あやかし姫を娶った中尉殿は、西洋料理でおもてなし

枝豆ずんだ

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**番外**

中尉殿、襲われる

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梅酢が美味く出来たと、千花子が話してくれた。

夫婦になって半年。あれは春の頃だったから、梅干しや梅酒を作る時期は跨いでいた。源二郎は実家にいた頃、子供の頃になるが、離れで祖母が梅の実の処理をするのを手伝った。母や姉はそういったことをする性質ではなかったから、祖母が亡くなってから暫くは女中達が行った。父は梅酒を好まなかったし、梅干しも、母はどこぞの店で買うなんとかとかいう高級なものが甘くて良いと言って、いつのまにか家の梅の木は、実が落ちてもそのまま腐らせることになっていた。

思い出し、源二郎はいつのまに千花子が梅の実を漬けていたのかと驚く。

「原田様が教えてくださったんです。ご実家の庭に梅の木があるんですって。おすそわけして頂いたんですよ」

原田とは赤狐の女性隊員だ。色々あって、隊員としてだけではなく千花子と交流を持つようになった。手紙のやりとりをしてることは知っていたが、源二郎には意外だった。

「梅干しや、梅酒はわたしには難しかったんですけどね、梅酢は簡単だったんですのよ。知り合いの雪娘が梅の実を凍らせてくださって、それに串で穴をあけて、氷砂糖とお酢をいれて置いておくだけなんです」

あとは時々、密封した容器をふってやればいいだけ。千花子は楽しそうに話す。

「今夜はとても暑くなりますから、お持ちになってください」

水筒に雪女の作った氷と井戸水で割った梅酢を入れて、千花子は源二郎に渡した。良いあんばいに薄めてあるので飲んで噎せることもないという。

今日は夕方から朝まで、源二郎は赤狐の軍舎に詰める予定であった。先月に遠野の方で起きたあやかしが関与したであろう事件の記録の確認と、目を通していなかった過去の調書をこの機に読んでしまおうと時間を設けた。日中は隊員が仕事をしているので遠慮と、誰にも邪魔されずに読書をしたいという源二郎のわがままもあった。


**


夜半。赤狐の資料室にて過ごしていた源二郎は水音を聞いた気がした。

ぴちゃん、ぴちゃん、と水が落ちる音。いや、それと同時に、ぺたぺたと、何かしめったものが歩くような音がした。

不審者か。
当直の者が一階にはいるはずだが、それらに咎められずに源二郎のいる二階まで上がってきたのか。

「……」

源二郎は軍刀に手をかけ、鞘から抜かずに腰から外す。

ぺたん、ぴちゃん、ぺたぺた。

と、音がどんどん近づいてきた。明かりは源二郎のいた机のもとだけ。暗がりで何かが動いていて、こちらに来る。

資料棚の陰に隠れ、源二郎はそれがこちらに来るのを待ち伏せた。

「っ!ひぃ!!?やめてくれよぅ!!」
「!?」

姿がはっきりとする前に、軍刀を振り上げた源二郎に情けない声が上がる。

「やめてくれよぅ、やめてくれよぅ、弱い者いじめなんかやめてくれよぅ」
「……河童か?」

ひっそりと忍び寄ろうとしてきたなにかは、しめった体に薄明かりの中濃い緑のように見える肌、頭の上には丸い平石のようなものをのせたあやかし。河童だ。

「へ、へぃ。河童ですよぅ」

河童は源二郎が驚きながらも軍刀を降ろしたのでほっとし、媚びるような上目遣いをしてへらりと笑った。

「あやかし狐の末姫さまをお娶りなった鏡役さま。ちょいとあっしの頼み事を聞いちゃくれませんか?」
「悩み」
「へぃ。まぁ、こんなところで立ち話もなんでよぅ。ちょいと座りましょう」

言うがどっかりと、河童は腰を下ろした。源二郎は机の上の明かりを持ってきて、二人の間に置くと自分も河童の向かい側に座る。背負った甲羅の中から、ごそごそろ一升瓶と杯を取り出して、源二郎にも進めたが軍舎の中で飲酒をするわけにはいかない、自分は水筒があると断った。

