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第一部
第31話
しおりを挟むその刹那、破壊音が耳に響く。ガラスの落ちる音。黒いものが壊れた窓からぬるりと侵入した。人の形だが人の動きと思えないそれが窓を蹴破ったのだとわかった瞬間、鋭い切断音と共に部屋のランプが消える。曇った空に月光はなく部屋は暗闇となった。
「何者だ?!」
エルーシアの上で身動ぎしたラルドが誰何の声を上げるも何かと争う。ぷしゅりと何かが弾ける音がしてエルーシアの上から体重が消えた。そしてしなやかな猛獣のような動きの黒い手がエルーシアを背後から起こし抱え上げる。
「な‥」
「お静かに。味方です」
耳元に囁かれたその声にエルーシアが目を瞠る。そのまま子供のように縦抱きに抱えられ部屋を駆け抜ける。黒い塊が扉を華麗な回し蹴りで蹴破り廊下へ飛び出した。屋敷中に響く騒音だったが廊下に人けはない。黒い手はエルーシアを抱えたまま全速力で廊下を駆け抜ける。ものすごい力だ。
「ダメッ逃げたらエデルが!」
「あの者は無事です」
短い答えにエルーシアは自分を抱え上げる黒い覆面の正体を確信した。階段を降り一階の小部屋に駆け込んだ覆面が内側から扉に鍵をかけた。
「ルイーサ?」
「はい、お嬢様」
全身真っ黒な服を纏い覆面を脱いだ顔はあの背の高い無口な侍女だった。女性なのに自分を抱えて走り抜けた。いつも静かで物音を立てない侍女、だけど力持ちだと聞いていた。エルーシアはルイーサに比べれば小柄だが人間一人を抱えて走り抜けた。これほどに力が強かったとは思わなかった。
「うまくいってよかったです。人払いされていたので助かりました」
「どうしてルイーサが?」
「お嬢様をお守りするよう申し付かっております」
守るよう命じられている。だがそれはラルドにだろう。連れ出されて助かったのだがラルドから自分を攫って大丈夫なのか?
「救出が遅れて申し訳ありません。酷いことになっていませんでしたか?」
「ありがとう、私は大丈夫。それよりエデルは?」
「牢を出ています。私はその場にはいなかったのですが外に落ち延びたと聞きました」
エルーシアから安堵の息が出て。ルイーサに縋りついていた手の力が抜ける。
エデルが牢から出られたのならいい。見つかれば追手もかかるかもしれない。自分に関わったばかりに酷い目に遭わせてしまった。遠くに逃げてほしい。とにかく生きていてほしい。
「私はお嬢様の救出を申し付かりました」
「救出?」
「旦那様のあれはいけません。同性として見過ごすことはできませんでした」
ラルドの無理強いと暴力のことを言っている。エルーシアの悲鳴を聞いて飛び込んでくれたのだとわかった。あそこで助け出されなければラルドに殴られ無理矢理犯されていただろう。豹変した義兄にエルーシアはぶるりと身を震わせた。ずっとエルーシアを優しく甘やかした義兄、言うことを聞かないエルーシアに激昂し手を上げる義兄、どちらが本当の義兄なのだろうか。その落差に義兄を初めて怖いと思った。エルーシアはルイーサを見上げなんとか微笑んで見せた。
「ありがとう‥本当に‥」
「いえ、それが私の役目です。旦那様の動きを封じましたが軽い薬ですぐ解けます。時間はあまりありません。これからどうなさりたいですか?」
「どう?」
「お嬢様の御心のままに。お手伝い致します」
ルイーサは片膝をつきエルーシアに頭を下げる。まさに護衛の騎士のようだ。
もうエデルは牢にいない。ならば?自分はどうしよう。一瞬ラルドが脳裏に浮かぶもずっと望んでいたことが口に出た。
「少しだけでいいの。外に出たいわ」
「戻られなくてよろしいのですね?」
確認するようなルイーサの問いにエルーシアはしっかり頷いた。
どうせこの足でどれだけ行けるとも思えない。きっと義兄にすぐ捕まってしまうだろう。捕まればまた檻の中、もう二度と外には出られない。それまで少しの自由が欲しい。
「かしこまりました」
ルイーサが頷いてにこりと微笑む。そして自分の着ていた黒い服を脱ぎ出す。それは黒いコートのようだった。その下には白い夜着を纏っていた。
「こちらをお召しください。白い夜着は目立ちます。大きいでしょうが‥私のもので申し訳ありません」
細身で背の高いルイーサが着ていたコートは確かにエルーシアには丈がぶかぶかだ。くるぶし上まで裾が届いている。ルイーサがどこから出したのか柔らかい靴を出してエルーシアに履かせた。踵が低く走りやすそうだ。ルイーサが履いていた黒いスラックスと靴を脱げば服装を交換したようになった。
ルイーサが部屋の窓を開け外に出る。そしてエルーシアを子供のように抱き上げて外に出した。ルイーサが鋭い視線で辺りを窺いつつ闇夜を指差した。
「今は月が隠れています。闇に紛れれば抜けられるでしょう。あちらに逃げれば迎えの者が待っている手筈です。その者と共に外へ」
迎えがいる。まるでエルーシアの心を理解していたような段取りだ。
「ルイーサは?一緒じゃないの?」
「私は囮に。時を稼ぎます。闇の中では背格好も分かりません。夜着だけで十分引きつけられます」
ルイーサが艶やかな茶色の髪を解けばエルーシアより背の高い夜着の女性となった。これならエルーシアを見慣れない者は惑わされるだろう。だがエルーシアはぶるりと身を震わせる。
囮。それはとても危険な行為だ。義兄に捕まればきっとエルーシアを逃した責めを負わされる。自分のせいで誰かが不幸になるのはもう嫌だ。そこを悟りルイーサがふわりと微笑む。
「お優しいですね。私は大丈夫です。私の主が守ってくださいます」
「主?」
「はい、お嬢様の身を案じるお方です。そのお方からお嬢様をお守りするよう命を受けました。ですから私のことはご心配なきよう」
笑顔で頷くルイーサにエルーシアはある疑問が湧いた。主人というなら普通なら当主ラルドのことだろう。だが話の感じでそうではないとわかる。
自分を守ろうとするその人は一体誰なのだろうか?
「私が出ましたら気にせず駆けてください。振り返ってはいけません。迎えの者と共に外に落ち伸びてください。いいですね?」
「ルイーサ‥」
こくんと頷けばルイーサは目を細め甘い微笑みを浮かべた。おそらく侍女たちはこの微笑みにやられたのだとわかる。確かに凛々しい。なるほどこれが侍女殺しか。その微笑みのままにルイーサが目を細め囁いた。
「お嬢様、どうかお幸せに」
「え?ルイーサ?」
「今です!行ってください!」
辺りを窺ったルイーサが茂みから飛び出し駆け出す。その背中を見送りエルーシアもルイーサに示された方向へ駆け出した。
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