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2 リョウちゃんが恋を教えてくれるらしい
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チャイムが鳴る。起立の号令がかかって、休み時間が終わった。
授業を受ける。新しい勉強内容へ夢中になっているうちに、あっという間にホームルームの時間だ。それが終わったら、部活動。
僕は文芸部で、リョウちゃんはサッカー部。活動が終わる時間は、だいたい一緒。僕がリョウちゃんをグラウンドまで迎えに行って、一緒に帰るのがいつものことだ。
とはいっても、文芸部は、活動らしい活動をしていない。部室に来るといっても、ほとんどたむろっておしゃべりするだけだ。
そんな中、僕はひとりで、創作物を通じた恋愛の研究をしている。
資料を開きつつ、ノートをまとめて、少しでも分かろうとしていた。その横でみんなはボードゲームをしたり、好きな作品について語り合ったりしている。
その中で、次期部長と目される同級生の鈴木くんが、僕の隣の椅子を引いた。失礼するよ、と一言断って、座る。
「志村くん。研究の進捗はどうかな?」
分厚いメガネを押し上げて、尋ねてくる。身長が同じくらいだから、並んで座ると、目線が同じ高さにあった。
「もう全然ダメだ。何も分からないよ……」
うなだれる僕に、「そうか」と鈴木くんは頷いた。鈴木くんには、好きな人がいるらしい。誰かは教えてもらってないけど、その点において、彼は僕の師匠だ。
僕の研究を人に話すと、何かの冗談だと思われがちだ。だけど鈴木くんは、これについて初めて話した時も、「いい研究だ」と認めてくれた。
だから鈴木くんは、僕にとって、とてもありがたい友達だ。
「もう習った? みちのくの、しのぶもぢずり、誰ゆえに……」
習ったばかりの和歌。ノートに写したその文字列を見ていると、鈴木くんが頷く。
「私の心が乱れているのは誰のせいでしょうか、それはあなたのせいです、という歌だね。それがどうかしたの?」
「分からないんだ。どうして、自分の気持ちが乱れているのを、相手のせいにするんだろうって思う」
ふう、とため息をついた。
「なんで、恋しい相手を責めるみたいに言うんだろう? しかも、これはラブレターなんだよね。相手もこれを受け取って、嬉しいって思うのかな?」
「僕なら、そう送られてきたら、すごく嬉しいな」
ふふ、と鈴木くんが微笑む。僕はちょっと意外で、上半身を少しだけ鈴木くんへ傾けた。
「それは、どうして?」
「自分の存在が、相手にとって、それだけ大きいんだって実感できるからだよ」
いまいち分からないけれど、鈴木くんがそう言うなら、検討する価値はあるはずだ。ふむ……と腕組みをする。鈴木くんは「まあ、考えてみなよ」と軽やかに言って、立ち上がった。今度は女子のグループへ声をかけて、原稿の進捗を尋ねている。
「もうすぐ夏休みだ。文化祭で出す原稿は、早めに出してね」
「はーい。言っても、締め切りは八月の登校日じゃん」
「そう言って、毎年かなりの締め切り破りと、原稿徹夜組が出るんだぞ……」
そのやり取りをよそに、僕は頭を抱えた。うんうん唸り声を上げている間に、今日の部活動時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。一旦、考えるのはやめにした。
みんなで、ぞろぞろ部室から出る。僕はだべっている一団を抜けて、真っ直ぐにグラウンドへ向かった。コート脇に生えた松の木の下で、リョウちゃんを待つのが日課だ。
グラウンド横の部室棟の、二階にあるドアが開く。わらわらと男子たちがあふれ出て、その中にリョウちゃんがいた。
いつも話している男子と、いつも通り二人で話しながら、リョウちゃんが階段を降りてくる。リョウちゃんへひらりと手を振ると、いつも通り、気づいてくれた。
