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30. 模様替え
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王都へ提出した完了報告は、早馬で無事に届けられ、その返事もまたイオネス山脈の麓へと届いた。
こうして、エリックとレオポルトは帰路へついた。冬ということもあり、帰路は行きよりもずっと時間がかかった。
エリックはレオポルト、ヘンケルと同じ馬車へと乗り込んだ。エリックが遠ざかる山々を窓から眺めていると、レオポルトが「そうだ」と呟く。
「帰ったら、俺たちの部屋の模様替えをしよう」
ヘンケルは目を見開いて、ぽかんと口を開ける。エリックも目を丸くして、レオポルトに振り向いた。レオポルトは二人の反応に、「なんだ、二人とも」と苦笑する。
「さすがに、家具の老朽化が酷いんだ。新調せねばならないと思ってはいたのだが、先延ばしにし続けていた」
その表情は、どこか晴れやかだ。エリックは、レオポルトの部屋を思い出す。
ぼろぼろの家具に、空のクローゼット。埃を被ったアクセサリー入れ。
それらはすべて、彼が母と過ごした日々の思い出のよすがだろう。
そしてレオポルトにとって、それらはきっともう不要になったのだと、エリックは思った。
「いいんですね?」
エリックの問いかけに、レオポルトは「ああ」と穏やかに頷く。ヘンケルはほっと息を吐いて、窓へともたれかかった。
レオポルトはにやりと笑って、隣に座ったエリックの手を取る。
「お前の好みで部屋を内装しよう。どんな豪華な家具だろうが絵画だろうが、なんでも用意するぞ」
「えっ、そんなこと言われても……内装のことなんて、よく分からないです」
困り顔のエリックを見て、レオポルトが「困っているところもかわいい」と指を絡めた。ヘンケルはげっそりした表情になって、脚を組んで虚空を見つめた。馬車と一体化するように壁へよりかかって、黙り込む。
そんなヘンケルを無視して、レオポルトはエリックの肩に腕を回した。
「エリック。これから先、お前がどんなことを望もうと、俺はそれを叶えてやりたい」
ふうん、とエリックは気のない返事をした。そっぽを向く。
「僕のことが、自分で何もできない子猫ちゃんにでも、見えてるんですか?」
「いいや。子猫のようにかわいいと思ってはいるが、お前はひとりで、どこまでも行ける人だと知っているよ」
だからこそだ、とレオポルトは囁く。エリックはレオポルトを見上げて、身体をもたれさせた。
「そんなことしなくても、離れませんよ。地獄にだってお供します」
エリックの言葉に、レオポルトは甘い笑みを浮かべて頷く。空気になったかわいそうなヘンケルは、「王都に着いてからやってくれ」とうめいた。
やがて、馬車の旅も終わる。エリックとヘンケルは道中喧嘩もせず、お互いなりに名残を惜しみながら、王都へ帰った。
そしてレオポルトは、国王へ成果を報告するため、御前へ出ることになった。エリックも、謁見を許された。
二人で玉座の前に通され、先にレオポルトが跪く。彼が跪く姿は、生まれて初めて見た。エリックも、続いて跪く。
国王は――レオポルトの父は、報告の後、ゆるく頷く。
「大義であった。褒美を取らせよう。何を望む」
「それでは、私の私室の、新たな家具を賜りたく存じます」
レオポルトの言葉に、周りがどよめく。国王は「面を上げよ」と命じて、レオポルトをまじまじと見た。
「……そんなものを望むのか。誠に、それでよいのか?」
「はい。私が真に望むものです」
王は、そうか、と頷く。ではそのように、と宣言がなされ、レオポルトの褒美は決まった。次いで、エリックの名を呼ばれる。
「褒美に何を望む」
