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第一部
第25話
しおりを挟む結論は出ず日中もぐるぐると思考が止まらずエルーシアは悲しげなため息をついていた。ただエデルに会いたいと思う恋慕が募る。元気がないエルーシアにドロシーがそっと話しかけた。
「エルシャ様、お外へ」
「え?」
「エデル様に会いたいですよね?今なら大丈夫です」
「でも‥」
「ルイーサに別の仕事をお願いしているので部屋にいません。この時間は旦那様もお見えにならないしなんとかなります。皆で協力しますので」
「皆?」
ドロシーの背後を見やれば侍女たちが扉の影からこちらをこっそり覗いていた。毎日エデルと会っている。流石に侍女たちにはバレていたようだ。
エデルに会えば別れを言われるかもしれない。いや、本当はエルーシアから切り出さなければならないのだ。別れるための逢瀬、とても悲しい。それでも、それでもエデルに会いたい。
「ありがとう、行ってくるわ」
ドロシーにお仕着せに似たドレスを着せてもらい髪を結い上げてもらう。支度の整ったエルーシアにドロシーが目を細めた。
「エルシャ様、その時が来たらどうか迷わないでください」
「え?」
「これ以上ここにいてはいけません。ご自分の幸せだけ考えて下さい。いいですね?」
「ドロシー?一体何の」
「時間がありません、急いでください」
事情を問おうとするエルーシアを隠し扉に連れて行きドロシーは笑顔で扉を閉めた。
久しぶりの外の空気とエデルに会えるという期待で鼓動がいつもより跳ねて苦しい。
息を切らして厩舎にたどり着けばエデルは厩舎の掃除をしていた。だがやはり元気がない。ふぅとため息をつく姿に挫けそうになったが勇気を出してエデルの前に飛び出した。
「エデル!」
「エルシャ様?!」
エデルがガチンと固まり目を瞠る。そして泣きそうなほどに顔を歪めてエルーシアを抱き寄せ物陰に攫った。そしてその体を折れそうな程にきつく抱きしめた。
「エデル‥会いたかった‥」
「エルシャ様‥」
触れ合うのはあの夜の睦み合い以来だ。エデルに抱きしめられエルーシアから歓喜の涙が溢れ出した。久々の抱擁に多幸感で体から力が抜ける。
「エデル‥わたし‥わたし‥」
「エルシャ様?どうしたんですか?一体何が?」
安堵からボロボロと泣き出したエルーシアにエデルが慌てて抱きしめあやすように背中をさすってくれた。
そんな風に甘やかされては別れを口にできない。きっとまた縋ってしまう。そして口から出たのはやはり別れの言葉ではなく縋る言葉だ。
「‥お義兄さまが‥」
「旦那様?旦那様が何を?」
「‥‥毎晩寝室に来て‥」
「来て?!来て何をされてるんですか?!」
怒気を纏うエデルの詰問にいっそエルーシアがたじろいでしまった。怯えるエルーシアに気がついてかエデルが腹の底から息を吐いた。
「すみません、最近情緒不安定というかカッとなりやすくて。何があったんですか?怒らないので教えてください」
優しく微笑むエデルにエルーシアは辿々しく現状を説明した。毎晩義兄が寝室に来ること。侍女が守ってくれているがそれも厳しいこと。義兄を説得したがうまく行かなかったこと。あの日の義兄とのことはエデルには黙っていた。今それは直接は関係がないことだ。
静かに話を聞いていたエデルは胸の前で腕を組みじっと目を閉じている。明らかに、相当怒っている。眉を顰め険しい表情をしていたがエルーシアに怒っているのではないとわかる。聞き終えたエデルはふぅと息を吐いてエルーシアに微笑んだ。その笑顔で纏っていた怒気が霧散した。
「‥‥それで対策が必要だと?確かに言い訳も苦しいでしょう。素晴らしく忠誠心のある侍女ですね」
「ええ、ルイーサは行動力もあって信頼しているわ。えっとそれでね‥」
「はい?」
「えー‥と、その」
「なんでしょうか?何でも言って下さい」
言い淀むエルーシアの顔をエデルが優しく覗き込んだ。大きな手で頭を撫でられエデルの声に勇気づけられ俯きながらエルーシアは口を開いた。
「その‥逃げるために信頼が出来て馬を扱える誰かがいないかって」
「———え?」
エデルが掠れた声を出した。その一声でエルーシアは現実を理解した。エデルの顔を見なくてもわかる。エデルはそんなつもりはないと。同時に涙が込み上げた。
わかっていたはずなのに。もうエデルの心は自分にはないのに。なんで縋ってしまったんだろう‥‥
もうエデルの顔を見られない。泣いてしまえば優しいエデルを困らせる。顔を伏せたまま両手のひらをエデルに向けた。
「ごめんなさい!今のは聞かなかったことにして!」
「え?は?聞かなかったって?なんで?どうするんですか?」
「いいの‥だ‥誰か別の人を‥‥」
「なぜ?どうしてここで別の人間が出てくるんですか?!」
どこか怒気を孕んだ声とともに二の腕を掴まれエルーシアは涙で濡れた目を瞑る。エデルの顔を見る勇気はない。俯いたままで口籠った。
「だって‥迷惑でしょう?」
「迷惑?」
「わ‥‥別れようと思っている私の為にそんなこと‥‥」
「え?別れる?誰が?!何を言ってるんですか?!」
驚愕の声にエルーシアは思わず顔を上げてエデルを見上げた。本当に驚いた顔をして固まるエデルにエルーシアも目を瞠る。
「え?だって‥この間から何か話したそうにしていたから‥別れ話をするんだとばかり‥」
スカートを手で揉みながらごにょごにょ言い淀めばようやく理解したエデルが俯いて手で顔を覆う。
「エルシャ様‥これはまた‥物凄い事を思いつきましたね。どうしてそうなったんですか‥」
はぁとエデルが深いため息をついた。エデルの反応の意味がわからない。混乱するエルーシアにエデルが笑みを向けた。
「割とわかりやすく伝えてたつもりなんですが足りませんでしたかね」
「足りない?」
「まあそこもエルシャ様らしいですね」
眉根を下げ柔らかい笑みを浮かべ、戸惑うエルーシアの手を取る。そして真摯な目でエルーシアを覗き込んだ。
「厩舎の裏か。こんな場所で言う事じゃないかもしれないですが聞いてもらえますか?」
「エデル?」
「エルシャ様‥僕と———」
「シア!今すぐその男から離れるんだ!」
その声にエルーシアが振り返れば、そこにいるはずのない義兄が立っていた。
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