幻葬奇譚-mein unsterblich Alchimist-

ドブロクスキー

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今宵もリッチな夜でした

その4

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 それで結局何の因果だ、これは、と美香はパッション風味のアイスティーをすすりながら、向かいの席に座る相手を恨みがましく眺め遣ったのであった。
 夕刻のオープンカフェでの事である。
 路面に面した席は多くが人で埋まり、その中の一つに美香は腰を落ち着けていた。
 彼女の左右には昭乃と顕子がそれぞれに椅子に腰を下ろし、そして真向かいには、単純に色落ちしたようにさえ見える冴えない灰色のスーツを着た金髪の男が座っている。
「へー、月影君のクラスか、三人共」
 相も変らぬ気の抜けた声で、その男、リウドルフ・クリスタラーは少し驚いて見せたのだった。
「そうなんですよ。まあ、何か意気投合して? ああ、いや、私とこいつとは中学からの仲なんですけどね」
 エスプレッソ・マキアートを片手に昭乃は陽気に答えると、やおら美香の肩を叩いた。
「まあ、ここまで来ると腐れ縁て奴ですか? 同じ学校とこ受けたのは知ってたんですけど、まさか同じクラスになるとは思わなかったんで」
「でも、何かいいなぁ、そういうの。あたし、中学の時の知り合いなんか皆遠くに行っちゃったんだもん」
 こちらはホワイト・モカをすすりながら、顕子が少しねたような口調で口を挟んだ。
「まー、そういう事もあるよ。でも、それはそれで新しい出会いに恵まれるって事でもあるんじゃないの? んー、現にこうして、この二人との出会えたんだからね」
 テーブルの上で両手を組んで、リウドルフがそう言うと、顕子はまた笑顔をのぞかせた。
「ですよねー。あとは素敵な彼にでも巡り合えたら……」
「おっと、出たな、本音が」
 昭乃がすかさず突っ込みを入れると、場に笑いの花が咲いた。
 その中でただ一人、美香だけは愛想笑いを浮かべつつ、何故こんな事になったのかを脳内で反芻はんすうしていた。
 今日も最初に気付いたのは、顕子であった。
 三人での帰り道、夕暮れ時の繁華街はいつもと同じざわめきに満ちており、美香達と同じく帰宅途中の学生や背広姿の会社員などであふれ返っていた。ビルの上には白い三日月が昇り、茜色に淡く染まった西の空を物言わず眺めている。車道を照らす街灯にはすでに光が灯り始め、街中の商店の光も刻々と強さを増して行くようであった。
 学校からの帰り道、三人は駅前のオープンカフェに寄る事にした。
 駅ビルの一階に店を開くそのカフェは学生の格好の溜まり場であったし、事実、美香達の他にも一休みしているグループを店の内外にちらほらと見掛ける事が出来た。
 そして美香達もまた、外の席の一つに腰を落ち着けたのであった。
 西の空は赤みを増し、東の空は深みを増す。黄昏時の交差点は街灯に照らされて眩く輝き、信号を待つ人々の姿を暗がりからすくい上げるかのように照らし出した。
 そして信号が変わり、道路を渡って来る人の列の中にこの男の姿があったのだった。
「あっ、あすこ、あれってクリスじゃない?」
 顕子の声に引かれるようにして、美香も遠くの人影に目を留める。
「まただ。何してんだろ?」
「やっぱ、御飯食べに行くとか?」
 昭乃と顕子がにわかに盛り上がる中、美香は一人気だるげな表情を浮かべる。
 また面倒なのと出くわした。
 早い所、他所よそへ行ってくれないだろうか。
 間違っても、こっちの視線に気付かないで欲しいもんだ。
 美香がそう念じた矢先の事であった。
 一体何の偶然か、それとも悪魔のささやきでもあったのか、当のリウドルフは人込みの中、おもむろに首を動かすと、間も無くオープンカフェの一角に陣取る三人の少女の姿に気付いたのであった。
「あ……」
「ハーイ……」
