長生きするのも悪くない―死ねない僕の日常譚―

まこさん

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第十一話 さよなら、ガラパゴス

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 朔太郎が隆輝のマンションに居候を始めて一週間が過ぎた。
 この一週間ほぼ毎日、朝はコーヒーの香りに包まれて起床している。
 朝食は、半熟目玉焼きとカリカリに焼かれたベーコンが乗ったトーストと小鉢に盛られたサラダ。デザートはカットされたリンゴやバナナが入ったヨーグルトだった。
 因みに朔太郎の普段の朝食は、白米一膳と味噌汁一杯に漬け物数種類を日替わりで添えるだけである。
 また、提供された来客用の新しいふかふかの布団は良質な睡眠を促し、目覚めはスッキリと体も軽く、毎日が最高の一日を過ごせている。
 どうせ死なないのだから、といろいろとおざなりになっている事を反省すると共に、至れり尽くせりな生活に感動して震えた。
「これがブルジョアですか……」
「いや、違ぇから」
 噛みしめる様に呟いた朔太郎に、呆れ気味にツッコミを入れる隆輝であった。

 夕方。
 真夏に近付くにつれ、日差しの強さと気温は増すばかり。社務所の中は蒸し暑く、まるでサウナの様だった。
(どうせ死なないのだし……)
 エアコンはあるが、水浸しになった家の修繕費の事を考えると少しの電気代でも節約したい。授与所の窓と出入り口のドアを全開にして、団扇をあおぐ。
 しかし、汗にしっとりと濡れる肌着がどうにも気持ち悪く、朔太郎は社務所を出た。
 生温いはずの微風が心地良く感じた。
 数日前から鳴き始めた蝉の音が境内に響いている。
 と、制服を着た女子高生が鳥居を潜るのが見えた。小日向笑子にこりだった。
「こんにちは」
 笑子に挨拶をすると、明るい笑顔を見せながら挨拶が返って来る。
「あ、今はあまり近付かない方が良いですよ」
「えっ、どうしてですか?」
「先程まで暑い部屋に居て汗臭いので……」
「そうですかぁ?」
「わっ」
 笑子が朔太郎に顔を近づけて、匂いを嗅ぐ仕草をした。
 全然臭わないですよ、と顔を話した笑子が言った。
 これまでの人生、女性と親密な関係になった事が無い朔太郎。勿論、若い女性と至近距離で接した事も殆ど無い。
(あぁ驚いた。現代の女性は人との距離感が近いのかな?)
 江戸末期生まれの自分とは価値観諸々違うのだ、と納得をして朔太郎は会話を再開した。
 笑子も楽しそうに会話をしているが、内心では、
(つい勢いで近付き過ぎちゃった……! 引かれてないかな、嫌われちゃったらどうしよう!?)
 泣きそうな程焦っていた。
 兄弟や親戚に男性が多く、幼い頃から蝶よ花よと可愛がられ近い距離で接してきた為、気を付けていないと他人との距離感もバグってしまうのだ。
 そんな笑子の健気な乙女心には気付かない朔太郎だった。