「しりこ玉がね、全然足りんのですよぅ」
「しりこだま」
「鏡役さまはしってるかねぇ。河童っていうのはしりこ玉を集めるんですよ。相撲をしたりして、人間から貰うんですけどねぇ」
「奪う、の間違いではないのか?」

指摘すると河童はにへら、と笑った。

河童といえば頭の皿にしりこ玉だ。源二郎も知っている。しりこ玉というのは肛門の中にある臓器の一つで、河童にそれを抜かれると人間はふぬけになるという。

「最近はねぇ、しりこ玉がよぅ集まらんのですよ。昔は相撲に誘うと誰かしらは応じてくれたんですがねぇ」

あやかしとひとが共存するようになった弊害ですよ、と河童は言う。

昔は河童というのは「妖怪」という恐れられる存在で、不思議で奇妙で、珍しい存在だった。それが、文明開化。あやかりがひとと生きる選択。あやかしが姿を現すようになって暫く。それが当然になった時代から生まれた子供たち、若者らからしたら河童というのは「川にいる」のが当たり前で、そして彼らの言い分曰く……

「はげ散らかしたおっさんだって言うんですよ……臭いって……なんかぬるぬるしてるって……」
「河童はそういうものでは?」

フォローの言葉がうまくない源二郎である。一応は、フォローのつもりで言ったのだが、河童は落ち込んだ。

「しりこ玉が集まらんと、困るんですよぅ。竜王様にしりこ玉を納めないといけないんですよぅ」

河童は川に住む。川は竜王の領域だ。きちんとあやかし、妖怪のルールというものがあり、守れねば川に住めない。河童は綺麗な流れる水がある場所でなければ生きられないから、竜王のいる川でなければならない。

「おれにどうしろと?」
「へぃ。旦那さんのね、しりこ玉をくだせぇ」

あやかし姫の伴侶のしりこ玉なら、きっと竜王様は大喜びで引き取ってくださる、と河童は言う。

……どうやら昔、その竜王は千花子となんぞあったらしい。

この場に神田か、あるいは天狐がいればこの河童は即座に斬り殺されるか焼き殺されるかしただろう。だがあいにく源二郎のみで、源二郎は生真面目な男だった。夜半にこうして正々堂々と自分を訊ね、酒まで持参し振る舞おうとしてきた相手であると、そう判断する男である。

「ふぬけにされるのは困るが、お前に事情があるのはわかった」
「それじゃあ、」
「相撲の相手をしよう」

期待に満ちた顔をした河童に、源二郎は頷いて答えた。

「え」
「ここでは狭いな。訓練場があるから移動するか。――どうした、ついてこい」
「え、いや、あの、旦那さん。事情を聞いて、しりこ玉をくれるって話になったんですよねぇ?」
「あぁ」
「じゃあなんで相撲を?」

理解がおいつかぬ、という河童に、源二郎も首をかしげた。

「お前の事情はわかった。だがおれもふぬけにされるのは困る。困るが、お前がこうしてまできた訴えを無碍にはできん。よって、相撲をとってお前が勝てばおれからしりこ玉を奪えば良い。そういう話だろう」
「いやいやいやいや」

河童は額をかいた。なぜそうなるのか、と解せぬ顔で、うんうんと唸る。なにかぶつぶつ言っていたが、源二郎が何かいう前に一度、ため息を吐いて自分の中の思考をまとめた様子。

