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後日談: あなた
第γ話
しおりを挟むアデルナは困ったようにイザークを見やった。
この男は無自覚が過ぎる。どうしてくれようか。
今日もイザークとギルドで仕事を受けて、夕方になれば食材を買いに市場に寄る。アデルナの側には十年前から変わらずイザークがいた。
公爵家を出る時、イザークを身一つで連れ出した。公爵家での生活も、知人も思い出も全て捨てさせた。そうして見知らぬ土地でアデルナしかいない檻に閉じ込めた。
けれど獣は時々懐かしげに外の世界に想いを馳せる。それが許せない。そうして無自覚にアデルナを苛立たせた。
私はあなた以外なんにもいらないのに。私だけを見ていて欲しいのに。
黒髪に黄金の瞳、異国風の風貌、しなやかな黒豹のような精悍で勇猛な様が人々の目を惹きつける。大した顔ではない、珍しいから悪目立ちして困る。そう言っていたが、そんなことはない。
どうして自分の魅力に気がつかないのか。異性の目が集まっていることにさえ気がついていない。
この獣は自分のこととなると途端に無頓着になる。
装備を揃える時も手近なもので済まそうとしたから、これがいい!と黒い鎧を一揃え押し付けた。こっちの方が断然似合う!と思った。ツヤのある黒い鎧はイザークの野生味を引き立てた。
しかしより一層異性の目が集まってしまいアデルナは天を仰いだ。何をやってんだ私は!
アデルナは自分の見た目が目立つことを知っていた。
イザークがいい顔をしなかったが、わざと顔を晒して歩いた。そうすればこの男は視線を送る男たちに殺気を飛ばし威嚇する。イザークの独占欲が、嫉妬がアデルナの心に仄暗い悦びをもたらす。ついでに俺のものだと言えばいいのにそこは煮え切らない。まだまだ焦らしが足りないようだと思った。
だがイザークに向けられる視線は別だ。この獣は自分がモテると気がついていないが故に隙だらけだ。もっと用心して欲しいのに。アデルナが牽制を込めてイザークの腕に縋る。これは私の獣、誰にも触れさせない。
イザークの心がアデルナだけに向いていることは知っている。だがイザーク一人の時にどんな罠に嵌められるかわからない。嵌められそうになっていること自体許せない。絆されるなんて以っての外だ。対策が必要だ。
アデルナのものだという所有印が欲しい。獣なら首輪、人なら指輪だろうか。
指輪の理由は偽装結婚。アデルナの身の安全のためだと言えば納得するだろう。そう思い重くならないよう軽く話したのだが、イザークがなぜか全力で拒否してきた。
拒絶の意味がわからないが、これなら普通に指輪を贈った方がよかっただろうか?
作戦を練り直そうと席を立ったところで、呼び止められ不意に後ろから抱きしめられた。
なぜ抱きしめられたかわからない。でも夢にまで見たイザークからの抱擁にアデルナは胸をときめかせ陶然とした。十年、ずっと待ちに待ったイザークの抱擁。
行かないでくれ、と縋るイザークが震えている。この男は何もわかっていない。そんな事起こるはずないのに。でもそうして縋り付く獣がいじらしい。その腕をそっと撫でる。
欲しいものを問えば、アデルナのこころがほしい、という。
その言葉にアデルナはさらに薄く笑う。
この男はめっぽう強くて優しくて強情でアデルナには従順。でも鈍くて無垢で臆病で。
—— そして残酷だ。
もう十年前から差し出しているアデルナのこころに気が付かない。それはもうとっくに目の前にあるのに。
もう十年も焦らされて焦がされて狂わされて。愛しくて愛しくて気が狂いそうなのに、それにさえ気が付かない。目の前の無自覚な獣がいっそ憎らしくなる。
あなたのこころがほしい。
だからアデルナは慈悲深い聖女のような微笑みを湛えてイザークに愛を乞わせた。
アデルナがずっと前から差し出したものを教えるのは簡単。でも先にイザークのこころを差し出してほしい。
馬鹿な人。あなたは十年前の怯えた少年のまま。私があなたを捨てるはずないのにそれに怯え、震えながらこころを差し出す。あなたが必死に差し出すそのこころはどんなに耽美で甘美だろう。流す涙さえ愛おしい。
その腕に飛び込んでつたう涙を吸い取れば獣は真っ赤になって狼狽した。
この雫さえも私のものなのだから、これでいいんだ。
そうしてアデルナはやっと獣を抱きしめた。偽装ではなく本当に手に入れた。
イザークはまだほんの入り口に入っただけ。アデルナのいる深い深い闇まで辿り着いていない。きっとイザーク一人ではここには辿り着けない。
この獣の手を引きここまで導くのは私。
そう誓いイザークに指輪をはめる。
指輪をはめて己のものにして閉じ込める。出会った頃からずっと願っていたことがやっと叶った。
そうしてアデルナは愛しき獣に抱きしめられ降ってくる口づけを受け入れた。
ほしいのはあなただけ
あなた以外なんにもいらない
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