エリックの欲しいものは、ずっと前から決まっている。
「いつまでもレオポルト殿下のお側で、お仕えしとうございます。それ以外に、私の望むものはございません」
視界の隅で、レオポルトの肩がわずかに揺れた。
王はしばらく黙り込んだ。レオポルトとエリックを交互に見た後、頷く。
「エリック・クレーバー。面を上げよ」
言われた通り、顔を上げる。国王の緑の瞳が、エリックを射抜くように見つめた。
「この褒美の機会は、一度きりだ。それを承知で、何もいらぬと申すか」
「いいえ、望むものはございます。先ほど申し上げたものでございます」
エリックの本心だ。微笑みを浮かべると、そうか、と王は肘置きを指で叩いた。
「ならば、構うまい」
エリックは、深く頭を下げた。唇には、自然と笑みが浮かぶ。
「ありがたき幸せに存じます」
こうして、二人の謁見は終わった。玉座の間から出ると、杖を突く音が耳を叩いた。宮廷服を着た、ドミニクだ。彼は忌々しげに顔を歪めて、口を開く。
「話は聞いているぞ」
エリックはにわかに緊張した。レオポルトが肩を叩いて、解きほぐしてくれる。
レオポルトは「大叔父上」と、爽やかに微笑んだ。
「わざわざお声掛けいただき、ありがとうございます」
「私の子飼いは役に立っただろう」
ドミニクは、それを無視して言葉を続けた。エリックが警戒するように踵を後ろへずらすと、しわの奥の青い瞳が射貫いてくる。
「今のうちに、この世の春を楽しむがいいさ。そこの獣は、主人をよく見定めておくように。雄犬の尻を追っていても、未来はないぞ」
そして、二人の返事も聞かずに、ドミニクは立ち去っていった。エリックが思わずレオポルトを見上げると、彼はわずかに顔を険しくしていた。
「殿下」
そっと手を引くと、レオポルトは我に返ったように肩を震わせる。そして首を横に振って、「行こう」とエリックの手を取った。
しばらく王宮を歩く。いつも通り、あの荒れた庭園へと向かう道だ。
レオポルトは人目がなくなってすぐ、エリックを物陰へと引き込んだ。その青い瞳は、不安げに揺れている。
「どうしたんですか?」
エリックが尋ねると、レオポルトは唇をわずかに噛んだ。そして、口を開く。
「お前は、本当に、あれでよかったのか? 王に望めば、許される限り、なんでも叶うはずだったのに」
「うーん……他に願い事なんか、ないですし」
首を傾げるエリックに、そうか、とレオポルトは呟く。
拍子抜けしたような顔だった。それからじわじわと、目が細められていく。何かを悔いるような顔だった。
「……研究所に、元の立場に、戻りたくはないか? 今ならまだ、戻れるはずだ」
ちいさな掠れ声で、レオポルトが尋ねる。いつになく自信のない様子に、エリックは思わず笑った。
エリックにはよく分からないが、さっきのドミニクの言葉は、レオポルトのやわらかいところを引っかいていったのだろう。
「戻りたくないって言えば、嘘になります。でも戻れないでしょう?」
エリックの言葉に、レオポルトの瞳がさっと伏せられた。それに、とエリックはさらに続ける。
「あなたの側にいる方が、ずっといい」
途端にレオポルトの腕が伸びて、エリックをきつく抱きしめた。慌てて抱きしめ返して、肩に顔を埋める。
(また急に、寂しくなったのかな)
エリックは目を瞑って、彼に頬擦りをする。
抱擁は無言のうちに解けた。レオポルトはエリックの手を引いて、歩き始める。
そしてあの荒れたちいさな庭園へ、二人はたどり着いた。雪がしんしんと降り積もり、あたり一面は真っ白だ。白い息を吐きながら、レオポルトが言う。
「エリック。ここは、俺の母がよく、子どもだった俺を連れてきてくれた場所なんだ」
思わず、息を呑んだ。レオポルトは手を離して、エリックの向かい合う。
「俺の本当の目的を、お前に明かそうと思う。その上で、俺の側にいるかどうか、決めてほしい」