「桂木、俺帰るから。またね」
「ん、お疲れ」
桂木くんのことはよく知らないけど、リョウちゃんと仲のいいサッカー部員だ。やたらと強い目力が印象的で、声と身体が大きい人。
リョウちゃんは僕へ手を振って、駆け寄ってくる。
「ハルくん、帰ろう」
うん、と頷いて、リュックを背負いなおした。
僕とリョウちゃんの家は近所で、電車通学だから、最寄駅まで一緒。リョウちゃんに今日の出来事をあれこれ話しながら、夕暮れの街を歩いた。
「……それでね、僕はやっぱりモヤモヤするんだ。古文に正解する方法は分かるんだけど、気持ちの動き方の理由が理解できないんだ」
古文への不満を訴える。リョウちゃんは、へえ、と目を細めた。
「どこが分からないの?」
「今日やった和歌。なんで好きな人にあんなことを言うのか、分からないよ」
ぶつくさ文句を言った。そう? と言って、リョウちゃんが僕の肩に肘を置く。ちょっと体重をかけられて、じゃれてきた。楽しくて、僕はけらけら笑う。リョウちゃんも低く笑って、そうか、と呟く。
「ハルくんはがんばって研究してるのに、恋が分からないんだ?」
「うん。好きな人を思うと楽しくなるはずなのに、なんで、あなたが悪いんですよって言うんだろ……」
俯く僕の視界の中心で、リョウちゃんの大きな手のひらが揺れる。つられて顔を上げると、彼は微笑んでいた。
だけど、いつもと、雰囲気が違う。夕焼けで逆光になっているのに、目つきがらんらんと光って見えた。薄い唇がゆっくり開いて、「分からないんだ」と、ちいさく、もう一度呟く。
背も高いし、なんだか、同い年に見えない。大人の男みたい。
僕がぽかんと見上げていると、彼は意地悪そうに唇を横に引いた。わざとらしい声色をつかって、僕を見下ろす。
「まったく、ハルくんはお子さまだな。そんなの、分かり切ったことなのに」
「は、はぁ!?」
言うに事欠いて、突然なんだ、そのいじわるは。なのになんでか、彼の言葉に不思議と納得している自分もいた。
賢いリョウちゃん。中学の時より、ずっと大人びたリョウちゃん。高校に入ってから、何人もの女子に告白されたことも知っている。きっと、僕よりも、その分野には詳しい。
だからこそ、むかっとした。リョウちゃんの知っていることを、知らなくて、悔しかった。
唇が尖る。子どもっぽい癖だと思うのに、まだ直せていない。
「ふん。分かり切ったことだって言うけど、君は、僕に恋を教えられるの?」
そんなの、どうせ無理なくせに。これまでどんな本を読んでも、どんな映像を見ても理解できなかった。さすがのリョウちゃんでも、きっと無理だ。
フンとそっぽを向くと、リュックの紐を軽く引っ張られる。
「うん。できる」
思わず、動きが止まった。
リョウくんはもう一度紐を引っ張って、「できるよ」と繰り返した。僕は、ぎこちなく、彼を見上げる。
リョウちゃんは、にこりと微笑んでいた。整った切れ長の目元が、たわんで、色っぽい。右目の下へ二つ並んだ泣きぼくろに、視線が行った。
「俺は恋心を分かってるから、ハルくんに教えられる。やろうか?」
いつの間にか、僕よりずっと高くなっていた視点。逞しくなった身体つきに、低い声。
その全てが、じんと、目の奥を痺れさせた。
僕は立ちすくんで、だけど、負けじとにらみかえす。
「……じゃあ、やってみせてよ」
僕の言葉に、リョウくんが低く笑った。ちょうどその時、踏み切りが下がる。カンカンと鳴り響く警笛の音の向こうで、リョウくんが何かを呟いた。聞き間違いでなければ、「やった」って言った。
電車が通り過ぎて、僕たちだけがぽつんと残る。リョウくんは、リュックの紐から手を離した。代わりに僕の制服の袖をつまんで、引っ張る。
「行こう。今日から俺たち、恋人同士ね」
「う、うん。なんで……?」
まだ、理解が追いつかない。リョウくんは、言い含めるみたいに言った。
「言ったじゃん。俺がハルくんに、恋を教えるんだって」
リョウちゃんは、あくまでニコニコ笑っている。だけど僕は、背中に嫌な汗をかいていた。
