元奴隷の治癒師ですが、竜騎士団長に溺愛されて逃げられません

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第一章

1-3.ギルド酒場《銀のランタン》

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 午前中の喧騒が少し落ち着き始めた頃、店内の時計が昼を告げる鐘を小さく鳴らした。
 ちょうど区切りのいいタイミングで、ルシアンが厨房の方からひょいっと顔を出す。

「アマネ、おつかれ。午前の受付はここまででいいよ」
「わかった。帳簿、ここまでつけてある」
「ありがとー。……で、お願いがひとつ」

 ルシアンが、ひらひらと紙切れを振ってみせた。
 そこには買い出しリストが書かれている。

「こっちが思ったより忙しくてさ。朝のうちに済ませるはずだった買い出し、まだなんだ。昼休憩ついでに頼める?」
「いいよ。何を買ってくればいい?」
「ほらこれ。リスト。野菜と果物と、乾燥ハーブ。あぁ、あと、今朝リサが言ってた新しい髪飾りの材料もお願い。表通りの露店で出してるはずだから」
「わかった。すぐ行ってくる」
「“すぐ”じゃなくていいよ! ちゃんとお腹いっぱいご飯食べて、休憩を取ること。……ん、ちょっと待って」

 ルシアンの指先が、するりとアマネの左手首を取る。
 軽くルシアンの前まで持ち上げられたそこには、黒と銀を基調にしたシンプルな細身のブレスレットが光っている。
 よし、とひとりでにルシアンが頷き、続いて喉元の銀鎖に触れる。
 透明な石がかすかに、ちり、と音を立てて震えた。

「気をつけて。人混みで酔ったら無理せず離れて休むか、戻ってくること。変なやつに絡まれたら、逃げる。いいね?」
「わかってるって……ルシアン。俺もう二十二歳だよ……」
「僕からしたらまだまだ子供! それに、年齢は関係ないから!」

 苦笑しながらも、ルシアンの目は真剣だった。

「ひとりで行く?」

 隣でやりとりを聞いていたギルバートが、グラス拭きを続けたまま、ちらりとアマネを見た。

「市場くらいなら大丈夫。昼間だし」

 ギルバートがじっとアマネを見下ろす。からかうような、含みのある瞳だ。

「どうせ帰りに、森に寄るつもりだろ」
「……なんで」
「買い出し頼まれると、毎回同じ顔するから。外出許可もらった子供みたいな」
「うるさ」

 まさに子供のように拗ねた態度に、ルシアンが吹き出す。

「図星なんだ?」
「……まぁ、ちょっとだけ。すぐ戻るけど」

 城下町の外れへ続く小さな門の向こう側に“迷いの森”と呼ばれる森が広がっている。
 その森の中を、散歩がてら歩くのがアマネの密かな日々の癒しだった。

 木陰の涼しさと、緑の匂い、清涼な水音。
 なにより、ギルバートが領域テリトリーとしているその森には、一般の人間は誰も近づけない。

 人間や魔物が森に足を踏み入れると、ギルバートの特殊な結界が作動し、みんな道に迷い、歩き続けると気づけば森から放り出される仕組みだ。

 ギルバートが許した者だけが入れる森。
 人間の気配がない静かな空間。誰もアマネを見る者はいない。
 変身の魔道具であるネックレスを外しても、怒られない場所だった。

「だめ?」

 試しに聞いてみると、ギルバートはわざとらしく大きくため息をついた。

「俺がダメって言ったら、行かねえの?」
「……いかない」
「ほら。そういうところ」

 呆れたように笑いながらも、その声はどこか甘い。

「森自体は俺が結界張ってるから、人間はもちろん変な魔物もそうそう寄ってこない。でも、“絶対安全”だと思わないこと。何かあったら、すぐ戻ってくる」
「うん。奥には入らないし、長居もしない」
「本当に?」
「約束する」

 そう返すと、ルシアンが「よろしい」と満足そうに頷いた。ギルバートもくしゃりとアマネの頭を乱雑に撫でる。

「じゃあ、買い出しついでに散歩くらいは許可しよう。森、好きだもんね?」
「……人がいないから、楽」

 自分を偽らなくていいから。
 そこまで口には出さないうちに、ルシアンはすでに分かっているような顔をしていた。

「ほれ。今日は風が強えからな、冷えるぞ」

 いつの間に用意してくれたのか、背後に回ったギルバートがアマネの肩に黒の外套を掛けてくれた。

「あ……ありがとう」
「じゃあ、散歩も市場もしっかりお昼は食べてから行きなさい。放っておいたらすぐ食事をおろそかにするんだから」
「はいはい」

 ここまで心配されると、苦笑するしかない。
 適当な返事をしながらも、アマネは二人の過保護さが嫌いじゃなかった。

 自分の身を、自分より先に案じてくれる人間がいること自体、アマネにとっては尊くてあたたかいことなのだ。

 アマネはカウンターから立ち上がると、ネックレスのトップが胸元できらりと光る。
 市場用の布袋を受け取り、ルシアンからもう一度リストを受け取り直す。

「いってらっしゃい、アマネ」
「うん、いってきます」
「気をつけろよー」

 背中に見守るような視線を感じながら、アマネは《銀のランタン》の扉を押した。

 いつも通りの平凡な用事。
 平和な日常。

 そう思っていた。

 ──この日の何気ない行動が、二度と“この日常”には戻れなくなるきっかけになるなんてことを、まだ少しも知らないまま。




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