心細そうな声だ。エリックは頷いて、彼をまっすぐに見上げる。
彼は息を長く吐いて、短く吸った。
「俺の血縁上の――実の父親は、国王陛下ではない」
がん、と頭を殴られるような衝撃だった。レオポルトはエリックの反応も見ずに、淡々と続ける。エリックに構わず、事実だけを述べていった。
「当時の母は、王太子の妾妃だった。しかしドミニクが母へ言い寄り、そして私が生まれた」
一旦言葉を切って、レオポルトはうっすらと笑みを浮かべた。
「……言いたいことは、分かるな?」
「レオポルト殿下」
あんまりな話だった。エリックは、首を横に振る。
レオポルトにとって、これは、つらい話だ。
「無理しないでください」
「いいや、聞いてくれるか」
そしてなおも、レオポルトは、言葉を続ける。ためらうことなく、自らを切り刻むように。
「当然陛下は、私を疎んだ。しかし何不自由なく、自らの子として養育はしてくれたよ。母も、こんな生い立ちであっても、俺を愛してくれた」
あの傷んだ家具だらけの部屋で、レオポルトは、母親と寝起きしていたのだという。そして彼女は、レオポルトとここで、時を過ごしたのだろう。もしかしたら、憩いの時間として。
エリックが言葉を失っていると、レオポルトは低く笑った。今度は苦しさの滲む笑みだった。
「十代の終わりを迎える頃、俺は初恋をした。……その相手に告白して、あの噂を立てられたことは、以前言ったな」
はい、とエリックは頷く。レオポルトの目が、痛みに耐えるように閉じられた。
「母は息子が同性を愛する人間であることを、酷く悲しんだ。そして自ら儚くなった。私は彼女の息がある時に見つけたが、手当の甲斐はなかったよ」
エリックはたまらなくなって、レオポルトに抱きついた。今すぐこの人の苦しみや悲しみや寂しさを、吸い取ってしまいたかった。しかしそれは叶わず、レオポルトは「大丈夫だよ」と囁く。
「以来、私は『野犬公』と呼ばれるようになった。そしてこの噂は、私の身を守るのにちょうどよかった。王位にふさわしくない振る舞いをする、奇異な人物に、野心を持つ者は近寄らないものだ」
言っていることすべてが悲しい。エリックは「僕は違います」と胸板へ頬擦りをした。
レオポルトは黙って、エリックの頭を撫でた。そうして寄り添っている間に、雪がちらちらと舞い始める。
「……それで俺は、俺という存在が許せなかった。俺を生み出した原因も憎かった。だから」
エリックを抱きしめて、レオポルトが深く息を吐き出す。すまない、と吐息まじりに囁いた。
「お前を、引き込んだ。ドミニクはお前の魔術を盗み、自らの利権を増やそうとしていた。そしてその魔術が、母の無念を晴らせるかもと思って、俺はお前を」
言葉は、そこで途切れた。
エリックは肩を震わせる。レオポルトは「エリック」と、小柄で痩せぎすな身体をきつく抱きしめた。
「俺はこういう、どうしようもない男だ。逃げるなら、今のうち――」
そしてまた、言葉に詰まる。エリックは涙を目に湛えながら、顔を上げる。頬を両手でぴたりと挟んで、「もう」と微笑んだ。
どうせそんな言葉を、レオポルトが言えるはずもないと、分かっていた。強張った頬を包んで、愛撫するように囁く。
「心にもないこと、言っちゃダメです」
今度はエリックがレオポルトを抱き寄せて、背中を叩いた。レオポルトは息を震わせて、エリックに言った。
「しかし俺は、お前からもう、何も奪いたくない。今が最後の機会なんだ。お前が望むなら、俺は、何でも叶えてやりたい」
良心から来る本音だろう。だけどエリックは、彼の本当の願いが何なのか、しっかりと理解していた。
「側にいてほしいなら、ちゃんとそう言ってくださいよ。誤魔化さないで」
