野犬公の愛人

鳥羽ミワ

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29. 完成

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 エリックが目を覚ますと、レオポルトは既にベッドから出ていた。姿を探せば、昨日寝入った姿のまま、しんしんと冷え込む窓際に立っている。外を眺めていた。

「レオポルト殿下?」

 エリックも、腫れた目元を擦って起き上がる。ベッドから降りた。隣に並ぶと、冷えにぶるりと身体が震えた。レオポルトがぽつりと呟く。

「先ほど、冬眠し損ねた魔獣が出たと、通報が入ったそうだ。騎士たちが討伐に向かっていった」

 その言葉に、エリックは何度も頷いた。
 身体の奥底から、得体の知れない衝動が湧き上がる。それは、あまりにも凶暴な、達成感だった。
 ふっと息を吐くと、それはそのまま笑い声になった。

「はは、は……ああ……よかった。よかった!」

 エリックはベッドへ戻り、枕を抱く。意味もなく叩いてみる。はしゃぐエリックの後を追って、レオポルトもベッドへあがった。しかしその表情は、どこか硬い。

「エリック。ありがとう」

 感謝の言葉に、エリックは小首を傾げた。そして、にっこり微笑んでみせる。

「お互い様です」

 レオポルトは長く息を吐いて、エリックを抱きしめた。そのまま倒れ込んで、二人してシーツの海に溺れる。エリックはくふくふ笑いながら、レオポルトの頬へキスをした。

「レオポルト殿下。僕たち、これで、完全に共犯者です」
「ああ……」

 エリックの復讐劇は、これでおしまいだ。
 脆弱性に関しての調査は終わり、現地の魔術師たちへ引き継ぐことになった。これから先も何かあったら呼ばれる可能性はあるが、エリックの出番は、これでおしまい。
 そうしてやっと、頭の片隅にずっとあった罪悪感が、じわりと頭をもたげる。

「……ゲスナーと、面会させてください」

 レオポルトの腕の力が、途端に強まった。ならぬ、と焦るレオポルトの頬を、エリックは両手でぴたりと包んだ。

「僕がそうしたいんです。これをしないと、僕の気が済まない」
「しかし」

 エリックも、レオポルトから、彼の事情は聞いていた。
 あの錯乱ぶりは、呪いによるものだったと、今のエリックは知っている。レオポルトの計画を邪魔しようとしたドミニクが、裏で手を引いていたとも。
 それでもやはり、心残りなのだ。

「やっぱり、ゲスナーの人生を壊したのは、何度考えても僕です。許されなくても、その末路を見なくちゃいけません」

 レオポルトは、エリックをきつく抱きしめた。頭を抱きかかえ、髪の毛を梳きながら目をつむる。

「……分かった」

 そして、ゲスナーとの面会の準備は、その日のうちに整った。
 ヘンケルも同伴の上でという条件をつけたのは、レオポルトだ。エリックは、ゲスナーが拘束されている一室へと向かう。
 その部屋は、質素な客室だった。来客に随伴している使用人のための部屋だと聞いている。ゲスナーはまがりなりにも高位貴族の子息であり、起こした騒ぎの重大さに対しても、投獄は相応しくないとされたのだ。
 中に入ると、ぽつんと置かれた椅子にゲスナーが座っていた。そのすぐ背後には、騎士がついている。
 エリックが口を開くより先に、ゲスナーが立ちあがろうとした。しかし即座に騎士の手で押さえられ、じたばたともがく。それでも、自由になる口で叫んだ。

「この私を差し置いて、なぜ貴様が名誉を手にしている! 薄汚い盗人め!」

 エリックは意図的に、薄笑いを浮かべた。頷くと、ゲスナーはますます逆上する。

「私にはドミニク閣下がついているんだ。貴様らなぞ、すぐ地獄送りにしてくださる!」

 また頷く。ゲスナーは甲高く裏返った声で、唾を飛ばしながら叫んだ。

「なぜ、私ではないのだ! 私ほど努力を重ね、正々堂々と実績を積んだ者などいないのに!」

 エリックは反射的に、「違うよ」と呟いた。首をゆっくりと横に振る。

「努力の量なら、きみはむしろ、少ない方かもしれない。きみは曲がりなりにも特権階級で、最高の教育を受けられて、最初から成功に近い」
「そうだ、だからこそ努力してきた! 高貴なる者として研鑽を積んだ、その私がなぜ報われない!」

