野犬公の愛人

鳥羽ミワ

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26. 謝罪

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 その後のどさくさで、エリックはレオポルトからの告白を聞けなかった。そのまま数日が過ぎたが、その機会を逸し続けている。
 だけど聞けなかったとしても、構わないと思っていた。
 エリックはどんなことがあっても、レオポルトに着いていくと決めているのだから。
 それがあの牢獄から連れ出してもらった恩返しであり、共犯者としての情だ。
 ゲスナーは取り調べで、素直に全てを自供したらしい。彼は自棄になっているようだとエリックへ知らせたのは、取り調べを受け持ったヘンケルだ。

「どうしてあんなことをしたのか、自分でも分からないらしい。今は後悔している、と言っていた」
「そうですか」

 部屋で療養中のエリックは、設計書を読む手を止めて、ヘンケルの報告を聞いた。実のところ通信網の脆弱性改善のため、休む暇はないのだが、レオポルトからは休むようにきつく言いつけられている。
 ベッドに座って、厚手の毛布をかぶりなおした。秋も終わりに近づいて、暖房をつけても部屋は冷える。
 エリックは手元の設計書を折りたたんで、膝の上に置いた。目線を下げて、目礼をする。

「ありがとうございます、知らせてくださって」
「いや、まあ。仕事だから、そうするだけだが」

 ヘンケルは胸元へ手を当てつつ、どこか気まずそうに目を泳がせた。どうしてだろうとエリックが首を傾げると、ヘンケルが声を張った。

「エリック・クレーバー。貴殿へ伝えねばならないことがある」

 なんだろうと戸惑うエリックの前で、ヘンケルが綺麗なお辞儀を披露した。腰の角度は四十五度で、手は体側へぴっちり揃えられている。

「すまなかった」
「ええっ!?」

 驚いて声を上げるエリックに、なおも頭をあげずにヘンケルが続ける。

「お前と殿下に、心無いことを言った。殿下には、既に謝罪済みだ」
「え、ヘンケル殿、何か言ってましたっけ」

 頭を抱えてうなっていると、ヘンケルはわずかに顔をあげた。口角をさげて、あからさまに沈んだ表情になっている。

「言っただろう。……行きの馬車で、散々、酷いことを」

 ああ、とエリックは頷いた。たしかに、あれはなかなか酷かった。

「殿下は、分からないですけど……僕は、まあ、慣れているので大丈夫ですよ」

 へへ……と笑ってみせる。ヘンケルは顔をあげて、片膝をついた。大げさな仕草に慌てふためくエリックを置いて、「大丈夫なわけあるか」と怒鳴るように言った。

「私が言うのは筋違いだと分かっているが、お前は私を責めていいんだぞ。むしろ、許さないでくれ」

 ふむ、とエリックは顎に手を当てた。しばらく考え込んだ後、にこりと微笑み返す。ヘンケルがそう望んでいるので、最も重たい一撃を繰り出すことにした。

「人に対して、怒るとか責めるとかって、けっこう疲れるんですよね。ヘンケル殿は、僕にそういう負担をかけたいんですか?」

 途端にヘンケルは言葉に詰まった。さらに表情が沈んでいくのを見て、エリックはけらけら笑った。我ながら性格が悪いが、責めていいと言ったのはあちらなのだ。

「この言葉でそれだけ喰らってるなら、あなたは大丈夫です。これからは、気をつけてくださいね」
「……かたじけない」

 いくつかの言葉を飲み込んだ顔で、ヘンケルが礼を言う。いいえ、とエリックは首を横に振った。

「許さないでくれ、だけは受け取っておきます。次も似たような発言をしたら、無限につつきかえしますから」
「ああ、そうしてくれ」
「僕にもそうしていいですよ。また喧嘩しましょうね」
「お前なぁ……」

 それでもヘンケルはやっと、すっきりした表情で頷く。エリックは、しげしげとその顔を見つめた。

「あなたって、本当に、レオポルト殿下のご友人なんですよね。すごく納得しました」
「は? なんでだ」

 怪訝な表情をするヘンケルを相手に、エリックは神妙な顔で頷いた。

「そういう妙に生真面目で、肝心なことは誤魔化せないところが、よく似ているので」

 ヘンケルは「はぁ……」と、気のない返事をする。

「たしかに殿下には、そういうところがあるが」
「分かります」

 エリックが食い気味で答えると、ヘンケルは「いや、その話はやめよう」と手を挙げた。

「友人の恋人と、その手の話題で盛り上がるのは、なんだ。気まずいだろうが」

 たしかに……と、エリックも頷いた。二人が黙り込んだとき、扉がノックされる。ヘンケルが立ち上がると、レオポルトが入ってきた。彼は二人をじっくり見比べて、にこりと微笑む。

「お前たち。私の悪口でも言っていたのか?」

 からかうような声に、エリックはわざとらしく「違います」とむくれてみせる。レオポルトはエリックのもとへ歩み寄って、隣に座った。

「いや、正直に言ってみろ。本当はなんだったんだ?」
「褒めてただけですよ」
「そうか。かわいいな」

 二人のやりとりを眺めながら、ヘンケルがげんなりした顔をする。エリックは見せつけるようにレオポルトへ抱きつき、ヘンケルへ得意げに笑ってみせた。
 ヘンケルはますますげんなりした様子で、首を横に振った。それでも、彼の唇には笑みが浮かんでいる。