エリックはくすくす笑って、レオポルトのすっかり冷え切った頬を撫でた。ね、と首を傾げて、身体をわずかに離す。
「結論から言います。何度も言っていますけどね、僕はあなたから、決して離れません。離れたくないんです」
レオポルトの身体の強張りが、わずかに解ける。エリックは、まったく、と呆れて首を横に振った。
「あなたは自虐的すぎます。その分僕が側にいて、あなたをずーっと褒めますけど」
「エリック」
途方に暮れたように、レオポルトが呼んだ。もう、と憤慨するふりをして、エリックはその手を握る。寒さだけではない理由でかじかむ指先を、温めるようにさすった。
「僕はあなたの心を守りたい。だって、あなたのことを、愛しているから。……あなたが僕を、そう思ってくださっているように」
見上げて、にこりと微笑みかける。ついでに、小首を傾げた。
「ね。僕の言うこと、聞いてください」
レオポルトは、ちいさく笑い始めた。それは軽やかで、明るくて、涙に濡れた声色だった。エリックも泣きそうに笑って、レオポルトの手を引く。
「ここは冷えます。僕たちの部屋に、戻りましょう」
エリックの手を、レオポルトが握り返した。やがて指が絡まり、二人は顔を見合わせる。
レオポルトはうつむきがちになって、エリックを呼んだ。
「すまない。俺はどこまでも、お前を連れていく。二度と手放してやれそうにない」
エリックは、その手をしっかり掴んだ。逃がさないとばかりに身体を寄せて、「もちろん」と弾むような声で言う。
目頭がつんと痛んで、熱かった。
「どこまでもついていくと言ったでしょう? あなたの側を選んだのは、僕なんですから!」
こうして、エリックとレオポルトは帰路へついた。冬ということもあり、帰路は行きよりもずっと時間がかかった。
エリックはレオポルト、ヘンケルと同じ馬車へと乗り込んだ。エリックが遠ざかる山々を窓から眺めていると、レオポルトが「そうだ」と呟く。
「帰ったら、俺たちの部屋の模様替えをしよう」
ヘンケルは目を見開いて、ぽかんと口を開ける。エリックも目を丸くして、レオポルトに振り向いた。レオポルトは二人の反応に、「なんだ、二人とも」と苦笑する。
「さすがに、家具の老朽化が酷いんだ。新調せねばならないと思ってはいたのだが、先延ばしにし続けていた」
その表情は、どこか晴れやかだ。エリックは、レオポルトの部屋を思い出す。
ぼろぼろの家具に、空のクローゼット。埃を被ったアクセサリー入れ。
それらはすべて、彼が母と過ごした日々の思い出のよすがだろう。
そしてレオポルトにとって、それらはきっともう不要になったのだと、エリックは思った。
「いいんですね?」
エリックの問いかけに、レオポルトは「ああ」と穏やかに頷く。ヘンケルはほっと息を吐いて、窓へともたれかかった。
レオポルトはにやりと笑って、隣に座ったエリックの手を取る。
「お前の好みで部屋を内装しよう。どんな豪華な家具だろうが絵画だろうが、なんでも用意するぞ」
「えっ、そんなこと言われても……内装のことなんて、よく分からないです」
困り顔のエリックを見て、レオポルトが「困っているところもかわいい」と指を絡めた。ヘンケルはげっそりした表情になって、脚を組んで虚空を見つめた。馬車と一体化するように壁へよりかかって、黙り込む。
そんなヘンケルを無視して、レオポルトはエリックの肩に腕を回した。
「エリック。これから先、お前がどんなことを望もうと、俺はそれを叶えてやりたい」
ふうん、とエリックは気のない返事をした。そっぽを向く。
「僕のことが、自分で何もできない子猫ちゃんにでも、見えてるんですか?」
「いいや。子猫のようにかわいいと思ってはいるが、お前はひとりで、どこまでも行ける人だと知っているよ」
だからこそだ、とレオポルトは囁く。エリックはレオポルトを見上げて、身体をもたれさせた。