 涙を流し、ゲスナーが訴える。エリックの胸は痛んだ。
 しかしヘンケルが、エリックの前に進み出る。

「クレーバー、すまない。私も言いたいことがあるのだが、いいか?」
「はい。どうぞ」

 ヘンケルはエリックに「感謝する」と頷いた。そしてゲスナーへ向き直り、一喝する。

「見苦しいぞ、ゲスナー」

 その張りのある声に、ゲスナーが一瞬怯む。しかしすぐに「なんだと」と、歯軋りをした。

「ヘンケル殿には、関係のない話です。そこの男娼を出してください」
「そうか。ここに男娼はいないので、代わりに私が出よう」

 ゲスナーの要求を突っぱねて、ヘンケルは眉間へしわを寄せる。

「貴様はたしかに努力したのだろうが、ひとつ忘れていることがある。我々のような貴族の特権は、誰によって保障されているか、幼少期に叩き込まれたはずだろう」

 は? と、ゲスナーは怪訝な顔をする。ヘンケルは、淡々と続けた。

「特権階級でない人々が作物を育て、商品を作り、経済を回す。そうして賄われた食料や金によって、我々貴族は養われ、余裕のある暮らしを送っている」

 エリックは呆然として、ヘンケルの後ろ姿を眺めた。彼は頭を悠然ともたげて、滔々と語る。

「誰のおかげで高等教育を受けられるのか? 他の人々に教養がないのはなぜか? その問いを、骨髄まで叩き込んでいない貴様は貴族ではない。ただの金食い虫だ」
「ちょ、ちょっと、ヘンケル殿。言い過ぎです」

 ヘンケルの言葉が鋭すぎて、逆に冷静になってきた。エリックが慌てて割って入ると、ヘンケルは「すまない」とエリックに振り向く。

「代わる」

 そして再び、エリックの後ろへ控えた。ゲスナーは地団駄を踏み、「なんでだよぉ」と泣き喚く。

「私はッ! 私は名門、ゲスナー伯爵家の次男だぞ! この私の将来は輝かしくてしかるべきだろう!? 盗人なんかに未来を奪われていい人間じゃない、全部貴様のせいだ!」

 ヘンケルが、ぼそりと呟く。

「他責が強すぎるな。いくら呪いがかかっていたとはいえ、欲望のままに人を殴ったんだろう。反省くらいしたらどうだ? みっともない」

 エリックは首を傾げ、ゲスナーを見る。興奮して口からよだれを垂らし、エリックに対して散々罵倒を繰り返している。
 胸の中に、罪悪感だけではない、複雑な気持ちが芽生えてきた。

「ゲスナー。あくまで、僕が全部悪いの?」
「そうだッ! 貴様は我々から成果を盗んだ上、成果まで盗みよって……恥を知れ……! いや、死んで私に詫びろ!」

 認知が歪みきっている。エリックは言葉をなくして、黙り込んだ。
 宮廷魔術師時代から持っていた、ゲスナーに対する怒りは、この瞬間に一切が消えた。今エリックの心の中にあるのは、罪悪感と憐憫だった。
 そして、部屋の外で待機していた騎士が、ゆっくり扉を開く。

「面会時間は終了しました」

 エリックは頷いて、踵を返す。背後ではゲスナーがなお、立ち去るエリックを口汚く罵っていた。
 その罵声を無視して、部屋を出る。扉が閉まると、ヘンケルはエリックと顔を見合わせて、肩をすくめた。ヘンケルが「なあ」と口を開く。

「クレーバー。お前が気に病むことは、そんなにないんじゃないか?」
「うーん……?」

 腕を組んで、首を傾げる。ヘンケルはさらに続けた。

「最初の頃、お前はゲスナーへ、態度はどうあれ協力的だった。それをあちらが突っぱねていたのは、たしかに私も見たぞ」

 そういえばヘンケルから、きつい物言いをされた記憶がある。首を縮めるエリックに、ヘンケルは「な」と頷いた。

「これは私の勘でしかないんだが……ゲスナーが仮に公明正大な人格者だったら。いや、お前の話を少しでも聞き入れていたら、この仕事の成果は、ゲスナーのものになっていたと思う」

 そして、一呼吸置いて続けた。

「しかし現実問題、あいつはクズだ。この結果はある意味、あちらの自業自得かもな」

 クズ。
 エリックは思わず、その言葉に噴き出した。ヘンケルは「行くぞ」と言って、歩き始める。エリックが隣へ並ぶと、少し歩く速度を落とした。
 罪悪感が全て消えたわけではない。ましてや罪が帳消しになるわけでもない。エリックはこれからも、ゲスナーのことを背負っていく。
 とはいえ、だいぶ、楽になった。
 ヘンケルは頭を掻いて、うなる。

「まあ、なんだ。あまり気に病むな」
「ありがとうございます」
「礼はやめろ。お前がしおらしいと調子が狂う」

 ヘンケルの言葉に、エリックは笑った。
 肩の荷がすこし、降りたようだった。
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