北帰行

猫春雨

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北帰行

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 わたしがくらす家はあたたかい。
 両親も兄も、みんなわたしのことを大切にしてくれていた。
 でもそれゆえに、やさしさが時々よそよそしく感じることがある。
 もしかしたら、わたしはこの家の子どもではないのではないか。
 世間というきびしい冬をやりすごすため、一時的にくらしているだけのような気がしていた。
 そんなことをいつも、湖のほとりにある公園でぼんやりと考えている。
 公園でわたしの目にうつっているのは、貸しボート屋のわきにつながれているスワンボートだ。
 彼(彼女?)もまた、どうしようもないさびしさをかかえているようだった。
 本来あたたかくなり出したこの時期、白鳥は日本をはなれて北に帰りはじめる。
 だけどここのスワンボートはロープでつながれて飛び立つこともままならないでいた。
 それどころか、飛び方さえ忘れているかもしれないのだ。
 ひとりぼっちなスワンボートに同情したわたしは、おこづかいがゆるすかぎり、借り受けることにしている。
 空があかね色にそまりゆくなか、貸しボート屋が閉まるまで、わたしはスワンボートをこぎつづけた。
 するとスワンボートは、折りたたまれていたつばさをひろげ飛び上がろうとがんばる。
 わたしはかけ声をかけて応援し、ペダルもけんめいにこいだ。
 その努力がみのってか、ふわりと湖の表面から浮かび上がるようになって来た。
 そうなると成長は早い。
 あれよあれよという間に、湖の端から端まで飛びつづけることに成功した。
 もうそろそろ、計画を実行するころ合いかもしれない。
 わたしとスワンボートは、自分たちの本来いるべき場所をめざして旅立つことにした。
 ふるさとがどこかは分からないけれど、かつての船乗りたちが星の位置をあてにしたように、きっと運命がわたしたちをみちびいてくれるはず。
 そしてついに計画を決行する。
 食料などをつめたリュックを背おったわたしは、早朝に公園をおとずれた。
 まっすぐに向かった先は貸しボート屋だ。
 わたしはこっそりと桟橋に立ち、スワンボートをつないでいるロープをほどいた。
 スワンボートも旅立ちに気分がたかぶっているみたい。
 わたしは相棒に乗り込むと、リュックをとなりに置き、ゆるりゆるりとペダルをこぎはじめた。
 着込んでは来たものの、いてついた朝の空気が肌を刺す。
 そのつめたさは速度が上がるごとにまし、湖をはなれると強風となった。
 さむいことはさむいけれど、気分がたかぶっている今のわたしにはつらくない。
 風を切るスワンボートはぐんぐんと上昇し、町を見下ろせるまでの高さになると安定した。
 上空からお世話になった家をさがす。
 赤い屋根を見つけると、今までありがとうと心からお礼を言った。
 スワンボートはすいすいと空をすべってゆく。
 この調子ならほんとうの居場所にすぐたどりつけるかもしれない。
 とは言え、目的地までの道のりはスワンボートの本能にまかせているようなものだから、どこまで飛ばないといけないのか分からなかった。
 一日はあっという間に過ぎ去り、わたしたちはどこかの池に着水する。
 今夜はここで寝泊まりね。
 リュックからスナックバーを取り出し、ペットボトルの水とともにおなかに流し込んだ。
 あとはスワンボートをねぎらってから、ボートのなかで眠る。
 さむくて心細かったけれど、今さらあとには引けない。
 次の日も次の日も、わたしはペダルをこぎ、スワンボートも空高く飛びつづけた。
 ところがある日、春のあらしに見まわれる。
 ふきつける向かい風に邪魔されて、ペダルが重いためにこぐのもむずかしくなった。
 スワンボートも思うようにはばたけず苦労しているようだ。
 これではだめだと、まだ日が高いものの、地上に降り立つことにした。
 ところが、首を下げたときに強い突風がスワンボートをからめ取り、わたしたちはくるくると木の葉のように舞い上がる。
 天地がどちらかさえ分からなくなり、わたしはそのまま気を失った。
 気がつくと周囲は霧におおわれていた。
 スワンボートはどこかの水面に浮かんでいるのはたしかだ。
 地面に不時着しなかったことに安心しつつも、ここがいったいどこなのか分からないため不安がわき起こる。
 と、そのとき。
 前方にゆらりと影が生まれた。
 ひとつ、ふたつ、ううん、もっとたくさんいる。
 右も左も分からないので、期待を込め、その影の方へとスワンボートをすすめた。
 はっきりしつつある影の形に見おぼえがある。
 そう、わたしが今乗っているスワンボートと同じではないか。
 霧がうすまり、視界がひらけて飛び込んで来た光景は、真っ白いスワンボートのむれだった。
 たくさんのスワンボートたちが同じ方向を向いて水面をおよいでいる。
 もしかしてこれは、スワンボートの北帰行?
 本物の白鳥のように、スワンボートもふるさとへと旅立っていたのね。
 わたしのスワンボートが一声鳴くと、むれのあちらこちらからも鳴き声がはっせられる。
 そうか、この子の居場所はもう見つかったんだ。
 もうひとりじゃない。こんなにも仲間がいるんだものね。
 となるとわたしはお荷物になる。
 スワンボートが向かう先はスワンボートのふるさとであり、人間のわたしが行くべき場所ではないだろう。
 だからわたしはリュックを背おうと、相棒をひとなでしてから、水面に飛び込んだ。
 ためらいはなかった。
 スワンボートはもうわたしがいなくてもやっていける。
 スワンボートのしあわせをねがうわたしは青い水の中をゆっくりとしずんでいった。
 ふしぎと息ぐるしくはなかった。
 むしろ母親のおなかにいるようで安心する。
 やがて真下に光りが見えて来た。
 わたしは流れにさからわず、その光りへとすべりこんだ。

 目がさめるとお母さんの泣き出しそうな顔があった。
 ああ、よかった。意識を取り戻してくれたのね。
 わたしはいったい……。
 旅に出たはずなのになんでお母さんがいるの?
 あなたは湖のほとりに打ち上げられていたところを助けられたのよ。
 そうか、もどって来てしまったのね……。
 お母さん、けっきょくわたしは自分の居場所を見つけられなかったよ。
 なに言ってるの! あなたの居場所はわたしたち家族がいるところじゃない!
 それを聞いたわたしの目からなみだがこぼれ落ちる。
 そっか、わたしはたどりつけたんだ。本来いるべき場所に。
 すべては思いすごしで、わたしがお母さんたちの子どもであることにまちがいはなかった。
 お母さん、ごめんなさい。
 いいのよ。わたしはあなたがいてくれたらそれだけでしあわせだから。
 もう旅立とうと思うことはないだろう。
 わたしはずいぶん遠回りをして、ようやく自分の居場所を見つけた。
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