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外伝:むかしむかし 上
しおりを挟むこれはメリッサがアレックスに嫁ぐずっと前の、むかしむかしのお話。
今と違い魔封の森の封印はまだそれほど揺らいでおらず、魔獣が森から出てくることはそれほどなかった。それゆえに一見美しい森の側には民家が立ち並び、貴族達の別荘の一角もあったほどだ。
そのうちの一軒、シャムロック家の別荘にメリッサはいた。
メリッサ六歳。
両親を流行り病で失い孤独な孫娘の慰めにと、領地視察も兼ねてダリウスは孫を連れて別荘を頻繁に訪れていた。
領民との面会に多忙なダリウスから離れ、メリッサは一人森に近い野原で遊んでいた。
本邸には咲かない植物も多く、祖父を驚かせようと花摘みに夢中だったメリッサは、森の大木のうろにぐったりする獣を見つけた。
赤茶色い毛並みのそれはかなり衰弱していた。
後ろ足を怪我して目も見えないようだったが、それでも水で濡らした指を差し出せば必死に舐めとった。
それからメリッサは屋敷から毛布やお菓子を持ち出しその生き物の世話をこっそり始めた。外で魔獣を見かけても決して近づかないようにとダリウスに言い含められていた為だ。
祖父のいう魔獣とこの生き物が同じかメリッサにはわからなかったが、懸命に生きようとしている様子に恐ろしさは感じられなかった。
細かく砕いたビスケットと水を少しずつ与え、寒いのだろうか震えて啼く時は毛布で包んで大丈夫だと宥めながら抱きしめてやると、あどけない顔でコテンと眠った。
この時メリッサは初めてこの生き物が愛らしいと思った。
「多分これが初めて魔獣と接した時だったのだと思います。」
メリッサの運命を変えた出会い。今から十一年も前の話だ。
メリッサは、暖炉の前のソファに腰掛けるアレックスの膝の間に座っていた。後ろから抱きしめるアレックスの腕は優しく暖かで真綿に包まれているようだった。
想いが通じ合いすぐに結婚しようと二人は意気込んでいたが、なんだかんだあり結局半年後の挙式となった。
挙式後すぐ最低限の使用人をつれて魔封の森の側にあるシャムロック家の別荘にやってきた。
守り人たる当主は森から離れられない。旅行に出かけられないことを詫びられたが、メリッサは十分だった。
一緒に食事をし森を散歩して夜は睦み合う。二人だけのとても甘く幸せな時間だ。
魔獣が頻繁に出るようになった近年では足が遠のいていたが、久しぶりに来たこの別荘はよく祖父に連れて来られたのでたくさんの思い出がある。その懐かしさに、この別荘で過ごした子供の頃の話をメリッサはぽつりと語っていた。
アレックスはメリッサの肩に顔を埋め、静かに話を聞いていた。穏やかな呼吸が耳にくすぐったく、とても幸せだった。
「その魔狼はどうなった?」
目をうっすら開けたアレックスはメリッサの手を握る。夜も更けて別荘の中は静まり返っており、暖炉の薪が爆ぜる音だけがする。
「二日ほど世話をしたのですけれど、ある日いなくなってしまって‥‥」
メリッサは慌てて辺りを探し回った。
何かに襲われたのか、村人に見つかり駆除されたのか、愛らしい生き物は一向に見つからない。メリッサは泣きながら祖父ダリウスに助けを求めた。ダリウスは驚いたが、人を出し周辺を探し回った。
しかしあの生き物は見つからなかった。
大好きだった両親もいなくなった。愛おしいと思った途端あの生き物もいなくなってしまった。
悲しくて寂しくてメリッサは毎日泣きながら探し続けた。
一人で怖がっていないだろうか。寒くて震えていないだろうか。
「それはきっと魔獣で、元気になったから家に帰ったのだと祖父に慰められました。魔獣の回復は早いから今頃元気に森を駆け回っているだろうと。」
だから悲しまなくていいと抱きしめられた。大丈夫、お前は一人ではないと。
「そのあと私のスキルが発現し、家中大騒ぎになり、急遽本邸に戻ることになってしまい、その獣とはそれきりで‥‥。」
せめて元気な姿を見られたら納得できたのでしょうね、と少し寂しげなメリッサの声に、アレックスはメリッサを無言で抱きしめる。
「———メリッサ、君だったんだな。」
ぽつりと呟いた言葉にメリッサはアレックスの顔を見た。相変わらずメリッサの肩に顔を埋め眠るように目を閉じている。
メリッサは魔獣か獣かわからない、と言ったのに、アレックスはその魔狼はどうなったかと尋ねた。
つまりそれは———
子供のアレックスはよく魔狼の姿で過ごしていた。
生まれたては赤ん坊だったが半年もすると魔狼に変化して両親を驚かせた。
一族の中でずっと人狼しか生まれ出でなかったのに、アレックスは初代当主の姿と伝えられた『魔狼』になった。それも生後半年で。一族中で大騒ぎになったのだ。
森の魔素の影響で魔狼になるほうが楽だったのだろう。魔素の影響を受けやすかったが故に、アレックスは自分の意思で人の姿に戻ることが苦手だった。
両親は人の姿をしており、魔狼の姿をしていたがアレックスは自分も人だと信じていた。使用人たちもとても優しかった。だから人が自分に危害を加えるはずがない、と。
父が別邸にいない時にアレックスは魔封の森に迷い込んでしまった。「かどわかし」にあったのだ。
魔素が濃い森が方向感覚を狂わせる。運悪く雨も降り、歩いてきた自分の匂いを辿って戻ることも、まとわりつく魔素で人に戻ることもできない。
一日中暗い森を彷徨い魔獣に襲われ命からがら逃げつつも、アレックスは運良く森の外に出ることができた。
ふらふらと近くの村人に魔狼の姿のまま助けを求めた。当然助けてもらえると信じて。
魔狼の姿のアレックスを見た村人は武器を手に襲いかかってきた。アレックスは後ろ足に怪我をしたが、森の中に逃げ込むことができた。
森の中では魔獣に襲われ、森の外では人に襲われる。
なぜ人に襲われるのか、どうして助けてもらえないのか。混乱し肉体的にも精神的にも衰弱した上、視力も失ったアレックスは大木のうろの中で動けなくなっていた。
甘い匂い、そして水の匂いに意識が戻る。
誰かいる。逃げないといけない。でも動けない。
優しい声がするが、目が見えず何が起こっているかわからなかった。
水の匂いがするものを必死で舐めた。口に入れられた甘い何かを咀嚼し、暖かく柔らかいものに包まれた。
怖い夢を見て泣いて震えると、小さな手に頭を撫でられ大丈夫だと抱きしめられた。
優しい声と甘い香りに包まれアレックスは何日かぶりの深い眠りについた。
そして「かどわかし」から四日目、父がうろの中にいたアレックスを救出した。
濃い魔素に晒され続けた影響で意識の混濁が数日間続き、気がつくとアレックスは自分の部屋に寝かされていた。魔素酔いの後遺症からアレックスの視力が回復したのは一ヶ月後だった。
魔狼の姿では言葉を喋れない。あの場所にもう一度行きたいと訴えることもできず、自力でたどり着くこともできなかった。何も言わずにあの場からいなくなったことが心残りだった。
この後、バースが作り出した魔道具で人の姿に戻ることができたアレックスがあのうろにたどり着いたのはさらに二ヶ月が経っていた。
近くには貴族の別荘がいくつかあったが、声と香りだけでは命の恩人を探し出すことができなかった。
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