元奴隷の治癒師ですが、竜騎士団長に溺愛されて逃げられません

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第一章

2-3.迷いの森

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 アマネはさっと血の気が引く思いがした。

 祝福の代償である熱が胸元から全身へ広がっているはずなのに、背筋が震える矛盾。

 美しく澄んだ瞳に自分が持つ黒色を見つけた瞬間、もう遅いと分かっていても咄嗟に顔を背けてしまう。

『特に騎士団や王都の人間には、絶対にバレないように──』

 ルシアンの言葉が脳内に響く。
 過去の鋭い銀色の記憶が一瞬にして脳裏に甦り、とっさに唇を噛み締めた。

 時が止まったかのような静寂が落ちる。


 けれど次の瞬間、ロアンの視線が竜へと滑った。
 竜の傷口に残る治癒の光と、穏やかになりつつある呼吸。

 ロアンは短く息を呑む。

「……治療、してくれたのか?」

 低く、よく通る声だった。
 その声には疑いや警戒の色よりも、大きな焦りが混じっている。

 アマネは喉を鳴らし、こくりとうなずいた。
 張り付いた喉のせいでうまく言葉が音にならない。

「か、勝手に触って、すみません。でも、このままだと、命に関わると思って」

 言葉を絞り出すようにして伝えると、ロアンは数秒だけ剣を構えたままアマネを見つめ──やがてハッとしたように肩を揺らして、刃先を下ろし素早く腰に剣を納めた。

「……悪い。驚かせた」

 低く落とした声は、さっきまでの殺気だった空気とは一変して、バツが悪そうな声色になっていた。
 その手がぎゅっと拳の形を作り、わずかに震えているのを視界の端に捉えたとき、アマネはようやく少しだけほっと息を吐き出した。
 無意識に強張っていた体がほぐれる。

 ロアンはまず竜の方へと目を向けた。
 白銀色の巨体に近寄り、喉元や翼、傷口の周囲に手を滑らせる。

 荒れていた息が先ほどより随分と落ち着きを取り戻したのを確かめると、目に見えて肩の力を抜いた。

「生きてる……毒も、抜けてる……」

 ほっとしたようにひとつ息を吐いてから、今度はアマネのほうにくるりと向き直る。
 真正面から強い視線を向けられて、アマネは思わずフードの端をつまんだ。
 今更遅いけれど、ぐいっとそれを頭から被り目元を隠すように引っ張って整える。

「今の……君がやったのか?」

 ロアンの瞳が、じっとこちらを見据えているのを俯いていてもひしひしと感じる。

「えっと……」

 どう誤魔化すべきか迷う間も無く、問いはすぐに取り下げられた。

「いや、見てた。……治してくれたんだよな。助かった──本当に、ありがとう」

 さっきまで問答無用で喉元に剣を突きつけていた相手とは思えないほど、声音が柔らかい。

 ロアンは礼を言いながら、一歩、距離を詰めてきた。

(ち、近い……)

 アマネは尻餅をついていたその場から詰められた距離分空けるように一歩、下がる。

 胸の奥で、さっき魔力を解き放った熱がじりじりと存在を主張し始めていた。
 心臓が強くなるたびに、内側が焼けるように痛む。

 ロアンの視線が一瞬だけ、アマネの喉元に落ちた。
 フードの端から溢れた黒い前髪。
 そして、シャツ越しに僅かに熱を帯びた肌の色を見下ろして。

 触れそうな距離まで伸びかけた手が、アマネが気づく前に空中でぴたりと止まり、指先がゆっくりと握り込まれる。

「……平気か?」
「え?」
「顔、真っ白だ。さっきから息も荒い。この治療、かなり無茶したんじゃないか」

 ぎくりと体がこわばる。
 よく見られていた。

 アマネは頬を伝った汗を手の甲で咄嗟に拭い、慌てて視線を逸らした。

「大丈夫。……慣れてるから」
「慣れてる? ……その言い方、あんまり安心できないな」

 ロアンは苦笑混じりの息を吐いた。
 けれどその目の奥には、焦りと、不器用な心配の色が滲んでいる。

 近寄ってきそうで、でも一定の距離を越えない。
 手を伸ばしたいのに、何かを必死にこらえているような、妙な緊張感がロアンにはあった。

「俺は、ロアン・イグナリア。竜騎士団の団長をやってる」

(……知ってる)

 繰り返すが、この国でロアンの顔を知らぬ国民はいない。
 それでも誠実に、丁寧に自己紹介をしてくれる彼の人の良さもまた、国中で評判だ。

 最初に剣を向けられた時はどうなるかと思ったが、相棒の竜に勝手に治療を施されても、一般人に躊躇いなく頭を下げるなど、噂に違わぬ人格者のようだ。

「任務帰りに、ちょっとした待ち伏せをくらっちゃってさ。毒矢を受けたまま飛んでたら、こいつが限界で……森の上で、落ちた」

 なるほど、とアマネは内心うなずく。

 人も魔物も侵入できないはずのこの森だが、上空から竜が勢いよく落っこちてきてギルバートの結界を突き破ったのだろう。
 上級の魔力を持つ竜の自由落下には、さすがのギルバートの結界にも穴が開いたみたいだ。