「そんなことしなくても、離れませんよ。地獄にだってお供します」
エリックの言葉に、レオポルトは甘い笑みを浮かべて頷く。空気になったかわいそうなヘンケルは、「王都に着いてからやってくれ」とうめいた。
やがて、馬車の旅も終わる。エリックとヘンケルは道中喧嘩もせず、お互いなりに名残を惜しみながら、王都へ帰った。
そしてレオポルトは、国王へ成果を報告するため、御前へ出ることになった。エリックも、謁見を許された。
二人で玉座の前に通され、先にレオポルトが跪く。彼が跪く姿は、生まれて初めて見た。エリックも、続いて跪く。
国王は――レオポルトの父は、報告の後、ゆるく頷く。
「大義であった。褒美を取らせよう。何を望む」
「それでは、私の私室の、新たな家具を賜りたく存じます」
レオポルトの言葉に、周りがどよめく。国王は「面を上げよ」と命じて、レオポルトをまじまじと見た。
「……そんなものを望むのか。誠に、それでよいのか?」
「はい。私が真に望むものです」
王は、そうか、と頷く。ではそのように、と宣言がなされ、レオポルトの褒美は決まった。次いで、エリックの名を呼ばれる。
「褒美に何を望む」
エリックの欲しいものは、ずっと前から決まっている。
「いつまでもレオポルト殿下のお側で、お仕えしとうございます。それ以外に、私の望むものはございません」
視界の隅で、レオポルトの肩がわずかに揺れた。
王はしばらく黙り込んだ。レオポルトとエリックを交互に見た後、頷く。
「エリック・クレーバー。面を上げよ」
言われた通り、顔を上げる。国王の緑の瞳が、エリックを射抜くように見つめた。
「この褒美の機会は、一度きりだ。それを承知で、何もいらぬと申すか」
「いいえ、望むものはございます。先ほど申し上げたものでございます」
エリックの本心だ。微笑みを浮かべると、そうか、と王は肘置きを指で叩いた。
「ならば、構うまい」
エリックは、深く頭を下げた。唇には、自然と笑みが浮かぶ。
「ありがたき幸せに存じます」
こうして、二人の謁見は終わった。玉座の間から出ると、杖を突く音が耳を叩いた。宮廷服を着た、ドミニクだ。彼は忌々しげに顔を歪めて、口を開く。
「話は聞いているぞ」
エリックはにわかに緊張した。レオポルトが肩を叩いて、解きほぐしてくれる。
レオポルトは「大叔父上」と、爽やかに微笑んだ。
「わざわざお声掛けいただき、ありがとうございます」
「私の子飼いは役に立っただろう」
ドミニクは、それを無視して言葉を続けた。エリックが警戒するように踵を後ろへずらすと、しわの奥の青い瞳が射貫いてくる。
「今のうちに、この世の春を楽しむがいいさ。そこの獣は、主人をよく見定めておくように。雄犬の尻を追っていても、未来はないぞ」
そして、二人の返事も聞かずに、ドミニクは立ち去っていった。エリックが思わずレオポルトを見上げると、彼はわずかに顔を険しくしていた。
「殿下」
そっと手を引くと、レオポルトは我に返ったように肩を震わせる。そして首を横に振って、「行こう」とエリックの手を取った。
しばらく王宮を歩く。いつも通り、あの荒れた庭園へと向かう道だ。
レオポルトは人目がなくなってすぐ、エリックを物陰へと引き込んだ。その青い瞳は、不安げに揺れている。
「どうしたんですか?」
エリックが尋ねると、レオポルトは唇をわずかに噛んだ。そして、口を開く。
「お前は、本当に、あれでよかったのか? 王に望めば、許される限り、なんでも叶うはずだったのに」
「うーん……他に願い事なんか、ないですし」
首を傾げるエリックに、そうか、とレオポルトは呟く。
拍子抜けしたような顔だった。それからじわじわと、目が細められていく。何かを悔いるような顔だった。
