子はずれだ。
源三郎は目の前に居る奇人の放つ異常な圧力に気おされ、ただ目を丸くしていた。
「えーと先生、その腕につけているカラクリは一体なんですか?」
源内の腕には金属性の大きな腕時計のような、目盛りのある機械が付いている。
別に興味はないのだが、何か話の取っ掛かりにしようと思ったのだ。
「ああこれね、源ちゃん。これは量程器といってね、歩いた歩数を計る機械なんですよ」
「はあ歩いた歩数ですか?つまり距離を測る物ですか?」
「違う、違う。歩幅は人それぞれなんだから、歩数で距離は測れないでしょ?健康のためです。衰えは脚から来ますよ。毎日たくさん歩くのがいちばんです」
「はあ・・・」
量程器とは現代でいうところの万歩計である。
しかしどこに行くにも歩くのが普通であったこの時代に、健康のため歩数を数えることに興味を持つ者がどれほど居ただろうか?
「あの、先生。実は紅烏の羽織なんですが、この源三郎に斬られましてもうズタズタなんです。新調していただけないかと・・・」
幸助がそう言うやいなや、源内の声色が野太く変化した。
「何~っ!防刃羽織が斬られただと!幸ちゃん、すぐ見せてみろ」
幸助が風呂敷包みから羽織を取り出すと、源内が引っ手繰るように奪い取った。
そしてそれを両手で拡げて調べている。
「あああ・・斬れてる!確かに斬れてる。信じられない・・ダメだ失敗だ。。」
源内は羽織をくしゃくしゃにしてそこに顔を埋めてしまった。
そしてそのまままったく動かなくなった。
恐る恐る幸助が背中に手を置いて声をかける。
「あの~先生、先生、どうなされました?」
すると突然、源内はからくり人形のようにぴょこんと跳ね起き立ち上がった。
そして鋭い目つきで源三郎を睨みつける。
「源ちゃん、よくも斬ってくれたな。次はぜったい源ちゃんでも斬れない羽織を作って見せる」
どうやら挑まれているようで、すっかり口調が変わっている。
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「さて幸ちゃん、源ちゃん。経過を詳しく話を聞かせてもらおう。そして紅烏の次の手を考えなきゃな」
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