「どうし、」
「まぁ、手荒なまねはと思ったが、まぁ、この体格差じゃあね。相撲をとっても勝ちはねぇでしょう」

ぐるん、と源二郎の視界がひっくり返った。何かで滑らされた。ぬるっとした、水のようなもの。頭は打たぬようにと咄嗟に庇ったが、背を打った。

「ぐぇえっ!!」

だが上がったうめき声は、源二郎のものではない。

「無事ですか。婿殿」

ふわりと伸ばされる白い手。顔を上げれば千花子の親戚筋であるという洋装の天狐がいつのまにか現れて、河童を足蹴にしながら源二郎を案じていた。

「ひっ、ひぃい、ひぃ!!て、天狐……!」
「口を開くな息を吸うな目を開くなそのまま滅びよ」
「待て!」

神仏に匹敵する神通力を持つとされるあやかし狐は淡々とした声で河童の死を宣告したが、源二郎はそれを止めた。

「何を?これはあなたを狙ったのですよ」
「事情は聞いた。おれはこのあやかしと相撲勝負をすると承諾したのです」
「卑怯な手を使う者ですよ」
「帝都軍人たるもの、卑怯な手であろうとなんだろうと正面から受け止め、負けは致しません」

言い切ると、天狐は目を細めた。なんぞ思案するように間を空けて、口元をつり上げる。

「いいでしょう。では私が立ち会いを」

ぱん、と手を叩くと空間がぐぃんと歪んだ。この世とかくり世が合わさって、常ならぬ空間となった。近くにあった資料棚や机、窓が遠くに離れ、広く間があく。そこへ相撲の土俵があらわれた。天狐の術であろう。

河童はぶるぶると震えながらも、竜王と天狐のどちらが恐ろしいか、と天秤にかけて、なんとか立ち上がった。


さて、相撲勝負。河童と相撲。

これは特に描写するまでもなく、一瞬で勝負がついてしまった。

「ひぇっ!」

開始、という合図間もなく、源二郎は河童をひっくり返す。河童は源二郎の背の半分ほどしかない上に、河童の怪力はしりこ玉や竜王からの借り物だそうだ。そうなると、自力のみの勝負であり、軍人である源二郎に適うわけもなかった。

「なんです、つまらない」

これには天狐もあっけに取られた。まるで勝負にならなかった。

河童との相撲。

奇妙なこともあるものだが、思えばこの帝都にてもはや何が奇妙なものかと、源二郎は今更ながらに不思議に思う。

不思議なものが少なくなって河童を恐れ珍しがる者がなくなり、しりこ玉が集まらなくて竜王に納められないと河童が嘆く。何か良い方法はないだろうか。

河童は源二郎を鏡役と頼ってきてくれたのだ。しりこ玉は差し出せぬが何かないだろうかと思案する。

「……これが代わりになるかどうかわからんが」

と、源二郎は妻が持たせてくれた水筒を河童に差し出す。

「雪女の氷が入っている。梅の実や溶けぬ山の氷というのは川の中では珍しいのではないか」

竜王に渡せば、少しは足しになるだろうかと源二郎が言うと、河童は渋い顔をした。拗ねたような、ふてくされた態度でちらっと水筒と源二郎を見上げ、そっぽを向く。

「しりこ玉じゃなきゃ、」
「それを持って大人しく消えねばその頭の皿を砕くぞ」
「ひぃっ!」

天狐の脅しに悲鳴を上げ、そして源二郎から奪うように水筒を受け取ると一目散に逃げ出した。

「全く。水の中のものは変化に疎く困ったものです。昔通りのやりかたではならぬようになったと、いい加減受け入れれば良いものを」
「ところで、天狐殿はなぜここへ?」
「あなたが今夜はここに泊まると金の姫に聞きました。夜食をお持ちしましたよ」

と、天狐が軽く持ち上げて見せたのは西洋籠と、その中にはパンやチーズといった軽食が入っていた。千花子が気を利かせて用意してくれたのかと思ったが、この品揃えをみると妻ではなく妙に西洋のものに詳しい天狐殿のはからいだろう。

天狐と夜食を口にしながら源二郎は河童の納税。しりこ玉のことを考えた。

しりこ玉は、人間の生命維持には別段必要のない臓器だ。ただ抜かれるとふぬけになる。だが、それなら、何か、たとえば囚人などを大人しくさせるために抜くのはどうだろうか。

浮かぶ考えに、己ひとりでは判断が難しい。明日、神田に聞いてみようと源二郎は頷いた。




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