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【月色の雲】
しおりを挟む紋之介が煙にむせながら、ふと、上を見上げると、銀杏の葉が暗闇の中に異様に明るく浮かんでいるのが見える。
それはまるで月に照らされた雲のようだった。
紋之介は鼓動が早くなっていくのを感じた。
自分の心臓の音が耳のそばで聞こえるような気がした。
灰の煙がその雲の中へ、舞い上がり吸い込まれていく。
上を向いたまま、紋之介はそれを見ていた。
血がざわめく。
まるでクライマックスに達した舞台の上にいる紋之介に、観客の胸の鼓動が、ざわめきながら波のように押し寄せてくる、あの時に感じる血のざわめきが、今、身内に起こっているようだった。
紋之介は、ふと我に返ると、ここにこの灰を撒いてはいけないような気がした。
何気なく後ろを振り向くと、不忍池のお池が見える。
耳のそばで、鼓動が大きく聞こえてくる。
紋之介は、急ぎ足でお池に近づいていく。
鼓動の音がどんどん早くなる。
池の前にたどり着くと、思い切って紋之介は、箱を投げ捨てた。
水の中に落ちる音がしたので、桜色の箱は沈んでいったようだ。
投げ入れた時、わずかな灰が宙に舞った。
それはあわただしく煙を撒きながら、空へ吸い込まれるように上がっていった。
空では月がこうこうと照っていた。
灰は月明かりに照らされて、やがて、雲のように固まったまま、宙に浮かんだ。
明るい月色の雲だった。
その雲は一時間あまり、空に浮かび続けた。
明くる年のことだった。
上野公園の桜の木々がまったく咲かなくなった……
そこまで長老のアイアイが話し終えた時、非常口の鉄のドアがドンドンと鳴った。
〈続く〉
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