婚活中の俺をクソ生意気な後輩が好きだと言うので、こっちから結婚を迫ってみた結果……

鳥羽ミワ

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 手元の手紙が、風に吹かれて頼りなく揺れる。これは先日の見合い相手のご令嬢から届いた、お断りの手紙だ。こんなことが何度目か、もう数えるのもやめてしまった。
 その上、手紙の内容ときたら、「お断りの理由」になった、俺の至らない点への指摘ばかり。
 もちろんそんなこと、俺自身がよく分かっている。それに、そんなことをこうやって懇々と説教してくる人となんて、俺も結婚したくない。だけど。
 ちょっとだけ、こたえた。

 ぱちぱちと火の粉のはぜる音を立てる焼却炉を見やる。火属性の魔力が循環しているそこは、昼休みでも熱が絶えることなく燃えていた。

 とはいえ、人からもらったものだ。ゴミと一緒に直接火の中へ放り込んでしまって、いいものだろうか。
 悩んでいる間に、俺の手から紙を取り上げる指があった。

「ウィル先輩、お疲れ様です。これって女性からのお手紙ですよね? また、フラれたんですかぁ?」

 にんまりと笑うのは、口元にほくろのある、背の高い金髪碧眼の色男。俺はうんざりして、「ケイン」と咎めるように掌を差し出した。

「どうしてここにいるんだ。というか、返しなさい」
「え。今、そこで燃えカスにしようとしてましたよね」

 この野郎。俺は口の端を引きつらせつつ、「俺の手で処分する」となおも掌を突き出す。
 ケインは、俺の学生時代からの腐れ縁だ。同じ学科の後輩で、優秀なくせに不真面目な態度を取るひねくれ者。
 真面目にやっても結果が出ない俺は、正直ひがんでいないと言えば嘘になる。だけど孤立気味なこいつを、放っておけなかった。
 そうして構ってやっていたら、懐かれたのか恨まれているのかよく分からないままに、ずっと絡まれている。
 お互い魔術師として研究所に勤めるようになってからも、だ。

「なになに~? どんなフラれ方をしたんですか?」
「あっ、馬鹿おまえ」

 焦って取り上げようとした手は空を切る。もともと背の高いケインは空へ向かって腕を伸ばし、見上げるようにしてそれを広げた。俺は頭を抱えて蹲り、「ほんとサイアク」とうなる。

「うーわ、ひど。先輩、この子にフラれて正解ですよ。こんなひどい断り文句を書く奴なんか忘れましょ」
「うるせえ。お前に言われることじゃない」
「いくら婚期を逃しかけだからって、相手は選ばないとダメですよ」
「ぐう」

 俺は苦々しく奥歯を噛み締め、ケインを睨み上げる。彼はにこやかな笑みを浮かべたまま、「でもよかった」と小さく呟いた。そして、シームレスに手紙を焼却炉へと投げ込む。
 俺はそのためらいのない動作に、げぇと舌を出すふりをした。

「お前ってなんなの。俺のことが嫌いなの?」
「やだな。俺が嫌いな人間を、ここまで生かしておくわけないでしょ」
「殺してたら犯罪者だろうが」
「へへ」

 途端に無邪気な笑みを浮かべるケインに、俺は呆れて「もういい」と首を横に振った。こいつの調子に合わせていたら、日が暮れるまでからかわれて、元気を吸い取られるだけに決まっている。

「次の見合いは決まってるんだ。今度こそ、上手くいくかもしれない」
「とか言って、もう五年も『こう』じゃないですか」

 どこかはしゃいだ様子でケインが言う。いつにも増して口数が多いな、と俺は目を眇めた。どうにも怪しい。

「ところで、ねえ、先輩。今日ヒマですよね。一緒に食事へ行きましょうよ。いつもみたいに残念会しましょう」
「お前が延々俺の傷口を抉るだけだろうが」

 こうなったときのケインは大抵、ろくでもないことを考えている。
 毎度こいつに、みっともない泣き言なんか聞かせている、俺も俺だけど。顔をしかめつつ、奴から目を逸らして考えた。
 どうにも、いつにも増して嫌な予感が、するのだ。