僕は何か、とんでもないスイッチを、押してしまったんじゃないだろうか。
それも、もうこれまでと同じ関係には、引き返せないやつを。
授業を受ける。新しい勉強内容へ夢中になっているうちに、あっという間にホームルームの時間だ。それが終わったら、部活動。
僕は文芸部で、リョウちゃんはサッカー部。活動が終わる時間は、だいたい一緒。僕がリョウちゃんをグラウンドまで迎えに行って、一緒に帰るのがいつものことだ。
とはいっても、文芸部は、活動らしい活動をしていない。部室に来るといっても、ほとんどたむろっておしゃべりするだけだ。
そんな中、僕はひとりで、創作物を通じた恋愛の研究をしている。
資料を開きつつ、ノートをまとめて、少しでも分かろうとしていた。その横でみんなはボードゲームをしたり、好きな作品について語り合ったりしている。
その中で、次期部長と目される同級生の鈴木くんが、僕の隣の椅子を引いた。失礼するよ、と一言断って、座る。
「志村くん。研究の進捗はどうかな?」
分厚いメガネを押し上げて、尋ねてくる。身長が同じくらいだから、並んで座ると、目線が同じ高さにあった。
「もう全然ダメだ。何も分からないよ……」
うなだれる僕に、「そうか」と鈴木くんは頷いた。鈴木くんには、好きな人がいるらしい。誰かは教えてもらってないけど、その点において、彼は僕の師匠だ。
僕の研究を人に話すと、何かの冗談だと思われがちだ。だけど鈴木くんは、これについて初めて話した時も、「いい研究だ」と認めてくれた。
だから鈴木くんは、僕にとって、とてもありがたい友達だ。
「もう習った? みちのくの、しのぶもぢずり、誰ゆえに……」
習ったばかりの和歌。ノートに写したその文字列を見ていると、鈴木くんが頷く。
「私の心が乱れているのは誰のせいでしょうか、それはあなたのせいです、という歌だね。それがどうかしたの?」
「分からないんだ。どうして、自分の気持ちが乱れているのを、相手のせいにするんだろうって思う」
ふう、とため息をついた。
「なんで、恋しい相手を責めるみたいに言うんだろう? しかも、これはラブレターなんだよね。相手もこれを受け取って、嬉しいって思うのかな?」
「僕なら、そう送られてきたら、すごく嬉しいな」
ふふ、と鈴木くんが微笑む。僕はちょっと意外で、上半身を少しだけ鈴木くんへ傾けた。
「それは、どうして?」
「自分の存在が、相手にとって、それだけ大きいんだって実感できるからだよ」
いまいち分からないけれど、鈴木くんがそう言うなら、検討する価値はあるはずだ。ふむ……と腕組みをする。鈴木くんは「まあ、考えてみなよ」と軽やかに言って、立ち上がった。今度は女子のグループへ声をかけて、原稿の進捗を尋ねている。
「もうすぐ夏休みだ。文化祭で出す原稿は、早めに出してね」
「はーい。言っても、締め切りは八月の登校日じゃん」
「そう言って、毎年かなりの締め切り破りと、原稿徹夜組が出るんだぞ……」
そのやり取りをよそに、僕は頭を抱えた。うんうん唸り声を上げている間に、今日の部活動時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。一旦、考えるのはやめにした。
みんなで、ぞろぞろ部室から出る。僕はだべっている一団を抜けて、真っ直ぐにグラウンドへ向かった。コート脇に生えた松の木の下で、リョウちゃんを待つのが日課だ。
グラウンド横の部室棟の、二階にあるドアが開く。わらわらと男子たちがあふれ出て、その中にリョウちゃんがいた。
いつも話している男子と、いつも通り二人で話しながら、リョウちゃんが階段を降りてくる。リョウちゃんへひらりと手を振ると、いつも通り、気づいてくれた。
「桂木、俺帰るから。またね」
「ん、お疲れ」
桂木くんのことはよく知らないけど、リョウちゃんと仲のいいサッカー部員だ。やたらと強い目力が印象的で、声と身体が大きい人。
