淫の陰陽師—式神と夜の契り—

よしの

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第十七話 祭りのあと

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「いやあ、この度は本当にご迷惑をおかけしました」

 鶴原と名乗る男は、そう言いながら、秘書らしき男性が運んできたコーヒーを一口啜り、こちらに笑顔を向けた。
 手渡された名刺には、祓妖局局長の肩書きが印字されている。晴人には、それが何を意味するのかは分からなかったが、とりあえず偉い人であることだけは理解できた。

 しかし、局長というには、鶴原はかなり若く見える。オールバックにした艶のある黒髪に、センスの良いフレームの小洒落た眼鏡。年齢でいえば、どう見積もっても三十代半ば程度。グレーのスーツをスマートに着こなすその容姿は、IT企業の社長と言っても通用しそうだ。

「とんでもないです、こちらこそ、出過ぎた真似をいたしました」

 鶴原の執務室に置かれた、四人は座れるであろう巨大なソファの上で、何故か晴人は、ミヤビと並んで接待を受けていた。百八は、よほど力を消耗したとみえ、別室で仮眠を取っている。
 もちろん、先のセリフはミヤビが発したものだ。その落ち着いた物腰は、とても自分と同年代とは思えない。

「いやいやまさか、うちの職員が不甲斐なかっただけです」

 鶴原はコーヒーを啜りながら、大らかな笑い声を上げた。…どうやらインテリっぽい見た目とは裏腹にかなり気さくな人物のようだ。少なくとも、表向きのキャラクターはそのように映る。

「『祓い組』のメンバーがちょうど全員遠方に出払ってましてね。急遽呼び出すわけにもいかず…本当に助かりましたよ」

「それにしても、何故突然庁舎にもののけが?」

 ミヤビが尋ねると、鶴原は少しだけ眉間に皺を寄せて、両肘をテーブルに突き、手の甲に顎を乗せるポーズを取った。途端に、局長としてのオーラのようなものが発せられる。

「そこが分からないんです。…これはオフレコでお願いしたいんですが、この建物にはそもそもプロの作った結界が張られてましてね、どうやってそれをかいくぐって『奴』が侵入したのか…もちろん、その辺は今早急に調査を進めているところなんですが」

 鶴原はそう言って、すっかり萎縮して固くなっている晴人の方へ視線を向けて、にっこりと笑った。目尻に皺が寄り、少しだけその場の空気が弛緩する。

「安倍晴人さんといいましたか、あなたも災難でしたね。まさか登録会場であんなことが起きるなんて。あ、お父様やお兄様のご活躍はよく存じ上げております。特にお父様は、うちの親父が大変お世話になっていて——」

 どうやら、この人物にも何らかの血筋が流れているようだ。晴人は、なるべく肩の力を抜くように意識しながら、頭を下げた。

「いえ、俺、あ、いや僕は何も。むしろ火に油を注ぐみたいな結果になってしまって」

 晴人の言葉に、鶴原が首を横に振る。

「そんなことはないですよ、まだアマチュアとはいえ、健闘して頂いたと職員から伝え聞いております。あ、そうそう」

 そこで鶴原は手を叩き、入り口に控えていた秘書らしき男性を呼んで言った。

「お二人にあれを」

「かしこまりました」

 ——何だろう、よくある感謝状かな。まあそれを見せれば少なくとも父さんに殺されることはないだろう…何だか旧知の仲みたいだし

 晴人がそんなことを考えていると、先程の男性が木製の盆に何かをのせて戻ってくる。鶴原は、無言でそれを受け取って、テーブルの上に置いた。

「ええと、まずは一ノ瀬ミヤビさん、これはあなたに。昇格の認定証です」

「本当ですか?」

 そこで初めて、ミヤビが少しだけ身を乗り出して、大人びた姿勢を崩した。

 ——何だ、こいつもやっぱり人間なんじゃん…まあ、当たり前だけど。

「当然です。試験自体は最後まで遂行されませんでしたが、あのレベルのもののけを容易く祓うことができるほど、あなたの腕前は成熟している。そのご年齢にして、本当にご立派です」