「先輩。ウィルさん。俺はあなただけを見ているし、慰めてあげるし、ご飯も奢ってあげますよ」

 にこやかに俺を誘う奴の声が、今日は妙にじっとりして重たい。言葉の切り方にタメがあって、語尾がちょっと上がっている。
 有り体に言えば、なんか、甘い。

「……いや、いい」

 ここで流さてはいけない。俺が警戒心もあらわにそっぽを向くと、ケインはまだ食い下がった。

「ちょっとだけでもいいですから。俺、最近いい店見つけたんですよ。一緒に行きましょう」

 しつこい。やっぱり怪しい。俺が一歩後ずさると、奴は一歩踏み込んできた。
 また一歩後ずさる。一歩、踏み込まれる。

「なんなんだよ、お前」

 俺が怪訝な顔で彼を見上げると、「いや、先輩の優しい後輩ですよ」とケインはうそぶく。

「どこが?」
「傷心の先輩を慰めてあげているじゃないですか」
「お前って、傷に塩を塗り込むのを消毒だと思ってるタイプ?」

 もういい、と俺は強引に話を切り上げた。さっさと踵を返す。

「あっ、先輩」
「うるさい。今日は一人で帰る」

 その場から、早々に退散することにした。振り向かずに足早に歩くと、後ろから慌てた足音が追いかけてくる。

「なんだよ。しつこいな」
「いや、その、せんぱい」

 焦った声でケインが言う。こんなに余裕のない彼は珍しかった。中庭までやってきても、まだ俺から離れない。
 ちょっとだけ、良心が痛む。話だけでも聞いてやろうか、と足を止めようとしたときだ。

「あっ、ケインさ~ん! ずっと探してたんですよぉ」

 げっ、とケインが顔をしかめる。駆け寄ってきたのは、黒髪のつややかな女性だ。
 彼女は、ケインを狙っていると噂のある研究員だ。かなりの美女で、これまた美男のケインと並ぶと、大変絵になる。少し眠たげな目じりが、余計に色気を引き立たせていた。

「私、ケインさんとお昼が食べたくってぇ」

 ちらり、と俺へ目配せが飛ぶ。なるほどな、と俺は合点がいった。ケインを見ると、彼女をハエでも追い払うかのように手を振っている。

「悪いけど、俺、大事な用事の最中だから。どっか行ってよ」
「大事な用事ぃ……?」

 きゅるん、と美女がケインを見上げる。俺はなんだかやりきれないような、不憫なような気持ちで「まあまあ」と割って入った。

「あら、ウィルさん。こんにちはぁ」

 一応、挨拶はにこやかにしてくれるらしい。俺は美女へ軽く会釈をして、「ケイン」と振り返った。

「お前、さっきのはないだろ。どっか行ってよなんて、ガキじゃないんだから」

 俺が咎めると、ケインは「はいはい」とそっぽを向く。この野郎。さらに続けようと口を開けば、ケインは「もういいでしょ」と頭をかいた。

「じゃあ、これで」
「あっ、こら!」

 ふてくされた表情のまま、ケインは足早にこの場から立ち去っていった。美女はといえば、「あら……」と、少し悲し気な様子で頬に手を当てている。

「フラれてしまったみたいですねぇ」
「あ、ああ、いや……」

 いたたまれなくて口ごもると、「でも、いいんです」と、彼女は微笑んだ。

「いいものも、見られましたしぃ」

 ちらり、と俺を見るその目は、なぜか輝いていた。きゅるんとした笑みを浮かべて、彼女は俺を上目遣いに見る。

「ウィルさん、今度、ケインさんについてのお話を聞かせてくださいねぇ。私、あなたのことも、ずっと気になってるんですよぉ」
「え? あ、はい」

 美女が俺を気に掛けるなんて、そんなことがあるのか。職場恋愛はしない主義なので、もし好意を持たれたとしても、応えられないんだけど……。
 どぎまぎしている間に、彼女はやはりにこやかに立ち去る。とはいえ、いいもの、とは。俺は首を傾げつつ、自分の研究室へと戻った。

 それからというもの、ケインは徹底的に俺を避けた。あんなことで無視だなんて、ガキかよ。俺は何も悪くないのに。
 何よりも気に食わないのは、それでしっかりダメージを喰らっている俺だ。
 いつもうざったく絡んでくるケインがいないと、それはそれで物足りないというか、味気ない、というか。
 正直に言ってしまえば、さみしいと思ってしまった。

 あいつに謝った方がいいのだろうか。それとも、怒りに行った方がいいのだろうか。

 悩んでいる間に、見合いの前日になってしまった。これが失敗したら、またケインは、俺をからかいに来るのだろうか。こんなことを考えるだなんて、俺も随分ヤキが回ったものだ。
 昼休みに、ひとり中庭でたそがれる。いつもだったらどこからともなくケインが俺を見つけて、絡んでくるだろうに。
 のんびり陽の光を浴びていると、「あのぉ」と遠慮がちに声をかける人影があった。

「ケインさんは、一緒じゃないんですかぁ?」

 例の、ケイン狙いの美女だ。予想外の来客に、俺は目を瞬かせる。彼女はしずしずと俺の隣へ座って、「こんにちは」と微笑みかけてきた。俺のことなんか眼中にないとは分かっていても、思わずどきりとする美しさだ。

「こ、んにちは」

 そして俺は、あまりこういう状況に慣れていない。ぎこちなく首を曲げて会釈すると、彼女は気にした様子もなく「はぁい」と微笑む。俺が油断して視線を下へ向けたとき、彼女は単刀直入に尋ねてきた。

