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第一部
第11話
しおりを挟む翌日、遠乗りに出かけるために外出用のドレスに着替える。詰襟の遠乗り用のドレスにボレロを纏う。装飾も少なくスカートも膨らんでいないので動きやすい。準備を整え義兄を待っていたエルーシアはふと思いついた。
遠乗り。馬車に乗る。ということはエデルに会える?
そうとなればじっとしていられない。侍女がいない時を見計らいエルーシアは隠し扉を抜けてこっそりエデルがいる厩舎に向かった。
「エデル!」
「エルシャ様?!」
厩舎の掃除をしていたエデルに囁き声で声をかける。そして驚くエデルの腕の中に飛び込んだ。エデルは厩舎の掃除をしていたのか汗をかいていた。その男性的なエデルの香りに包まれ、久しぶりの抱擁にエルーシアはほうと至福の息を吐く。厩舎の物陰に連れ込みエデルが咎める声を出した。
「ダメです!日中に出てきては危ないと‥」
「だって今日は遠乗りに行くのよ。エデルも一緒でしょ?」
「遠乗り?いえ?僕は行きません」
「え?なぜ?」
驚くエルーシアに、状況を理解したエデルは困ったような笑みを向ける。
「僕は馬丁です。馬の世話をします。御者ではありません」
「え?じゃあエデルは行けないの?」
浮き足立っていた思いが急に萎んでしまった。エデルと遠乗りに行ける。いつかした約束が早速叶うと思ったのに。確かにもうすぐ出立なのにエデルがここにいるのはおかしい。衝撃で立ちすくんでいれば背後で義兄の声がした。
「シア?」
ぎくりと振り返れば義兄が立っていた。ラルドも遠乗り用の外出着に身を包んでいる。部屋に迎えに行くと言われていたのに勝手にここまで来てしまった。エデルと出かけられると頭に血が昇って隠し扉を抜けてここまで駆けつけてしまったとエルーシアの顔が青くなった。
檻の部屋からは出られない。庭にさえ出たことがないはずなのにここまで辿り着いている。義兄に疑われてしまう。
「お‥お義兄さま‥」
「部屋にいなかったからびっくりしたよ。隣の部屋から外に出たんだね?皆で探していたところだ。一人では危ない。無事でよかったよ。こんなところで何を?」
「えええっと‥待ちきれなくて‥飛び出したら迷ってしまって‥」
しどろもどろに苦しい言い訳をする。ああ、とその答えにラルドが破顔する。
「楽しみだったんだね。ここは厩舎だ。馬車はもうエントランスに着いているよ」
「そうでしたか?すみません‥」
義兄がエデルと相対している。ヒヤリとしたものが背筋を這った。動揺しつつちらりと背後のエデルを振り返りエルーシアは言葉を呑み込んだ。エデルは片膝をついて頭を下げていた。家人が当主に相対する姿、自分には一度も見せなかったものだ。その姿を見てエルーシアに震えが走った。
侯爵令嬢と家人、今まで見えなかった溝が目の前にあった。いや、最初からそこにあったのに自分は見ようとしなかったものだ。そんな風に跪かないでほしい。いつものように笑ってほしい。俯いて顔が見えないエデルの手を取って立たせたいが背後に義兄がいる以上それもできない。
エルーシアが見つめる馬丁にラルドが目を細め一瞥をくれるが声はかけない。エルーシアの手を取った。
「ここはお前のくる場所じゃない。行こう」
その言葉にさらに胸を抉られ手を引かれるままに厩舎を離れた。最後に振り返ってもエデルは跪いたままだった。
一度萎んでしまった気持ちは戻らない。義兄と並んで馬車に乗り込んだが景色を楽しむ気持ちにはなれなかった。自分はこうして遊んでいる間もエデルは働いているのだ。
「シア?どうした?」
「‥‥皆働いているのに私は何もしていないので‥」
ああ、とラルドが合点したように笑顔になった。
「何を気にしているかと思えば‥先ほどの馬丁か?あれが仕事だ。お前が気にする必要はない」
「ですが‥」
「令嬢とはそういうものだ。お前も日々頑張っているだろう?」
そうだろうか。
淑女の勉強をしてダンスの練習をして。
檻の中にいる。それだけ。
何を頑張っていると?
「今日は久しぶりの遠乗りだろう?お前は気にせずに楽しんでいればいい」
「そう‥ですね」
肩を抱かれ甘やかされエルーシアはなんとか笑みを浮かべた。これ以上義兄に気を遣わせてはいけない。義兄も忙しい中で自分のために時間を空けてくれたのだから。
到着した小高い丘は街を一望できる展望だった。久しぶりの外出にエルーシアの胸が躍った。屋敷にきて半年ぶりに外の景色を堪能する。だがついてきたのは御者が一人だった。侍女や警護のものも、手練れのオスカーさえいない。あれほど用心を重ねた義兄が。その違和感から義兄に問いかけた。
「今日は供はいないのですか?」
「ああ、ここは敷地内だし安全だよ。お前と二人きりになりたかった」
それなら屋敷も敷地内だ。今の義兄の言ではあれほどの警備をおく屋敷の方が危ないということになる。
義兄は何を警戒している?義兄の真意がよくわからなかった。
ラルドの肘に手をかけ近くの森を散歩する。御者さえついてこないから本当に二人きりだ。エルーシアは久しぶりの森林の香りを満喫していた。別邸ではよく森の中を散策していた。そういえば義兄とこうして並んで歩くのも随分久しぶりだと傍の義兄を笑顔で見上げたが、なぜか義兄の反応がぎこちない。話しかけても口数が少なかった。
「お義兄さま?どうなさいました?」
「いや‥」
「ひょっとしてご気分が?屋敷に戻りましょうか?」
やはり無理をしていたのだろうか。そうと気遣い義兄の顔を覗き込めば、ラルドが顔を赤らめさらに身をひいた。そして何か言おうとして口を開き、何も言わずに閉じてふぅと息を吐いた。
「すまない、そうだな。戻ろうか」
「私の方こそ気がつかなくてごめんなさい。馬車はあちらかしら」
歳のいった御者に急いで屋敷に帰るように伝え馬車に乗り込む。同時に扉のカーテンを閉めた。この方が道中休みやすいだろう。馬車が緩やかに走り出した。
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