「……それでは、私は下がります」
「なんだ。用は済んだのか?」

 レオポルトの問いかけに、「はい」とヘンケルは生真面目に頷いた。
 そうか、とレオポルトは頷く。それだけで、この二人には十分なのだろう。ヘンケルは丁重に礼をして、あっさりと立ち去った。
 残された二人は、顔を見合わせる。

「ヨーゼフに、謝罪されたのか?」

 先に口を開いたのは、レオポルトだった。エリックは頷いて、「真面目ですよねぇ」としみじみ呟く。

「なんだか、ヘンケル殿は殿下のご友人ということが、身に沁みました」
「どういう意味だ?」

 首を傾げるレオポルトに、エリックは神妙な顔で続ける。

「妙に生真面目で、肝心なことは誤魔化せないところが、よく似ています」

 レオポルトはぽかんと口を開けて、それからゆるゆると唇を引き結んだ。

「褒めていないな?」
「褒めてます、褒めてますって」

 取りなすように言っても、レオポルトは「どうだかな」と言って立ち上がる。そしてすぐ側のソファに座り直したので、エリックも毛布と設計書を置いて後を追った。

「ほんとに褒めてるんですよ?」
「俺はお前だったら、俺の悪口を言っていても許すが?」
「ほんとにほんとに褒め言葉です」

 甘ったるいやり取りをしながら、二人の距離が近づいていく。唇同士が触れ合い、やがて離れた。レオポルトが低くうなる。

「ヨーゼフも、なんだ。こんな色ボケした男を捕まえて、あの時は済まなかっただの、なんだの……」
「でも、いい人ですよね」

 エリックがそう取り成せば、「浮気か?」と耳元で囁かれる。びくんと震えたエリックの腰を、レオポルトが掴んだ。そのまま膝の上に乗せて、抱き寄せる。さらに顎の下をくすぐられて、エリックはあられもない声を上げた。
 レオポルトが、いやにしみじみとした声で言う。

「猫みたいだな」
「にゃに言ってるんですか」

 図らずも噛んでしまったエリックに、「かわいすぎる」とレオポルトはうなる。エリックはすっかり恥ずかしくなって、レオポルトの肩に手を置いて腕を突っ張った。

「なんですか、こんな大の男捕まえて、かわいいとか」

 ぶつぶつ呟いていると、レオポルトは「すまない」と謝罪する。しかしその顔は、だらしなく緩んでいた。
 全然申し訳なく思ってない。エリックはそう確信しつつ、「いいですよ」と抱きつきなおす。
 レオポルトは改めて、エリックを抱きしめた。少しずつきつく、きつくなっていく腕の力に、エリックはちいさく笑う。

「不安なことでもあるんですか?」
「……本当のことを言えば、たくさんある」

 素直な言葉に、エリックは頷いた。レオポルトはしばらく黙りこくった後、ぽつりぽつりと続ける。

「……お前を、この計画へ、巻き込まなければよかった」

 うん、と頷いて、エリックはレオポルトの背中をゆっくり叩いた。彼は前かがみになってエリックを抱き込み、懺悔するようにうめく。

「すまなかった。俺がお前を、こんなところにまで、連れてこなければよかった。俺の個人的な欲望に、他の者を巻き込むべきではなかった」
「レオポルト殿下」

 エリックは、咄嗟に名前を呼んでいた。そんなことを言わないでほしい、と強く思う。

「僕は、殿下がいなければ、死んでいたかもしれません」
「しかし俺がいなければ、お前はこんな酷い目に遭わなかった」

 レオポルトの声は震えている。エリックはしばらく、レオポルトの肩越しの天井を眺めた。
 何度「もしも」を考えても、エリックの中では、これ以上にいい結果は出ない。

「仮にですよ。僕が牢屋へ放り込まれなくて、普通に研究して、正当な手段で、この結果を得られたとします」

 訥々と語り始めるエリックの背中を、促すようにレオポルトが叩いた。エリックは頷いて、さらに続ける。唇を舐めて、決してどもらないように、気を払いながら口を開いた。

「その未来と、今を、選べるとします。そしたら僕は、迷わず今この瞬間を選びます」

 レオポルトの呼吸が、一瞬止まった。エリックは「ね」と、レオポルトの首筋へ頬ずりをする。

「僕を選んでくれて、ありがとうございます」

 大きな身体が震えはじめた。そのちいさな嗚咽に耳を傾けながら、エリックは目を瞑る。

(この人の苦しみを、少しは共有してもらえたのかな)

 エリックのシャツの布地を握って、声を殺して、すがりつくようにレオポルトが泣く。
 しばらく、二人はわずかな身じろぎをするだけで、お互いに寄り添い合っていた。やがてレオポルトが泣き止み、身体を離す。
 エリックは、その腫れた目元を指で撫でた。レオポルトは観念したように目を伏せて、ため息をつく。

「……俺はよき息子になれなかったが、お前の、よき相棒には、なれただろうか」

 その言葉に、エリックは目を瞬かせた。なんのことかはよく分かりませんけどね、と前置きをして微笑む。

「あなたほど最高の相棒は、いませんよ」
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