「何か、ケインさんと喧嘩でもしたんですかぁ? 最近のケインさん、ずっと不機嫌なんですよねぇ」

 言葉に、詰まった。口をつぐんだ俺の様子に、彼女は何かを納得したように頷く。

「私、これは恋のお悩みと見ましたけれどぉ」
「こ、こい……?」

 思いもよらない言葉に、ぽかんと口を開ける。そうですよ、と彼女はこぶしを握った。

「恋、です。私の口から、これ以上申し上げるのは野暮中の野暮なので、何も口は出しませんけどぉ」

 ちらり、と長い睫毛に縁どられた瞳が、意味深に俺を見つめる。なんだなんだ。

「私の専門なんですけどぉ。魔術を用いた予知夢による近未来予想、なんですよねぇ」
「は、はい」

 いきなり始まった専門分野の話に、俺は思わず背筋を伸ばす。彼女は急に神妙な顔になって、おごそかな声で言う。

「あなたのお悩みはきっと、すぐに解決すると見ています」

 断言された。
 俺は戸惑いながら、「はあ」と間抜けに相槌を打つ。続く言葉を決めあぐねていると、いきなり背後から肩を掴まれた。

「ぎゃっ」

 咄嗟に変な悲鳴を上げる俺の背後を見て、彼女が目を丸くする。

「アンタ、何してんの」

 振り向けば、息を切らしたケインが鬼の形相で立っている。目線は美女の方を向いて、敵意むき出しで、「何してんの」と、彼は繰り返した。

「そ、そんなに怒らなくてもいいだろ」

 俺が宥めても、彼は俺をにらみつけるだけだ。この状況の中でも、美女は「あらあら」と微笑まし気に俺たちを眺めている。強い。

「じゃあ、お邪魔虫は退散しようかしら……」

 ふふ、と彼女は可憐な笑みを残して立ち去った。なんなんだあの人。
 残された俺とケインはしばらくにらみ合って、先に俺が口を開く。

「……お前、さっきのはないだろ。人と人が話しているところに割り込んでさぁ」

 俺の言葉に、「だって」とケインは噛みつく。その顔は真っ赤で、熟れた果実みたいだ。

「だって、……!」

 彼は何度も口をつぐみかけてはまたどもり、欲求を上手く言葉にできずに癇癪を起した子どもみたいになっている。
 ああ、そういうことね。俺はあざ笑うような笑みを作って、ケインを見上げた。

「お前、あの子のことが好きなんだろ。それで素直になれなくて、俺に妬いたのか」
「は? 違いますけど」
「いいって、別に」

 肩にケインの指が食い込む。俺はそれを強引に払って、「恥ずかしがるなよ」と鼻で笑った。
 本当なら、ここは先輩らしく、微笑ましく見守ってやるべきなんだろう。
 だけどなぜか、今日は、それができそうになかった。

「あの子、いい子だよな。俺なんかのことも心配してくれたんだぜ」
「ち、ちが、せんぱい」
「隠すなよ。お前だって、俺のこと、散々からかってきたくせに」

 ケインの顔色がどんどん悪くなる。俺は少し胸がすくような思いで、ケインから目を逸らした。
 今の気分は、はっきり言って最悪だ。

「もういい。じゃあな」
「ウィルさん」

 俺を呼び止めようとする声を振り切るように、俺は足早にその場から立ち去った。角を曲がったところで立ち止まって、振り返る。
 今度のケインは、追いかけてこなかった。

「……ふうん」

 面白くない。気づけば、空の雲が分厚くなって、周りはさっきよりも薄暗くなっていた。俺は未練を振り切るように、大股で研究棟へと戻っていった。

 そんなわけだから、家に帰って食事をとって、ベッドに入っても気分は晴れなかった。悶々としたまま眠りについて、案の定眠りが浅くなった。見合い当日、ちゃんと寝たはずなのに軽い寝不足。
 せめて顔色を少しでもマシにしようと、明るい色の服を選んでもらった。とはいえ、今回もダメだろうという予感が、ひしひしとしている。
 なんせ今、俺の頭は、あのクソ生意気な後輩でいっぱいなんだから。

 粛々と、儀式のように見合いの会場へと向かう。しとしとと雨も降っていて、気分は重たい。今回は、とある庭園の東屋で待ち合わせをする約束だ。
 俺は予定のきっちり五分前について、席についた。そしてひたすらに、ご令嬢の登場を待つ。

 その時だ。「ウィルさん」と、俺を呼ぶ、か細い男の声が聞こえた。職場の知り合いだろうか。気まずいけれど、声をかけられて無視する方がずっと気まずい。なんとか外面を取り繕った笑みを浮かべて、振り返った。

 そこには、ぴかぴかに着飾った、ケインが立っていた。
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