リョウちゃんは僕へ手を振って、駆け寄ってくる。
「ハルくん、帰ろう」
うん、と頷いて、リュックを背負いなおした。
僕とリョウちゃんの家は近所で、電車通学だから、最寄駅まで一緒。リョウちゃんに今日の出来事をあれこれ話しながら、夕暮れの街を歩いた。
「……それでね、僕はやっぱりモヤモヤするんだ。古文に正解する方法は分かるんだけど、気持ちの動き方の理由が理解できないんだ」
古文への不満を訴える。リョウちゃんは、へえ、と目を細めた。
「どこが分からないの?」
「今日やった和歌。なんで好きな人にあんなことを言うのか、分からないよ」
ぶつくさ文句を言った。そう? と言って、リョウちゃんが僕の肩に肘を置く。ちょっと体重をかけられて、じゃれてきた。楽しくて、僕はけらけら笑う。リョウちゃんも低く笑って、そうか、と呟く。
「ハルくんはがんばって研究してるのに、恋が分からないんだ?」
「うん。好きな人を思うと楽しくなるはずなのに、なんで、あなたが悪いんですよって言うんだろ……」
俯く僕の視界の中心で、リョウちゃんの大きな手のひらが揺れる。つられて顔を上げると、彼は微笑んでいた。
だけど、いつもと、雰囲気が違う。夕焼けで逆光になっているのに、目つきがらんらんと光って見えた。薄い唇がゆっくり開いて、「分からないんだ」と、ちいさく、もう一度呟く。
背も高いし、なんだか、同い年に見えない。大人の男みたい。
僕がぽかんと見上げていると、彼は意地悪そうに唇を横に引いた。わざとらしい声色をつかって、僕を見下ろす。
「まったく、ハルくんはお子さまだな。そんなの、分かり切ったことなのに」
「は、はぁ!?」
言うに事欠いて、突然なんだ、そのいじわるは。なのになんでか、彼の言葉に不思議と納得している自分もいた。
賢いリョウちゃん。中学の時より、ずっと大人びたリョウちゃん。高校に入ってから、何人もの女子に告白されたことも知っている。きっと、僕よりも、その分野には詳しい。
だからこそ、むかっとした。リョウちゃんの知っていることを、知らなくて、悔しかった。
唇が尖る。子どもっぽい癖だと思うのに、まだ直せていない。
「ふん。分かり切ったことだって言うけど、君は、僕に恋を教えられるの?」
そんなの、どうせ無理なくせに。これまでどんな本を読んでも、どんな映像を見ても理解できなかった。さすがのリョウちゃんでも、きっと無理だ。
フンとそっぽを向くと、リュックの紐を軽く引っ張られる。
「うん。できる」
思わず、動きが止まった。
リョウくんはもう一度紐を引っ張って、「できるよ」と繰り返した。僕は、ぎこちなく、彼を見上げる。
リョウちゃんは、にこりと微笑んでいた。整った切れ長の目元が、たわんで、色っぽい。右目の下へ二つ並んだ泣きぼくろに、視線が行った。
「俺は恋心を分かってるから、ハルくんに教えられる。やろうか?」
いつの間にか、僕よりずっと高くなっていた視点。逞しくなった身体つきに、低い声。
その全てが、じんと、目の奥を痺れさせた。
僕は立ちすくんで、だけど、負けじとにらみかえす。
「……じゃあ、やってみせてよ」
僕の言葉に、リョウくんが低く笑った。ちょうどその時、踏み切りが下がる。カンカンと鳴り響く警笛の音の向こうで、リョウくんが何かを呟いた。聞き間違いでなければ、「やった」って言った。
電車が通り過ぎて、僕たちだけがぽつんと残る。リョウくんは、リュックの紐から手を離した。代わりに僕の制服の袖をつまんで、引っ張る。
「行こう。今日から俺たち、恋人同士ね」
「う、うん。なんで……?」
まだ、理解が追いつかない。リョウくんは、言い含めるみたいに言った。
「言ったじゃん。俺がハルくんに、恋を教えるんだって」
リョウちゃんは、あくまでニコニコ笑っている。だけど僕は、背中に嫌な汗をかいていた。
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