「……研究所に、元の立場に、戻りたくはないか? 今ならまだ、戻れるはずだ」
ちいさな掠れ声で、レオポルトが尋ねる。いつになく自信のない様子に、エリックは思わず笑った。
エリックにはよく分からないが、さっきのドミニクの言葉は、レオポルトのやわらかいところを引っかいていったのだろう。
「戻りたくないって言えば、嘘になります。でも戻れないでしょう?」
エリックの言葉に、レオポルトの瞳がさっと伏せられた。それに、とエリックはさらに続ける。
「あなたの側にいる方が、ずっといい」
途端にレオポルトの腕が伸びて、エリックをきつく抱きしめた。慌てて抱きしめ返して、肩に顔を埋める。
(また急に、寂しくなったのかな)
エリックは目を瞑って、彼に頬擦りをする。
抱擁は無言のうちに解けた。レオポルトはエリックの手を引いて、歩き始める。
そしてあの荒れたちいさな庭園へ、二人はたどり着いた。雪がしんしんと降り積もり、あたり一面は真っ白だ。白い息を吐きながら、レオポルトが言う。
「エリック。ここは、俺の母がよく、子どもだった俺を連れてきてくれた場所なんだ」
思わず、息を呑んだ。レオポルトは手を離して、エリックの向かい合う。
「俺の本当の目的を、お前に明かそうと思う。その上で、俺の側にいるかどうか、決めてほしい」
心細そうな声だ。エリックは頷いて、彼をまっすぐに見上げる。
彼は息を長く吐いて、短く吸った。
「俺の血縁上の――実の父親は、国王陛下ではない」
がん、と頭を殴られるような衝撃だった。レオポルトはエリックの反応も見ずに、淡々と続ける。エリックに構わず、事実だけを述べていった。
「当時の母は、王太子の妾妃だった。しかしドミニクが母へ言い寄り、そして私が生まれた」
一旦言葉を切って、レオポルトはうっすらと笑みを浮かべた。
「……言いたいことは、分かるな?」
「レオポルト殿下」
あんまりな話だった。エリックは、首を横に振る。
レオポルトにとって、これは、つらい話だ。
「無理しないでください」
「いいや、聞いてくれるか」
そしてなおも、レオポルトは、言葉を続ける。ためらうことなく、自らを切り刻むように。
「当然陛下は、私を疎んだ。しかし何不自由なく、自らの子として養育はしてくれたよ。母も、こんな生い立ちであっても、俺を愛してくれた」
あの傷んだ家具だらけの部屋で、レオポルトは、母親と寝起きしていたのだという。そして彼女は、レオポルトとここで、時を過ごしたのだろう。もしかしたら、憩いの時間として。
エリックが言葉を失っていると、レオポルトは低く笑った。今度は苦しさの滲む笑みだった。
「十代の終わりを迎える頃、俺は初恋をした。……その相手に告白して、あの噂を立てられたことは、以前言ったな」
はい、とエリックは頷く。レオポルトの目が、痛みに耐えるように閉じられた。
「母は息子が同性を愛する人間であることを、酷く悲しんだ。そして自ら儚くなった。私は彼女の息がある時に見つけたが、手当の甲斐はなかったよ」
エリックはたまらなくなって、レオポルトに抱きついた。今すぐこの人の苦しみや悲しみや寂しさを、吸い取ってしまいたかった。しかしそれは叶わず、レオポルトは「大丈夫だよ」と囁く。
「以来、私は『野犬公』と呼ばれるようになった。そしてこの噂は、私の身を守るのにちょうどよかった。王位にふさわしくない振る舞いをする、奇異な人物に、野心を持つ者は近寄らないものだ」
言っていることすべてが悲しい。エリックは「僕は違います」と胸板へ頬擦りをした。
レオポルトは黙って、エリックの頭を撫でた。そうして寄り添っている間に、雪がちらちらと舞い始める。
「……それで俺は、俺という存在が許せなかった。俺を生み出した原因も憎かった。だから」
エリックを抱きしめて、レオポルトが深く息を吐き出す。すまない、と吐息まじりに囁いた。