 ロアンが全身びしょ濡れなのは、おそらく結界を突き破った時の衝撃で竜から落ちたのだと推測する。
 森に流れる川にでも落っこちたのだろう……竜はともかく、空の高さから落ちた人間がよくこんなにぴんぴんしてるな、とアマネは密かに感心した。

 ロアンは簡潔に説明しながらも、その手は竜の首筋を撫でている。
 愛おしそうに、確かめるように。

「応援と医療班は道中に呼んであったんだけど……こいつが持つか、ちょっと賭けだった。──そこに、君がきてくれた」

 その柔らかく細められた瞳がそのままアマネを振り向いた瞬間、アマネの胸の中で、別の意味の痛みがじわりと広がる。

「でも……俺、勝手に触ってしまって」

 やっとのことでそれを口にすると、ロアンは「は?」という顔をした。

「竜のことか?」

 アマネはこくりとうなずく。

「竜騎士団付きの竜に無断で触れたら、罰せられますよね……」
「あー……」

 ロアンは首の後ろをかくような仕草で肩をすくめる。

「状況見てくれよ。放っといたら死んでたんだ。しかもこいつは、竜騎士団でトップの戦闘竜だぞ? 罰どころか、感謝状案件だよ」
「……でも」
「それに」

 言いかけたアマネの声を、ロアンの言葉が柔らかく遮る。

「君が来なかったら、今頃こいつ、もう息をしていなかったかもしれない。……正直、間に合わないかと思ってた」

 ロアンは竜の鼻先に額を近づけるようにして、うん、と小さく頷いた。
 その仕草は、他国との争いに身を投じる戦士というより、どこか大型犬のような素直さをはらんでいる。
 ……と、国で最強の実力者相手になんて失礼なことを、とアマネはとっさに浮かんだ考えを消し去る。

「だから、さっき剣を向けたのも……本当に悪かった。いきなり森の中で、こいつのそばに人影が見えたから、つい反射で。怖がらせたよな。ごめんな」

 まっすぐな謝罪に、アマネは返す言葉を失った。

 彼は、国中の誰もが憧れ、遠くから見上げるような存在だ。
 そんな人間が、自分なんかに頭を下げている今の状況は非常に心苦しく、アマネは咄嗟に目をそらす。

「本当に、助かった。君がいなかったら、俺もこいつもとっくに終わってた」

 言いながら、ロアンはアマネを見つめる。

「とっくに終わってた」なんて、この状況に似つかわしくない大げさに聞こえるセリフだが──その真剣さを前にして、そんな大そうなことではないと笑って流すことはできそうにもなかった。

 感謝。安堵。敬意。
 それだけじゃない。
 くすぶる熱のようなものが、混ざっているような気がした。
 胸の中で、熱と痛みがまた一つ脈打つ。

(ルシアンが知ったら、絶対怒られるだろうけど……)

 それでも、知らないふりをして背を向けなくてよかったと、心の中で思う。


 その時だった。

 空気が、大きく震えた。

 遠くから複数の翼が空を切る音が聞こえてくる。
 アマネが顔を上げると、木々の隙間から何頭もの竜がこちらへ向かってくる影が見えた。
 陽光を受けた鱗がきらめいて、見上げたアマネの目が焼けそうになる。

「……応援だ」

 ロアンが短く呟く。
 竜たちの背には、騎士たちの姿も見える。

 アマネの喉がきゅっと縮む。

 竜、騎士、空から降りてくる国家権力と、複数の視線。
 この場に、黒髪と黒瞳をさらしたままでいたら──

 ルシアンとギルバードの顔が脳裏に浮かんだ。

(これ以上見つかったら、だめだ!)

 今ここで騎士たちに囲まれたら、言い訳なんて通用しない。
 竜騎士団の団長が目の前にいるなら、なおさらだ。

 アマネはフードを深く被り直した。

「それでは」

 できるだけ平静を装って言う。
 けれど、自分でわかるほど声が震えていた。

 ロアンがはっとしたようにこちらを見る。

「ちょ、待ってくれ! せめて名前を──」

 伸ばしかけた手が、また空中で止まった。
 その躊躇と焦りの混ざった仕草に、なぜか胸の奥がざわりと揺れる。

 折れそうになった膝に鞭打って、なんとか腰を上げると背を向ける。

「大丈夫。……竜が助かったなら、それで」

 それだけ言って、アマネは一歩踏み出した。
 足元の土がざくりと音を立てる。

 背後から、竜たちの羽音と巻き起こる風、「ロアン団長ー!」と叫ぶ声が迫ってくる。
 風圧で木々が揺れ、森の空気がざわめいた。

「──っ、アマネ!」

 風を切る音に紛れ、ロアンの声が、なぜか自分の名前を呼んだ気がした。

 アマネは振り返らなかった。
 胸の痛みを押し殺して、木々の影へと身を滑り込ませる。

 結界の内側の道筋は、こんな状況でも足が勝手にたどるほど体が覚えている。
 枝を避け、根を飛び越え、ただひたすら、森の出口へ向かって走った。

 背後でまた、名前を呼ばれた気がした。
 けれど、その声が幻聴ではなく現実のものなのか、確かめる余裕はもうなかった。

 ただひたすらに、フードが脱げてしまわないように外套を抑えながら、アマネは森を駆け抜けた。


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