元奴隷の治癒師ですが、竜騎士団長に溺愛されて逃げられません

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第一章

1-1.ギルド酒場《銀のランタン》

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 城下町の中央通りを一本外れた場所に、その酒場は存在する。

 木製の扉を開けると、ほんのりとした酒とスパイスの残り香が漂う。
 昨夜の酔っぱらい客たちの喧騒はすっかり消え、代わりに朝の冷たい空気が、広い店内を満たしている。

 ギルド酒場《銀のランタン》は、城下町でも評判を集めている冒険者ギルド兼酒場だ。
 昼間は冒険者ギルドの依頼受付を行い、夜になれば踊り子たちによるステージが賑やかに夜を彩る。
 酔っぱらいの笑い声も、冒険者たちの物騒な相談も、全てがここに詰まっていた。

 受付用の長いカウンターの奥に回りこんだアマネ・ヴェールは、慣れた手つきで依頼札の箱と帳簿を引き寄せる。
 ペン先をインクに浸して、今日の日付を書き込んだ。

 ──いつも通りの朝。いつも通りの仕事。
 ここには、鉄の輪も鎖の音もない。

「アマネ、おはよう」

 カウンターの裏からひょこっと影が顔を出した。

 柔らかいミルキーブロンドの髪を緩く右耳の下で結んだ男──この店のオーナーでありギルドマスター、ルシアン・ヴェールだ。
 女性客から「天使さまのようだ」ともてはやされている穏やかで美しい笑顔を浮かべ、カウンターに肘をつく。

「おはよう、ルシアン。今日は早いね。いつもは昼近くまで降りてこないのに」
「ん、今日はちょっと用事が立て込んでてね。開店前に全部片付けたくて──おっと。もう準備できてるじゃないか。相変わらず仕事が早いね」
「いつも通りだよ。あと十分くらいで看板出せる」
「えらいえらい。働き者でいい子だねえアマネ」

 アマネの淡々とした返事に、帳簿から顔を上げたルシアンはぽんぽんとアマネの頭を軽く叩いた。
 子供扱いだな、と思うのに、不思議と嫌じゃない。

 この手は、決してアマネを掴んで引きずらない。

 ルシアンはアマネの向かい側に回り込み、カウンター越しにじっと覗き込んできた。

「……うん、今日も顔色は悪くない。ちゃんと眠れた?」
「寝たよ」
「変な夢は?」
「見てない」

 アマネがむっと眉をわずかに寄せると、ルシアンは苦笑する。
 その笑みの奥に、心配と警戒が半々で並んでいることを、アマネはもう知っている。
 ルシアンの視線がふと、アマネの喉元へと落ちる。

「ネックレス、見せて」
「うん」

 アマネはシャツの襟元から、細い銀鎖のペンダントトップを引き出した。
 小さな透明の石が、朝の光を受けて淡く揺れる。
 ルシアンが指先で軽く触れると、石の内側でごく小さな魔力の波紋が広がって淡い熱を帯びた。

「反応よし。色も問題なし。……痛みは? 頭とか、目とか」
「大丈夫。前に調整してもらってから、なんの問題もない」
「うん。それでも油断はしないこと。これは“誤魔化すための飾り”じゃなくて、“お前を守るための道具”だからね」
「わかってる」

 アマネは無意識のうちに、自分の前髪をちょいとつまんで指に絡めた。
 柔らかな栗色──それは本来の色ではない。
 瞳も同じ色合いの、少し灰色が混ざったブラウンに染まっている。

 ルシアンが作った「変装の魔道具」は、今日も問題なく機能している。
 鏡を見れば、今のアマネは、この国ではどこにでもいる髪色と瞳の青年に見えるだろう。

「似合ってるよ。かわいい看板受付くん」
「……かわいいとか言わないで」
「看板踊り子くんでもいいけど?」
「もっとやだ」

 軽口を叩くと、ようやくルシアンの表情から真剣さが抜けていつもの穏やかな微笑みに戻った。
 アマネは心の中でひそかに息をつく。

 ネックレスが光を受けて揺れるたび、“今の自分”と“本当の自分”の境界線を突きつけられているようで、少しだけ胸がざわつく。
 それでも、ここではそれが当たり前になっていた。
 
「はあい、アマネちゃん。昨日の分、これまとめといたよーん」

 木製扉の奥にある控室から、明るい声が飛んできた。

 ひらひらと派手なスカートを揺らしながら現れたのは、この店でも人気の踊り子の一人、リサだ。
 金髪の巻き髪に、ぱっと花が咲いたような笑顔が朝から眩しい。

 その手には、昨夜分の依頼手数料の明細と依頼票を束ねた札が握られている。

「リサさん、ありがとう。あとで帳簿に写しておく」
「もー、“さん”はいらないって何度言わせるの? 年そんなに離れてないでしょ?」
「リサさんは先輩だから」
「まじめくーん。そんなだから、みんなに構われちゃうのよ。ねえ、ルシアン?」
「うん、そこがアマネのかわいいところだよねー」
「ふたりして俺をなんだと思ってるの」

 カウンターの中でアマネが眉を寄せると、リサはくすくすと鈴を転がすような笑い声をあげて、身を乗り出した。

「うちの店の、看板息子?」
「受付くん兼、非常時の秘密兵器?」
「後半のやつやめて」

 アマネが小さく肩をすくめると、ふたりとも余計に楽しそうにする。
 リサはカウンター越しにアマネの頭に手を伸ばし、一瞬空で止まった後、少し下ろして肩をそっと撫でた。

「でもさ、ほんとに無理しないでよ。あんた、つい頑張りすぎるところあるんだから。もっとルシアンをこき使いなさいな」
「え、僕?」
「そりゃそうでしょう。ルシアンはアマネのなんだから」
「一応僕、ここのギルドマスターだけどね」

 朝から美男美女らしからぬ豪快な笑い声を、だはは、と派手に上げる二人に、呆れたようにため息をつきながらも口角をあげて帳簿と向き合うアマネ。
 その背後から、ばたん、と木製扉が乱雑に開かれる音がした。

「ったく、朝から騒がしいったらありゃしねえ」

 低く、眠たげな声。振り向くと、店の二階から降りてきてカウンター内に入ってきた男が、切長の赤い瞳を細めて三人を見ていた。

 寝癖で跳ねたバイオレットの髪をわしわしとかいて、整った顔を歪めて欠伸をする長身の男──ギルバートだ。

 ルシアンの親友で、魔族の吸血鬼。また、この店の用心棒でもある。

「ギル、おはよう」
「ルシィ、リサ。お前ら声がでけえよ。二階まで響いてるっつーの……うぃ~、アマネ。朝飯は?」
「食べた。スープ」
「それ食べたって言わねえから」

 ギルバートが呆れたように顔をしかめて、拳の出っ張った部分でこつんとアマネの額を弾く。
 雑に見えても、そのやり取りにはどこか慣れたような安心感がある。
 ギルバートはアマネだけには態度が妙に甘い──と、店の誰もが知っている。
 からかうような顔で見つめられるのは時に息苦しいけれど、アマネはもうその視線に守られているのだとわかっていた。

「じゃ、アマネ。朝イチの受付、頼んだよ。僕はワイン樽の確認してくるからね」
「うん」
「んじゃあ俺はゴミ出し~」
「それじゃ、あたしはお先失礼しまーす!」
「お疲れ様、リサさん」

 ルシアンとギルバートがそれぞれ持ち場に散っていき、夜勤のリサが軽快に手を振って店の裏口へと足を進めていくのを見送って、アマネはいつもの配置についた。






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