「お前を、引き込んだ。ドミニクはお前の魔術を盗み、自らの利権を増やそうとしていた。そしてその魔術が、母の無念を晴らせるかもと思って、俺はお前を」
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エリックは肩を震わせる。レオポルトは「エリック」と、小柄で痩せぎすな身体をきつく抱きしめた。
「俺はこういう、どうしようもない男だ。逃げるなら、今のうち――」
そしてまた、言葉に詰まる。エリックは涙を目に湛えながら、顔を上げる。頬を両手でぴたりと挟んで、「もう」と微笑んだ。
どうせそんな言葉を、レオポルトが言えるはずもないと、分かっていた。強張った頬を包んで、愛撫するように囁く。
「心にもないこと、言っちゃダメです」
今度はエリックがレオポルトを抱き寄せて、背中を叩いた。レオポルトは息を震わせて、エリックに言った。
「しかし俺は、お前からもう、何も奪いたくない。今が最後の機会なんだ。お前が望むなら、俺は、何でも叶えてやりたい」
良心から来る本音だろう。だけどエリックは、彼の本当の願いが何なのか、しっかりと理解していた。
「側にいてほしいなら、ちゃんとそう言ってくださいよ。誤魔化さないで」
エリックはくすくす笑って、レオポルトのすっかり冷え切った頬を撫でた。ね、と首を傾げて、身体をわずかに離す。
「結論から言います。何度も言っていますけどね、僕はあなたから、決して離れません。離れたくないんです」
レオポルトの身体の強張りが、わずかに解ける。エリックは、まったく、と呆れて首を横に振った。
「あなたは自虐的すぎます。その分僕が側にいて、あなたをずーっと褒めますけど」
「エリック」
途方に暮れたように、レオポルトが呼んだ。もう、と憤慨するふりをして、エリックはその手を握る。寒さだけではない理由でかじかむ指先を、温めるようにさすった。
「僕はあなたの心を守りたい。だって、あなたのことを、愛しているから。……あなたが僕を、そう思ってくださっているように」
見上げて、にこりと微笑みかける。ついでに、小首を傾げた。
「ね。僕の言うこと、聞いてください」
レオポルトは、ちいさく笑い始めた。それは軽やかで、明るくて、涙に濡れた声色だった。エリックも泣きそうに笑って、レオポルトの手を引く。
「ここは冷えます。僕たちの部屋に、戻りましょう」
エリックの手を、レオポルトが握り返した。やがて指が絡まり、二人は顔を見合わせる。
レオポルトはうつむきがちになって、エリックを呼んだ。
「すまない。俺はどこまでも、お前を連れていく。二度と手放してやれそうにない」
エリックは、その手をしっかり掴んだ。逃がさないとばかりに身体を寄せて、「もちろん」と弾むような声で言う。
目頭がつんと痛んで、熱かった。
「どこまでもついていくと言ったでしょう? あなたの側を選んだのは、僕なんですから!」
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後宮の奥深く、ひっそりと囲われていることを知る者はほんの一握り。
秘匿された第十王子のノア。黒髪、薄紫色の瞳、いわゆる綺麗可愛(きれかわ)。
ノアの護衛ユリウス。黒みかがった茶色の短髪、寡黙で堅物。塩顔。
少しずつユリウスへ想いを募らせるノアと、頑なにそれを否定するユリウス。
ノアが秘匿される理由。
十人の妃。
ユリウスを知る渡り人のマホ。
二人が想いを通じ合わせるまでの、長い話しです。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
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