 笑子の曾祖父で守護霊の芳松に睨まれながら他愛もない会話を続けていると、笑子が社務所の中をちらりと覗いて言った。
「そういえば、あの男の人は居ないんですか?」
「あぁ、源さんですね。今日は真面目に仕事してるみたいですよ」
「え、今日は……?」
 笑子が訝しんだ時、ピリリリと電子音が鳴った。
 失礼、と断りを入れて、朔太郎が浄衣の袂から携帯電話を取り出した。
 噂をすれば何とやら、隆輝からの着信だった。今から迎えに行く、十五分くらいで着く、という連絡だった。
 通話を終えた朔太郎は、携帯電話をパタンと閉じた。
 朔太郎の携帯電話は、所謂ガラケー。ガラパゴス携帯と言われるものだ。
 ガジェットに疎く、ゲームもしなければネットサーフィンもあまりしない。ノートパソコンを持っているので、大体の事はそれで事足りる。緊急の連絡用に最低限の機能があれば良い、という理由でガラケーを使い続けている。
 それを見た笑子はショックを受けた。
 実は、今日は朔太郎と連絡先を交換するつもりで神社を訪れたのだった。
 連絡先と言っても、今や主流のチャットアプリのIDである。
(ガラケーって、アプリ入れられるの? 電話番号交換なんて難易度高いよ!)
 笑子の背後に薄らと浮かぶ芳松は、可愛いひ孫の気持ちも汲んでやりたいが、小さくガッツポーズをした。
 と、その時。
 いつの間にか現れた地域猫のぼんじりが、ぷらりと垂れて揺れる携帯電話のストラップを目掛け、飛び付いた。
 ぼんじりの爪は見事にストラップを捕え、携帯電話ごと朔太郎の手から掻っ攫った。
「あっ」
 と気付いた時には携帯電話は玉砂利に叩きつけられ、そのまま数メートル引き摺られて行った。
「コラー! 離しなさいっ」
 慌てて朔太郎が追いかけると、ぼんじりはストラップを離して逃げて行った。
 漫画の様な出来事に笑子は呆気に取られて立っていたが、朔太郎が携帯電話を拾い上げたのを見て、我に帰り駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
 携帯電話の表面には細かい傷がいくつか付いていた。
 一メートル少しの高さから落ちて引き摺られたからといって、そう簡単には壊れないだろうと思った。安心と信頼の日本製なのだから。
 念の為、パカッと開いてディスプレイを見た。
 ディスプレイ上に黒い線が何本も横に走っていた。
 その黒い線は、見る見る内に増えていく。
「何じゃこりゃぁぁーッ!」
 約一週間振りの絶叫である。ここ数年で一番の大声を上げたかも知れない。
 二人はなす術もなく横線が走っていく様を見守った。
 数分後、やっと横線の増加が止まった。
 横線はランダムに走り、ディスプレイの六割程を黒く埋めてしまっていた。電源を入れ直しても、変わらない。
 絶句する二人に、到着した隆輝が暢気な声で話しかけた。
「二人して何やってんだ?」
「源さん!」
 笑子が隆輝を見てサボリーマンだ、と呟いた声は、朔太郎の声にかき消された。

 朔太郎に状況を説明され、携帯電話を見た隆輝は、短く言い放った。
「このディスプレイは死んだ」
 朔太郎はショックを隠せない。
「そんな……」
「落ちた衝撃で基板の何処かが壊れたんだな」
「日本製ですよ……?」
「いや、精密機器だぞ。日本製を過信するなよ」
 朔太郎は信じられない、いや、信じたくないとわなわなと震えている。
 やり取りを黙って見ていた笑子だったが、はっとある可能性に気付いて、ソワソワと話しかけた。
「これを機にスマホに買い換えるってのは、どうですか?」
 朔太郎と連絡先を交換したい笑子。電話やメールは緊張するし、面倒臭い。出来ればチャットアプリでやり取りしたい、と思っている。
 アシストして欲しくて、笑子は隆輝に目配せをした。
 何となく笑子の気持ちを理解した隆輝は、朔太郎にスマホへの買い換えを勧め始めた。
 首を縦に振らない朔太郎に、攻め方を変える。
「このガラケー、何年使ってる?」
「六年以上は経ってると思いますが」
「じゃぁ、ぼんじりにやられなくても、近い内にこうなったかもな。寿命で」
「でも、壊れた部品を修理して取り替えて貰えば生き返りますよね?」
「同じ基板や部品が今も生産されてるとは限らんし、高くつくぞ」
 隆輝は、自分のスマホで契約してるキャリアのサイトを表示させ、朔太郎に機種とプランや値段等々を説明した。
 あと一押し。
 隆輝がトドメの一言を放つ。
「どのキャリアも3Gケータイのサービス終了を発表してるから、あとちょっとでガラケー自体使えなくなるぞ」
 がっくりと項垂れた朔太郎は、その場に膝から崩れ落ちた。
 災難続きで可哀想だと思いつつ、笑子と名アシスト隆輝は再び目配せをして、こっそりサムズアップをした。
 かくして朔太郎は週末にスマホデビューする事になったのだった。
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