 昭乃と顕子がそれぞれに愛想笑いを浮かべ、手を小さく振って見せる。
 美香は一人、目を逸らしていた。
 そのまま黙殺してくれないだろうか、と美香は願ったが、向こうも教師としての手前、生徒達を冷たくあしらうのも気が引けたのかも知れない。
 そしてそのままの流れで、四人はテーブルを囲って談話に興ずる運びとなった。
「先生も何か頼んだら?」
 昭乃が訊ねると、リウドルフは蓬髪を揺すって首を左右に振る。
「あー、僕はいいや。今は飽くまで巡回中だし、どうせこれから差し入れを買って戻る積もりでいるから。それに……」
 そこで言葉を一度切ると、リウドルフはテーブルを囲う三人の少女達を見回した。
「生徒と一緒にカフェでくつろいでたりなんかすると、色々と問題視されるみたいだからねぇ、この国じゃ」
 顕子が小さく吹き出した。
「ですよねー」
「んー、だから僕は、たまたま君達を見つけて、今こうして指導をしてるんだよ。寄り道してないで早く帰りなさいよ、と」
「はーい、善処しまーす」
 言って、昭乃はまた飲み物を一口啜った。
 その横で、リウドルフはおもむろに視線を下ろす。
「……ま、たまには誰かとお喋りしたくなるのも事実だけどね」
 リウドルフは独白するように言うと、テーブルの上で手を組み直した。
 そんな相手の様子を、美香は向かいから黙ってうかがう。
 小言でも言いに近付いて来たのかと思いきや、リウドルフは至って普通に接して来た。
 それこそ授業中と何処が変わるでもなく、至って自然体にである。
 公私にいて隔たりが無い、相手によって態度を変えない姿勢は褒めるべき事であるのかも知れないが、しかるに本当に、一貫して力の篭っていない態度を取る男であった。
 そもそもその容姿からして、相対する者の意識を白けさせる所がある。細身の面持ちは見方によっては端麗とも取れるだろうが、それの活かし方がまるでなっていない。服装は相変わらずだらしなく、綺麗な色の髪も乱れ放題である。
 赴任してからこちら、ずっとこの調子で通っているらしい。脱力系教師の仇名すら付いているという。
 事実、係わっていると本当に力が抜けて来るらしい。
 ある時、三年生の誰かが屋上で喫煙している所をこの男に見付かった挙句、逆に食って掛かって行った事があったのだという。勢いに任せて教師の胸倉を掴んだ所で、その生徒はその場で急にへたり込み、仲間に担がれて無様に退散したという内容の噂話を、美香はクラスメイトから聞いた事があった。
 言われてみれば主に掃除の時間など、この冴えない教師が巡回している間は、上級生達も割と真面目に動き回って見せるのである。威圧的な空気など微塵も撒き散らしたりはしないのに、皆が何処かで相手の視線を気にしている素振りをのぞかせるのを美香は幾度か目にした憶えがあった。
「でも、ねぇ……」
 口中で呟いて、美香は眼差しをテーブルの上へと落とす。
 それがこちらにとって何の足しになる訳でもない。
 そこが、正にそここそが美香にとっての頭の痛い所であった。
「えー、ところで、君……」
 せめて授業中だけでももう少し、せめてもう少し覇気があればいいのだが。
 場の勢いや何らかの印象が交わった方が、暗記もまだはかどるというのに。
「おーい、もしもーし? 君、大丈夫?」
「ほら、美香」
 隣の昭乃から肘でつつかれて顔を上げた時、美香は初めて周囲の視線が自分に注がれていた事に気が付いた。
「えっ……あ、あの……」
「何々? どーしたの、あんた? もしかして、昼間の化学の授業で脳味噌すり減らした?」
 顕子が冷やかすと、その向かいで昭乃がリウドルフへと説明する。
「すみませんねぇ、こいつ重度の化学音痴オンチなもんで」
「えー、そうなんだー……なーんかショックだなー」
 リウドルフが口先を尖らせるのを見て、美香は慌てて両手を振る。
「やァ、別に音痴って程じゃ……そりゃ、不得手ではありますけど……」