「有難うございます、これからも精進して参ります」

 そう言って頭を下げるミヤビを見ながら、晴人はどこか複雑な気持ちになる。晴人に対する態度と、鶴原に対する態度の違いには少々、いやかなり腹が立つが、彼は、少なくとも自分よりも真剣にこの仕事と向き合っているのだ。

 ——それに比べて、俺は…

 普通の人生を歩みたいと考えていたのに、周囲に流され、ここまでノコノコやってきてしまった。その本気度の差が、恐らく彼と自分とのレベルの違いにも表れているのだろう。

「そして、安倍晴人さん」

「あ、はい…」

 名前を呼ばれ、再び緊張する晴人に向かって、鶴原は微笑みを浮かべながら言った。

「あなたにはこれを——」

 そう言って彼が差し出した護符には、やはり達筆な字で「第五位仮免状」と書かれていた。

 ——え、これって…

 晴人が戸惑っていると、鶴原が微笑を崩さずに言葉を繋いだ。

「いわゆる仮免ってやつです。まだ正式に陰陽師として認定することはできませんが、鵺の亜種と対峙して怯むことなく応戦した。その姿勢に敬意を表して、特別にこちらをお渡しすることにいたしました」

「はあ、有難うございます」

「プロではないため、私どもから報酬を出したり、もののけ祓いの依頼を発注したりすることはできません。しかし、そちらをお持ちの方には、例えば今回のように偶然もののけと遭遇した時などに、敵を祓う権利が与えられます。まあ、例えは悪いですが首輪付きの野良猫というところでしょうか」

「首輪付きの野良猫…」

「あ、それから、次回認定試験を受ける際にも、シード権のようなものが発生します。残念ながら本日はこの事件があったので受付を停止せざるを得ないのですが、再度受験される時は、最終関門からのスタートとなります」

「そうですか、えっと…恐れ入ります」

 晴人は、やはり複雑な気持ちでそれを受け取らざるを得なかった。何だか、仮免というその言葉が、自分の中途半端さの証のように思える。

「まあ、何はともあれ、被害が最小限に抑えられて良かった」

 鶴原が、その場の空気を取りまとめるように言った。

「お二人には本当に感謝しております。それでは、これからの活躍にも期待していますよ——」

 職員に見送られ、庁舎を出ると、辺りはすでに暗くなっていた。さっきまであんなことがあったというのに、通りを歩く人はまるで何事もなかったかのように平然とした顔をしている。

 ——まあ、当たり前か。恐らくあの様子だと、この事件は報道もされないし、SNSで流れてくることもないだろう。

 百八は、三毛猫の姿になり、晴人の左肩ですやすやと眠っている。そのまま、帰路へつこうとする晴人に向かって、背後からミヤビの声が聞こえた。

「今回は幸運だったね」

 ——そういやこいつがいたんだった…

 晴人は、うんざりした顔を隠しもせずに、後ろを振り返ると、ミヤビに言った。

「はあ…どうもあざっした」

「どうやら君は、ツキには恵まれているらしい。さっきも言ったけど、運も才能のうちだよ。大事にした方が良い——それと」

 そこで、ミヤビは何故か、一瞬だけ口籠るような素振りを見せ、咳払いをしてから言った。

「多分君は真面目に鍛錬さえすればもう少しは強くなれる。僕と肩を並べるにはまだかなり時間はかかるだろうけど。次に会う時までに…ちょっとは成長しておくことだね」

 ミヤビはそこまで言うと、素早く身を翻して、雑踏の中へと紛れて行った。晴人は、ポカンとした表情のままその背中を見つめた。

 ——何だあいつ。もしかして褒めてるつもりなのかな?

 徒労にまみれてぼんやりとその場に立ち尽くす晴人の肩の上で、百八がむにゃむにゃと寝言を漏らした。

「晴人…今夜は…寝かせないからな——」
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