「うーん、不得手かぁ……けど、頑張って勉強すれば、生活面でも色々と面白くなって来ると思うよ。サスペンスや医療ドラマを更に楽しめるようになったり」
「えっ? 先生ってドラマとか見るの?」
 リウドルフの言葉に、顕子が意外そうに口を挟んだ。
 当のリウドルフは逆に驚いた様子をのぞかせて、自身の右手に座る生徒へと答える。
「そりゃ見ますよ、君。誰だって趣味の一つ二つはあるじゃない。あったっていいじゃない。あー、僕の場合は海外ドラマ専門だけど。トゥウェンティフォーとか、メジャークライムとか、ボーンズとか、キャッスルとか、NCISとか……」
「マジ? 先生って、結構ドラマ好き?」
 美香の隣で昭乃が目を輝かせて訊ねると、リウドルフはスーツの内側からタブレットを取り出して一同の前に提示する。周りにつられて美香が目を遣ってみれば、液晶画面の壁紙には確かに海外の俳優達がそろってポーズを決めている画像が使われていた。
「おお~、こりゃ筋金入りだ」
「でしょ、でしょ」
 昭乃が目を丸くして声を上げると、リウドルフも何処か嬉しそうに応じる。
「録画も溜まる一方だから、最近じゃこうして携帯端末にデータを落として空き時間に鑑賞してるんだよ。やー、便利な時代になったもんだ」
「へぇー……先生って案外アクティブな人だったんだぁ」
 素直に感心した声を漏らした顕子へ、リウドルフは少し細めた目を向ける。
「あー、今出たね、偏見が。どうせ僕の事、研究室に篭りがちの冴えないおっさんとか思ってたんでしょ」
「やァ別に、そんな事も無いようなあるような……」
 顕子が宙に視線を泳がせて言葉を濁すのを見て、リウドルフは息を一つついた。
 それからリウドルフはタブレットを懐へしまうと、卓上で再び両手を組んで、それまでよりも落ち着いた声で語り出す。
「自分で言うのも何だけど、僕はこれで結構活動的な人種だと思うよ。落ち着きが無いってたしなめられる時もあるけど……でもね君達、学問でも何でも、受動的なだけじゃ駄目なんだよ。常に自分から、それこそ世界各地を回ってでも色んな学説や記録に触れて回らないと、大切な事、本当に価値ある事ってのは掴めないんだ」
 後ろに点々と続く己の足跡をかえりみるような、それは穏やかながらも真摯な物言いであった。
 相手のいつになくしんみりとした提言に、昭乃と顕子も引き込まれるように自然と話し手を見遣っていた。
「ま、僕の人生なんて実際ほとんどが放浪生活のフィールドワークだけど、それが一つの誇りだね、今じゃ。真理は人に用意してもらったり、誰かに吹き込まれて発展させて行くものじゃないんだ」
 美香も同様であったが、程無く顕子がいささか意地の悪い笑みを浮かべて、彼女の方へ首を巡らせたのであった。
「あんた辺りにゃ結構身に染みる意見でしょ、今の」
「な、何よ、急に……」
「やァ、だってほら、家ン中で一夜漬けで四苦八苦してる人には、取り分け耳に痛い台詞だったんじゃないかなぁと……」
「てかさ、あんた今頃からそんな有様で、中間テストとかどうする積もりな訳?」
 顕子の後を継いで、昭乃もからかい交じりの眼差しを遣す中、美香は気勢の削がれた声をぽつぽつと漏らす。
「そりゃまあ……赤点取らないように、頑張る……」
「うっわ、消極的」
「でも現実的」
 顕子と昭乃が冷やかす先で、美香はばつの悪い思いを胸に、ひたぶるに眼差しを脇に反らすのだった。
 そんな美香を、リウドルフは元通りの気の抜けたような眼差しで以って捉える。
「まー、でも、向き不向きは誰にでもあるからね。そりゃ、努力する事は大切だけど、変に思い詰めたりしないようにね」
「……はい」
 何が楽しくて、放課後にまでこんな会話をしなければならないのだろうか。
 美香は誰に向けたものでもない不確かな、その癖、嫌にはっきりした恨みがましい思いを、一人胸の奥にわだかまらせたのであった。
 残照も収まりつつある紺色の空に、明星がぽつりと浮かんでいた。
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